奪われる側
直後、鮫島は土足のままで、部屋の中へと駆け出した。
「殺す!? 俺を!? わけ分かんねえ、わけ分かんねえよアンタ!」
ベランダへと続く窓の近くで体を反転させると、鮫島は大声で怒鳴った。だがそれは、怒りの現れというよりも、恐怖の裏返しであった。現に、彼の体はガクガクと震えている。
一方、そんな鮫島とは対称的に、佐伯はゆっくりと玄関のドアを閉め、鍵を掛けると――靴を脱いでから、部屋へと上がって来た。
「鮫島くん、君さあ……分かってるのかな? 自分がしたこと」
人の良さそうな笑顔に戻り、佐伯は一歩一歩、鮫島へと近付いて来る。
「今日君、バイクで引ったくりしたよね? その被害者が誰かってこと、君は分かっているのかなーって思ってさ」
「引ったくり? アンタ何を……」
何故佐伯が、鮫島が引ったくりをしたことを知っているのか。彼は分からなかったが、当時の状況を思い出してみた。
ママチャリをゆっくりと漕いでいた、金髪の女性。ママチャリの前籠に入っていたハンドバッグが、無防備で取り易そうだったので、ターゲットを彼女に絞った。後ろからバイクで近付き、追い越すのと同時に、ハンドバッグを引ったくった。その女性が誰なのかなど、気にも留めなかった。
佐伯は、出来の悪い教え子を見捨てる教師のような蔑みの視線を鮫島に向け、小さく溜め息をついた。
「分かってなかったみたいだね? まあ、分かっててやったんなら、逆に尊敬しちゃうかな? 僕にはとても出来そうにないからね? ……磯菱にケンカ売るなんてさ」
「い、磯菱……だと!?」
この街に引越してから一年になる鮫島は、この街で生活をしたければ、決して磯菱に逆らってはいけないのだということを、よく知っていた。“狐狩猟犬”に在籍していたときも、組織のルールとして、磯菱家の関係者には絶対に手を出さないということが、決まっていた。
「君が手出したのは、磯菱グループ会長の娘、磯菱華憐ちゃん、なんだよ?」
「う、嘘……だろ?」
自分が仕出かした事の重大さに、鮫島は気付かされた。
(てことは、こいつは、磯菱から派遣されてきた人間で、制裁に俺を……殺しに来たってことかよ!?)
「あー、君の考えてることはだいたい読めるんだけどね? 多分それは違うよ? 磯菱会長は、華憐ちゃんには無関心だから。手出したのが華憐ちゃんのお兄さんとかだったら、鮫島くんは残りの一生を、『死ぬより酷い人体実験』とかに費やさなきゃならないかな? いや、『殺してくれと懇願したくなるような人体実験』かな? 死っていうのは、ある種の解放だからね。彼らは多分、安々とは解放させてくれないよ? ……ああ、安心して。僕はちゃんと、解放させてあげるから。ちょっと時間はかかるけどね?」
「ふざ……けるなぁ!!」
理不尽に対する、怒り。
一年前から始まった、理不尽の連続。
その元凶が、もう一度、自分を陥れようとしている。
はい上がれる可能性など皆無な、死という奈落へ。
鮫島は、リュックサックのサイドポケットを開けると、中から――拳銃を、取り出した。
一丁の、オートマチック拳銃。“狐狩猟犬”時代、鮫島にバイクの窃盗技術を教えた男が、彼に無理矢理手渡した物だ。鮫島は一度も使用したことがないが、基本的な使い方は習得済みだ。
鮫島は拳銃の安全装置を外すと、人差し指を引き金にかけ、震える銃口を佐伯の顔へと向けた。
「殺す殺す殺す! ぶっ殺してやる! お前を殺して、なにもかも最初からやり直すんだ!」
銃弾は装填済み。指先に少し力を入れるだけで、亜音速の弾丸が憎き敵の体を貫通する。形勢は、逆転した――かに見えた。
「無理だよ?」
佐伯は、笑った。拳銃という最もポピュラーな人殺しの道具を前にして、不敵に。この状況を楽しんでいるかのように見える。
「だって鮫島くんは、『奪われる側』の人間だもの。何処へ行こうが、『奪われる側』の人間は、僕みたいな『奪う側』の人間に搾取されるのがオチだよ?」
「人を二元論で語るんじゃねえ! ……何が『奪われる側』だ。お前の命は……俺が奪ってやる!」
笑顔の仮面を纏い、ゆっくりと近付いてゆく佐伯。そのあまりの冷静さに、拳銃というアドバンテージを持っていながらも、恐怖に震える鮫島。
どちらが『奪われる側』かは、明白だ。
「君、死ぬ間際だってのに元気が良いねえ。いや、死ぬ間際、だからかな? 恒星が一生を終えるとき、大爆発するのと同じでさ?」
「黙れぇぇぇ!」
引き金を、引いた。
直後――
渇いた銃声。
飛び出す薬莢。
腕を通して全身に伝わる、発砲による衝撃。その衝撃によろけながらも、鮫島は――見た。
佐伯が消えた瞬間を。
――いや、彼は消えてなどいなかった。
銃弾を、かわしたのだ。
佐伯は一瞬で床にしゃがみ、それと同時に、ズボンのポケットから、刃渡り10センチはある両刃のダガーナイフを取り出すと――
「っ!?」
投げた。




