茜色を見上げながら〔2〕
(これが、ナンパ……ってやつ?)
沙理奈は、こういう光景を、初めて生で見た。目の前にいる、漫画などで見た典型的なナンパ男達が今、隣にいる華憐を誘っている。――この状況に、幼い彼女は不安を隠し切れなかった。
ところが華憐は、いたって冷静。いかにも造り物、といった笑みを三人組に向け、
「ごめんね。アタシ、キミ達のようなゲス男は嫌いなの。ナンパが嫌いなわけじゃないよ? 出会いが多いに越したことはないもの。ただ、複数で寄ってたかってってことは、アタシのこと輪姦しちゃうつもりなのかな? だって三対一でデートなんて、ありえない話だもんね~。それにさ、ナンパくらい一人でやろうよ一人で。相手が一人ならさ。って、そんな勇気ない? キミたちチキンだね~脳髄ぶちまけて死ねば?」
早口で、罵詈雑言を一気にまくし立てた。
「おいおい、威勢の良い姉ちゃんじゃねえか」
「だがよ、俺達“狐狩猟犬”のメンバーなんだぜ? そんな口きくと、ベッドの上で後悔す……」
「てかそんなことよりも、髪型と服装と声帯と骨格と、あ、あと、なんだかんだ言っても、やっぱ顔よね~。これら全部をもっと良質なものに再構築してから来てくれると嬉しいな。性格だけは、もう手遅れだろうから勘弁してあげるからさ」
「ほとんど全部じゃねえか!」
「アタシの主張は、妥当だと思うけどね~。キミたちは、存在そのものが否定されるべきなんだからさ」
「んだとクソアマ!」
「てめえ! チョーシこいてんじゃねえぞコラ!」
「“狐狩猟犬”ナメてんじゃねえ!」
激怒した三人組。今にも華憐に飛び掛からんばかりの雰囲気だ。
(ど、どうしよう! あんな奴ら、私じゃ太刀打ちできないし……)
華憐は相変わらず涼しい顔で、冷ややかに三人組を睨んでいるものの、沙理奈は激しく狼狽した。
(そうだ! ここは住宅街だから、大声で叫べば誰か来てくれるはず……)
「アタシ、磯菱グループ社長の娘ですけど、何か?」
辺りの空気が、真夏にもかかわらず、凍てついた。
この空間内で唯一微笑んでいる、華憐という存在が、辺りの空気を不気味に着色していた。
沙理奈が考えを実行に移すまでもなく、華憐の、そのたった一言だけで、決着はついてしまったのだ。
「い、磯菱……だと!?」
「そういやあ、磯菱グループ社長の娘は金髪碧眼の巨乳だって聞いたぜ……」
「おいやべえよ! 磯菱にケンカなんて売ったら、俺ら……」
「それだけじゃねえ! “狐狩猟犬”の幹部連中に私刑されちまうぞ! 磯菱には絶対手ェ出すなって言われてるからよ……」
「つか、磯菱はやべえよ、磯菱は。街中敵に回すことになるかも……」
血の気が引いて、一気に顔が青ざめた三人組。目の前の華憐ではなく、その後ろに見える、強大なもの――この街の基盤、象徴、絶対、とも言える存在――に、三人組は恐怖した。同時に、自分達の浅はかさや、運の悪さを呪った。壮絶に後悔もした。
「まだ何か用があるんだったら、遺言代わりに聞いてあげるけど、どうする?」
「「「すみませんでしたー!」」」
三人組は声を揃えて、華憐に背を向け、脱兎の如く走り去っていった。
脱兎という兎を実際に見たことがない沙理奈だが、やはり『脱兎の如く』という表現が、この場に相応しいだろうと思った。
「ホント、低俗で低能な奴らよね……」
三人組の情けない背中を、嫌悪と侮蔑を込めた眼差しで見送りながら、華憐は小さく溜め息をついた。
「磯菱の名前出した途端、尻尾巻いて逃げちゃってさ。それでも向かってくるんだったらね、素直に、本当に素直に、感心するんだけどな~」
その顔は、少し残念そうでもあった。
(そうだ、この人は……磯菱グループの社長令嬢、だったんだわ)
そう。この街の人間が、彼女に逆らえるはずもないのだ。
彼女の父親が経営する磯菱グループは、日本有数、世界でも五本の指に入るほどの大財閥。そんな金持ちの令嬢相手にちょっかい出すなど、破格の経済力を持つ父親、その家族、その部下、はたまた令嬢本人から、どのような仕返しをされるかわからない。磯菱ほどの金と権力があれば、たいていのことは成せるのだから。
そんなことよりも。
狐原市を再生させた、この街の住民から救世主とまで崇められている存在。この街の主要企業のほとんどを、傘下に治めている存在。そんなものにケンカを売っては、この街では生きていけないのだ。完全に、居場所をなくしてしまう。
親は職を追われ、自らも、就職先やアルバイト先、学校などから追放され、さらには住む場所も取り上げられ、物を買いに行っても入店拒否される――かもしれない。
『かもしれない』を考えなければならないほど――想像力をネガティブ方向に働かせ、ペシミスト的な考えを強いられるほど――この街における磯菱の影響度、磯菱に対する住民の尊敬の念は――強い。
狐原市は、『磯菱の王国』と呼ばれている。それは、磯菱が街の権力を独裁していることを揶揄した言葉、だけとは限らない。磯菱は権力を独裁しているものの、その行使の仕方は評判を得ているのだ。事実、沙理奈と華憐が歩いているこの住宅街も、磯菱グループ傘下の建設会社が開発し、格安で市民に提供したものだった。




