第一節
「遠いな……」
ナスカがつぶやいた。
それに対する返答はどこからもなかった。
全員、同意するのも面倒なほど同意していたからだ。
朝に学園を出てどれくらいの時間が経っただろう。
日が昇り、傾き、薄暗くなってきた今となってはそんな事はもうどうでも良かった。
一日中歩くということは、この世界ではそう珍しいことでもないが、何せ彼らは魔法使いの卵である。
一般人よりも体力はない。
まだ体力のある方であるナスカやアールはましにしても、食も細く体も小さいトイネや、お嬢様育ちのエメリィにはかなりの苦痛だろう。
「今日中に山の麓まで行きたかったが、やめておいた方がいいか。いざという時に戦えなきゃ意味がないしな……」
「どうするのよ? ここで野営にするの?」
アールが聞くと、他の三人も希望に満ちた顔でナスカを見る。
「……そうした方が良さそうだな。よし、野営場所を探そう。エメリィとトイネは体力温存しておいてくれ」
「はい……」
「うん……」
ナスカがそう言うと、エメリィとトイネは崩れるようにその場にしゃがみこんだ。
シェリンもそれに続いて座り込む。
「アールは一応護衛に見張っててくれ。俺一人で探して来る」
「分かったわ」
アールの返事を聞くと、ナスカはその場を後にした。
野営にいい場所はすぐに見つかった。
道の脇に草のない広場があったのだ。
そこかしこ焦げているところがあり、多分これまでも誰かが野営をしていたのだろう。
そこに木々を集め、ナスカがシェリンを介して火を付け、焚き火をした。
「今回行き先が雪山だから、装備も十分に持ってきてるけど、テントとか使うか?」
「どうする? そういうのは一番生活レベルの高そうな人が我慢できるかどうかじゃないの?」
アールがエメリィをちらりと見る。
「……私は野営でも大丈夫ですわ」
まだ疲労感の抜けないエメリィが答える。
「そうか、じゃあ、面倒だし野営で……いや──」
ナスカはシェリンの表情が曇るのを見てしまった。
「明日はどうせ雪山で野営しなきゃならないし、場合によっては大変な状況かもしれないから、練習がてらテント立てるか」
「まあ、あんたがそう言うならそうしましょうか」
アールもそれに従う。
ナスカは自分が持ってきたテントの部品を出し、アールやシェリンと協力して立てる。
テントは五人が寝れば足の踏み場がないくらいの大きさで、テントとしては大きいのだが、五人同時に寝れば寝返りをうつ隙間もない。
「……こんなところで五人寝るのはきついわね。特に男のあんたを含めると」
「いや、五人寝ることはないぞ。必ず二人は起きて番することになる」
「え? 二人も起きてるの? どうして?」
「そりゃ、夜に何かに襲撃されたら困るだろ?」
「こんなところにモンスターなんて出るの?」
「まあ、こんな街道沿いにモンスターが出るって事はあまりないと思うが、ゼロじゃない。だから火を絶やさずにしておくことが重要だ。あと、モンスター以外って方が可能性としては高いな」
「モンスター以外?」
「夜盗とか、そこらのならず者とか。そういうのが夜にここに来て襲撃するって事もある」
「でも、そういう人たちはお金目的でしょ? 私達演習中だからほとんどお金持ってないよ? 大丈夫なんじゃない?」
シェリンのあまりの言葉にナスカは少し驚く。
「……シェリン、お前のことを馬鹿だとか思ってたが、そこまで世間知らずだとは思わなかったぞ」
「え? え? どういうこと?」
「あのな、そういう奴らはお前自身も目的に入るんだぞ?」
「???」
シェリンが首を九十度くらいに傾ける。
「お前は自分が年頃の娘だという自覚はないのか」
「あ、あるよ。それがどう……ああああっ?」
シェリンが何かを理解して驚く。
顔は真っ赤に染まる。
「そ、そんな……」
「分かっただろ? だから厳重に──」
「私に、夜な夜な愛を囁きに来る人がいるなんて……」
「お前の脳のハッピーエキスを一度俺に分けてくれないか」
ナスカは説明するのが面倒になったので、そのまま放置することにした。
「まあ、野営の前に食事だな。携帯食の干した肉を……」
「ダメッ! 私が作る!」
「……そういえば料理が得意だったな。でもお前も体力を温存しておけよ」
「大丈夫! 私明日もそんなに役に立たないから!」
堂々と宣言をするシェリン。
「それにちゃんと食事した方が体力は付くと思うよ」
「まあ、そうだけどな。じゃあ、任せていいのか?」
「うんっ」
シェリンは嬉しそうにうなずく。
そして、自分の荷物から鍋や食材を取り出す。
食材は結構な品数で、カバンの中全て出すとかなりの量になった。
「お前のカバンの中には、食器と食材以外何が入ってたんだ?」
「え? 何もないよ?」
「お前は凄いよ、でも褒めてないからな」
シェリンはいそいそと料理を始める。
ナスカはとすん、とその場に座り込んだ。
彼もかなり疲れてはいるのだ。
「シェリンは元気だなあ」
ナスカは誰ともなしにつぶやく。
「人間、好きなことをする時には疲れなんて吹き飛ぶものだよ」
それにトイネが答える。
「そうだな。それが魔法じゃなく料理ってのがシェリンらしいが」
「ま、それは人それぞれだね」
「まあ、それでもいいんだがな。こっちはこっちで野営と課題について考えないとな」
「うん。イエティ退治って課題としてそう難しいものじゃないから楽勝だと思うけどね……こういう行程を除いて」
「行程の練習みたいなもんなのかな、今回。ま、でも初めての実地での戦闘だし、気は付けないとな」
「そうだね、疲れて戦闘が出来ないって事になったら大変だしね」
トイネが伸びをする。
「出来たよ! みんな!」
シェリンが元気な声でみんなに呼びかける。
「じゃ、分けるからね! はい、ナスカ」
「おう、ありがとう」
ナスカは差し出された茶碗を受け取る。
シェリンは次々と具の多いスープのような料理を配る。
「! これはうまいぞ」
「本当? よかった!」
シェリンは嬉しそうに笑う。
「本当に! おいしいですわ。疲れが取れそうな料理ですわ」
「えへへへへ~」
シェリンは嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑う。
あまりにも浮かれて、自分の分を取りそこないそうになるくらいだった。
「じゃ、野営は二人で、一人ずつ交代しよう」
食事が終わり、後片付けも終わった後、ナスカが言う。
「最初は俺と……アールでいいか?」
「いいわよ」
ナスカは比較的体力が残っていそうなアールを指名した。
ちなみにシェリンは料理が終わった後ぐったりとしていた。
「じゃ、残りの三人はテントの中で寝てくれ」
ナスカが言うと、言われた三人は、ぞろぞろとテントに入っていった。
「ふう……今日は疲れたな」
ナスカは焚き火の脇に座り、つぶやいた。
「そうね、ここまでみんなが体力を消耗するとは思わなかったわ」
アールはその向かいに座る。
「…………」
アールは少し緊張した様子でナスカをちらり、と見て目をそらした。
そういえば四人の中で一番話をしたことがないのはアールだ。
ナスカはあまり人見知りはないのだが、アールからすればまだナスカに緊張しているのかもしれない。
「そういえば、アールに会ったころはいいツッコミを見つけたと思ったもんだが、全然ツッコんでもらってなかったな」
「何よそれ、私は別にツッコミが得意なわけじゃないわよ」
「いや、でもシェリンと一緒にいるってことはかなりのツッコミをしてきたんじゃないか?」
「それは……そうだけど、別に私がやりたくてやってるわけじゃないのよ」
「まあ、分かるな。アールはシェリンといると自分がしっかりしないと、とか思うんだろ? だからなし崩し的に主導権を握ってることが多いけど、別にそれが好きなわけじゃない」
「……まあ、間違ってないわ」
「だよな。最初は俺にも仕切るな、って言ってたけど、最近は言わなくなったからな」
「それは……私は白魔法が嫌いだったし、あんたの事も認めてなかったからよ」
アールは少しバツの悪そうに、そう言った。
「じゃあ今は、俺も認めてくれてるのか」
「……まあね。あんたの指示のおかげで助かったこともあるし」
「白魔法はどうだ?」
「それは……微妙かな。あんたやエメリィは認めてるけど……白魔法科の人間には黒魔法科を馬鹿にする奴も沢山いるわ。そういう人間を前にして、笑ってはいられないと思うし。だから、黒魔法を認めてる白魔法使いって分からない限り、身構えると思うわ」
「そうか。ま、そうだろうな」
白魔法と黒魔法の対立は根が深い。
こちらがいくら認めても、相手が認めてくれなければなかなかうまく行くものではない。
だから対立が続くのだ。
「──じゃあさ、今まで黒魔法使いだと思ってた奴が、実は白魔法使いだったらどう思う?」
「何よそれ、意味が分からないわよ」
「例えばさ……」
ナスカは一度だけ大きく息を吸う。
焚き火がぱちり、と爆ぜる。
「シェリンがさ、実は白魔法使いだったとしたらどう思う?」
「シェリンが?」
「いや、例えばの話だ」
「分かってるわよ。んー、まあ、シェリンなら、特に何も変わらないでしょうね。あの子が黒魔法を馬鹿にするとも思えないし」
「そうか。だよな」
ナスカはほっと息を吐いた。
「何でそんな事聞くのよ?」
「いや、単に思っただけだ」
ナスカが誤魔化して焚き火に薪をくべる。
くべられた木は、白い煙を上げた。
「そろそろ時間かな。じゃ、アール先に寝るか? 次はシェリンでも起こしてくれ」
「分かったわ。呼んで来る。おやすみ」
アールはテントの中に入って行った。
ナスカはしばらく一人で火を見ていた。
アールがいなくなったことで魔法は使えるのだが、焚き火の勢いは強く、使う必要がなかった。
「ふぁ~……。おはよう……」
テントの中からシェリンが出て来る。
「おはよう、野営でこういう事を言うのはおかしいかも知れんが、それは女子としてどうなんだろう」
「ふぁぁぁぁ~?」
半開きの目と少し乱れた頭髪。
完全なる寝起き状態でふらふらとナスカのところに歩いて来る。
すとん、とナスカの隣に座ると、ナスカに身を預けて来た。
「にゃー……」
「おい、寝るな」
「寝てないよ……ふにゅー」
「寝てる奴はみんなそう言うんだ。起きろ」
ナスカはシェリンの肩をがくがくと揺さぶって見た。
「にゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……あれ? ここどこ?」
「お前の部屋だ。忍びこんでみた」
「ええっ! あっ、あのね、駄目なの。それだけはね……! それ以外なら、な、何でもっ……! ……あれ?」
喋っている間に目が覚めるシェリン。
「おはよう」
「……おはよう」
ぼーっとナスカを見るシェリン。
はっとわれに返る。
「だまされた! ひどい!」
「まあ、落ち着け。体力を使うな」
「使いたくないよ! でもナスカが使わせるんだよ!」
「まあ、俺も少しは悪かったと思っている」
「全面的に思ってよ」
「寝てたお前も悪いだろ」
「起きてたよ」
「いや、寝てた。っていうか、起きてたならそもそも騙されないだろ」
「……うん」
シェリンは納得し切れてはいないが、状況上納得せざるを得なかった。
「そう言えばさ、この前言った水の分離って出来るようになったか?」
「え? うん、一応は出来るよ。やってみる?」
シェリンは小さな水玉を作るとそれを宙に浮かせる。
「本当はもっと大きいのが作れるけど、疲れるから小さいので行くよ」
シェリンはその小さな珠を中に浮かせて、焚き火の上に持っていく。
「今度は消してみるよ。それっ」
シェリンがそう言った瞬間だった。
ドンッ!
爆発した。
焚き火が消し飛ぶくらいの爆発。
至近距離にいた二人は運よく直撃を免れたが、爆風で後ろに転げてしまった。
「な、なに? 何かあったの?」
テントの中からまだ起きていたアールが飛び出してきた。
シェリンは転がったまま茫然としている。
「いや……シェリンが間違って破裂する木をくべたんだ。起こして悪かったな」
ナスカが適当に誤魔化した。
アールはナスカやシェリンの様子を見、焚き火の様子を見る。
「……気をつけなさいよ」
そう言うと、テントの中へ戻って行った。
「大丈夫か、シェリン?」
「……うん、多分」
シェリンはナスカが差し出した手を取り、立ち上がる。
まだ少し、足腰に力が入らないようだ。
「何が起こったの?」
「あー、多分空気になったから火と酸素が結びついて一瞬で燃え上がったんじゃないかな。多分」
「……あんなに爆発するものなの?」
「いや、あれは自然の火だからあの程度だけど、魔法の火ならもう少し行けるんだろうな。あと、水玉ももう少し大きく出来るんだろ?」
「う、うん」
それは想像も出来ない程のエネルギーとなるだろう。
「さすがに伝説の魔法使いの思いつくことは凄いな」
「……うん」
「これはちょっと使いどころを間違えないようにしないと、こっちの被害も大きいな」
ナスカも少し驚くほどの威力は、本気になれば周囲を巻き込むことになるだろう。
だが、いざという時には役に立つかもしれない。
使いどころの判断が難しい。
「ま、これ以上体力を使うのもなんだし、後はおとなしくしていよう」
「うん。あ、でも焚き火消えちゃったから付けないとね」
「それは大したことないから大丈夫だ」
ナスカは、焚き火の残りに新しい薪を加え、火を付ける。
「俺は次に寝る番だが、ドジって火を消さないようにな」
「消さないよ、もう一人がいるから大丈夫だよ」
「他人任せにせずにもう少し頑張ってみろよ」
「なるべく頑張る」
シェリンは頼りない事を言う。
「そう言えば、俺は外で寝た方がいいかな」
「? どうして?」
「いや、一緒に入って寝るの嫌だろ? 俺だけ男だし」
「そんなの気にしないよ。全く気にしてないことはないと思うけど、ナスカが隣に寝てたって、嫌がる人はいないと思うよ。そう思ってるなら最初から言ってるだろうし」
「うーん、そうかなあ」
ナスカは腕を組む。
「深く考えない方がいいよ。深く考えれば考えるほどどうしようもなくなることって沢山あると思うよ」
「そうかも知れないな。まあ、気にしないようにしよう」
ナスカが言う。
シェリンは無言でうなずいた。
その後ナスカは順番でテントに入ったが、まだ起きていたアールに「変なことしないでよ」と言われる事になった。




