02│志を灯すは、光の学院にて -02-
翌日、朝の光がカーテンの隙間から差し込み、部屋の中に柔らかな明るさを広げていた。
鳥のさえずりが遠くで響き、学院の塔からはゆるやかに鐘の音が流れてくる。
昨日の聖堂での緊張が、まるで夢のように感じられる静かな朝だった。
「ん~……おはよう、フィーナ!」
明るい声とともに、ベッドの上でミアが大きく伸びをした。
赤みを帯びた茶髪がふわりと肩に広がり、寝ぼけた瞳がきらりと光る。
「……おはよう、ミア。」
まだ少し眠たげな声で答えると、ミアはにっこり笑い、勢いよくベッドを降りた。
「よーし!」
と小さく気合を入れると、彼女はカーテンを引き、朝の光を部屋いっぱいに広げる。
白い壁が黄金色に染まり、空気が一気に目を覚ましたようだった。
「今日から授業が始まるんだよね。何の科目からかな?」
ミアは机の上に置かれた時間割を手に取り、ぱらりとめくった。
「午前はオリエンテーションとクラス確認。午後から、初回講義だって。」
「初回講義……どんな授業なんだろう。」
フィーナが小さく呟いたそのとき――
コン、コン、と扉をノックする音がした。
「おはよう。起きてる?」
落ち着いた声とともに、ラナが姿を見せた。
灰青の髪をきれいに整え、制服の襟もきちんと正されている。
「おはよう、ラナ!」
「おはよう。……二人とも、いい朝ね。」
ラナは穏やかに微笑みながら部屋を見渡し、整えられたベッドに軽く視線を落とす。
「朝食の時間、もうすぐ終わっちゃうわ。行きましょう?」
「わっ、ほんとだ!」
ミアが慌てて鞄をつかみ、フィーナの腕を引く。
三人は笑いながら部屋を飛び出した。
***
朝食を終えた三人は、他の新入生たちとともに講堂へと向かった。
そこは昨日の聖堂とは異なり、荘厳というよりも実務的で重厚な雰囲気をたたえていた。
高い天井には学院の旗が掲げられ、魔法灯の光が静かに揺れている。
壇上には、学院の紋章を背にした教員たちが整然と並んでいた。
その中央に立つのは、白髪を後ろでひとつに束ねた老人――レイナード・グレイス教授。
名前を知らずとも、誰もが“ただ者ではない”と感じるような、静かな威厳をまとっていた。
彼はアルカナ魔法学院の副学院長であり、属性学と古代魔法の研究において王国屈指と噂される人物だ。
その立ち姿は、長い年月を経て根を張った大樹のように揺るぎなく、目にする者の心を自然と引き締める。
一歩、壇上の中央に進み出ると、それだけで講堂のざわめきがすっと静まった。
「――これより、新入生オリエンテーションを始めます。」
低く落ち着いた声が、講堂の高い天井に反響してやわらかく広がる。
魔法灯が静かに明るさを増し、光が学生たちの顔を照らした。
「まずは、今後の学院生活と講義について説明いたしましょう。
アルカナ魔法学院では、すべての生徒が基礎魔力理論、属性学、制御実技を学びます。
その上で、希望者は古代魔法、錬成術、医療魔法などの専門課程に進むことができます。」
生徒たちは息をひそめ、レイナードの言葉を聞き逃すまいと耳を傾ける。
彼は手にした杖で床を軽く叩き、次の巻物を開いた。
「――そして、学院生活における“礼式”について。
この学院は、貴族も平民も、等しく魔法を志す者として受け入れています。
ゆえに、生徒間での呼称は“君”または“さん”に統一すること。」
その瞬間、講堂のあちこちで小さなざわめきが起こった。
「貴族にも“さん”で?」
「そんな決まりが……?」
と、驚きと戸惑いの声が交わる。
レイナードはそれを静かに受け止めるように、目を閉じ、ゆっくりと続けた。
「身分も地位も、この学院の門をくぐれば意味を失う。
問われるのは――“志”ただひとつ。
魔法とは、生まれながらの力ではなく、自らの意志で磨き上げるもの。
それこそが、アルカナ魔法学院の理念です。」
その言葉に、ざわめきはすぐに静まった。
一人ひとりの胸に、重くも温かなものが落ちていくようだった。
レイナードは静かに頷き、最後の巻物を開いた。
「――では、入試成績に基づくクラス分けを発表いたします。」
講堂の空気が一瞬で張りつめた。
静寂をわずかに震わせるように、レイナードの声が響いた。
***
名が一つ、また一つと読み上げられていく。
ざわめきも歓声もなく、ただ淡々と音だけが空気を震わせた。
やがて発表が終わると、重く張りつめていた空気がゆっくりと解けていく。
結果を胸に、それぞれの表情が安堵や落胆で揺れていた。
講堂を出ると、昼の光が差し込み、緊張がふっと和らいだ。
石畳を踏みしめながら、三人は中庭へと向かい、先ほどのクラス分けについて話していた。
「ラナとフィーナは同じクラスで良かったね。」
ミアが笑顔で言いながらも、少し口を尖らせた。
「私はBクラスかあ。ちょっと寂しいなあ。」
「そんなに落ち込まないで。また食堂で一緒に昼ごはんを食べましょう。」
ラナが穏やかに声をかけると、フィーナも優しく頷いた。
「そうよ。寮も一緒だし、寂しがらないで、ね。午後の授業、がんばろう。」
「フィーナ~~大好き~!」
ミアは勢いよく抱きつき、フィーナが思わず笑い声をもらす。
そのとき、前方からリーザとガレスが通りかかった。
リーザはその様子に気づくと、くすっと上品に笑みをこぼす。
「仲の良いことね。」
「……ハァ。騒がしい。」
ガレスが小さくため息をつく。
その低い声には、あからさまな不機嫌さがにじんでいた。
ミアはぴくりと反応し、フィーナから離れてガレスに向き合う。
「なにか?」
「いや、別に。」
「ふーん。そう。」
一瞬、空気がぴりりと張りつめる。
リーザがすっと姿勢を正し、わずかに眉を寄せて言った。
「ガレス、あなたが悪いわ。」
「……ああ、空気を悪くして申し訳なかった。お嬢さん方。」
ガレスはフィーナとラナに向かって軽く頭を下げ、形式的ながらも礼を尽くす。
な、なんで私にだけ…!とミアは憤慨し、
その様子を見たリーザはため息をつき、わずかに微笑んで言った。
「じゃあ、私はここで。」
「あぁ。ルークとクロードによろしくな。」
「ええ、またね。」
二人はごく自然な調子で短く言葉を交わすと、
それぞれ別の廊下へと歩き出した。
ミアはその背中を見送りながら、ふくれっ面でつぶやく。
「……感じわるい。」
しかしすぐに顔を上げ、ぱっと笑顔を浮かべた。
「まあいいや!あ、もう行かなきゃ!
午後の授業、がんばろうね~!」
そう言ってスカートの裾を翻し、軽やかにBクラスの教室へと駆けていった。
その少し先から、再び声が響く。
「……ついてくるな!」
「私もこっちなんですけど!」
遠ざかる言い合いを聞きながら、フィーナとラナは顔を見合わせ、思わずくすりと笑った。
春風が吹き抜け、残された二人の頬をやさしく撫でた。
新入生たちの笑い声が、陽光にきらめく石畳の道に溶けていった。
***
午後の鐘が、学院の塔に澄んだ音を残して響いた。
昼の喧騒が静まり、学院全体がゆるやかに午後の時を迎えていた。
白い回廊を抜け、フィーナとラナはAクラスの教室へと向かう。
磨かれた石床には陽光が反射し、
窓の外ではエクリス湖が金の光をまとってきらめいている。
教室の扉を開けると、すでに何人かの生徒が席についていた。
前方の窓際では、ルークラン・アストレイドとリーザ・ヴェリアスが並んで座っている。
二人のあいだには、友人という言葉では足りないほどの親密な空気が流れていた。
リーザが何かを囁けば、ルークランはわずかに口元を緩め、視線が自然に重なる。
その穏やかで親しいやり取りを見て、周囲の生徒たちの間から小さな声が漏れた。
「ねぇ、あの二人、すごくお似合いじゃない?」
「アストレイドさんとヴェリアスさん……婚約者候補って噂よね」
そんな噂めいた囁きが、教室のあちこちでひそやかに交わされる。
光が差し込む窓辺で微笑み合う二人は、まるでその言葉を肯定するようだった。
フィーナはその様子を見つめながら、胸の奥が静かにざわめくのを感じた。
眩しいほどに美しい光景――なのに、なぜだか少しだけ切なかった。
「こっちの席、空いているわ。座りましょう。」
ラナの落ち着いた声に、フィーナは小さく頷き、並んで席に腰を下ろす。
鞄を机に置き、そっと顔を上げたその瞬間――
ルークランがふと視線を上げ、淡い水色の瞳がフィーナの瞳とまっすぐに交わった。
(……え?)
胸の奥が、どくん、と大きく跳ねた。
その瞳は深い湖のように静かで、それでいて底に何かを秘めているような光を宿していた。
逃げようとしても、まるでその湖に足を取られ、ゆっくりと沈んでいくように―――視線が離れない。
ルークランもまた、目を逸らさなかった。
まるで心の奥を覗くように、静かに、真っすぐに見つめてくる。
(な、なんで……そんなふうに……)
息が詰まりそうになる。
胸の鼓動が速くなりすぎて、呼吸のリズムが崩れていく。
顔が熱を帯び、思わず頬に手を当てそうになったそのとき――
フィーナは耐えきれず、そっと視線をそらした。
その瞬間、ルークの隣に座っていたクローディオ・ノクティルと目が合う。
彼は口の端を上げ、にこりと笑みを浮かべて、ひらひらっと軽やかに手を振った。
そして片目をつむり、まるで“見てたよ”と言わんばかりにからかってくる。
「……やめろ。」
ルークランの低く押し殺した声が、微かに聞こえた気がした。
表情は淡々としているのに、その声音の奥にわずかな熱が滲んでいる。
クローディオは肩をすくめ、悪戯っぽい笑みを残して前を向いた。
その小さな一幕に、フィーナの鼓動はしばらくのあいだ、落ち着く気配を見せなかった。
そのとき、教室の扉が開き、靴音が静かに響いた。
入ってきたのは、栗色の短髪をきっちりと整えた壮年の男性だった。
姿勢はまっすぐで、動作のひとつひとつに無駄がない。
彼が教壇へと進む間、教室のざわめきが自然と静まっていく。
杖の先で床を一度、軽く叩く。
その小さな音が合図のように響き、空気が引き締まった。
「――全員そろっているようだな。」
低く落ち着いた声。
それだけで場の空気が整い、学生たちの視線が一斉に前へと向いた。
「私はこの一年、Aクラスを担当するセルディン・オルグレンだ。
魔力制御と応用演習を主に受け持つ。君たちが学院で最初に学ぶ“基礎”を任されている。」
声は穏やかでありながら、どこか鋭い芯を感じさせた。
生徒の誰もが、自然と背筋を伸ばす。
一瞬の沈黙のあと、セルディンは教壇に視線を落とし、静かに息を整えた。
「では――始めようか。」
杖の先が宙をなぞると、淡い魔法文字が黒板の上に浮かび上がる。
文字はゆっくりと回転しながら整列し、やがて光の粒となって消えた。
窓の外の光が机の上でやわらかく揺れていた。
こうして、アルカナでの最初の午後が静かに始まった。




