第3章 廃墟の村
ハルベルト村の生き残りたちは、村の外れにある、半壊した石造りの倉庫に身を寄せていた。
リーネに案内されて、匠はその場所に足を踏み入れた。
倉庫の中には、十数人の人間が肩を寄せ合っていた。
老人が三人。いずれも六十代以上に見える。疲れ果てた目で、匠を見上げた。
子供が五人。最年少は五、六歳だろうか。母親らしき女性に抱きかかえられている。
そして、兵士が四人。だが、そのうち三人は負傷しており、まともに動けるのは一人だけだった。
「この人は誰だ」
動ける兵士——二十代半ばの、がっしりとした体格の男が、警戒心を隠さずに訊いた。
「旅人だそうだ。大工らしい」
リーネが答えると、兵士の眉が上がった。
「大工? こんな時に?」
「そうだ。建物を直せると言っている」
「馬鹿な。この村を見たか? 直せるようなものは何も残っていない」
兵士の言葉は、半ば正しかった。村の大部分は焼け落ち、残った建物も深刻な損傷を受けている。普通の大工なら、手の施しようがないと匙を投げるだろう。
だが、匠には「神匠の指金」があった。
「案内してくれ」
匠は、リーネに言った。
「村全体を見たい。どこに何が残っているか、確認したい」
「……分かった」
リーネは頷き、倉庫を出た。匠がその後に続く。兵士は、なおも疑わしそうな目で二人を見送った。
村を歩く。
焼け落ちた家屋の残骸。崩れた石壁。散乱する瓦礫。どこを見ても、破壊の痕跡だらけだった。
匠は、歩きながら「指金」を発動させた。
視界が変わる。
普通の目には瓦礫の山にしか見えないものが、「使えるもの」と「使えないもの」に分類される。
この石材は、まだ強度が保たれている。再利用できる。
この木材は、表面は焼けているが、芯までは燃えていない。削り直せば使える。
この地盤は、固い。ここに建てれば、基礎は安定する。
情報が、洪水のように流れ込んでくる。
「お前、何を見ている?」
リーネが、不審そうに訊いた。
匠は、どう説明したものか迷った。
「……俺には、建物の『構造』が見える」
「構造?」
「ああ。どこが弱くて、どこが強いか。どこを直せばいいか。それが、見えるんだ」
リーネの目が、わずかに細まった。信じているのか、疑っているのか、判断しかねる表情だ。
「お前……ただの大工ではないな」
「そうかもしれない」
匠は、曖昧に答えた。
村の中央に、ひときわ大きな建物の残骸があった。かつては集会所か何かだったのだろう。石造りの壁は半分ほど崩れているが、残りの半分はまだ立っている。
匠は、その建物に近づいた。
「指金」が、情報を伝えてくる。
壁の構造は単純だ。切り出した石を積み上げ、モルタルで接着している。だが、モルタルの質が悪い。砂の配合が多すぎる。だから崩れやすい。
残っている壁の部分は、偶然にもモルタルの配合がマシだった場所だ。ここを補強すれば、まだ使える。
「この建物を直す」
匠は、宣言した。
「は?」
「この建物を直して、みんなが住めるようにする。雨風をしのげる場所がなければ、誰も生き延びられない」
リーネは、匠の顔をじっと見た。
「……本気か」
「ああ」
「どれくらいかかる?」
匠は、計算した。人手、材料、道具。現状で使えるリソースを頭の中で整理する。
「……三日。いや、二日でやる」
「二日?」
リーネの声には、驚きと疑念が混じっていた。
「こんな廃墟を、二日で?」
「全部を直すわけじゃない。まず、雨と風を防げるだけの屋根と壁を作る。それが最優先だ。細かいところは、後から直す」
匠は、周囲を見回した。
「人手が要る。動ける人間は、全員俺の指示に従ってくれ。それと、道具——斧、鑿、鉈、何でもいい。木を切れるもの、石を削れるものを集めてくれ」
リーネは、しばらく黙っていた。
そして——
「分かった」
静かに、だがはっきりと頷いた。
「お前を信じる。いや、信じるしかない。他に方法がないんだから」
匠は、少しだけ口元を緩めた。
笑ったのは、いつ以来だろうか。
「ありがとう」
「礼を言うのは、建物が直ってからだ」
リーネは、倉庫へ戻っていった。匠は、残骸の前に立ち、腕まくりをした。
まずは、瓦礫の撤去だ。
使えるものと使えないものを分別し、使えるものは一か所に集める。使えないものは、後で処分する。
匠は、作業を開始した。
一人で、黙々と。
それが、大工の仕事だ。
一時間後、リーネが戻ってきた。後ろには、村の生き残りたちが続いている。
動ける兵士が一人。名前はボルクという。
老人が二人。男と女。どちらも六十代後半だが、目には光があった。まだ諦めていない目だ。
子供が三人。十歳前後の少年少女。最初に匠を見つけた少年もいた。名前はルーカスというらしい。
そして、リーネ。
「これで全員だ」
リーネが言った。
「他の者は、怪我人の看病と、子供たちの世話についている」
「十分だ」
匠は、集まった人々を見渡した。
疲れた顔。不安な目。だが、諦めてはいない。生きようとしている。
「俺は黒田匠。大工だ。今から、この建物を直す。みんなの力が要る」
匠は、地面に枝で図を描いた。
「まず、瓦礫を撤去する。使えるものと使えないものを分けて、使えるものはここに集める。これを、老人と子供たちに頼みたい」
老人たちが頷いた。
「次に、木材を調達する。あの森から、まっすぐな木を切り出す。これは、俺とボルクでやる」
ボルクが、不承不承といった顔で頷いた。
「リーネ。お前は、全体の指揮を頼む。俺が作業している間、みんなをまとめてくれ」
「……分かった」
役割分担が決まった。
匠は、さっそく動き始めた。
森へ向かう。ボルクが後ろについてくる。
「お前、本当に大工なのか」
ボルクが、斧を担ぎながら訊いた。
「ああ」
「どこで修業した?」
「遠い国だ。お前は知らない」
「……まあいい。だが、もし村人を騙そうとしているなら、俺が殺す」
「分かっている」
匠は、淡々と答えた。
森に入る。
この世界の森は、日本のそれとは違っていた。木々の種類が異なる。葉の形、幹の色、樹皮の質感——全てが初めて見るものだ。
だが、「指金」があれば問題ない。
木を見るたびに、情報が流れ込んでくる。
この木は、繊維が密で、強度が高い。建材に適している。
この木は、繊維がまばらで、もろい。使えない。
この木は、節が多い。加工しづらいが、使えないことはない。
匠は、建材に適した木を選び、斧を振るった。
木を切る感覚は、日本と変わらなかった。刃を当てる角度、振り下ろす力、タイミング——身体が覚えている。
一本、二本、三本。
木を切り倒し、枝を払い、運べる大きさに切り分ける。
ボルクも、無言で作業を手伝った。最初は疑いの目で見ていたが、匠の手際を見ているうちに、表情が変わっていった。
「……お前、本物だな」
ぽつりと、ボルクが言った。
「何がだ」
「大工だということが。見れば分かる。お前の動きには、無駄がない」
「そうか」
匠は、短く答えた。
褒められることには慣れていない。というより、褒められた記憶がほとんどない。
「なぜ、俺たちを助ける?」
「……」
「お前は旅人だと言った。この村とは無関係だ。なのに、なぜ?」
匠は、斧を振る手を止めた。
なぜ。
自分でも、よく分からなかった。
ファブリカから使命を与えられたから? 建築で世界を救えと言われたから?
それもあるかもしれない。だが、それだけではない気がする。
「……俺は、大工だからな」
匠は、結局そう答えた。
「建てるのが、俺の仕事だ。壊れた物を見ると、直したくなる。それだけだ」
ボルクは、しばらく匠を見ていた。
そして——
「変わった奴だな」
ほんの少しだけ、口元を緩めた。
夕方になる頃には、必要な木材が揃った。
匠は、切り出した木材を村まで運び、加工を始めた。
ここからが、大工の腕の見せどころだ。
まず、墨付け。
墨壺から糸を引き出し、木材の表面に線を引く。切断する位置、削り取る位置、穴を開ける位置——全てを、墨の線で示す。
「……何をしているんだ?」
リーネが、隣で見ていた。
「墨付けだ。木を加工する前に、線を引く。こうしないと、正確な形に切れない」
「そんなことをしなくても、目分量で切ればいいではないか」
「それじゃダメだ」
匠は、きっぱりと言った。
「目分量で切ると、必ず誤差が出る。誤差があると、組み合わせた時に隙間ができる。隙間があると、そこから雨が入り、腐る。腐れば、崩れる」
匠は、墨糸を弾いた。真っ直ぐな線が、木材の表面に刻まれる。
「だから、線を引く。正確な線を。一本一本、丁寧に」
リーネは、黙って見ていた。
墨付けが終わると、今度は加工だ。
ノミと小刀を使い、木材を削っていく。仕口——木材同士を組み合わせるための加工——を施す。
この世界には、釘がない。いや、あるのかもしれないが、この村には残っていなかった。だから、木材だけで構造を組む必要がある。
伝統的な木造建築の技術。
日本の大工なら、誰でも知っている基本だ。
匠は、黙々と作業を続けた。
日が暮れても、手を止めなかった。村人たちが焚き火を囲んでいる間も、匠は一人で木を削り続けた。
「おい、休め」
ボルクが、水の入った革袋を差し出した。
「夜通し作業する気か」
「……ああ」
「馬鹿な。身体を壊すぞ」
「大丈夫だ」
匠は、水を受け取り、一口飲んだ。
「俺は、これしかできないんだ。だから、やる」
ボルクは、何か言いたげな顔をしたが、結局何も言わなかった。
夜が更けていく。
焚き火の明かりを頼りに、匠は作業を続けた。
腰が痛い。肩が痛い。指先が痺れている。
だが、手は止めなかった。
一本一本、丁寧に。
それが、黒田匠の、生きる道だった。
翌朝。
匠は、夜通しの作業で、必要な部材を全て加工し終えていた。
「……本当にやったのか」
リーネが、積み上げられた木材を見て、呟いた。
「ああ。これで、建てられる」
匠の目の下には、深い隈ができていた。身体は限界に近い。だが、目だけは、妙に澄んでいた。
「今日中に、屋根を張る。雨が降る前に」
空を見上げる。灰色の雲が、西の方から流れてきている。明日か明後日には、雨が降るだろう。
「全員、集合してくれ」
匠の声に、村人たちが集まった。
「これから、建て方をする。俺が指示を出すから、その通りに動いてくれ」
建て方。
日本の木造建築では、柱や梁を組み上げる工程をそう呼ぶ。通常は、棟梁の号令のもと、複数の大工が一斉に作業する。
だが、ここには大工は匠一人しかいない。
「まず、柱を立てる。ボルク、お前はあの柱を持ってくれ。リーネは、こっちを支えてくれ」
匠の指示は、明確だった。
誰が何をすべきか、迷う余地がないほどに。
村人たちは、匠の指示に従って動いた。最初はぎこちなかったが、やがてリズムが生まれた。
柱が立つ。
梁が渡される。
骨組みが、少しずつ形になっていく。
「よし、次だ。あの板を、ここに置いてくれ」
屋根の下地を組む。垂木を並べ、野地板を敷く。
作業は、予想以上に順調に進んだ。
村人たちの手際が良いというわけではない。むしろ、素人同然だ。だが、匠の指示が的確だったのだ。
誰が何をすべきか。どのタイミングで、何を持ってくるべきか。全てが計算されていた。
匠の頭の中には、建物の完成図が明確に描かれていた。そして、そこに至るまでの全ての工程が、詳細に把握されていた。
それは、三十年近い大工人生で培った経験と——「神匠の指金」がもたらす情報が、融合した結果だった。
夕方。
屋根が、完成した。
石壁と木の骨組み、そして木の板で葺いた屋根。見た目は粗末だが、雨風は防げる。
「……できた」
リーネが、呆然と呟いた。
「本当に、二日で……」
「まだ完成じゃない」
匠は、首を振った。
「壁の隙間を塞ぐ作業が残っている。床も張らないと、地面からの冷気が入る。だが——」
匠は、村人たちを見渡した。
疲れた顔。だが、その目には、光が宿っていた。
「——とりあえず、今夜は屋根の下で眠れる」
老人の一人が、涙を流していた。
「……ありがとう」
しわがれた声で、そう言った。
「ありがとう、旅人さん」
匠は、どう反応していいか分からなかった。
感謝されることに、慣れていない。
「……俺は、自分の仕事をしただけだ」
ぶっきらぼうに、そう答えた。
その夜。
村人たちは、完成したばかりの建物の中で、久しぶりに安眠した。
匠は、建物の外で、壁に背を預けて座っていた。
疲労は限界を超えていた。だが、なぜか眠れなかった。
空を見上げる。
二つの月が、夜空に浮かんでいた。
ここは、異世界だ。
俺は、死んで、生き返って、こんな場所にいる。
頭では理解している。だが、実感が追いついてこない。
ふと、腰の道具袋に手を当てた。
墨壺と差し金。
親父の形見。
「……親父」
匠は、呟いた。
「俺、異世界に来たぜ。信じられるか?」
返事はない。当たり前だ。
「でも、やることは同じだった。建物を直して、人を守る。それだけだ」
月の光が、匠の顔を照らしている。
「俺は不器用だから、それしかできない。だから——やり続ける」
匠は、目を閉じた。
そして、眠りに落ちた。




