第三節
「なあ、水の分離って出来るか?」
「え?」
放課後の、二人での勉強会。
ナスカはシェリンに聞いてみた。
「うーん、簡単に言うと出来ないよ?」
「だよな……けど、理論上出来るらしいぞ」
ナスカは前に赤の魔法使いローグからもらった本を見ながら言う。
「ふうん……どうやって?」
シェリンもそれを覗く。
「水魔法って、何もないところから水を出すよな? あれは空気中の酸素と、水素ってのをくっつけてるらしいぞ。だから、逆に水を酸素と水素に分離できるらしい」
「ふうん、分かったような気がする」
「疑ってる暇はないから続けるけど、まあ、そのあたりの事はこの辺に書いてあるからやってみるといい」
「分かった。でも、これは何の役に立つの?」
「まあ、火の魔法を使う補助になるんだよ。火が燃えるために何が必要なのか分かるか?」
「火」
「聞くだけ無駄だったな。まあ、熱源と、燃焼物、あと酸素だ。うち、火の魔法では熱源と燃焼物を何とか出来る。だが、酸素は供給出来ないんだ」
ナスカは図に書いてみる。
「で、空気中の酸素は火が燃えればなくなって、空気が入れ替わっているから継続的に燃え続けるが、大きさは変わらない。だが、酸素があるならいくらでも大きく燃やせるんだ」
「うんうん、そうだよね」
「分かってないよな?」
「……うん」
シェリンはうつむいて答える。
「まあ、原理とかはいいんだ。まず、水の玉を作る。その外側を火で覆う。それを遠くに飛ばして、水を分離する」
「そうすると、どうなるの?」
「さあな、理論は完成してるみたいだが、実験はした事がないらしい。まあ、激しく燃えるんだろうな。これをファイアボールって言うらしいぞ」
「ふうん。凄いね」
「凄いじゃない、俺とお前でやるんだよ」
「私に何を期待してるの? 私には無理だよ?」
シェリンが自信たっぷりに言う。
「いや、お前の大部分は信頼してないが、魔法は大丈夫だろ? 何とかこの水玉を作って、分離するところまでやってくれないか? これは共同でしか出来ない魔法だからな」
「うーん……ナスカがそこまで言うならやってみるけど」
シェリンはローグの本を熟読し始めた。
ナスカは読むものがなくなったので、シェリンの教科書を読み始めた。
「だからさ、どうしてか分からないんだが、魔法が突然強力になったんだよ。ローグさんに会ったくらいだと思うんだが、ああいう人と会うと、それだけで変わるもんなのかな」
勉強会の後、シェリンに改めておごるためカフェに来ていた。
来る途中に偶然会ったトイネとも合流して三人でカフェのテーブルに座っている。
「ボクがお兄ちゃんに聞いた限りでは、人に会っただけでそんな事になることはないはずだよ。ただ、血のつながりがあると同じ人であると認識するみたいだね。精霊は長く生きるから、人間がすぐ死んで代替わりしているという認識が薄いみたいで。しかも同時に存在してても、疑問に思わないらしいよ」
「そうなのか。そうすると関係ないな。ローグさんは肉親でもないし、そもそも血のつながりがあるなら生まれたときからの力だろうし」
「でもね、血のつながってるっていうのは、示さないと分からないらしいんだよ」
「勝手に判断するんじゃないのか?」
「それは無理だよ。精霊に『同じ人』って認識してもらわなきゃならないからね」
「そうなのか……」
ナスカが腕を組む。
精霊というものはまだ解明されていないので、あくまで予想には過ぎないが、人によって特定の属性精霊に愛されるという傾向があるようだ。
それはその属性の魔法を使い続けて行けば行くほどより好かれ、別の精霊を使う魔法を使えば好かれなくなっていくのだという。
だからこそ学園でも自分の属性以外の魔法を禁止しているのではあるが、それだけでなく、どうも血のつながりによって、精霊が同じように愛してくれるのだという。
人間の『一族』を寿命のあまりの違いから『同一人物』だと判断するのだ、とされているが、それはまだ解明されていない。
「どっちにしろ、今の状態とは関係ない話だよな」
「うん、でもさ、逆は考えられないのかな? ローグさんに会った、そうしたら魔法が強くなった。だから、ローグさんはナスカくんの一族である」
「……へ?」
ナスカは聞き返す。
それまで黙ってホットケーキを食べていたシェリンすらも顔を上げる。
「僕らが入っていったとき、ローグさんに抱きしめられてたよね? あれって精霊に一族をアピールするのに十分な事なんだよ」
「いや、そうなんだろうけど……」
「それにさ、ナスカくんに自分の研究成果を託したんでしょ? 伝説の大魔法使いが、たまたま訪れた学生に、そんなのを託すと思う?」
「…………」
ナスカにも心当たりがないわけでもなかった。
ローグはかつて頭の固い水魔法使いと共同で研究をしていた。
父の名前を聞いた瞬間に抱きしめられた。
自分は、母の名前すら知らない。
それらのパーツを全て満たすとすれば、ローグがナスカの母親である、という事柄だけだ。
「そう、なのかな……?」
シェリンも興味深そうにナスカを見る。
ほぼ間違いなくローグはナスカの母だろう。
「……ま、どっちだっていいや」
「どうして? 気にならないの?」
「ならないわけはないが、そんな重要な事を、俺は聞いてないんだ。誰も俺に言わないって事はそれなりに理由があるんだろう。明らかにしても仕方がないことは見て見ぬふりをしておこう。俺とシェリンの事だって結局はそういうことだしな」
「うん、そうだね、えらいよナスカ」
シェリンがナスカの頭をなでる。
「俺が誰なのかなんて、俺を見てもらえばそれでいいんだ。シェリンが誰であろうと、俺が見るこの馬鹿でドジなシェリンがシェリンだしな」
「ひどい!」
シェリンは今までなでていた手で、ナスカの額をぺちぺちと叩いた。
「まあ、落ち着け。シェリンだってさ、自分がどうこうよりも、自分の生まれとか家族に誰がいるとか、そういう事で自分の価値が決まるのは嫌だろ? 例えそれで価値が上がるにしても落ちるにしても」
「……うん、そうかな」
シェリンが少し考えて言う。
「確かシェリンには兄貴がいるんだろ? 比べられたらやっぱり嫌だろ?」
「え? うーん、お兄さんは騎士団だから、あんまり比べられないよ」
「へえ、まあ、シェリンの兄貴だからやっぱりドジなのか?」
「そんなことないよ! すっごい優秀だよ! 騎士団でも有数の強さみたいだよ」
シェリンが少し怒り気味に言う。
自慢の兄なのだろう。
「そうか、って事は王候補なんだな」
この国の王は、王女の夫となる男であり、騎士団最強の男が選ばれるのが通例なのだ。
「もし兄貴が王様になったら、お前は王妹だぞ。お前が何も変わらなくてもな。それってなんか嫌じゃないか?」
「え? うーん……お兄さんは多分、王様にはならないよ」
「そこまでは強くないってことか?」
「そうじゃなくって……多分、辞退すると思う」
シェリンが言いにくそうに言う。
「そうか、まあ、詳しいことは聞かないが、俺は目に見えるお前がお前だと思ってるし、それ以上でもそれ以下でもないって言いたかっただけだ」
「うん、分かったよ」
「ところでさ、ナスカくんの中のシェリンの事を、ナスカくんはどう思ってるの?」
トイネが興味本位で聞いてみる。
「そうだな、可愛いし、話のノリもいいし、結構好きだぞ? ドジとか馬鹿とか、そういうところも含めて」
ナスカは平然と言う。
「……! …………っ!」
シェリンが真っ赤になって言葉にならない何かを言っていた。
「ナスカくんって、本当に素直すぎるんだよね」
「よくエメリィにも言われるな。言葉は凶器にもなるから注意しろって。でも、今の言葉で誰かを傷つけたりしてないだろ?」
「うん。傷つけてはないと思うよ。でも、凶器として十分にダメージを与えたとは思うんだ」
トイネがシェリンをみながら言う。
シェリンは真っ赤になったまま挙動不審にあらゆる方向を向いていた。
「それにね、その言葉自体では誰も傷つかないかもしれないけど、その積み重ねで、結局誰かを傷つけると思うんだ」
「……よく分からんな。まあでも、俺はシェリンに悪い事をしたみたいだな」
いまだ挙動不審のシェリンを見るナスカ。
「シェリン──」
「え……?」
ナスカがシェリンの肩を掴んで正面を見させる。
シェリンは驚いて顔を上げる。
「ごめん、さっきのは冗談だ」
「えっ……?」
シェリンは大きく目を開き、そしてすぐにそれを細めた。
「…………ひどい」
シェリンが半泣きの顔になり、トイネがやれやれ、という顔で目を閉じる。
「今までで一番ひどい。ナスカの馬鹿!」
シェリンは拳でナスカの額をげしげしと叩き始めた。
「痛っ! な、なんだ? ちょっと落ち着け!」
「うるさいよっ! 馬鹿ナスカ!」
「うん、今のはナスカくんが悪いね」
トイネもあきれ顔になる。
この後、シェリンの機嫌を直すために多くの時間と、多くの約束を必要とした。
「はあ、女って本当に分からないなあ……」
翌日の放課後の、同じカフェで、ナスカはつぶやいた。
「また何かやらかしましたの?」
同席していたエメリィが訊く。
今日は珍しく彼女が放課後にカフェに行きたいと言い出した。
毎日ナスカはエメリィを校門まで送るだけなのだが、今日はそこから連れだされたのだ。
エメリィはこの前、ナスカとシェリンが一緒にレストランにいるのを見てから、どうにかして自分もナスカとどこかに行きたい、と画策していた。
とはいえ、エメリィは街の事を全く知らないので、アールに感じのいいカフェを聞いて来たのだ。
そして、アールとシェリンは友人であり、行動範囲も同じであり、結局同じカフェに来る事になったのだ。
「何にもないはずなんだがな。ある女に好きって言って、その後冗談だと言ったら半泣きで怒りだした」
「……ナスカ様、それはそうなりますわよ。私でも、ナスカ様の事を知らなければそうなりますわ」
「そうなのか。本当に分からないもんだなあ、女って」
「ナスカ様、女性にとって、ナスカ様のような魅力的な男性から好きだと言われれば、何か期待をしてしまうものです。それを冗談だと言われれば、怒りますし泣きますわ」
「期待って何を?」
「……色々ですわ」
エメリィは少しだけ口ごもる。
「つまり、ナスカ様は、期待だけさせて冗談だとおっしゃったのです。怒って当然ではありませんか?」
「そういうことなのか。あと、期待させるだけさせて、その後何もなければ人を傷つけるんだな」
「あら、そこは分かってらっしゃるのね。そうですわ」
「まあ、なんとなく分かった。そういうことか」
ナスカは何も分かっていなかったが分かった気になった。
「つまり俺はエメリィの事が好きだが、それは言わない方がいいんだな?」
「いくらでもおっしゃってください」
エメリィは間髪入れずに答える。
「また意味が分からなくなったぞ?」
「私はナスカ様の性格に慣れてますから、もう期待なんかしませんわ。さあ、いくらでもおっしゃってください」
「まあ、また今度な」
「そうですか……」
エメリィが残念そうな顔をする。
「そう言えば、エメリィは家に帰ってるから、騎士団の事も噂くらい聞いてるんだろ」
「ええ、ある程度はお聞きしていますが」
「次期国王とか騎士団の話ってどうなってるんだ? 俺の知り合いも騎士団には多いんだが、寮にいると話も聞けないからな」
「次期王の話ですか。私の聞く限りでは、かなり複雑な話となっているようですわ」
「そんなに強い奴が多いのか?」
「いえ、お一人だけ、最強の方がおられて、他の方は全く敵わないそうです」
「それじゃ、その一人に決まったようなもんじゃないのか?」
「それが、その方は、この国の王子様のようです……」
騎士団には多くの集団があるが、強い若者で構成されている集団として、親衛団というものがある。
現在のこの騎士団をまとめる親衛団長が、現在の最強の戦士で、誰も敵わず年齢も若いため、候補として挙げるならまず彼が上がることだろう。
だが彼は、この国の王子なのだ。
歴代の最強戦士の血を受け継ぐ彼が、現代の最強となってしまったのだ。
「王子? ああ……あれ? ってことは」
「王女様の実のお兄様になりますわ」
「あー。それは複雑だな」
ナスカはミルクを飲みながら言う。
「この国には実の兄妹で結婚してはならないという規則はありませんし、実際貴族の中には御先祖が御兄妹で結婚された例もあります。ですが、倫理的な問題もあり、本来はありえない辞退も認められているようですわ」
「つまり、その王子に王を継ぐ欲があるか、倫理を考えるか、ってところか」
「そうですわね。王子様に本当に王を継ぐ器があるなら辞退することでしょうし、そうでないなら継ぐというジレンマに陥ります」
「俺は姉とか妹とかいないからよく分からないが、実の妹と結婚するのは普通は難しいもんなのか?」
「それは、私もおりませんからお答えできませんわ」
「エメリィは姉みたいなもんだけど、結婚を嫌だとは思わないしな」
「わ、私はナスカ様の姉でも妹でもありませんわ!」
エメリィは顔を赤くして答える。
「まあ、母親みたいなもんか」
「ナスカ様!」
怒るエメリィをよそに、ナスカの頭の中にローグの姿が浮かび、ああ、あの人と結婚するようなものか、と納得してみた。
「はあ……期待しないと言ったそばから、私ったら……」
エメリィは一人ため息をついた。
「ん? 辞退できない? あれ?」
「どうしましたの?」
「いや、王位って普通は辞退できないもんなのか?」
「そうですわね。そもそも今回の事は特別で、普通は辞退される方はまず居らっしゃいませんが」
「そうか、そうだよな。あれ? この前辞退がどうとか聞いたような気がするんだが」
ナスカは、妙な違和感を感じていた。
「よく分かりませんが、別のところで王子様の話をお聞きになったのでは?」
「そうだったかな……。まあいいか。そろそろ帰るか?」
「そういたしましょう。素敵な時間をありがとうございました」
エメリィは一礼とともに立ち上がる。
この後、おごるおごらないでもめることになるが、結局エメリィがおごることで場が収まった。




