第10章 北へ
攻城塔が、ついに姿を現した。
要塞から北へ約五キロ。帝国軍の陣地の中央に、巨大な木造の構造物がそびえ立っている。
高さは、優に十五メートルを超える。城壁の高さをはるかに凌駕し、頂上には展開可能な橋が設置されている。
「あれが攻城塔か……」
ボルクが、望遠鏡を手に呟いた。
「でかいな。あんなものに攻め込まれたら、ひとたまりもない」
匠は、「指金」を発動させた。
視界が変わる。攻城塔の構造が、透視されたように見える。
——構造分析:木造多層構造。基部に車輪あり、移動可能。各層に矢狭間(射撃用の穴)あり。頂上に展開式の橋梁を装備。
——強度:極めて高い。通常の攻撃では破壊困難。
——設計思想:効率最優先。装飾なし。純粋に機能のみを追求。
間違いない。
蛭間の設計だ。
「……あいつ、相変わらずだな」
匠は、呟いた。
「何か分かったか?」
ボルクが訊いた。
「ああ。あれは——完璧な設計だ」
「完璧?」
「弱点がない。どこを攻撃しても、致命傷にはならない。構造が冗長になっていて、一部が壊れても全体は崩れない」
匠は、攻城塔を見つめた。
「蛭間の——敵の建築師の、得意技だ」
「じゃあ、どうやって防ぐ?」
「……考える」
匠は、城壁に背を向けた。
「時間がいる。俺に、一日をくれ」
匠は、自室に籠もって考え続けた。
図面を広げ、計算をし、シミュレーションを繰り返す。
攻城塔の構造は、確かに完璧だった。正面から攻撃しても、効果は薄い。
だが——
「完璧な設計には、完璧な弱点がある」
匠は、呟いた。
それは、父から教わったことだった。
「完璧を目指すほど、設計は硬直する。想定外の状況に対応できなくなる」
攻城塔は、城壁に接近し、橋を展開することを想定している。平坦な地形を、まっすぐ進むことを前提としている。
では——
「地形を変えればいい」
匠の頭の中で、計画が形になり始めた。
「城壁の前の地形を、わざと不安定にする。攻城塔が乗り上げた瞬間に、地盤が崩れるようにする」
罠だ。
攻城塔を誘導し、地盤の弱い場所に誘い込む。そして、重さに耐えきれなくなった地盤が崩れ、攻城塔が傾く。
「傾いた塔は、自重で崩壊する」
匠は、図面に線を引いた。
計画が、完成した。
翌朝、匠は全員を集めた。
「これから、城壁の前に罠を仕掛ける」
図面を広げ、説明を始めた。
「まず、ここからここまでの地面を掘り返す。深さは五十センチほどでいい」
「掘り返す?」
ガルドが、首を傾げた。
「何のために?」
「地盤を弱くするためだ」
匠は、攻城塔の絵を指差した。
「あの塔は、重い。推定で数十トンはある。それを支えるには、固い地盤が必要だ」
「だから、地盤を崩す?」
「そうだ。掘り返した土は、軽く埋め戻す。見た目は普通だが、重いものが乗ると——」
「沈む」
ボルクが、理解した。
「攻城塔が、沈むわけか」
「ただ沈むだけじゃない」
匠は、別の図を描いた。
「地面を、傾斜するように掘る。攻城塔が乗り上げると、片側だけが沈み、塔全体が傾く」
「傾いた塔は……」
「自重で崩壊する。高い建物ほど、傾きに弱い。これは、基本中の基本だ」
匠は、図面から顔を上げた。
「問題は、攻城塔を正確にこの場所に誘導することだ。そのために——」
匠は、城壁の一角を指差した。
「——あそこの壁を、わざと弱くする」
「わざと弱く?」
「そうだ。敵は、弱い場所を狙ってくる。だから、こちらが弱い場所を『見せる』」
リーネが、眉をひそめた。
「危険ではないか? 本当に攻め込まれたら——」
「攻め込まれる前に、攻城塔を倒す」
匠の声には、確信があった。
「俺を信じてくれ」
作業が始まった。
弟子たちが、城壁の前の地面を掘り返す。石工たちが、城壁の一部を意図的に弱める。
「こんなことをして、本当に大丈夫なのか……」
守備隊長が、不安そうに見ていた。
「大丈夫です」
匠は、断言した。
「俺が、保証する」
作業は、三日で完了した。
城壁の前には、一見すると普通の地面が広がっている。だが、その下には、罠が仕掛けられていた。
「さあ、あとは——」
匠は、北を見た。
「——敵が来るのを待つだけだ」
待つこと、二日。
帝国軍が、動き出した。
「敵襲! 攻城塔が来る!」
見張りの声が、要塞中に響き渡った。
匠は、城壁の上に立った。
北から、攻城塔がゆっくりと近づいてくる。その周囲を、無数の兵士が取り囲んでいる。帝国軍の総攻撃だ。
「全員、配置につけ!」
守備隊長が、命じた。
弓兵たちが、城壁に並ぶ。歩兵たちが、門の内側で待機する。
匠は、攻城塔を見つめていた。
「……来い」
心の中で、呟いた。
「俺の罠に、かかれ」
攻城塔が、城壁に接近する。二百メートル、百メートル、五十メートル——
「弱い場所を狙っている」
ボルクが、報告した。
「予想通りだ」
匠は、頷いた。
攻城塔は、匠が意図的に弱くした城壁の一角に向かっている。
四十メートル、三十メートル——
そして、攻城塔が、罠の上に乗り上げた。
「今だ!」
匠が、叫んだ。
だが、何も起きなかった。
攻城塔は、そのまま進んでいく。地盤は——崩れない。
「なぜだ……?」
匠は、目を見開いた。
計算通りなら、この重さに地盤は耐えられないはずだ。
だが、攻城塔は、何事もなかったかのように進んでいく。
「……まさか」
匠の脳裏に、一つの可能性が浮かんだ。
蛭間だ。
蛭間が、この罠を予想していたのではないか。
攻城塔の設計を変更し、重量を分散させたのではないか。
「あいつ……!」
匠は、拳を握りしめた。
蛭間は、匠の手の内を読んでいた。
攻城塔が、城壁に到達する。
展開式の橋が、城壁に向かって伸びていく。
「迎撃準備!」
守備隊長が、叫んだ。
帝国軍の兵士たちが、橋を渡って城壁に殺到する。
戦闘が、始まった。
戦いは、激烈を極めた。
城壁の上で、王国軍と帝国軍がぶつかり合う。剣と剣が交わり、悲鳴と怒号が飛び交う。
匠は、戦闘には参加しなかった。
その代わり、防御施設の維持に専念した。
「ガルド! あの柵が倒れそうだ! 補強しろ!」
「はい、師匠!」
「ドルゴ! 門の蝶番が外れかけている! 支えを入れろ!」
「了解!」
弟子たちが、匠の指示に従って走り回る。
戦いながら、直す。
それが、大工にできる戦い方だった。
しかし、状況は悪化していた。
攻城塔からの兵士の流入は、止まらない。城壁の守備兵は、次々と倒れていく。
「このままでは、持たない……!」
守備隊長が、叫んだ。
匠は、攻城塔を見上げた。
巨大な木造の構造物。蛭間の設計した、完璧な兵器。
「……何か、方法があるはずだ」
匠は、「指金」を発動させた。
攻城塔の構造が、透視される。
柱、梁、接合部、車輪——全ての構造が、匠の目に映る。
そして——
「……見つけた」
匠は、呟いた。
攻城塔の車輪。そこに、わずかな歪みがあった。
匠の罠は、完全には失敗していなかった。地盤の変形が、車輪に負担をかけていた。
今は、まだ持っている。だが——
「あと少し、負荷をかければ……」
匠は、周囲を見回した。
「ボルク!」
「何だ!」
「お前の部隊で、攻城塔の車輪に攻撃できるか!」
「車輪?」
「ああ! あそこだ! あの車輪を破壊しろ!」
ボルクは、一瞬戸惑った表情を見せたが、すぐに頷いた。
「分かった! やってみる!」
ボルクが、部下を率いて城壁を降りた。
匠は、祈るような思いで見守った。
ボルクの部隊が、攻城塔の足元に接近する。帝国軍の兵士と交戦しながら、車輪に向かっていく。
「もう少しだ……」
ボルクが、斧を振りかぶった。
そして——車輪に、渾身の一撃を叩き込んだ。
木が砕ける音がした。
車輪が、崩壊した。
攻城塔が、ぐらりと傾いた。
「……よし!」
匠は、叫んだ。
傾いた攻城塔は、バランスを失った。巨大な木造構造物が、ゆっくりと——しかし確実に——横倒しになっていく。
轟音。
土煙。
攻城塔が、崩壊した。
城壁の上の帝国兵たちが、動揺する。援軍の経路が絶たれたことを、理解したのだ。
「今だ! 反撃しろ!」
守備隊長が、命じた。
王国軍が、一斉に反撃に転じた。
帝国兵たちは、崩れた攻城塔を見て、戦意を失った。次々と後退し始める。
「追撃するか?」
ボルクが、城壁に戻ってきて訊いた。
「いや、深追いはするな」
匠が、答えた。
「今は、これでいい」
帝国軍は、撤退していった。
要塞には、血と硝煙の匂いが漂っていた。だが——
「……守り切った」
匠は、崩れた攻城塔を見下ろしながら、呟いた。
蛭間の設計した兵器を、打ち破った。
だが、これで終わりではない。
蛭間は、必ず次の手を打ってくる。
「……次は、何を仕掛けてくるんだ」
匠は、北の空を見つめた。
戦いは、まだ始まったばかりだった。




