茜色を見上げながら〔3〕
「ごめんね、沙理奈ちゃん。怖い思いさせちゃって」
華憐は申し訳なさそうに、苦笑いをした。
「大丈夫です。……華憐さんは、よくああいうのに絡まれるの?」
「そうね~。さすがに住宅街歩いてて絡まれたのは初めてだけど、駅前とかだとしょっちゅうかな」
沙理奈は納得した。確かに、華憐ほどの美しい女性なら、寄ってくる男はごまんといるだろう。
再び帰り道へと歩き出しながら、華憐は続ける。
「たいていの奴らは、磯菱の娘って言えば逃げ出すんだけどね~。ホントはこんな手使いたくないんだけど、ムカつく奴らが多過ぎるから利用させてもらってるんだ。ってゆーか、どっか遠くの街の高校に進学すれば良かったなー。失敗失敗」
華憐は、深く溜め息をついた。
「この街……嫌いなんですか?」
「この街ってゆーか、父親が嫌い。アタシの父親、磯菱グループの社長が、ね」
華憐の表情が少し、険しくなった。
「あんまり語りたくないんだけど、とにかく嫌な奴でさ。あまりにも嫌過ぎて、中学生の頃から一人暮らしを始めたの。でも……ミスったー! こんな街、残るんじゃなかったなー」
「何か、残りたい理由でもあったんですか?」
その質問に、華憐は何故か、頬を染めた。
「……えっとね、猛っていたじゃん? あの子供っぽい子」
「探偵さん……ですね」
「そう。アタシ、アイツのことが好きだったの」
至極あっさりと、華憐は言った。
「ええ!? そうなんですか!? でも……『だった』?」
「そう。過去の話なんだよね。この街の高校に入学して、しばらくしてから知ったんだ。猛にはもう、彼女がいるってこと」
失恋の話を語っているのに、華憐の顔は晴れやかだった。どうやら、未練はないらしい。
「アタシが中学生のとき、さっきみたいな輩に絡まれている所を、たまたま通りかかった猛に助けられたの。それで、一目惚れ。その後、猛は名刺を出してきて、『三崎探偵事務所を経営してます! 三崎猛という者です! よろしかったらご利用下さい!』って言ってきたのよ。まだ中学生のクセにね。実際事務所なんかなくて、ただ探偵を名乗ってただけだし」
どうやら、その想い出がよっぽど愉快だったらしい。華憐は声をあげて笑い出した。
「何でも、小さい頃から推理小説とか読んで、探偵に憧れてたらしいのよね~。探偵って職業に誇りを持っているみたいだし。実際は地味な仕事ばかりなのにね~。当時から色々と優秀な子で、人捜しとか人物調査とか浮気調査とか得意だったんだけど、所詮中学生だから、全然儲からなかったらしいよ」
「そうだったんですか……。そういえば、元執事って言ってけど、それは?」
「そうそう! 猛ったら家事とかそーいったことも得意だからさ、アタシの執事にしようと思ったんだよね~。一人暮らし始めてから、家事とか大変だったからさ」
まあ、猛を側に置いときたい口実だったんだけどね。と、華憐は照れ臭そうに付け足した。
「めちゃくちゃ頼み込んだら、一週間って期限付きでやってくれたの。猛に『お嬢様』って呼ばせて、ホント楽しかったな~」
「……確かに、それは面白そうだわ」
二人は共に、クスクスと笑った。
「まあ今は、探偵と依頼主の関係だね~。しょーもないこととか真面目なこととか、とにかく、アタシが一番、三崎探偵事務所を利用してるかな。常連さんって感じ。まあ、単なる友達、とも言えるね」
友達、という表現は、沙理奈にはしっくりきた。喫茶店での二人のやり取りが、そういった感じだったからだ。おそらく、沙理奈に対しても、華憐は友達として接しているのだろう。沙理奈には、そんな華憐が不快ではなく、むしろ心地良かった。
(奈々お姉ちゃんに、似てるな……)
沙理奈は、華憐を自分の従姉妹に重ねてみた。見た目はまったく似ていないが、気さくな性格がそっくりなのだ。だからだろうか、華憐とは会ったばかりなのに、親しく話せる。
(気が少し……楽になったかしら)
兄が死んでから今まで、泣かなかった日はなかった。
誰を怨めばいいのか。
倉崎という明確な対象を提示され、彼をひたすら呪った。襲撃に失敗してからも、呪った。再襲撃の計画をたてる前に倉崎に遭遇してしまったときは、化けて出てやることを望んだ。
誰を怨めばいいのか。
それが今日、分からなくなった。
あらためて考えれば、兄の死には謎が多過ぎる。なにより、倉崎が頭を下げて謝ってきたのだ。気勢を、削がれてしまった。
――そうだ。
自分には、やらなければならないことがある。
実際自分に出来ることは、ちっぽけなことだけかもしれない。けど、兄の友達、そのまた友達が、協力してくれている。自分が怨んでいる相手も……とりあえずは、協力してくれている。
兄の無念を晴らす。
それが沙理奈にとっての、全てだった。
(この世界は、私から大切なモノばっかり奪ってくる。だったら、私は……)
精一杯、抵抗するしかないのだ。