倉崎の帰路〔2〕
『破壊神』
彼は不良のみならず、市内の高校生の多くからそう呼ばれている。
神が力を振るうが如く人を破壊するから、破壊神。
一般の高校生からは畏怖を込めて、不良達からは、いずれ自分が倉崎を倒してその地位につくという意味を込めて、そう呼ばれていた。
化け物じみたケンカの強さ、人体力学や人間の限界を完全に超越した身体能力を、彼は持っている。
決して、比喩表現等ではない。
事実なのだ。
例えば、今彼が歩いている歩道に刺さっている、車両の一方通行を示す道路標識。
常人ならば、全力で蹴り飛ばしても自分の脚が痺れるだけだろう。
だが、彼ならば、片手で引っこ抜ける。
さらに言えば、雑草を引っこ抜くかのように地面から引き離したそれを、50メートルほど先にある、高層ビルの屋上に投擲し、突き刺すことだってできるのだ。
ケンカの強さについて言及するならば、先程の不良三人組を例に出そう。
倉崎があの三人組相手に、どれくらいまでのハンデなら付けられるのかと言うと、左手の小指一本だけで闘う、までなら余裕だ。むしろお釣りがくる。
先の戦闘のように、ボクサー顔負けの動体視力とフットワークで三人組の攻撃をかわし、骨の代わりに特殊合金が入っているのではないか、と疑いたくなるほど硬い小指を、三人組の喉元に突き刺す。彼にとっては、使った部位が拳から小指に変わっただけの話なのだ。二、三秒で事足りる。
何故彼が、このような体になってしまったのか、誰にも分からない。成長期に子どもの身体能力は著しく上昇するが、彼のそれは、異常だった。そして中学を卒業する頃には、人間の身体能力というものをあざ笑うかの如く、彼の力は強大なものになってしまったのだ。
『破壊神』
人間ではない、化物。
生物学的、遺伝子学的な観点から考えれば人間なのかもしれないが、身体能力という一部分だけを見れば、彼は、人間とは完全に別種の存在なのだ。彼も、自分が人類の異端者であることを、自覚はしている。
だが、彼は別に、破壊神と呼ばれることに何の感慨も抱いていなかった。一般人からは怯えられ、不良達からは目の敵にされるのだから、このような称号など彼にとってはむしろ余計なものなのだ。
これがもし、破壊神の名に不良も怯えてくれるのなら、無駄にケンカをふっかけられることもなくなり多少は過ごしやすくなるのだが、彼はこの街でひとり暮らしを初めてまだ三か月しか経っていないので、破壊神の恐ろしさはそこまで伝わっていないのだ。
中学生時代のように、余りの強さ故に誰にもケンカを売られることがなくなるまでになるのは、まだまだ時間が掛かりそうだった。
不良共を蹴散らし(といっても彼には「退かした」くらいの認識しかないのだが)、廃ビル沿いの路地をしばらく歩いていると……
またもや、三人組の男達に遭遇した。
とは言っても、先ほど彼に襲い掛かった不良三人組ではない。
半袖のYシャツをいたって普通に着こなしているし髪型もいたって普通な高校生三人が、倉崎の進路を塞いでいる。
……いや、三人組ではなかった。三人に囲まれて、小柄な男子高校生が一人、今にも泣きだしそうな顔を浮かべている。その小柄さと地味さ故に、倉崎が最初彼の存在を認識できなかっただけだ。
「もう、許してください……。このお金がないと、夕飯すら作れないんです……」
「そんな固いこと言わずにさ~、貸してくれよ~」
「俺達そのお金がないと、ゲームセンターに行けなくて死んじゃうんだよ?」
「そうそう、必ず返すからさ、人助けだと思って、ね、お願い」
残り少ない蝋燭の火みたいに、か細い小柄男子の声。その切実な頼みを華麗に受け流し、金を巻き上げようとする三人の男子。
彼らが金を借りても返す気がないのはわかりきっている。そのような行いをする輩は、見た目が普通でも不良であるという風に、倉崎は認識していた。
……だからといって、何か思うところが生じるわけでもないのだが。
「悪いがそこ、どいてくれねえか?」
彼らが通行の邪魔だったので、倉崎は道を通すようにお願いした。口調こそぶっきらぼうだが、いたって穏便に、なんの敵意もなく彼はお願いした。
囲んでいる側の三人は、「あっ、サーセン」といった感じですんなりと道を空けてくれた。どうやら彼らは、無駄なケンカはしない主義らしい。
倉崎は道が空いたので当然のように通ろうとしたのだが……
「は、破壊神だ! たたた助けてください! カツアゲされてるんです!」
小柄男子が、まるで救世主を見つけたかのように歓喜の表情を浮かべ、倉崎に助けを求めてきた。
「は、破壊神って、あの……」
「不良20人に囲まれても全員蹴散らして無傷だったり、バイクを軽々投げつけたり、今まで折った人の骨は100本以上、奴が通った跡は屍しか残らないっていう、あの……」
「この街最強の不良、破壊神倉崎!!」
自分が不良っていうのには同意しかねるが、20人やらバイクやら100本やらは本当だ。別にやりたくてやったわけじゃないのだが、通行の邪魔を取り除こうとした結果、そうなってしまった。
囲んでいた三人は、破壊神の名を聞いて一気に縮み上がった。
自分より弱いものにしか威張ってこなかった彼らは、突如現れた自分よりも遥かに強大な男にすっかり怯えている。さっきまで自分たちがカツアゲをしていた少年がその破壊神に助けを求めたのだから、尚更だろう。
「破壊神さん、お願いします! 助けてください!」
小柄少年は倉崎登場前とは一転し、水を得た魚のように活き活きとしだした。倉崎が自分を助けてくれると信じきている目だ。
しかし、倉崎はこの少年に見覚えがない。顔を見たことも声を聞いたこともない、完全に初対面だ。
――だから倉崎は、素通りした。
テクテクと気怠そうに、少年達を背に歩いていく。
それは、彼にとっては当然の行動だった。彼は下校途中なだけであって、見ず知らずの少年から助けを求められてそれに応じる筋合いはない。
そもそも、助けてくれとはどういうことなのか。少年をカツアゲしていた三人をぶん殴れということか?
だとしたら、彼はその力を持っていても行使することはない。彼は、自分に敵意を向けてきた相手にしか暴力を振るわないのだ。
それでよく破壊神の名が付いたな、と思うかもしれないが、彼は生まれつきの目つきの悪さやぶっきらぼうな物言いが災いして敵意を向けられる相手にはことには事欠かないのだ。そういった輩に暴力を振るっていくうちに、いつの間にか破壊神と呼ばれるようになってしまっただけの話だ。
「えっ!? 破壊神さん! 待ってください! どうして、どうして助けてくれないんですか?」
悲痛な叫び声が聞こえるが、無視した。彼を求めるその声でさえ、彼にとってはただの騒音に等しい。
(どうしてだって? 助ける理由がないからだ。それに、破壊神さんはないだろ破壊神さんは……)
倉崎は若干呆れ顔を浮かべ、振り返らずに歩いて行った。
とすると、水を得た魚になるのはカツアゲ三人組の方だった。彼らはあからさまにホッとした表情を浮かべ、
「夢川くーん、何調子乗ってるのかな?」
「泣きついてんじゃねえぞこのヘタレが!」
「ビビらせやがってよ!」
口々に小柄少年を罵倒し始めた。そのすぐあと、人が殴られる鈍い音とか細いうめき声が聞こえたが、倉崎の心情に変化を与えることはなかった。