とある喫茶店での話し合い〔3〕
「あ、もしもし? 猛? アタシよアタシ。執事としてキミに命令するわ。人捜しなんだけど……」
『僕はアナタの執事じゃありません!』
携帯電話のスピーカーの向こうから、トーンの高い、男性の怒鳴り声がした。沙理奈はその声の大きさにびくっと跳びはね、倉崎も僅かに驚いて、小さくのけ反った。
「執事も~元~執事も変わらないじゃん? 相変わらずアタシのパシリなわけなんだし~、…………うんうん、あ~あ、昔はあんなに媚び売ってたのにね~…………まあまあ、細かいことは置いといてさ、……うんうん、というわけで依頼よ依頼。今から喫茶店〔ルノアール〕に来て。アタシ入れて3人ほどいるから。……え? お前が来い? いいじゃん近いんだから~。お客様サービスよお客様サービス。お金は弾んどくから、……というわけで10分で来てね~」
快活に言い放つと、相手の返事を待たずに、華憐は携帯電話を閉じた。
「……誰か来んのか?」
面倒臭い展開に若干眉をひそめながら、倉崎はテーブルの上のアイスコーヒーをすする。
「~元~執事……ってゆーか探偵ってゆーか何でも屋ってゆーか便利屋ってゆーか、まあ早い話、アタシの便利な手駒って感じ? あ、沙理奈ちゃん、これからその手駒クンがやってくるから、例のお兄さんの友達って野郎の顔、そいつが来たら説明してあげて」
「……わかりました……けど……、お前!」
沙理奈は顎を引いて、倉崎をキリッと睨むと、
「もし、もしお兄ちゃんが、本当にお前のせいで死んだんだってことになったら……、お兄ちゃんの前で土下座して謝りなさいよね! いい? 分かった?」
これだけは譲れないと、彼に宣戦布告をした。倉崎は、痛々しいほどの虚勢を張ったその眼差しを、目を逸らさずに受け止め、
「ああ? なんで俺がそんなこと……」
――グサリ。
言いかけて彼は、痛みを感じた。唐突に、なんの予兆もなく。
自分の体に意識を巡らせてみても、痛みが発生している部位は明確には特定できない。それどころか、考えれば考えるほど、難解な迷路を真っ暗闇の中あてもなく進んでいるような、不安な気持ちになってくる。
ただ、一つだけ、分かることがある。
この痛みは、かつて少女の襲撃を退けたとき、少女の涙を見た瞬間に感じた痛みと同じだということだ。
さらに、過去にナイフによる刺突を食らった経験もある彼は、こう思った。
今感じているこの痛みは、そんなものとは比較にならないほど、痛くて苦しいものだ、と。
(……ったく、わけわかんねえっつーの……)
少女の目元は、次第に潤んできた。亡き兄のことでも、想っているのだろうか。
倉崎がかつて見捨てた、小柄で気の弱い少年のことを。
このお金がないと夕飯が作れないと言っていた、少年のことを。
「…………分かったよ。土下座でも何でもしてやる」
半ば自棄気味に、倉崎は吐き捨てた。
沙理奈は全身に張っていた力を抜いて、椅子の背もたれに体重を預けた。倉崎の解答に、一先ず納得したようだ。
「で、とりあえず、俺が原因じゃなかった場合を仮定して考えてみるけどよ。第三者が、お前の兄貴の自殺を利用してお前に俺を殺させようとした、っつーのが妥当じゃねえのか?」
「遺書はどーなんの? 偽装したとか?」
「あれはお兄ちゃんの字だったもん! 絶対に!」
華憐の意見に、沙理奈は真っ向から反論した。
「じゃあ逆だ。お前に俺を殺させるために、第三者が兄貴に遺書を書かせた、さらに言えば、お前の兄貴をそのために殺した、っつーのはどうだ?」
その発言に、後の二人が一気に凍り付いた。この場の温度が氷点下まで下がったかのように錯覚させられ、沙理奈はブルッと震え上がった。
倉崎は続ける。
「お前……華憐は、翔は自殺するような男じゃないって言ったよな?」
「え、ええ。そう確信してる」
「で、ガキ。お前はどうなんだ?」
質問を振られ、沙理奈はしばらく両手を組みながら考えると、
「お兄ちゃんは……明るくて優しくて、昔から友達は多いほうで、パパが死んで家が大変なことになってからも、ずっとずっと笑顔で私を支えてくれて…………」
沙理奈は、搾り出すように兄のことを語り始めた。兄との想い出を顧みながら、沙理奈は徐々に顔を俯けていく。
「…………やっぱり、お兄ちゃんが私を置いて自殺しちゃうなんて……信じられないよ……」
少女の声は、次第に涙混じりになっていった。華憐は心配そうな顔で少女を見つめ、倉崎は……目を逸らした。
「……まあ、俺のこと英雄扱いしてたっつーのは置いといてよ。ニュース見る限りでも、やっぱり自殺の可能性は低いんじゃねえか? お前の兄貴をカツアゲしてた野郎に聞いても、いじめはほとんど受けていなかったらしいしよ」
『いじめを受けていて精神的に限界だった』という遺書の記述と、いじめは受けていないという証言は矛盾する。
「待って。倉崎クンを殺すためだけに翔を殺したってゆーのは、いくらなんでも飛躍し過ぎじゃない? だったら直接倉崎クンを狙えば……」
「まあそうなんだがよ。相手がガキのほうが倉崎は油断しやすい、とでも思ったんじゃねえか? それに、俺を直接狙って、失敗すれば返り討ちに遭うのは目に見えてるわけだしよ」
直接彼を襲うリスクと、別の犯罪を犯してまで間接的に彼を襲うリスク。どちらが高いかは、難しいところだろう。反撃に遭えば病院送りは免れないわけだし、別の犯罪が露呈してしまう可能性も捨て切れない。
「……確かに。倉崎クンはそうまでして殺す価値のある人間……というより、~狐狩猟犬~みたいな物騒な輩から怨みを買ってる人間だしね……」
「もしくは、ただ単に夢川翔を殺すのが目的だった、とかな」
「どういうこと?」
倉崎が新たに提示した可能性に、沙理奈が聞き返す。
「今言った通りだ。夢川翔を殺したいから殺した、その前に何らかの方法で夢川翔を脅して遺書を書かせて、ついでにお前に俺を殺させるように仕向けた、とかよ」
「ありえそうね。動機とかって思い浮かぶ?」
華憐の問い掛けに対し、倉崎は、
「知らねえ。おいガキ、お前の兄貴は人に怨み買ってたりとかしてなかったか?」
「…………わからない」
しばらく考えを巡らせてみたが、沙理奈はそう答えるしかなかった。
「まあ、俺から言い出しといてなんだが、ここでうだうだ話してても無駄だよな。とりあえずは、夢川翔の友人って奴を取っ捕まるのが先ってこった」
その意見に同調するかのように、沙理奈も華憐も静かになり、三人は無言でそれぞれの飲み物をすすった。時刻はすでに夕方の5時を回っていたが、真夏だけあって、店の窓から差し込む光はまだまだ明るかった。
(――そういや、随分久しぶりだな……。こんなに長ったらしく他人と会話すんのも、誰かと一緒に店に入って、一緒のテーブルに座るのもよ……)
何の因果で、こんなことになったのだろうか。ただ、彼はこの~暇つぶし~を、もう面倒臭いとは思っていなかった。むしろ、見えざる手に背中を押され、早く先に進めと急かされているような気さえした。