第四節
「で、うまく行ったんですけど、想像以上の爆発で、隠れるところがないと、こっちも爆風でやられますね、あれ」
「へえ、そこまで凄かった? やっぱりアタシの理論は正しかったのね」
休日の午後。
ナスカは赤の魔法使いローグを訪ねて、ファイアボールの成果を報告していた。
「そうですね、今研究所でやってる研究を調べてみましたが、酸素供給を空気で行おうと、火魔法と風魔法が合同でやってる人はいましたが、水魔法との合同はありませんね。瞬時に大量の酸素供給という意味で、威力はこちらの方が圧倒的に上だと思います」
「でしょう? 水に目を付けたのはアタリよねえ」
満足そうなローグ。
「ですが──」
だからこそ、ナスカは言わなければならなかった。
「俺はもうこの魔法を使わないでしょうね」
文字通り、火に水を注すような言葉を。
「は? 何でよ? あれ以上強力な魔法はないでしょ?」
「そうですね。だから、もう使いません。使いどころが、ありませんから」
ナスカはいつになく真面目な口調で、話す。
「この破壊力、エネルギーは確かに凄いものですが──」
一呼吸ついて、ローグを見つめる。
「あれが必要な時は、戦争くらいです」
ゆっくりと、なるべく無表情で、ナスカが言う。
ローグははっと目を開く。
「……そうよね」
ローグはバツが悪そうに目を閉じる。
純粋に研究心しかなかったローグは、それが一般の魔法使いに広がることでどのような影響に発展するかまで考えなかったのだ。
それは強大な兵力となり、大規模な殺戮が可能となる。
ローグにしても、それは望むところではない。
「結果も分かったことだし、もうその研究はやめるわ。あげた書類は好きにしていいわよ」
「分かりました」
ナスカは立ち上がる。
「もう帰るの?」
「そうですね、用事も終わったことですし」
「そう……」
少しだけ寂しそうな表情を浮かべるローグ。
少女のような表情をする三百年生きている魔法使い。
ナスカは、どうにも微笑ましく見えて仕方がなかった。
「──また来てもいいですか? 魔法を教えてもらえませんかね、学園じゃ習えないので」
気まぐれに言った事だが、彼女にいつでも会える、魔法を教わる、という口実は、とてもよく出来ていた。
「え? ああ。じゃあ、いつでも来なよ」
ローグは、笑ってそう答えた。
「じゃあ、あなたの事、師匠って呼びましょうかね」
「何よそれ、普通でいいわよ」
ローグは、ナスカの軽口に笑う。
「じゃ、母さんとか」
「……!」
ローグの目が、大きく開く。
「俺、母親いないんですよね。だから母親って存在がよく分からないんですが、ローグさんみたいな年上の人に、そういう呼び方をするって別に普通なんじゃないでしょうかね?」
ナスカは、変わらず軽い口調で言う。
「……」
ローグはそれに、軽い口調で返す事が出来なかった。
ナスカは彼女を笑顔で見返す。
ローグは、何かを言おうと思ったが、言うことは、言えることは、何もなかった。
「……勝手にすれば?」
そう言い返すだけで、精一杯だった。
「じゃ、帰ります。また今度、母さん」
ナスカは手を振って、ローグの家を出た。
ローグは笑って手を振り返した。
「やっぱり、ここに来てたんだね」
大きな瞳を細めて微笑む少女。
ローグの家を出たナスカのもとに歩いてきたのは、シェリンだった。
「シェリン? 何でこんなところにいるんだ?」
「ちょっとね」
いつもとは少し違う雰囲気で微笑むシェリン。
「迷ったのか?」
「違うよ!?」
いつもの口調と表情に戻る。
「もう、ナスカはいつも私をからかうよね!」
「からかわれる隙があるから悪いんだ」
「そんなのないよ?」
「隙だらけの奴はみんなそう言うんだ」
「じゃあいいよ、私に隙があっても、ナスカにだってどうせあるんだから」
「俺に隙なんて……まあ、ないとは言い切れないな」
「でしょっ!」
シェリンが嬉しそうに笑う。
ナスカは、それがどうした、と思いはしたが、シェリンがあまりにも楽しそうだったので何も言わなかった。
「ねえ、ローグさんと何を話してきたの?」
シェリンは、何気なく尋ねる。
だが、わざわざここにいるという事で既に、それが目的であることはナスカにも分かっていた。
「あの魔法を、封印するように薦めて来た」
「そっか──」
「もう研究しないってさ」
「うん」
「俺もさ、もう二度と使わない」
「そうだね」
シェリンは、表面上はにこやかな表情でそう返事をした。
ナスカやローグの判断は正しいことだ。
あの魔法を使う事は避けるべきだ。
だが、シェリンには少しだけ、寂しさもあった。
「ねえ!」
シェリンが前を走り、振り返る。
「抱きしめて! ぎゅっと!」
手を大きく広げて、シェリンが言う。
無防備な、笑顔。
それは初めて会った日から何も変わっていない。
だが、ナスカはシェリンと超えて来た多くの出来事によって、その笑顔の意味がナスカの中で徐々に変わっていた。
特に雪山での一連の出来事は、生涯忘れられないだろう。
ナスカは、あの日の感触を思い出し、衝動的に、抱きしめようと思った。
「……何でだよ、理由がないだろ」
だが、何とか思いとどまった。
「えー、抱きしめてよ、本当に落ち着くんだよ、あれ」
シェリンが残念そうに手を下げる。
「今、落ち着く必要なんてないだろ」
「むー」
不満げな表情のシェリン。
「じゃあ、また私に落ち着きが必要な時は、抱きしめてくれる?」
「んー、まあ、考えておこう」
「うんっ!」
シェリンはナスカの腕に抱きついた。
ナスカは振りほどこうとも思ったが、その理由が見つからなかった。
「ねえねえ、ナスカはさ、王様に興味ないの?」
シェリンは前触れもなく、そんな事を聞く。
「全くないな」
ナスカは素っ気なく答える。
「そっかあ」
「あるなら騎士になってる」
「だよねえ……」
シェリンは笑う。
その笑いに、ほんの少しだけ寂しさが混じっている事を、ナスカは気付いてしまった。
ナスカはどうにも、その笑いを放っておけなかった。
「いや、全くじゃないな。ゼロってわけじゃない」
「本当?」
「ああ。まあ、無理だけどな、俺は魔法使いだし」
「うんっ!」
妙に嬉しそうにシェリンが言う。
「あのさっ、また……きゃっ!」
シェリンが転ぶ。
掴んでいたナスカの腕を軸に半回転し、後ろから落ちていくシェリン。
「まったく!」
ナスカはもう一方の手でシェリンの腰を抱く。
シェリンはギリギリのところで転倒を回避した。
「お前は本当にドジだな」
「……ごめんね」
いつもならドジと言われると怒るシェリンも、流石に大人しく謝った。
「……なんだか、ダンス踊ってるみたいだね」
シェリンが言う。
片手をつなぎもう一方の手で、腰を抱いているナスカは、確かにダンスの途中にも見えた。
「俺はダンスなんて知らんな。俺に出来ることは──」
ナスカは、そのままシェリンを、抱きしめた。
「こんなことだけだ」
「…………!」
何故そんな事をしたのか、ナスカにも分からない。
気まぐれ以外の感情はなかった。
そう強く言えるほど、ナスカはシェリンに無関心ではなかった。
だが、その感情が気まぐれではなく、気の迷いだったとしても、それが間違いだったとは思わない。
とても心地よく、気分は穏やかに──。
「……落ち着かないね?」
「そうなのか?」
言葉を交わす二人。
気分は穏やかにはならなかった。
「どんどん、どきどきして来た……!」
不思議そうに、嬉しそうに、シェリンが言う。
ナスカも、全く同じ気持ちだった。
「ねえ、どんな魔法を使ったの?」
「使ってないぞ」
「ど、どうして落ち着かないのかな?」
「そりゃあ──」
ナスカは、その答えを見つけ出した。
「お前も俺を抱きしめてるからだろ」
「あ」
シェリンはそう言われて、初めて自分がしっかりとナスカを抱きしめている事に気付いた。
「ごめんね、ナスカも落ち着かない?」
そう言いつつも、シェリンはナスカを離さない。
「そりゃ、お前の鼓動が聞こえるからな」
「私も、ナスカの鼓動聞こえるよ? どきどきしてるよ?」
「まあな、だが、嫌じゃない」
鼓動が聞こえる。
呼吸が聞こえる。
相手の気持ちが全て分かる気がする。
相手に気持ちが全て透けている気がする。
不安定な今の気持ちが全て伝わっている気がする。
それでも、それは心地よかった。
「うん、私も!」
シェリンの声。
その声が、あまりにも弾んでいたので、ナスカはぐい、とシェリンの肩を押し返した。
「……?」
抱きしめあっていた状態を外されたシェリンは、きょとんとした表情でナスカを見上げた。
「……帰るか」
あまりの照れくささに、そう言うナスカ。
「え~、もっと!」
更なる抱擁を求めるシェリン。
「もういいだろ」
これ以上は限界だと思ったナスカはそれには応じない。
「もっともっと!」
腕を引っ張りせがむシェリン。
「また、今度な」
それを振りほどくナスカ。
「今度っていつ? 明日? 夕方?」
「明日かもしれないし、十年後かもしれないな」
ナスカはそう言って歩き出す。
「…………」
シェリンはその場に立ったまま、遠ざかるナスカを見る。
「いいよ、明日でも十年後でも二十年後でも」
シェリンの声に、ナスカは振り返る。
「でもね、約束したからね! 絶対やってね!」
穏やかな日差しにシェリンの髪が舞う。
「十年でも二十年でも待ってるよ。魔法使いは寿命が長いんだからね!」
しまった、油断した。
ナスカはそう思ったが、もう手遅れだった。
弾む声。
無防備な笑顔。
見慣れたそれは、また新しい感情を生み出した。
「あああ、もう!」
ナスカはそう叫ぶと、走ってシェリンの元へと戻った。
投稿したのはここまでですが、第五章以降も執筆しています。




