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最後の晩餐を  作者: あやさと六花


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7話 手に入れた毒薬

 シリルは目を見開いた。マノンの問いが、予想していたものと違っていたからだろう。


「お姉様とのことでしたら、疑ってはおりません。あなたのお姉様への愛は本物でしたから」


 マノンは恋する人間の顔を知っている。デボラを見るシリルの目にあったのは間違いなく愛だった。

 そして、彼は今もデボラを想っている。


「だからこそ……私は知りたいのです。あなたが、リシャール様のことをどこまでご存知なのか」


 リシャールは長い間存在を隠され、数年前突然社交界に現れた。大抵の者はそこで初めて彼の存在を知った。

 フォートナム家はそんなリシャールと親族だという。なら、彼の正体を知っていてもおかしくはない。


 シリルはマノンの追求に苦笑を漏らし、声をひそめて答えた。

 車輪の音で聞き取りにくくはあったが、かろうじてマノンの耳に届く。


「君の予想している通り、俺はあいつのことを良く知っているよ。正体も、その恐ろしさもね」

「知っていて、お姉様に会わせていたのですか?」


 デボラは吸血鬼の好む容姿をしている。会わせれば、狙われるに決まっているのに。

 なぜ、愛する女にそんなことができたのか。


「……わかってるさ、自分がしたことがどれほど残酷なことだったかくらい。でも、そうするしかなかったんだよ。それがフォートナム家に生まれた者の勤めだから」


 シリルはため息をつきながら、語り始める。

 不老不死である吸血鬼は長期間、同じところには留まれない。数年ほど社交界で過ごした後は、他の国や都市の社交界に顔を出す。

 各国や都市に、吸血鬼が社交界に出るために手助けをする家がある。フォートナム家もそのうちのひとつだ。


「助ける代わりに、一族に繁栄をもたらしてくれる。うちの家が栄えたのも彼のおかげなんだ」

「だから、お姉さまを生贄として差し出したと?」

「……ああ」


 マノンは今すぐこの男の頬を引っ叩いてやりたいと衝動に駆られた。姉の純真を踏み躙ったこの男が許せなかった。

 けれど、拳を強く握りしめて怒りを抑える。一時の感情で動いてはならない。


 なにより、この男の思惑に乗るのは嫌だった。


 シリルがわざわざ侍女を退けてまでマノンと話をしようとしたのも、家の重大な秘密を話しているのも、デボラやマノンに罪悪感があるからだ。

 マノンに怒りをぶつけてもらって、少しでも楽になりたいのだろう。

 それは許せない。


 シリルは怒りを抑え込むマノンにフクザツな表情を浮かべた。

 しばし逡巡した後、懐から一枚の紙片を取り出して、マノンに渡した。


「これは……」

「数代前の当主が残した、毒の製法だ。これを彼の口にするものに混ぜれば、君の願いは遂げられるはずだ」


 マノンは紙片に目を落とす。大分古いものではあるが、読むには支障がない。


「何故、これを?」

「彼の存在は諸刃の剣だから。家に栄光をもたらしてくれるが、危険も大きい。万一の時に消せるようにと、残していたんだ」

「お聞きしたいのはこのメモの存在理由ではなく……なぜ、これを私にくださったのですか?」


 シリルは「ああ、そっちか」と呟くと、目を伏せた。


「俺は定められてきたことは全て果たした。リシャールの世話もしてきたし、結婚して跡継ぎも作った。だから……もうしたいことをしていいのではないかと思って」


 ぽつりと呟く彼の瞳は、ひどく沈んでいた。


 シリルは家に従順な人だった。叔母が言うには幼い頃から親の言いつけを厳守してきたそうだし、マノンが知っている彼も貴族令息たる人だった。


 この毒を用いてマノンがリシャールを殺せば、シリルの家は今後恩恵を受けることはできなくなる。


 マノンはシリルの顔をじっと見つめた後、紙片を大事に鞄にしまった。


「君たちには申し訳ないことをした。……すまない」


 別れ際、シリルはそう言って去っていった。








 リシャールを殺す毒薬の製法を手に入れたが、なかなかその毒薬を使えずにいた。素人のマノンがうまく毒を作れるのか不安だったからだ。


 彼の口にするものに毒を入れるのはハードルが高い。お茶をする時には必ず執事がいるし、彼はお菓子の類を好まなかった。これまでマノンが持ってきた差し入れも、申し訳なさそうに断っていた。


 失敗は許されない。だから、確実に殺せる機会に毒を混入しなければいけない。 


 気がつけば、毒薬を手に入れてから数ヶ月が経っていた。

 午前中は令嬢教育や結婚準備、夕方頃にリシャールの屋敷で彼と共に過ごす。それがマノンにとって当たり前の日常となっていた。

 

「マノン嬢、最近はあまり庭に出られませんね」


 チェスの最中に放たれたリシャールの呟きに、マノンは顔を上げる。

 リシャールの言う通り、最近は室内で過ごすことが多く、庭にはほぼ出ていなかった。マノンが庭の散策を希望することはなかったし、リシャールから提案されてもやんわり断っていた。


「あれから執事に対策させましたから、蛇はもう出ないと思いますよ」

「……そうですね」


 リシャールはマノンが蛇を怖がって庭に出ないものだと勘違いしているようだ。

 マノンが庭に出なくなったのは出ても意味がないと理解したからなのに。


 リシャールは日光が苦手なようだが、致命傷を負うほどではない。怪我を負っても、すぐに執事が駆けつけ、治療を施すだろう。


 あの時のリシャールの怪我を思い出す。

 ひどい爛れだった。人ならば生存を危ぶまれるほどショッキングなもので、マノンの脳裏にも今もはっきり焼き付いているくらいだ。


「マノン嬢? どうされました?」


 リシャールの言葉に、はっとする。左手を強く握りしめていた右手を離す。

 マノンは何事もないように微笑んだ。


「いえ。……庭を見るのも好きですけど、リシャール様とゲームをしている方が楽しくて。それに……ほら、庭は雨が降ることもありますから」


 視線を向けた窓の外には雨雲が広がっており、ぽつりぽつりと雨が降り始めていた。

 この国はこうして小雨が降ることが日常茶飯事だ。リシャールも窓の外を見て、納得したように頷いた。


「しかし……この様子だと、しばらく降りそうですね」


 リシャールの言葉通り、雨は次第に激しさを増していった。

 ゴロゴロと響く音に、マノンの体が強張る。


 よりにもよって、リシャールといる時に雷が来るかもしれないなんて。


「リシャール様。雨も止む気配はありませんし、私はそろそろこれでーーっ」


 マノンが帰ろうとしたその時、大きな雷鳴が轟いた。

 マノンは恐れ慄いた。視界が暗くなり、ひどい眩暈がする。冷えた手先を握りしめた時、リシャールがマノンに声をかけた。


「大丈夫ですか? ひどく顔色が悪いですが……」

「え、ええ……。少し、驚いてしまって……」

 

 深呼吸を繰り返し、必死に平静を保つ。だが、震えは治らない。

 再びの轟音。マノンは咄嗟に目を瞑った。


「ーー失礼」

 

 そう聞こえたかと思うと、リシャールに抱きしめられる。マノンはリシャールを突き放そうとしたが、続く雷に身をすくませた。

 

「恐ろしいものに遭遇した時は、こうした方が安心しますから」

 

 リシャールは宥めるように、マノンの背を優しく叩く。

 自分を包む温もりと、一定のリズムに、マノンの体の震えが徐々に消えていく。マノンは目を伏せた。

 

 姉も、こんなふうにマノンを慰めてくれた。恐怖に震えるマノンに優しく語りかけてくれた。

 

『ほら、こうしていれば怖くないでしょう? 人間って、どんなに怖いことがあっても好きな人が側にいたら、安心できるものよ』

 

 目の奥がじわりと熱くなり、マノンは目元を拭った。

 その仕草に気づいたのか、リシャールはマノンから離れて心配そうにマノンの顔を覗き込む。

 

「落ち着かれましたか?」

「……ええ。あなたのおかげで、もう大丈夫です」


 榛色の目をじっと見つめて、マノンは微笑んだ。その笑みは愛しい婚約者に向けるように穏やかだった。







 数日後の夜、マノンの部屋にメリッサの愛鳥、ブレンダが姿を現した。

 

「早かったわね。メリッサ、急いで準備してくれたのね」


 長期間移動したブレンダに餌をやり、その足に括り付けられているものを取り外す。

 手紙と小瓶だ。


 マノンは手紙を開く。そこには期待した通りの内容が書き綴られていた。


『頼まれていた薬、完成したわよ! サンザシを使うことはあまりなかったから、楽しかったわ』


 マノンは手のひらの小瓶に目を落とした。小瓶は赤い液体――毒薬で満たされている。


 マノンは確実に効果のある毒を手に入れるため、メリッサに毒薬であることは伏せて制作を依頼していた。

 毒薬とは言っても、あくまでそれは吸血鬼にのみ効果があるものだ。人には害はなく、滋養強壮の薬だとの説明にメリッサは納得した。


『サンザシってあなた達姉妹の大好物だったわよね。デボラ、昔はよく食べていたけど、あなたがサンザシが大好きだと知ってからは嫌いだと偽るようになったのよ。サンザシが好きだったことを秘密にしてくれって頼まれたわ』


 その一文に、マノンは目を見開いた。

 知らなかった。デボラはずっとサンザシが嫌いだと思っていたのに。


 一方で、デボラらしいとも思った。彼女は妹想いの優しい人だったから。


「お姉様、どんな時でも自分のことより私を優先していたもの」


 両親が亡くなった時も、オベール家に引き取られた時も、デボラは常にマノンを気遣ってくれた。彼女だって、悲しみや不安はあっただろうに。自分を犠牲にしてでも、デボラはマノンを守ってくれた。


「そう。お姉様は、どんな時でも私のことを第一に考えてくれていた」


 不意に、マノンの脳裏にひとつの仮説が思い浮かんだ。

 ずっと引っかかっていたことの答えを見つけたマノンはペンをとった。

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