第二節
三度の仮想演習を終えた五人は実地演習を開始することになった。
これまでの仮想フィールドではなく、実地のフィールドでの演習だ。
課題にも色々あるが、大抵の課題は全てのチームに同じように与えることは難しい。
例えば、どこの山にいる獣を退治して来い、という課題があったとして、その課題を全チームが実行したら、その獣は全滅した上、課題をクリアできないチームも出てくるだろう。
その関係上、演習課題はそれぞれのチームごとに異なる。
そのチームの構成や仮想フィールドでの実力に合った演習が選ばれる。
そして、実地演習の最も大変な点は、何より遠距離であるということだ。
仮想演習は、近隣に用意が出来るが、実地は近くに演習に適した場所があればいいが、必ずしもそうではない。
だから、まず遠くに移動するというところから始めなければならないのだ。
ただ、今回はたまたま比較的近い場所であった。
「で、『赤の魔法使い』って、この森の中でいいんだよな?」
「そう聞きましたが……広いですわね」
目の前の広がるのは広大な森。
このどこかに赤の魔法使いという伝説に近い魔法使いがいるのだ。
今回の演習課題は「赤の魔法使いと会う」だ。
仮想フィールドの課題に比べればかなり難易度の低い課題だが、初の実地であるということからの配慮なのだろう。
赤い魔法使いとは、三百年は生きていると言われている、半ば伝説の魔法使いだ。
炎を自由自在に操る火の魔法使いで、火の魔法の第一人者ではあるのだが、人嫌いで、王立の魔法研究所などとは距離を置き、森の奥に住んでいるのだという。
「ですけど、不安ですわね。白魔法の中では『赤の魔女』と呼ばれている方ですし……それが、白魔法使いの偏見であることは、今では分かるのですが……」
「まあ、白魔法と黒魔法が争っていた頃、現役で戦ってた人だからね。今、森に引きこもっているのも、白魔法使いと仲良くなんか出来ないって事らしいわよ」
「そうか。つまり、今回のネックは白魔法使いなんだな、多分」
ナスカが考え込む。
自分は赤の魔法使いから見れば敵ではあるが、こちらから見れば尊敬できる火の魔法の先達である。
会ってみて、出来れば何か教授して欲しいという欲もある。
他の仲間もいるため、そもそも火の魔法使いと明かすことも難しいだろうが。
「うーん、何とか出来ないもんかなあ」
「大丈夫だよ、ハチミツをあげれば大抵の人とは仲良くなれるよ」
シェリンが根拠なく自信たっぷりに言った。
「俺、お前と結構仲がいいと思うんだが、俺とお前の間にハチミツが介在したことなんてあったか?」
「あれ? 最初にあげたんじゃなかったっけ」
「丁重にお断りしたな」
「そうだったっけ? でも、あげたって心遣いが原因で仲良くなったんだよね?」
「あそこでハチミツがなくても仲良くなっていた自信はある」
「なんだか、運命の出会いみたいな言い方だね、ナスカくん」
トイネが茶化すように言う。
「まあ、ある意味運命的ではあったが……とりあえず、火の魔法使いに一番相性が良さそうなお前が下手な事を……ん? どうした? 顔が真っ赤だぞ?」
「な、何でもないよ……」
「そうか? まあ、とりあえずお前は結構重要だと思うから何とか頑張れ」
「何をしてますの? 早く行きますわよ!」
エメリィが少し強い口調で言う。
「ああ、分かった。じゃ、行くぞ」
「うん」
少し遅れていた三人が、前の二人に追いつく。
「ここでいいのでしょうか?」
エメリィが疑問の声を上げる。
目の前には大きな館がある。
塀も何もない館である。
そしてここまで来るまでに特にトラップなどはない。
ちゃんと道があり、道なりに歩いてきただけだ。
もちろん、この辺りの地域は平和で治安もそれほど悪くなく、わざわざトラップ等必要もないし、本人がとてつもなく強いならそもそも必要ないだろう。
単に高名な魔法使い人にを訪問するというだけなら、大したことはない。
そう、大したことがなさ過ぎるのだ。
これがお使いなら何の疑問にも思わないが、これは演習課題なのだ。
「まあ、人住んでそうだし、ここでいいんじゃないか? 違ったとしてもとりあえず行ってみるしかないだろう」
「そうだね、じゃあ呼ぶよ? すいませーん!」
「シェリンさん!? 無防備すぎではないですか?」
「え? ダメだった?」
「ダメかどうかは確認してから行動しろ。まあ、今回は別にいいけどな、どうせ呼ばなきゃならないし」
「一応、万が一のために警戒はしておくわ。一応白魔法科は後ろにいて」
「ええ、悪いですわね……」
エメリィとナスカは、他の三人の後ろに回る。
そのまましばらく待つ。
がちゃり
ドアは突然、前触れもなく開く。
「何よ、あんたたち?」
現れたのは、若い女性。
多少きつい目をした、気性の激しそうな、しかし若い女性だった。
赤みがかった長い髪に、魔法使いとは思えない、普通の若い女性が着るような服。
どう見ても、彼らよりも数年程度年上にしか見えない。
「それは学園の制服だったわね。どうしたの、ああ、迷ったの?」
「いえあの、私たちは、学園の課題で来ました」
アールがいつになく丁寧な口調で言う。
「学校の課題? ああ、なんか前も来たね」
女性は記憶をたどるように上を向く。
「えっと、あなたが赤の魔法使いですか?」
「そう呼ばれてるらしいわね、アタシ。別に自分で呼んだことはないわよ。ま、ローグとでも呼んでくれればいいわ」
「三百年ほど生きていらっしゃるとか聞いてますが……お若いですね」
「そうね、何歳だったかしら。あいつと同じ歳だわ、あの、キザな騎士団長のザーゴナット。あいつ王になったんだっけ?」
「えーっと、確かザーゴナット王は現王の……」
「十二代前」
「そう、十二代前の王様ですが」
アールの言ににトイネが補足する。
「もうそんなに経つのかい。歳は取りたくないわねえ。ま、せっかく来たんだから入っていきな」
そう言って、ローグは五人を中に誘う。
「は、はい。ありがとうございます……」
「あの、ハチミ……」
ぱちん!
ハチミツを出そうとしたシェリンの手をアールが叩く。
意味が分からず涙目になっているシェリンに同情する者はいなかった。
「(ナスカ様、これは簡単過ぎませんか?)」
ナスカの隣のエメリィが耳打ちする。
「(そうだな。気難しいとか聞いてたが、そんな事なさそうだし、人嫌いってのも違うみたいだし……何か、裏があるのかも?)」
「裏なんかないわよ、失礼な子ねえ」
「!」
背後からの声にナスカとエメリィ、そして前の三人も振り返る。
そこには、先ほどまで前で誘導していたはずのローグが立っていた。
「これだから白魔法使いは嫌いなんだよ。影でアタシのこと魔女とか言ってんでしょ?」
「いえ、その……」
「そうですね、言ってますよ」
ナスカは平然とそう答えた。
「ナスカ様!?」
「少なくとも学校ではそう教わりました。ただ、俺は白魔法使いが黒魔法使いのことを言う時には偏見に満ちていることを前提にしてることくらいは知ってます」
「ふうん、正直な子ねえ。あんた、属性はなんなの?」
「えーっと……水です」
ナスカは正直に言おうかとも思ったが、周囲にエメリィやアールもいるため、こう言った。
「水、だって?」
ローグの表情が変わる。
「アタシはね、水魔法使いが一番嫌いなのよ! 特にあんたみたいな真面目で正直な奴は!」
ローグはナスカの顔をつかみ、左右に思いっきり振る。
「いててっ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
「や、やめてあげてくださいっ! ナスカは、不真面目で嘘つきですからっ!」
シェリンが妙な仲裁をする。
「……まあいいわ。あんたもおいで」
ローグは憮然とした表情で家の奥に入る。
五人はおとなしくついて行く。
「で、何をして来いって言われたのよ?」
家の中のソファに全員が座り、その奥の大き目のソファに座るローグ。
「えっと、特に何も……『会って来い』って言われただけで……」
「やっぱりそうなのねえ。あいつら、学生を使ってアタシを観察しに来てんだわね」
ローグはやれやれ、という口調で言う。
「ま、たまの訪問者は退屈しのぎにいいんだけどね」
「上機嫌ですね」
「あんたがいなけりゃもっと上機嫌だけどね! でも、まあ……そうね。あんたでいいか。死んでもいいしね」
ローグが物騒なことを言いながら考え事をする。
「な、なんですか?」
さすがのナスカも少し恐怖を感じる。
「ちょっとこっち来て。他の子らはここで待ってて」
「え? な、何?」
ローグはナスカを引っ張って奥の部屋に向かう。
「な、何ですの? ナスカ様に危険なことなら……」
「あー、大丈夫大丈夫、冗談だから」
そう言いながら、ローグとナスカが奥の部屋に消える。
「ど、どうしよう! ナスカが死ぬかも!」
「……さすがにそんな常識はずれの人じゃないと思うけど……ちょっと心配ね」
「ナスカ様に何かあってからでは遅いですっ! 今すぐ追いかけましょう!」
「まあ、落ち着いてよ。大魔法使いが大丈夫だから待っててって言ったんだから、すぐに行ったら失礼になるよ。もう少し時間経ってから覗いてみようよ」
「……それでは間に合わないかもしれませんわ」
「そうだよ! ナスカがもし死んじゃったら!」
騒ぐシェリンとエメリィを抑え切れないトイネ。
アールはああ、こういう時にはいつもあいつが抑えるか、逆にそれ以上の事言って、結局まとめていたわよねえ、などと思っていた。
「落ち付いて。まずは冷静になりましょ」
アールが言うと、シェリンもエメリィも黙った。
「とりあえず、少しだけ待ちましょ。それで帰って来なかったら、見に行きましょ。私たちが学園から来てるのは分かってるだろうから、帰らなければ学園から確かめに来るのは分かってるでしょローグさんも」
「……はい、分かりましたわ」
エメリィは渋々ではあるが了承する。
シェリンも無言でうなずく。
室内にしん、とした空気が流れた。
「で、何ですか?」
無理やり連れて来られたナスカは、少しだけまだ怯えつつも、さすがに大丈夫だろうとそう言ってみた。
ローグはもう一度ドアを確認して、ナスカをじっと見た。
「あんたさ、『水の分離』って出来る? いや、普通は知らないわよね。簡単だからちょっと試してみて。えーっと、水をね……」
「ちょ、ちょっと待ってください! 水魔法を使うんですか?」
ナスカはローグを止める。
「何よ、ちょっとくらい協力しなさいよ」
「いえ、その……」
今度はナスカがドアの方を確認する。
誰も来ていない。
ここは正直に言うべきだろう。
「実は、俺は──」
ナスカは自分が火の魔法を使うこと、そこに至るまでの事情、また、シェリンと魔法を交換して使っていることを説明する。
「ふうん、じゃあ、あんたの親父さんが水魔法使いで、あんたは無理やり水魔法使いにさせられそうになってるのね。まったく、やっぱり水魔法使いは好きになれないわねえ……アタシの研究には絶対必要なのに」
「そうなんですか?」
「そうよ。アタシも最初から魔法の共同研究を拒否したわけじゃなく、最初は共同研究してたのよ。けど、その水魔法使いがよく出来る奴だけど頭の固い真面目すぎる奴でさ、しばらく一緒にやってたけど腹が立って帰って来たのよ!」
「はあ、そうなんですか」
ローグは人嫌いでも気難しいわけでもなく、単に研究で馬が合わなかった相手のせいでここに篭っているのか、とナスカは思った。
それはナスカには関係のないことだが、自分の父を水魔法使いの代表格に置いてみると、なんとなく理解できた。
だが、同じく水魔法使いのシェリンを置くと、なんだか違う気がした。
「そう言えばあんたは何て名前だい?」
「ああ、名乗ってませんでしたっけ、ナスカです。ナスカルーゼン」
「…………!」
ローグの表情が変わる。
「あんたの父親の名前は、ミコトルーゼン……?」
「そうですけど、知ってるんですか?」
ナスカがそう答え終わる前に、ローグはナスカを抱きしめていた。
「! 何ですか?」
突然のことに、ナスカも困惑する。
「あいつは、今でも頭の固い頑固者なの?」
「あいつ……親父ですか? まあ、そうですが」
「そう。結婚はしてるの?」
「え? いえ、俺の知る限りしてませんし、俺の母親も誰だか知りませんが……」
「そう……」
ローグはナスカの頭を優しく撫でる。
「あいつが言ってないなら、アタシも名乗りはしないわ。そう、あんた火の魔法使いになったのね。じゃ、あんたに託しても……」
「な、何をやってますの!?」
静寂を打ち破る声。
背後からの気配。
振り返るとそこには四人がナスカたちを見ていた。
「なっ、あんたら待ってろって言ったのに何してんのよ!」
「そんな事をするために一人呼んだのですの? 来て良かったですわっ!」
先ほどまで大魔法使いを前におとなしくしていたエメリィも少し怒り気味だ。
「まあ、落ち着けよエメリィ」
「ナスカ様、これはどういうことですかっ!」
「いや、魔法の研究に協力してただけだから」
「……本当ですの?」
エメリィはローグの方を見る。
「そうね──あんたがこの子の恋人なの?」
「い……いえ、そういうわけではありませんが……」
「じゃあ、後ろでそわそわしてたあんた?」
「え? 私!?」
いきなり振られて驚くシェリン。
「ち、違います! そのっ、うん、はい、違います……」
「そう、まあいいわ。じゃ、戻りましょう」
ローグは元の部屋へと五人を誘う。
すっかり勢いを殺がれたエメリィ達は、おとなしくそれに従った。
「はあ、なんか今までより疲れたなあ」
帰り道、ナスカがため息をつく。
「私もですわ……」
「うん……私も」
「みんな大変だね。ボクは楽しかったよ、やっぱり伝説にもなる魔法使いの人は違うよね」
トイネは少し嬉しそうにそう言った。
いつも同じ口調のトイネが浮かれているのは珍しい。
「そうね、思っていたよりも気さくな人だったし」
「ところで、ナスカくんローグさんから何もらったの?」
「ん? ああ、なんかあの人が独自に研究して来た内容の本をもらった」
「ふうん、そうなんだ」
「何であんたなのよ? 一番ありえない人選よね」
アールが言う。
確かに何も知らなければ、ローグの一番嫌いな水魔法使いで、かつ、最も劣等生であるナスカに研究を渡す事はありえない話だ。
「まあ、なんか気に入られたみたいだし、託してみたかったんじゃないか?」
「ナスカ様は本当に女性に気に入られますねっ! 三百歳の方にまで!」
「何怒ってるんだ?」
「もう結構です! 早く帰りますわよ!」
エメリィは早足で歩きだした。
しょうがなく、ナスカや他の三人もそれに続いた。




