第20章 対決
帝国軍の陣地は、混乱の渦中にあった。
王国軍の突撃により、戦線は崩壊しつつある。帝国兵たちが逃げ惑い、あちこちで戦闘が起きている。
その中を、匠は走っていた。
目指すは、陣地の中央にある大きな天幕。
蛭間が、そこにいるはずだ。
「……いたな」
天幕の前に、一人の男が立っていた。
四十代半ば。痩せぎすの身体。苛立ったような目。
蛭間正臣。
「黒田か」
蛭間は、匠を見て、冷笑した。
「わざわざ、俺に会いに来たのか」
「ああ」
匠は、蛭間の前で立ち止まった。
「お前を——止めに来た」
「止める? 俺を?」
蛭間は、嘲るように笑った。
「お前に、何ができる」
「……」
「お前は、ただの大工だ。末端の、使い捨ての労働者。俺の下で、命令に従って動いていた駒の一つ」
「そうだな」
匠は、静かに答えた。
「俺は、ただの大工だ」
「だったら——」
「でも」
匠は、蛭間の目を見た。
「俺は——お前の建物を、全部壊した」
蛭間の顔から、笑みが消えた。
「攻城塔を、崩した。攻城槌を、焼いた。坑道を、埋めた。複合攻城機を、爆破した」
「……」
「お前の『最適解』を——俺の『丁寧な仕事』が、全部壊した」
沈黙が、二人の間に落ちた。
そして——
「……ふざけるな」
蛭間の声は、低く、冷たかった。
「お前が、俺に勝ったと? ただの偶然だ。運が良かっただけだ」
「偶然じゃない」
匠は、首を横に振った。
「お前の設計には——欠陥がある」
「欠陥だと?」
「ああ。お前は——『人』を考えていない」
「……何?」
「お前の建物は、確かに効率的だ。無駄がない。最適化されている」
匠は、蛭間を見た。
「でも——そこに『人』がいない」
「人?」
「建物は——人が使うものだ。住む人、守る人、働く人。彼らのことを考えて、作らなければならない」
「馬鹿な」
蛭間は、吐き捨てた。
「人間など、変数に過ぎない。最適化の対象でしかない」
「だから——お前は、負けたんだ」
匠の声は、静かだった。
「俺の城には——人がいる。弟子たちがいる。リーネがいる。守備兵がいる。彼らが、城を守っている」
「……」
「お前の機械には——人がいなかった。効率だけがあった。だから——崩れた」
蛭間は、しばらく黙っていた。
その目に、怒りの炎が燃えていた。
「……黙れ」
低い声で、蛭間は言った。
「黙れ、黒田。お前に——何が分かる」
「分かるさ」
「分かるものか!」
蛭間が、叫んだ。
「俺は——ずっと、効率を追い求めてきた! 無駄を省き、最適化し、結果を出してきた! それが——俺の価値だ!」
「……」
「『人のため』だと? 甘いことを言うな! 建築は、目的を達成するための手段だ! 人間の感情など、入り込む余地はない!」
蛭間は、腰から何かを取り出した。
石板——「最適解の石板」だ。
「この力があれば——俺は、何でも壊せる。お前の城も、お前自身も」
蛭間が、石板を掲げた。
光が、石板から放たれる。
「見せてやる——俺の『最適解』を!」
石板の光が、周囲を照らした。
その光の中に、情報が流れている。
匠の身体の構造。弱点。最適な攻撃方法。
「お前の弱点が——見えた」
蛭間は、冷笑した。
「心臓の位置。骨の配置。筋肉の動き。全てが——分かる」
「……」
「お前を殺すのに、最も効率的な方法は——」
蛭間が、懐から短剣を取り出した。
「——ここを、刺すことだ」
蛭間が、突進してきた。
短剣が、匠の胸に向かって突き出される。
だが——
「遅い」
匠は、横に跳んだ。
短剣が、空を切った。
「なっ——」
「お前の動きも——俺には、見えている」
匠は、「神匠の指金」を構えた。
「俺の『指金』は——構造を見る力だ。建物だけじゃない。人間の身体も——見える」
「……!」
「お前の次の動き。重心の移動。筋肉の収縮。全てが——分かる」
蛭間の顔が、歪んだ。
「だったら——」
再び、蛭間が突進してきた。
今度は、より速く。より鋭く。
だが——匠は、再び躱した。
「無駄だ」
匠は、静かに言った。
「お前と俺は——同じ力を持っている。どちらかが一方的に勝つことは、ない」
「くそ——!」
蛭間が、短剣を振り回す。
匠は、それを全て躱した。
一撃、また一撃。
二人の戦いは、まるで踊りのようだった。
攻撃と回避。予測と対応。
どちらも、相手の動きを完全に読んでいた。
そして——
「……膠着状態か」
蛭間が、息を切らしながら言った。
「お前を殺せない。だが、お前も——俺を倒せない」
「ああ」
匠は、頷いた。
「だから——別の方法で、決着をつける」
「別の方法?」
「建築で、だ」
匠は、周囲を見回した。
天幕の周囲には、帝国軍の陣地が広がっている。物資の山、武器の倉庫、兵舎——
「この陣地を——俺が、先に崩す」
「何?」
「お前が——俺を殺すより早く。俺が——この陣地を、崩壊させる」
匠の目が、光った。
「さあ——勝負だ、蛭間」
匠は、走り出した。
蛭間が、追いかけてくる。
「逃げるのか!」
「逃げてない」
匠は、物資の山に向かって走っていた。
「指金」で、構造を分析する。
——物資の積み方。バランス。崩れやすい点。
「ここだ」
匠は、山の一角を蹴った。
バランスが崩れる。物資の山が、雪崩を起こす。
「くっ——!」
蛭間が、後退した。
匠は、その隙に、次の目標に向かった。
武器の倉庫。
「指金」で、構造を分析する。
——柱の位置。耐荷重。崩壊点。
「ここを——」
匠は、倉庫の柱を、道具で叩いた。
一撃、二撃、三撃——
柱が、折れた。
倉庫が、崩れ始める。
「黒田——!」
蛭間が、追いついてきた。
「お前——何をする気だ——!」
「言っただろう」
匠は、振り返った。
「この陣地を——崩す」
そして——次の目標に向かって、走り出した。
匠と蛭間の追走劇は、帝国軍の陣地全体を巻き込んでいった。
匠が走るところ、建物が崩れる。
物資が落ち、倉庫が倒れ、兵舎が崩壊する。
「黒田——! 止まれ——!」
蛭間が、叫んでいた。
だが、匠は止まらなかった。
一本一本、丁寧に。
いや、今は——
一撃一撃、的確に。
「指金」が示す弱点を、正確に突いていく。
蛭間の「石板」は、「最適な攻撃方法」を示す。
匠の「指金」は、「最適な崩壊点」を示す。
同じ力。だが、使い方が違う。
蛭間は——「壊す」ために使っている。
匠は——「守る」ために使っている。
そして今、匠は——「守る」ために、「壊して」いた。
敵の陣地を壊すことで、味方の城を守る。
それが——匠の選んだ、戦い方だった。
陣地の中央。
最後の目標が、そこにあった。
蛭間の天幕。
その下には——大量の火薬が蓄えられていた。
「指金」で、匠はそれを見つけていた。
「ここを——壊せば」
「待て——!」
蛭間が、追いついてきた。
息を切らし、汗だくになっている。
「そこには——火薬がある! 爆発したら——」
「ああ」
匠は、頷いた。
「この陣地が——吹き飛ぶ」
「お前も——巻き込まれるぞ——!」
「かもな」
匠は、蛭間を見た。
「でも——お前も、一緒だ」
蛭間の顔が、青ざめた。
「狂っているのか——!」
「かもな」
匠は、微笑んだ。
「でも——これが、俺の『丁寧な仕事』だ」
匠は、天幕の支柱に手を当てた。
「さよなら、蛭間」
そして——
匠は、支柱を、押した。




