第6章 噂は風に乗って
王都への道は、五日かかった。
匠は、王国の兵士が用意した馬車に乗っていた。リーネも同乗している。
窓から見える風景は、日本とは全く違っていた。
広大な平原。点在する村々。遠くに見える山脈。そして、空には二つの月——この世界が異世界であることを、常に思い出させる。
「緊張しているか?」
リーネが、隣で訊いた。
「いや」
匠は、短く答えた。
「王都の建物を、見てみたいと思ってる」
「建物?」
「ああ。この世界の建築技術が、どのレベルなのか。それを、自分の目で確かめたい」
リーネは、匠の横顔を見ていた。
「お前は、本当に大工だな」
「何度目だ、それ」
「何度でも言う。だって、本当のことだから」
匠は、窓の外を見ながら、ほんの少しだけ口元を緩めた。
五日目の朝、王都ルクセリアが見えてきた。
「……でかい」
匠は、思わず呟いた。
城壁に囲まれた巨大な都市。中央には、ひときわ高い尖塔を持つ王宮がそびえている。人口は数万人、あるいは数十万人だろうか。ハルベルト村とは、比較にならない規模だ。
だが、匠の目を引いたのは、都市の大きさではなかった。
城壁だ。
匠は、「指金」を発動させた。
視界が変わる。城壁の構造が、透視されたように見える。
そして——
「……まずいな」
匠は、眉をひそめた。
「どうした?」
リーネが、訊いた。
「この城壁——基礎が弱い」
「基礎?」
「ああ。地盤が軟弱な場所に、そのまま石を積んでいる。百年、二百年は持つかもしれないが——」
匠は、城壁を見上げた。
「——三年以内に、崩れる場所が出てくる」
「三年?」
リーネの顔色が変わった。
「そんなに早く?」
「ああ。最近、この地方で地震があっただろう?」
匠は、城壁の一部を指差した。
「あそこに、亀裂が入っている。目には見えないが、内部構造にダメージがある。放っておけば、どんどん広がる」
リーネは、匠が指差した場所を見たが、何も見えなかったようだ。
「お前には、そういうことまで分かるのか」
「……ああ。俺の『指金』には、そういう力がある」
匠は、城壁から目を逸らした。
まだ、この能力のことは、あまり人に話していなかった。
神から授かった力。あらゆる建造物の構造が「見える」力。
信じてもらえるかどうか、分からなかったからだ。
馬車は、王都の門をくぐった。
街中は、活気に満ちていた。石畳の道を、人々が行き交っている。商人、職人、兵士、貴族——様々な身分の人間が、雑多に混ざり合っている。
「ここで降りる」
兵士が言った。
馬車は、王宮の前で停まった。
王宮は、近くで見ると、さらに巨大だった。白い石造りの壁、金色の装飾、色とりどりのステンドグラス。見る者を圧倒する威厳があった。
だが、匠の目は、その装飾ではなく、構造に向けられていた。
「指金」が、情報を伝えてくる。
——柱の配置が非効率的。荷重分散が不均等。耐震性に問題あり。
匠は、黙ってその情報を受け止めた。
今は、何も言うまい。まずは、状況を把握することだ。
王宮の中に案内された。
長い廊下を歩き、大きな扉の前で止まる。
「ここだ。入れ」
兵士が言った。
扉が開くと、そこには——
「ようこそ、クロダ・タクミ殿」
五十代くらいの男が、立っていた。
ヴェルナー伯爵だ。
「お待ちしておりました。さあ、こちらへ」
伯爵に案内されて、部屋の奥へ進む。
そこには、もう一人の人物がいた。
玉座に座る、白髪の男。
年齢は六十代か、七十代か。穏やかな顔立ちだが、目には鋭さがある。
「陛下、こちらが——」
「ああ、聞いている。ハルベルト村を救った大工、か」
国王——アルヴィン三世が、匠を見た。
「クロダ・タクミ、だな」
「はい」
匠は、短く答えた。
どう振る舞うべきか、分からなかった。日本では、王様に会ったことなどない。
「楽にしてくれ。私は、堅苦しいのは好まない」
国王は、穏やかに言った。
「伯爵から報告は受けている。お前が作った防壁のこと。鉄樹を、道具だけで加工したこと。そして——城壁の欠陥を、見抜いたこと」
匠の目が、わずかに見開かれた。
城壁の欠陥。それは、馬車の中でリーネに話しただけだ。なぜ、国王が知っている?
「驚いたか? 私には、優秀な情報収集者がいるのでな」
国王は、かすかに笑った。
「だが、お前の言うことが本当かどうか——それは、確かめる必要がある」
国王は、手を打った。
扉が開き、数人の男たちが入ってきた。
「これは、王宮建築士ギルドの者たちだ。彼らの前で、お前の技術を見せてもらいたい」
建築士ギルド。
この世界における、建築の専門家集団だ。
匠は、その男たちを見た。
先頭に立つのは、六十代くらいの男。痩せぎすの身体に、傲慢な目。高級そうな服を着ている。ギルド長だろう。
「ふん……この男が、例の大工か」
ギルド長は、匠を上から下まで見た。
「見たところ、ただの労働者ではないか。このような者が、我々ギルドの技術を上回るなど——」
「それを、今から確かめる」
国王が、言葉を遮った。
「クロダ・タクミ。お前に、課題を与える」
国王は、傍らの羊皮紙を広げた。
図面だ。建物の設計図。
「これは、新しく建設予定の兵舎の図面だ。ギルドが作成した。この設計に、問題があるかどうか——お前に見てもらいたい」
匠は、図面を受け取った。
「指金」を発動させる必要はなかった。一目見て、分かった。
「……問題は、三箇所あります」
匠は、図面を指差した。
「まず、ここ。柱の間隔が広すぎる。この荷重では、梁が撓む。最悪、折れる」
ギルド長の顔色が変わった。
「次に、ここ。基礎の深さが足りない。この地盤では、沈下する可能性がある」
匠は、淡々と続けた。
「最後に、ここ。排水溝の勾配が逆になっている。これでは、雨水が建物の方に流れる」
沈黙が、部屋に落ちた。
ギルド長は、顔を真っ赤にしていた。
「……馬鹿な。我々の設計に、そのような初歩的なミスが——」
「初歩的かどうかは、分からない」
匠は、図面を伯爵に返した。
「だが、ミスはミスだ。直さなければ、人が死ぬ」
国王は、ギルド長を見た。
「どうだ? この男の指摘は、正しいのか?」
ギルド長は、しばらく黙っていた。
やがて——
「……検証が、必要です」
苦々しげに、そう答えた。
三日後。
検証の結果が出た。
匠の指摘は、三箇所とも正しかった。
「……驚いたな」
国王が、匠を呼び出して言った。
「図面を一目見ただけで、欠陥を見抜くとは」
「俺は、大工ですから」
「それだけでは説明がつかない。お前には——何か、特別な力があるのだろう?」
国王の目が、鋭くなった。
匠は、しばらく考えた。
そして——
「……はい。あります」
正直に、答えた。
「俺には、建物の構造が『見える』力があります。強度、欠陥、最適な補強方法——それが、見えるんです」
国王は、驚かなかった。
「やはりな。伯爵からの報告を聞いた時から、そう推測していた」
国王は、玉座から立ち上がった。
「クロダ・タクミ。お前に、依頼がある」
「依頼?」
「ああ。北方のヴァルム帝国が、侵攻を開始した。国境には、要塞があるが——老朽化が著しい」
国王の顔に、憂いが浮かんだ。
「その要塞を、三ヶ月で強化してほしい。お前の力で」
匠は、黙って国王を見た。
三ヶ月。
見たこともない要塞を、三ヶ月で強化する。
それが、どれほど困難な依頼か——匠には、分かっていた。
だが——
「……やります」
匠は、答えた。
「俺は、大工だ。建てるのが、俺の仕事だ」
国王は、ほんの少しだけ、微笑んだ。
「頼んだぞ——建築聖人」
建築聖人。
それが、この世界で匠につけられた、最初の呼び名だった。




