第9章 人を集める
偵察部隊を撃退してから一週間が過ぎた。
その間にも、帝国軍の動きは活発化していた。斥候の報告によれば、攻城塔は着々と完成に近づいているという。
「あと二週間もすれば、こちらに到達する」
守備隊長が、作戦会議で報告した。
「迎え撃つ準備は、できているのか」
「城壁の補強は、六割ほど完了しています」
匠が、答えた。
「六割? 間に合うのか」
「間に合わせる。残りは、攻撃が始まってからも続行する」
守備隊長は、眉をひそめた。
「戦いながら工事を? 正気か」
「選択肢がない。全てを完了させてから戦うなんて、時間的に無理だ」
匠は、図面を広げた。
「だから、優先順位をつける。最も攻撃を受けやすい場所から補強し、他は後回しにする」
「しかし——」
「信じてくれ」
匠は、守備隊長の目を見た。
「俺は、この城を崩させない」
しばらくの沈黙の後、守備隊長は頷いた。
「……分かった。お前に任せる」
作業が続く中、新たな問題が発生した。
人手不足だ。
匠の弟子たちは、確実に腕を上げている。だが、十五人では、工事の規模に対して圧倒的に足りない。
「人を増やすしかない」
匠は、リーネに言った。
「どこから連れてくるんだ? 王都に戻る時間はないぞ」
「この要塞の周囲に、村がいくつかあると聞いた。そこから、志願者を募る」
「志願者? 戦争が始まろうとしているこんな時に、誰が来るんだ」
「来てもらわなければ困る」
匠は、立ち上がった。
「俺が、直接行って説得する」
翌日、匠は護衛のボルクを連れて、近隣の村を訪れた。
最初の村は、要塞から半日の距離にあった。小さな農村で、人口は百人ほど。
村長との面会を求め、匠は事情を説明した。
「要塞の補強工事に、人手が必要なんです。志願してくれる者がいれば——」
「断る」
村長は、即座に答えた。
「なぜ?」
「帝国軍が攻めてくるんだろう? 要塞に行くのは、死にに行くようなものだ」
「要塞が落ちれば、この村も無事ではいられない」
「それでも、ここにいた方がマシだ。少なくとも、逃げられる」
匠は、言葉を探した。
「……報酬は、出します。日当も、食事も」
「金の問題じゃない」
村長は、首を横に振った。
「命の問題だ」
交渉は、失敗に終わった。
二つ目の村でも、結果は同じだった。三つ目も、四つ目も。
誰も、要塞に来ようとしなかった。
「無駄足だったな」
帰り道、ボルクが言った。
「……ああ」
匠は、黙っていた。
分かっていた。誰だって、死ぬかもしれない場所に行きたくない。それは、当然の反応だ。
だが——
「諦めるわけにはいかない」
匠は、呟いた。
「人がいなければ、工事は間に合わない。間に合わなければ、城が落ちる。城が落ちれば、多くの人が死ぬ」
「どうする気だ」
「……分からない」
匠は、空を見上げた。
二つの月が、夕暮れの空に浮かんでいる。
「でも——何か、方法があるはずだ」
要塞に戻ると、意外な報せが待っていた。
「志願者が来ています」
リーネが、匠を迎えた。
「志願者?」
「はい。十人ほど。要塞の門前で待っています」
匠は、急いで門に向かった。
確かに、十人ほどの人々が、門の前に集まっていた。
男女混合。年齢はバラバラ。服装は粗末で、どこか疲れた様子だ。
「あんたが、建築聖人か」
先頭に立つ男——三十代くらいの、筋肉質な男が言った。
「建築……?」
「噂を聞いた。異国から来た大工が、ハルベルト村を救い、王都でギルドを圧倒し、今はこの要塞を強化しているって」
男は、匠を上から下まで見た。
「俺たちは、南の村から来た。魔王軍に村を焼かれて、行く場所がない」
「……」
「あんたのところで、働かせてくれないか。飯と、寝る場所があれば、それでいい」
匠は、彼らを見た。
難民だ。魔王軍の侵攻で、故郷を失った人々。
彼らの目には、絶望と、かすかな希望が混ざっていた。
「……腕に覚えは?」
「俺は、元石工だ。石を積んだ経験がある」
筋肉質な男が答えた。
「俺も」
別の男が、手を挙げた。
「俺は元木こりだ。木を切るなら、任せてくれ」
次々と、自分の技能を申告していく。
石工が三人。木こりが二人。鍛冶屋が一人。残りは農民だが、力仕事には慣れている。
匠は、しばらく彼らを見ていた。
そして——
「……いいだろう」
静かに、頷いた。
「お前たちを、雇う。俺の下で働いてくれ」
男たちの顔に、安堵が広がった。
「ありがとう。恩に着る」
「礼は、仕事が終わってからだ」
匠は、要塞を指差した。
「あの城を、帝国軍から守る。それが、お前たちの仕事だ」
新たに十人が加わり、匠の「軍団」は三十人近くになった。
作業のペースが、明らかに上がった。
元石工たちは、城壁の修復を担当した。石材を切り出し、積み上げ、モルタルで固める。匠が指示を出し、彼らが実行する。
元木こりたちは、木材の調達を担当した。近くの森から、必要な木を切り出してくる。
ガルドたち「第一期弟子」は、既に基礎を習得していた。彼らは、新入りたちに基本を教える役割も担い始めた。
「匠の教え方は、独特だからな」
ガルドが、新入りに説明していた。
「最初は、何を言っているか分からないかもしれない。でも、言われた通りにやってみろ。そうすれば、意味が分かってくる」
「分かってくる?」
「ああ。匠は——言葉は少ないが、一つ一つの指示に意味がある。無駄なことは、絶対に言わない」
ガルドの目には、匠への尊敬が滲んでいた。
匠は、遠くからそれを見ていた。
「……弟子が、弟子を教えているな」
リーネが、隣で言った。
「ああ」
「お前、嬉しそうだぞ」
「そうか?」
匠は、自分の顔を触った。嬉しそう? 自分では、よく分からなかった。
「……まあ、悪くない」
それが、匠の答えだった。
工事が進む中、ある夜、匠は一人で城壁の上に立っていた。
月明かりが、周囲を照らしている。北の方角には、帝国軍の陣地が見える。篝火が、無数に燃えている。
「考え事か」
声がして、振り返ると、リーネが立っていた。
「……ああ」
「何を考えている」
「蛭間のことを」
「ヒルマ? 帝国の建築士か」
「ああ。俺を殺した男だ」
リーネは、匠の隣に立った。
「お前を殺した——どういう意味だ」
「……長い話になる」
「聞かせてくれ」
匠は、しばらく黙っていた。
そして——話し始めた。
現実世界のこと。日本という国。大工という仕事。蛭間というパワハラ上司。そして、転落事故。
異世界に来て、初めて、誰かに全てを話した。
リーネは、黙って聞いていた。
話が終わると、彼女は言った。
「……大変だったんだな」
「ああ」
「でも——お前は、今ここにいる」
「ああ」
「それが、全てだ」
リーネは、匠の肩に手を置いた。
「過去は、変えられない。でも、未来は変えられる」
「……」
「お前は、この城を守ると言った。その言葉を、私は信じる」
匠は、リーネを見た。
緑色の瞳が、月明かりに輝いている。
「……ありがとう」
匠は、小さく言った。
「礼を言うのは——」
「分かってる。仕事が終わってからだろ」
リーネは、笑った。
匠も、少しだけ笑った。
北の空には、敵の篝火が燃えている。
戦いは、すぐそこまで迫っていた。
だが——
匠は、もう一人ではなかった。
弟子たちがいる。仲間がいる。守るべきものがある。
「……さあ、明日も仕事だ」
匠は、城壁を降りた。
リーネが、後に続いた。
夜が明ければ、また作業が始まる。
一本一本、丁寧に。
それが、黒田匠の、戦い方だった。




