第一節
「結局どこなんだよ、教室……」
廊下を歩きながらぼやく少年。
「『西館二階の三番目の教室』ってどれだよ、どこからだよ……曖昧すぎるんだよ」
悪態をつく彼が向かうのは、最終補習の教室。
彼はこの学園の一年生で、ナスカという名前だ。
ここに来てほぼ一年となる。
つまり一年生の終わりを迎えたわけだが、彼の一年生は、まだ終わりを迎えられはしなかった。
劣等生の彼は、学年末のテストで不合格となったのだ。
そして、再テスト、再々テスト、再々々テストを次々と落第し、最終的にこの最終補習を受ける事になったのだ。
「しかし、最終補習って何やるんだ。黒魔法科の連中と合同って聞いたけど、自習か?」
教室を一つ一つ探して回る放課後。
やる気も何もなかった。
ここは剣と魔法の世界。
大陸の西を領土とする、発展した文化を持つカドメ王国は、勇敢な騎士団で有名な国だ。
そして更に、高度な魔法研究が盛んであることでも有名である。
この国には白魔法と黒魔法を共同で研究する魔法研究施設がある。
仲の悪い白魔法と黒魔法をまとめただけでも凄い事だが、更にここにはその研究成果を学ぶ下部組織、カードゥ魔法学園があるのだ。
ここでは魔法の素質ある若者たちが、その素質を伸ばすための教育を受けている。
学園はいくつかの学科に分かれているのだが、大きな学科で言えば白魔法科と黒魔法科の学生が大半となる。
この二つの違いはと言えば、実際は使う元素が違う程度だが、長い歴史が多いなる分断を作ってしまっていた。
白魔術は、教会を発祥とし、元々は人々を癒し、魔を祓うために作られ、教会で研究されてきた魔法で、光や水、土の元素を用いる。
黒魔術は純粋な兵力として、特に中央の影響力の及びにくい地方の貴族などが研究させて作られてきた魔法で、火や雷、風の元素を用いる。
白魔法を使う教会側から、黒魔法は悪魔の術であると言われたことから、根深い対立があった。
歴史の裏では、血で血を洗う抗争が繰り広げられてきた。
それを先代の王が、結局同じく元素を利用する魔法であり、合同で研究した方が合理的である、との指摘を受け、王の命で合同の研究施設を作るに至った。
もちろん完全に仲良くなったわけではなく、王の命令で表面上仲良くなっただけの話ではあるが。
そしてその施設も既に長い期間を経て、合同研究で新たな事実も分かり、この学校も多くの魔法使いを輩出するようになって来た。
ナスカは、そんな学校の白魔術科でとことんまで落ちこぼれている学生である。
「えっと、多分ここっぽいな?」
「どこから」という明確な基準のない「西館二階の三番目の教室」と思われる教室を外から覗いてみる。
中では一人の女生徒が、辺りをきょろきょろしていた。
制服からして、黒魔法科の生徒だろう。
察するに、彼女の心はこんな感じなのだろうか。
(え? だ、誰も来ないよ? 本当にここでいいのかな? 私、間違えた? ど、どうしよう……)
少女の見た目は悪くない。
多少小柄だが、不安げな大きめの目が可愛く、穏やかそうな少女で、とても火や雷を操って敵を攻撃しそうには思えない。
いや、それが出来ないから、この落ちこぼれの教室にいるわけではあるが。
ともかく、仲間がいる事で多少安心したナスカは教室に入る事にした。
「くらえ! フライングえめるフラッシュファイナル!!!!」
実はナスカは変な事をして人を混乱させる事が多い生徒でもある。
「え? きゃーーーーー!」
単に叫びながら教室に踏み込んでジャンプしただけだが、いきなりやられると大抵の人間は驚く。
ぱしゅん
ナスカの顔に水飛沫が当たる。
「……っ」
少女が咄嗟に出したのは、水魔法。
それには殺傷力はないが、押し黙る程度にはダメージを受けた。
「あ……ご、ごめんなさい!」
少女の慌てる声。
ナスカは多少ふらついたが、立ち直った。
目の前の少女は、申し訳なさそうにナスカを見ていた。
「ふむ、以後気をつけたまえよ」
ナスカは無意味に気取って見せた。
実際ナスカの無意味で唐突な行動が引き起こした事であり、少女にあまり非はないのだが。
「本当にごめんなさい」
だが、少女はとにかく謝った。
「まあ、それはそれとして」
ナスカはハンカチで顔を拭きながら言う。
「最終補習の教室はここでいいんだよな?」
「うん、多分いいと思うし、私も最終補習なんだけど……」
少女は何か言いたげにナスカを見つめる。
「……?」
女の子に、意味ありげな上目づかいで見つめられると、多少の事では動じないナスカも少し困惑してしまう。
ナスカは性格と成績こそ残念だが、顔は整っており、女生徒にはもてる方だ。
特に、生徒の9割が女生徒という白魔法科において、ナスカは「顔は格好いいけど、付き合うのは無理」「黙っていれば格好いいんだけどね」などと噂される注目の的なのだ。
だから、一部の将来聖職者になろうという少女たちの、限りない慈愛の瞳で見られたりする事には慣れているのだが、こういう視線には慣れていない。
「……なんだよ、俺の顔に目と鼻以外に何か付いているって言うのか?」
「えっと、口?」
「まあ、それは付いてるだけで飾りみたいなもんだ。使わないからな」
「はあ……」
多少茫然とした目に変化した少女。
「あの、そんなどうでもいい事より……」
案外的確にナスカを精神的に痛めつける少女。
「さ、さっきの事は、内緒にしておいて欲しいの」
うつむきながら、小さな声で言う少女。
「さっきの事って、脳内の誰かと楽しげに歓談していた事か」
「そんなことしてないよ!?」
「じゃあ、何だ」
「えっと、その……」
少女は再びうつむいて、辺りに人がいないかを確かめながら、小声で言う。
「水魔法を使った事……」
真っ赤な顔で、消え入りそうな声で少女が言う。
「ああ……」
ナスカは理解した。
魔法にはそれぞれ属性というものがあり、それを鍛えて行くものなのだ。
例えば、ナスカは水の魔法属性という事になっている。
それを使い続ける事で、その魔法の属性が深まり、より大きな魔法が使えるようになる。
だが、別の属性の魔法を使うと、それが弱くなる。
だから、この学園では他の属性を使う事を推奨していない。
特に、黒魔法科は白魔法属性、白魔法科は黒魔法属性を使う事を校則で禁止している。
それを破ると、謹慎・停学等の罰を受ける事もあるのだ。
「別にいいが、魚心あれば水心と言ってだな、分かるよな?」
ナスカはよく知らないが、最近読んだ物語で悪徳権力者が言っていた台詞を言ってみた。
ちなみにその物語は、懇願をたてに悪徳権力者が女に体の関係を迫るものだが、正義の魔法使いに退治されてしまう。
「よ、よく分からないけど、ハチミツ食べる?」
少女は自分のカバンの中からハチミツのビンを取り出す。
「いや、いらないというか、なんでそんなもん持ち歩いているんだ」
「……好きだから」
「だろうけど……まあ、別に言う気はないけどな」
ナスカは、不正を先生に言いつけるような人間ではない。
「でも……」
だが、少女は不安げにナスカを見上げる。
「あー、じゃあ、こうだ」
ナスカは、周囲に誰もいないことを確認すると、右手の指を真上に差し出す。
すると、そこから炎が湧き出し、徐々に大きく噴き出した。
それは強い光を放つが、すぐに消えた。
「これでいいだろ?」
「……? あ、ハニートースト?」
「まず、ハチミツから離れろ」
ナスカは周囲を再度確認する。
「俺も黒魔法使ったから同じだって事だよ」
「ああ、うん、分かった……ありがとう」
自分のミスのために、自らも校則を破って共有してくれたナスカへの純粋な謝意。
ナスカは言葉通りを受け取るのが照れくさいが、茶化す雰囲気でもなかったので、話題を変えることにした。
「ところで、とっさに水魔法が出てくるような奴がどうして黒魔法科にいるんだよ。最初から白魔法科にいれば良かったんじゃないか?」
ナスカは単純な疑問を言ってみた。
魔法には属性があり、人はその属性を極めることで一つの魔法を身に付ける。
少女が水魔法が得意かどうかは不明だが、少なくとも好きな人間が、黒魔法科にいても、何の得にもならない。
黒魔法属性があればいいのだろうが、ここにいるという事はさっぱりなのだろう。
「…………」
少女は、言いにくそうに目をそらした。
「あー、込み入った事情があるなら別に言わなくてもいいけどさ」
「言っても、笑わない……?」
「は?」
少女が真剣な表情で訊く。
そのあまりの真剣さに、ナスカは少しだけ怯む。
「い……や、笑うことは、ないと思うけど……」
「じゃあ、言うよ……あのね───」
少女が意を決して口を開く。
「入学申込書に、黒魔法と白魔法のどちらかに丸を付けるところがあったでしょ? あれを間違えて、黒魔法の方に丸つけちゃ……」
「わはははははは!」
「爆笑!? 笑わないって言ったのに!」
半泣きの少女。
「いや、でもな……ぷっ……笑うなって……あはははは……無理だろ……」
「うわーん!」
少女がいよいよ本気泣きに移行しかけたので、ナスカは表情を戻す。
「あー、悪かった。もう笑わない」
「……本当?」
「ああ。よくあるよな。ちょっとしたミスで、丸つけるの間違えて……全く正反対の……学科に……はははははははは!」
「嘘つき! うわーん!」
号泣が入った少女。
それはナスカが笑い飽きるまで続いた。
※
「で、あなたこそどうなのよ」
まだ若干の鼻声の少女が、憮然とした表情で言う。
「何がだよ」
「だから、あなたも火の魔法使ったでしょ。どうして白魔法科にいるの?」
「あー……」
ナスカは頭をかく。
「俺のは別に笑える話じゃないんだが……」
「大丈夫、絶対に笑ってあげるから!」
「いや、その宣言はどうだろう」
先ほどの仕返しに笑う気満々の少女。
そうであればある程言いにくいが、少女の話を聞いた上、大笑いしてしまった手前、言わないわけにもいかない。
「───俺もさ、確かにここに来るまでは火魔法が得意で、だからこの学園に来たんだ」
「あはははははははは! あっ、まだだった!」
「……真面目に聞けとはさすがに言わないが、ちょっと黙っててくれ」
ナスカの突っ込みにさすがに黙る少女。
「けどさ、俺の親父は聖職者じゃないけど、敬虔な信者で白魔法の実力者なんだよ。また古い考えの人でさ、黒魔法なんてものは絶対に許さないって、無理やり白魔法科に変えられたんだよ」
今までほとんど誰にも言っていない話を、何故か会ったばかりの少女に言う羽目になった状況に若干の違和感を感じながら、話を続ける。
「で、ある程度火属性が出来上がっていた俺には当然白魔法の属性に染まれるわけもないからさ、こうして一年がかりでここまで落ちこぼれたんだよ」
黙り込む少女。
最早笑う気すらないのだろう。
「どうだ、全然笑えない話だっただろ?」
「……ずるい」
「は?」
「そんな、ちゃんとした理由、ずるい!」
少女は、突然猛烈に怒りだした。
「いや、そんなことを怒られてもだな」
「もっと、入学申込書で丸つける時に誰かと肘が当たってずれたとかそんな理由じゃなきゃやだ!」
「そんな奴いないだろ。いたら指さして笑ってやる」
「うわーーーん、また笑われる!」
「お前かよ!」
ナスカもさすがに突っ込み疲れて来た。
元々ボケ属性の強いナスカには突っ込みは慣れないポジションなのだ。
「もういい。あー疲れた……そう言えば先生来ないな。本当にここでいいのか?」
「だと思うけど、知らない」
「だろうな。……そう言えばさ、あー、名前知らないけど仮にゲルゲゲとしよう、なあゲルゲゲ」
「どうしてゲルゲゲ!? 名前くらい聞いていいから! 私はシェリンだよ」
少女は自分の胸を指して言う。
「まあ、じゃあそれでいい。ところでさ、黒魔法科の……」
「せっかく名乗ったんだから呼んでよ!」
「面倒くさい奴だなあ、シェリンは」
「そんな呼び方は駄目!」
ナスカはいちいち面倒になってきたので、下手に出る事にした。
「分かったよ、シェリン。いい名前だな」
全くその気のない表情で言うナスカ。
「そ、そう? ありがとう、えっと……ゲルゲゲ?」
「ナスカだ。それはいい。ちょっと黒魔法の教科書見せてくれないか? 俺も白魔法の教科書見せるからさ」
ナスカは、カバンから自分の教科書を出してみせる。
「う、うん」
シェリンは多少戸惑いながらも、カバンから教科書を出してみる。
「じゃ、ちょっと見せてくれ」
ナスカがシェリンの教科書を手に取り開いてみる。
シェリンもしょうがなく、ナスカの教科書を開いた。
「へえ……」
シェリンがとりあえず選んでいる属性は火だった。
その教科書は、ある程度の火魔法を体得している人間にとって、とても分かりやすいものだった。
炎の増幅法、一点へのパワーの集中、空気の薄い場所での使用法など、火魔法の基礎が存分に書かれた分かりやすい教本となっていた。
そして、それはシェリンも同様のようだった。
ナスカが仮に選んだ水魔法が彼女にはとても理解しやすいものなのだろう。
二人は集中してそれを熟読した。
先ほどまでの騒ぎはなくなり、教室に静寂が訪れた。
どれだけの時間が流れただろう。
集中していた彼らには長時間という感覚がなかったが、しばらくしてから、先生が教室に現れた。
「おお、やっぱりこっちにいたのか。全然来ないからどうしたもんかと思ってたんだよ」
適当な教室名を書いた先生は、やはり別の教室にいたようだ。
「んー、まあもう遅いし、お前らも自分で勉強してたようだし、もう合格でいいんじゃないか? どうせ簡単な小テストするだけだったからな。じゃ、お前らもう帰れよ」
言うだけ言って、先生は帰って行った。
「何なんだ」
せっかく集中して読んでいたのに水を差されたナスカは、少しだけ気分を害していた。
「まあ……帰れと言われたから、そろそろ帰るか」
「うんうん」
シェリンはそう言いながらも本から目を離さなかった。
「おい、ゲルゲゲ」
「うんうん」
「人に肘がぶつかって黒魔法科に行ったドジなシェリン」
「うんう……うわーん!」
やっと正気に戻った。
「あんたなんて! たった今覚えたキュアーで回復してあげるんだから!」
「落ち着け、そしてありがとう」
なんだか少しだけ回復したナスカは、シェリンの肩を掴んで落ちつかせる。
「! う、うん……」
ナスカの顔を間近で見たシェリンは、少しだけ頬を染めて目をそらす。
「ま、今日はもう帰ろう」
「で、でも、もうちょっとだけ読みたい!」
「奇遇だな、俺もだ」
ナスカはシェリンの手から教科書を奪い、カバンにしまう。
「ま、折角知り合ったんだから、また会おう。その時に教科書をまた見せ合えばいい」
「え、あ、うん……」
少しの戸惑いと、少しの嬉しさと、少しの希望。
そんな淡い感情とともに、シェリンはうなずいた。
「また、会いましょう」
黒魔法と白魔法の最低成績者の二人は、こうして邂逅することとなった。