第11章 設計開始
攻城塔崩壊から三日が過ぎた。
要塞「ガルムの牙」には、束の間の平和が訪れていた。帝国軍は撤退し、北の地平線に篝火の光は見えるものの、新たな攻撃の気配はなかった。
だが、匠には分かっていた。
これは嵐の前の静けさに過ぎない。
「損害報告だ」
守備隊長が、匠のもとに来た。
「死者十二名。負傷者三十一名。城壁の損傷は、北東角が最も深刻だ」
「……そうか」
匠は、城壁を見上げた。
攻城塔との戦闘で、城壁の一部が崩れていた。石材が散乱し、防御の穴が開いている。
「すぐに修復に取り掛かる」
「頼んだ」
守備隊長が去ると、匠は弟子たちを集めた。
「これから、城壁の修復作業を始める。ガルド、お前は石工チームを率いて北東角へ。ドルゴ、お前は木材の調達だ」
「分かりました、師匠」
弟子たちが散っていく。
匠は、一人で城壁の損傷箇所に向かった。
「指金」を発動させる。
視界が変わる。崩れた城壁の構造が、透視されたように見える。
——損傷分析:表層の石積みが崩壊。内部の充填材が露出。基礎部分は無事。修復には、石材約三百個、モルタル約五トン、作業日数推定七日。
七日。
長いようで、短い。
帝国軍が次の攻撃を仕掛けてくるまでに、間に合うかどうか。
「……急ぐしかない」
匠は、作業を開始した。
修復作業は、昼夜を問わず続けられた。
匠は、弟子たちに細かく指示を出しながら、自らも手を動かした。
「この石は、ここに置け。向きはこっちだ」
「はい」
ガルドが、石材を運んでくる。
「師匠、この石、少し欠けていますが……」
「使える。欠けた部分は、モルタルで埋める」
匠は、石材を受け取り、所定の位置に置いた。
石を積む。モルタルを塗る。また石を積む。
単純な作業の繰り返し。だが、その一つ一つが、城の強度を決める。
「師匠」
リーネが、水を持ってきた。
「少し休め。顔色が悪いぞ」
「……大丈夫だ」
「大丈夫じゃないから言っている」
リーネは、匠の手から道具を取り上げた。
「ここは弟子たちに任せろ。お前が倒れたら、工事が止まる」
「……」
匠は、反論しようとしたが、やめた。
リーネの言う通りだった。自分が倒れたら、全てが止まる。
「分かった。少しだけ休む」
匠は、城壁の傍に座り込んだ。
水を飲む。喉が、砂漠のように乾いていた。
「お前、いつから寝ていない?」
「……覚えていない」
「馬鹿」
リーネは、溜息をついた。
「お前は、本当に——」
「変わった奴だろ。分かってる」
「それは褒め言葉じゃないぞ」
匠は、ほんの少しだけ笑った。
「でも、やるしかないんだ。俺にはこれしかできないから」
リーネは、匠の隣に座った。
「……私にも、何か手伝えることはないか」
「お前は、十分やってる」
「そうは思えない。私は、戦えない。建築もできない。ただ見ているだけだ」
リーネの声には、苦さがあった。
匠は、彼女を見た。
「お前がいなければ、俺はとっくに倒れていた」
「……」
「水を持ってきてくれる。飯を用意してくれる。弟子たちの世話をしてくれる。それがなければ、工事は回らない」
匠は、空を見上げた。
「大工は、一人じゃ何もできないんだ。木を切る奴、運ぶ奴、組む奴——みんながいて、初めて建物ができる」
「……」
「お前は、その中の一人だ。欠かせない一人だ」
リーネは、しばらく黙っていた。
そして——
「……ありがとう」
小さく、呟いた。
匠は、何も答えなかった。
ただ、空を見上げていた。
二つの月が、夕暮れの空に浮かび始めていた。
修復作業が進む中、匠は同時に、要塞全体の構造を見直していた。
「指金」を使い、隅々まで調査する。どこが弱いか、どこを補強すべきか、全てを把握する。
その結果、深刻な問題が判明した。
「この要塞……地下が空洞だらけだ」
匠は、守備隊長に報告した。
「空洞?」
「ああ。もともと、この土地は石灰 ite層の上に建っている。石灰岩は、水に溶けやすい。長い年月をかけて、地下に空洞ができている」
「それが、何か問題なのか」
「大問題だ」
匠は、図面を広げた。
「この空洞が崩れれば、城壁が沈む。最悪、要塞全体が崩壊する可能性がある」
守備隊長の顔色が変わった。
「それは……どうすれば防げる」
「空洞を埋めるか、補強するしかない。だが、そのためには——」
匠は、言葉を切った。
「——時間が、足りない」
沈黙が、部屋に落ちた。
「……どうする」
「優先順位をつける」
匠は、図面を指差した。
「この空洞は、城壁の直下にある。崩れれば、城壁が落ちる。だから、ここを最優先で補強する」
「他の場所は?」
「後回しだ。全部はできない」
守備隊長は、しばらく考え込んでいた。
「……分かった。お前に任せる」
匠は、頷いた。
そして、新たな作業計画を練り始めた。
地下の補強作業は、困難を極めた。
暗い、狭い、危険——三拍子揃った最悪の現場だ。
匠は、自ら地下に潜った。
「師匠、俺がやります」
ガルドが、志願した。
「お前には、上の作業を任せる。地下は、俺がやる」
「でも——」
「これは、経験がないと難しい」
匠は、松明を手に、地下へ降りていった。
空洞は、想像以上に広かった。高さ三メートル、幅五メートル、奥行きは分からない。闘は、その暗闚の中に消えていく。
「……これは、厄介だな」
匠は、「指金」を発動させた。
空洞の構造が、透視される。
——空洞分析:天然の石灰岩洞窟。形成年代推定数万年。内部に地下水脈あり。天井部に亀裂多数。崩落リスク:高。
崩落リスク:高。
つまり、いつ崩れてもおかしくない。
「支保工を入れるしかない」
支保工——トンネルや坑道を支えるための構造物だ。日本では、炭鉱やトンネル工事で使われる。
匠は、木材を使って支保工を組み始めた。
柱を立て、梁を渡し、天井を支える。
単純な構造だが、正確に組まなければ意味がない。
「一本一本、丁寧に……」
匠は、呟きながら作業を続けた。
地下は、寒い。湿気が多い。松明の明かりは、わずかな範囲しか照らさない。
腰が痛い。肩が痛い。指先が痺れている。
だが、手は止めなかった。
何時間——いや、何日が過ぎただろうか。
匠は、時間の感覚を失っていた。ただ、目の前の作業だけに集中していた。
「師匠!」
ガルドの声が、地上から響いてきた。
「何だ!」
「帝国軍が、また動き出しました!」
匠の手が、止まった。
「……何だと」
「斥候の報告です! 帝国軍が、新たな動きを見せているそうです!」
匠は、地下から這い上がった。
地上に出ると、太陽が眩しかった。どれくらい地下にいたのか、分からない。
「詳しく聞かせろ」
「北から、大量の土砂が運ばれているそうです。何かを掘っているようだと」
掘っている。
その言葉に、匠の背筋が冷たくなった。
「……坑道だ」
「坑道?」
「地下トンネルだ。地下を掘って、城壁の下まで進み、そこで崩落させる。古代からある攻城戦術だ」
ガルドの顔色が変わった。
「それは……防げるんですか」
「防げる。防がなければならない」
匠は、北の方角を見た。
蛭間。
また、お前の仕業か。
「対坑道を掘る」
匠は、宣言した。
「こちらも地下を掘り、敵の坑道を見つけて崩落させる。それしか方法がない」
対坑道作戦が、始まった。
匠は、「指金」を使って敵の坑道の位置を探った。
「……見つけた」
地下約五メートルの深さに、人工的な空洞が延びている。城壁に向かって、真っ直ぐに。
「ここから掘り始める」
匠は、城壁の内側の地点を指差した。
「斜めに掘り下げて、敵の坑道にぶつける」
「了解しました」
弟子たちが、作業を開始した。
スコップ、ツルハシ、バケツ——原始的な道具しかない。機械などない世界だ。全て、人力でやるしかない。
掘削は、昼夜を問わず続けられた。
一人が疲れたら、次の者が代わる。二十四時間、休みなく。
匠も、自ら穴に入った。
「師匠、休んでください」
ガルドが、心配そうに言った。
「俺は大丈夫だ」
「大丈夫じゃないです。顔色が——」
「いいから、続けるぞ」
匠は、ツルハシを振り上げた。
土に打ち込む。また振り上げる。また打ち込む。
腰が悲鳴を上げている。肩が悲鳴を上げている。全身が悲鳴を上げている。
だが、止まれない。
敵の坑道が完成したら、城壁が崩れる。城壁が崩れたら、要塞が落ちる。要塞が落ちたら、多くの人が死ぬ。
だから、止まれない。
三日目。
ついに、敵の坑道に到達した。
「見えました! 向こうの坑道が!」
先頭を掘っていた弟子が、叫んだ。
匠は、急いで穴に入った。
確かに、向こう側に別の坑道が見えた。松明の明かりが、漏れている。
「……来るぞ」
匠は、呟いた。
次の瞬間——
敵の坑道から、帝国兵が飛び出してきた。
地下での戦闘が、始まった。
坑道内での戦いは、凄惨を極めた。
狭い空間、暗い視界、足元は泥。剣を振るう余地もほとんどない。
「押し返せ!」
ボルクが、先頭に立って戦っていた。
匠は、戦闘には参加しなかった。代わりに、別の作業をしていた。
「ガルド! 火薬を持ってこい!」
「火薬?」
「あるはずだ! 王都から運んできた物資の中に!」
ガルドが、走っていった。
匠は、坑道の壁を調べた。
「指金」が、構造を分析する。
——構造分析:土壁。強度低。適切な箇所に衝撃を与えれば、崩落可能。
崩落させる。
敵の坑道を、崩落させる。
それが、匠の作戦だった。
「持ってきました!」
ガルドが、火薬の樽を運んできた。
「よし。ここに設置する」
匠は、敵の坑道との接続部近くに、火薬を置いた。
「全員、撤退しろ!」
ボルクが、叫んだ。
味方の兵士たちが、坑道から這い出ていく。
敵兵たちは、何が起こるか分からず、追撃を続けようとした。
「点火!」
匠が、導火線に火をつけた。
そして、走った。
坑道から飛び出し、地上に転がり出る。
次の瞬間——
轟音。
大地が揺れた。
坑道が、崩落した。
土煙が、穴から吹き上がってくる。
「……成功したか」
匠は、息を切らしながら、穴を見た。
崩落した坑道の向こうで、敵兵の悲鳴が聞こえた。生き埋めになった者もいるだろう。
「……すまん」
匠は、呟いた。
戦争だ。殺さなければ、殺される。
だが、それでも——人を殺すことには、慣れない。
「師匠」
ガルドが、傍に来た。
「大丈夫ですか」
「……ああ。大丈夫だ」
匠は、立ち上がった。
足が震えている。疲労か、恐怖か、分からない。
「次は、何をすればいいですか」
「……坑道の入り口を塞ぐ。敵が、また掘ってこられないように」
「分かりました」
弟子たちが、作業に取りかかった。
匠は、北の空を見た。
蛭間。
お前の策は、また一つ潰した。
だが、これで終わりではないだろう。
お前は、必ず次の手を打ってくる。
「……次は、何だ」
匠は、呟いた。
夜空には、二つの月が浮かんでいた。
戦いは、まだ終わらない。




