06│測定不能 ~はじまりの印~ -04-
重厚な扉が閉ざされ、長卓の上で燭光が静かに揺れていた。
卓の最奥――
高い背凭れの椅子に座すのは、アストレリア王国の現王、エルネスト・ノクティル三世。
白銀の髪を後ろに流し、老いてなお澄みきった青の瞳が、凪の海のように穏やかに光っている。
左右には学院長、レイナード教授、セルディン教授、
そして四大公爵――アストレイド、ヴェリアス、ヴァルガ、ノクティルが席に並んでいた。
静寂を裂くように、王が口を開く。
「――学院で起きた“測定不能”の件。
その経緯を、順に報告せよ。」
レイナード教授が立ち上がり、深く一礼する。
「はい、陛下。
水晶は、暴走した魔力の圧によって砕けました。
しかし、アストレイド公子の介入により鎮静化しております。」
「鎮静化の後、どのような変化があった?」
「砕けた水晶が、独自の循環を示しました。
通常の修復とは異なり、魔力が“自律的に再結晶化”していたのです。
外部の干渉ではなく、内部反応のようにも見えました。」
王の眉がわずかに動く。
「……内部からの再結晶化、か。
安定値は確認されたのか?」
セルディン教授が資料を開き、淡々と告げる。
「封印の安定は維持されています。
ただ、魔力流の周期がわずかに変化。
南部シルヴァリア周辺で、小規模な脈動が観測されております。」
ヴァルガ公爵が腕を組み、低く言った。
「脈動? つまり、大地の流れが揺らいでいるということか。」
「はい。規模は小さいですが、静止していた地脈に“呼吸”のような波形が見られます。」
ヴァルガは短く鼻を鳴らした。
「……封印が息を吹き返す前兆にも聞こえるな。
もしそうなら、早めに手を打つべきだ。」
「焦る必要はない。」
隣に座るノクティル公爵が、穏やかに言葉を挟む。
「脈動は長い沈黙の反動かもしれません。
世界は止まってなどいなかった。
ただ、少しずつ――揺り戻しているだけです。」
「揺り戻し、ね。」
アストレイド公爵が静かに顎に手を当てる。
「陛下、息子はあの場で最善を尽くしました。
制御は常に冷静で、理論に基づいた判断です。
レイナード教授の報告に目を通しましたが――
あれは“計算”ではなく、“呼応”に近い。
理論の延長では説明しきれない、何かが働いていたように思われます。」
王がわずかに目を細める。
「呼応……。どういう意味だ?」
アストレイド公爵は指先を静かに組み、低く続けた。
「世界の乱れを、息子自身の魔力が感知し――
それに“反応して動いた”のかと。
訓練による反射ではなく、秩序を正そうとする無意識の応答だったのではないかと感じます。
……まるで、息子が“調律”の中心に引かれているかのように。」
「……“引かれている”か。」
声は低く、深い思考の底から零れるようだった。
「つまりお前は――彼が力を操ったのではなく、
力そのものが彼を選び、導いたと言いたいのだな。」
アストレイド公爵は静かに頷く。
「はい。あくまで推察の域を出ませんが、
報告に記された魔力の波形は、彼の制御域を明らかに越えておりました。
外的要因か、あるいは環境そのものの“調律反応”と見るべきでしょう。」
王の青の瞳が、卓の向こうのレイナードを見据える。
「教授、その“調律反応”――学院での観測は可能か。」
レイナードは一呼吸おいてから、静かに首を振った。
「現行の感知術では難しいかと存じます。
ただ、彼の行動記録を精査すれば、何に反応していたのか――その傾向は掴めるかもしれません。」
ヴェリアス公爵が腕を組み、低く呟く。
「……もしそれが恒常的なものであれば、
学院だけでなく、王国全土の魔力分布にも影響が及ぶでしょう。」
王は短く息を吐き、卓上の燭光を見つめた。
「よかろう。
学院にて観測と記録を続けよ。
結果が出次第、報告を上げるように。」
その一言に重い沈黙が落ちる。青い炎が揺れ、各々の思惑がその影に沈んだ。
やがて、ヴァルガ公爵が低く口を開く。
「陛下。
観測だけでは遅れを取ります。
均衡が崩れれば、封印にも影響が及ぶ。
監視を強化し、必要ならば軍部からも警戒の人員を出すべきかと。」
その声音は、長年の実戦を重ねた者の冷静な危機感を帯びていた。
ヴェリアス公爵が、隣で静かに腕を組む。
「――それでは“監視”が目的化してしまう。
均衡とは力の拮抗であり、過度な干渉は逆効果です。
むしろ、現場での観測を通じて“封印の呼吸”を把握する方が理に適う。」
ヴァルガは短く息を吐き、視線を逸らす。
「理屈は理解している。
だが、現実は理屈どおりには動かん。」
「だからこそ、冷静な分析が要るのです。」
ヴェリアスの声は静かだが、芯が通っていた。
「恐れや予測で行動すれば、封印は自ら乱すことになる。
必要なのは監視ではなく、精査と記録――」
その言葉に、ヴァルガは小さく眉をひそめた。
「……結局は観測者の目に頼るということか。
だが、もしも異変が起きた時、
紙の上の記録では民を守れんぞ。」
その応酬の間に、レイナード教授が静かに杖を傍らに立て、
柔らかな声で二人の言葉を断った。
「お二方のお考え、どちらも道理です。
ですが――彼らはまだ十三。
恐れの対象ではなく、学びの途中にある子どもたちです。」
ヴェリアスとヴァルガの視線がそちらに向く。
レイナードは穏やかな口調を崩さぬまま、続けた。
「学院は、力を試す場所ではなく、理解を深める場所。
彼らを“危険の芽”として囲えば、
真に危ういのは彼らではなく、我々の心でしょう。
――恐れによって若き力を縛ることこそ、
この王国が再び闇を呼ぶ道だと、私は思います。」
沈黙が降りた。 燭光がゆらめき、誰も言葉を継がない。
やがて王が、静かに頷いた。
「……よかろう。
それぞれの立場、よく分かった。
レイナード、学院の保護下にて教育と観測を続けよ。
公爵方も、無用な干渉は慎め。」
その声音は穏やかでありながら、王命として揺るぎなかった。
長卓を囲む者たちは一斉に頭を下げ、燭の光がその影を長く引いていく。
「これにて本日の議は閉じる。」
王の静かな一言とともに、椅子がわずかに軋む音が広間に重なった。
誰も余計な言葉を交わさず、それぞれが胸に思案を抱いたまま席を立つ。
扉の外に出ると、薄く開かれた窓から夜の風が吹き込んだ。
冷たい空気が、先ほどまでの熱をすっと奪っていく。
アストレイド公爵は歩みを止め、しばしその風に顔を向けた。
静かな青の光が、彼の瞳にわずかに揺れる。
――どうか、あの子がその手で“均衡”を背負いすぎぬように。
その祈りは声にはならず、王城の高い天蓋の闇に、静かに溶けていった。
***
会議が終わり、扉が静かに閉ざされる。
広間には王とノクティル公爵――父と子だけが残った。
しばしの沈黙。
燭台の炎が微かに揺れ、床の影を長く引く。
「……あの光の暴走。」
王が静かに口を開いた。
「ただの暴走とは思えぬな。」
ノクティル公爵はゆるやかに頷く。
「はい。報告を見ましたが、
“破壊”ではなく“共鳴”の波形を示していました。
光が何かに応じて――呼ばれたように感じます。」
「呼ばれた、か。」
王の声は低く、思索の底に沈む。
「アストレイド公子の魔力と、
あの少女の力が干渉したのは偶然ではあるまい。
だが……何が、それを呼んだのか。」
王の言葉に、公爵はわずかに息を詰める。
「――クローディオのことを、お考えですか。」
王は目を伏せたまま答えた。
「ふと、頭をよぎっただけだ。
あの金の瞳……古き詠の一節を思い出してな。」
その言葉に、公爵の表情がわずかに揺れる。
「“時の果てに、金の瞳の子生まるとき”――ですか。」
「そうだ。だが、ただの詩だ。」
王は苦く笑う。
「詠文は昔から多くの解釈を生む。
だが真意を知る者はいない。……私もそのひとりだ。」
公爵は静かに頷く。
「それでも――その色が現れたこと自体が、偶然とは思えません。」
「私もそう感じている。」
王は小さく息を吐いた。
「今回の光が、クローディオと何かの縁で結ばれているのか……
それとも、ただ時代が巡っただけなのか。
今のところは、誰にも分からぬ。」
ノクティル公爵の瞳に、決意の光が宿る。
その声は静かだが、揺るぎのない温かさを帯びていた。
「父上。
光と夜の均衡が再び揺らぐ時が来ようとも――
我々ノクティルは恐れません。
金の瞳を持って生まれたあの子は、運命という重荷を背負いながら、それでも真っすぐに未来を見ようとしている。
ならば私は、その歩みを乱さぬよう、ただ見守ります。
導くのではなく、押しとどめるのでもなく――
彼が選んだ道を、支える“支点”として在りたいのです。」
短い沈黙ののち、王はゆるやかに息を吐いた。
その青の瞳には、老いた父としての静かな慈しみが宿る。
「……それでよい。父とはそういうものだ。
子が背負う運命を、奪うことも逃がすこともできぬ。
ただ、その背の震えを支えるために在る。」
ノクティル公爵は深く頭を垂れた。
「ありがとうございます、父上。」
王は小さく頷く。
「クローディオの道は、きっと誰のものでもない。
だが――お前がその影となり、見守る限り、あの子は迷わぬだろう。」
王の言葉は穏やかでありながら、確かな力を帯びていた。
燭の炎がふっと揺れ、二人の影が寄り添うように重なる。
その静かな光の中で、父と祖父――二人の“父”の祈りが、同じ想いでひとつに溶けていった。




