第15章 二人の建築師
帝国軍陣地。
蛭間正臣は、自らの天幕の中で、設計図と向き合っていた。
羊皮紙の上には、複雑な構造物の図面が描かれている。攻城兵器——それも、これまでにない新しい形式のものだ。
「……ふん」
蛭間は、鼻を鳴らした。
前回の攻撃は、失敗に終わった。攻城塔は崩壊し、攻城槌は焼かれ、坑道は崩落させられた。
全て——あの男のせいだ。
黒田匠。
あの、冴えない大工。
「なぜだ……」
蛭間は、設計図を睨みながら呟いた。
「なぜ、あいつが俺の邪魔をする」
現実世界では、匠は自分の部下だった。下請けの、末端の職人。命令すれば従う、取るに足らない存在だったはずだ。
それが——
「この世界でも、俺の前に立ちはだかるのか」
蛭間の拳が、机を叩いた。
蛭間正臣が、この異世界——エルドガルドに転生したのは、匠と同じ事故がきっかけだった。
あの日、足場が崩落した時。
蛭間は、下で指示を出していた。
崩れてくる足場と、落下する匠。それを見上げた瞬間、鉄パイプが蛭間の頭部を直撃した。
そして——気がついた時、蛭間は別の場所にいた。
白い空間。
そこに現れたのは、匠が出会った「ファブリカ」とは別の存在だった。
「破壊神マルカス」——建築物を壊すことを司る神。
「お前に、力を与えよう」
マルカスは、蛭間にそう告げた。
「『最適解の石板』——あらゆる建築物の『最も効率的な攻略法』が分かる能力だ」
「攻略法?」
「そうだ。どこを攻撃すれば崩れるか、どこが弱点か——全てが、お前の目に映るようになる」
蛭間は、その力を受け入れた。
迷いはなかった。
力があれば、何でもできる。効率よく、合理的に、目的を達成できる。
それが、蛭間の信条だったからだ。
蛭間は、ヴァルム帝国の首都に転生した。
最初は、路頭に迷った。言葉も通じず、文化も分からない異世界で、蛭間は途方に暮れた。
だが、彼は「最適解の石板」を持っていた。
建物を見れば、その弱点が分かる。どこを壊せば崩れるか、どこに力を加えれば倒れるか——全てが「見える」のだ。
蛭間は、その能力を使って、帝国の建築士ギルドに取り入った。
「この建物、ここに欠陥がある」
「この橋、あと三年で崩れる」
「この城壁、ここを攻撃すれば落ちる」
蛭間の指摘は、常に正確だった。
やがて、蛭間の名声は帝国中に広まった。皇帝の耳にも届き、宮廷建築士として召し抱えられることになった。
帝国が王国への侵攻を開始した時、蛭間は攻城兵器の設計を任された。
「お前の能力を使え」
皇帝は、蛭間に命じた。
「王国の城を、全て落とせ」
「……承知しました」
蛭間は、頷いた。
そして——攻城塔を設計した。坑道戦を立案した。攻城槌を作らせた。
全て、「最適解の石板」が示す、最も効率的な方法で。
だが——全て、失敗した。
要塞「ガルムの牙」は、落ちなかった。
「黒田匠……」
蛭間は、その名を噛み締めた。
「お前が、俺の邪魔をしているのか」
蛭間は、捕虜から情報を得ていた。
王国側に、「建築聖人」と呼ばれる男がいること。
その男が、異国から来た大工であること。
そして——その男の名が、「クロダ・タクミ」であること。
「……やはり、お前か」
蛭間は、設計図を見つめた。
匠。あの、不器用な大工。
現実世界では、蛭間は匠を見下していた。仕事が遅い。効率が悪い。いちいちこだわりすぎる。そんな奴は、現場には要らない。
だから——あの日も、安全帯を外させた。
「早くしろ」と怒鳴った。
「代わりはいくらでもいる」と脅した。
そして——匠は、落ちた。
自分も、落ちた。
二人とも、この世界に来た。
「因縁、か……」
蛭間は、冷笑した。
「面白い。今度こそ、お前を叩き潰してやる」
蛭間は、新しい兵器の設計を完成させた。
「複合攻城機」——攻城塔、攻城槌、盾壁を一体化した、究極の攻城兵器。
移動しながら城壁に接近し、槌で門を叩き、塔から兵士を送り込む。しかも、外装は鉄板で覆われており、火矢も効かない。
「これなら——」
蛭間は、設計図を見下ろした。
「——あいつにも、勝てる」
天幕の外から、声がかかった。
「蛭間殿、将軍がお呼びです」
「分かった」
蛭間は、設計図を丸めて立ち上がった。
将軍の天幕へ向かう。
帝国軍の将軍——ヴァルク・ガイゼルは、五十代の老練な軍人だった。
「蛭間。新しい兵器の準備は、どうなっている」
「完成しました。あとは、組み立てるだけです」
「どれくらいかかる」
「三日。いや、二日で」
将軍は、頷いた。
「よし。完成次第、総攻撃を開始する」
「承知しました」
蛭間は、一礼して天幕を出た。
外は、夜だった。
空には、二つの月が浮かんでいる。
蛭間は、南の方角を見た。
あの向こうに、要塞がある。匠がいる。
「黒田……」
蛭間は、呟いた。
「お前の『丁寧な仕事』とやらが、どこまで通用するか——見せてもらうぞ」
蛭間の目には、冷たい光が宿っていた。
三日後。
「複合攻城機」が、完成した。
高さ十五メートル、幅十メートル、長さ二十メートルの巨大な構造物。
木と鉄で作られた、移動する要塞。
「……見事だ」
将軍が、その巨体を見上げて言った。
「これなら、あの城も落ちるだろう」
「必ず落とします」
蛭間は、自信に満ちた声で答えた。
「この機械には、弱点がない。どこを攻撃されても、致命傷にはならない」
「お前の能力で、確認したのか」
「はい。『最適解の石板』で、全ての構造を最適化しました」
将軍は、満足げに頷いた。
「よし。明朝、進軍を開始する。全軍に伝えろ」
「承知しました」
蛭間は、一礼した。
そして——「複合攻城機」を見上げた。
これが、自分の最高傑作だ。
効率の結晶。合理性の塊。無駄を全て削ぎ落とした、純粋な破壊の機械。
「黒田……」
蛭間は、呟いた。
「お前の城は、明日には瓦礫になる」
その頃、要塞「ガルムの牙」では——
「師匠! 大変です!」
ガルドが、匠のもとに駆け込んできた。
「どうした」
「斥候の報告です! 帝国軍が、新しい兵器を完成させたそうです!」
匠は、立ち上がった。
「詳しく聞かせろ」
「巨大な……何というか、城みたいな機械だそうです。動いて、攻撃できる城」
「……複合攻城機、か」
匠は、「指金」を発動させた。
北の方角を見る。
見えた。
巨大な構造物。木と鉄で作られた、移動する要塞。
「……蛭間」
匠は、呟いた。
「お前、また新しいものを作ったな」
「指金」が、構造を分析する。
——構造分析:複合型攻城兵器。攻城塔、攻城槌、盾壁の機能を統合。外装は鉄板で覆われ、火攻めに耐性あり。弱点:……分析不能。設計が最適化されすぎており、明確な弱点が存在しない。
弱点が——ない。
「……厄介だな」
匠は、眉をひそめた。
蛭間の「最適解の石板」は、弱点を排除する能力だ。
自分の「神匠の指金」は、弱点を見つける能力だ。
弱点がなければ——見つけようがない。
「どうしますか、師匠」
ガルドが、不安そうに訊いた。
「……考える」
匠は、城壁を見上げた。
「弱点がないなら——弱点を作る」
「作る?」
「ああ。敵の機械に、弱点を作る方法を——考える」
匠は、天幕に向かった。
図面を広げ、計算を始めた。
敵の構造。自分たちの構造。両方を比較し、分析する。
弱点がない機械——
だが、「弱点がない」ということは、「余裕がない」ということでもある。
全てが最適化されているということは、想定外の状況に対応する余地がない、ということだ。
「……そうか」
匠の目が、光った。
「想定外を——作ればいい」




