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「君を制御するのが僕の役目だ」 闇魔法の天才は、暴走する光を離さない  作者: 雪ノ燈子


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13│静かな制御、近づく距離 -04-

それからも、二人は訓練を続けた。


夏休みの間は、だいたい三日に一度。


きっちりと約束を交わしたわけではない。

けれど、どちらからともなく、「そろそろだな」と思う頃に自然と足が訓練区へ向かっていた。


間を詰めすぎず、けれど感覚を忘れない程度の頻度で石畳の上に立ち、魔力の流れを確かめ合う。


以前のような緊張は、少しずつ薄れていった。

代わりに、呼吸の合い方が、目に見えないところで揃っていく。


無理はしない。


調子が良い日は、ほんの少しだけ踏み込む。

光の強度を上げたり、闇の制御範囲を広げてみたり。


疲れが見える日は、基礎の確認で終える。

立ち位置、呼吸、流れの読み取り。

大きな変化はなくても、確実に土台を固める時間。


そうやって重ねていくうちに、指示を出す前から互いの動きが分かる瞬間が増えていった。


ルークランが一歩踏み出せば、フィーナは自然と魔力を緩める。

フィーナの呼吸が浅くなれば、彼は何も言わずに制御を強める。


言葉にしなくても、分かることが少しずつ増えていく。


訓練の終わりに短く目を合わせるだけで、その日の出来が伝わるようになっていた。


そして、訓練のない日は、決まって図書室だった。


「今日は行くか」と言うわけでもない。

「何時に」と決めることもない。


それでも気づけば、同じ時間帯に、同じ机に向かっている。


最初の頃は、偶然だと思っていた。

けれど三度、四度と重なればそれはもう偶然とは言い難い。


勉強する内容は違っても、ページをめくる音と時折交わす小さな問いかけ。

それだけで時間が静かに満ちていく。


隣に誰かがいる、という事実が集中を妨げるどころか、むしろ心を落ち着かせてくれる。


静かな空気を共有することがいつの間にか日課になっていた。


――そして、その日も。





午後の図書室は夏休みらしい静けさに包まれている。


蝉の声は厚い壁の向こうで霞み、外界の熱はここまでは届かない。

代わりに、ゆるやかな光とわずかな蝋燭の炎が室内を淡く照らしていた。


高窓から差し込む光は長く伸びた書架の影を床に落とし、時間の移ろいを静かに示している。


二人の間の机の上には魔法理論書とノートが並んで開かれていた。

インクの匂いと、古い紙の匂いが混じる。


ルークランは右手でページを押さえ、左手で何かを書き留めている。

フィーナは指先で文字をなぞりながら、時折、隣のノートに目をやった。


距離は、以前と変わらないはずなのに。


それでもページをめくるたび、袖が触れそうになるたび、なぜか胸の奥がほんの少しだけ意識してしまう。


フィーナはノートに目を落としたまま、けれど内容はほとんど頭に入っていなかった。


胸の奥にずっと引っかかっているものがある。


訓練区での抱擁。

一瞬だけ強く締められた腕。

そして、ふと浮かんだリーザの穏やかな笑顔。


(……聞かないまま、でいいのかな)


視線を上げればいつもの距離にルークランがいる。

何事もなかったように整った筆致でノートを埋めている。


それでもあの日以降、彼の存在が少しだけ近く感じられるのは、気のせいではない。


フィーナは小さく息を吸い、思い切って口を開いた。


「……こうやって二人でいると、

 リーザさんに怒られませんか?」


言った瞬間、自分でも少し唐突だったかもしれないと思う。


ペンの動きが止まった。


わずかな沈黙。


「……なぜ、リーザが出てくる?」


ルークランが顔を上げ、少しだけ眉を寄せる。

驚きはあるが、警戒はない。


「えっと……」


フィーナは言葉を選ぶ。


「貴族出身の子が言ってたんです。

 “ルークランさんとリーザさんは、

 いずれ婚約するだろう”って。」


言いながら、自分でもその噂を信じきっていたわけではないと分かる。


ただ――

二人が並んでいる姿は、あまりにも自然だったから。


「なるほど。」


ルークランは小さく息を吐き、どこか呆れたように、けれど強く否定するでもなく苦笑した。


「よくある話だ。

 家が近しいとか、昔から知り合いだとか――

 それだけで、そう言われる。」


声は落ち着いている。

怒りも、苛立ちもない。


「……そうなんですね。」


フィーナは静かに頷く。


だが、次の言葉は彼の口から迷いなく落ちた。


「でも、それはまったくの誤解だ。」


即答だった。

間も、ためらいもない。


「俺は、リーザを選ばない。」


はっきりとした言い切り。

含みも、遠回しもない。


その言葉が、机の上に静かに置かれた。


フィーナは思わず顔を上げる。


「え……」


「それだけは、最初から決まっている。」


理由の説明はない。

正当化も、補足もない。


ただ、彼の選択として静かに差し出された言葉だった。


「……そう、なんですね。」


ゆっくりと頷く。


胸の奥に、すとんと何かが落ちる感覚。


驚きよりも先に妙な納得があった。


(……私、勝手に決めつけてたんだ)


それと同時に理由の分からない安堵も確かにある。


ルークランは何事もなかったようにペンを持ち直した。

だが、その筆致は、先ほどよりもわずかにゆっくりだった。


フィーナはノートに視線を落とす。

けれど、さっきの言葉が頭の中で何度も繰り返される。


――俺は、リーザを選ばない。


やがて、意を決したようにそっと顔を上げた。


「……あの。」


ルークランのペンが止まる。


「噂話で、勝手に決めつけてしまって……

 ごめんなさい。」


思っていたより声は落ち着いていた。

けれど胸の奥には小さな緊張が残っている。


「ルークランさんとリーザさんが一緒にいるところ、

 とっても自然だったから……つい。」


言葉を探しながら、続ける。


「授業のときも、訓練のときも。

 並んで話している姿をよく見ていましたし……

 息が合っているというか……当たり前みたいで。」


それはただの素直な印象だった。


ルークランは少し驚いたように瞬きをしてから、小さく息を吐いた。


「……気にするな。」


短いが、柔らかな声。


「そう見えるのは、無理もない。」


一度視線を落として、ゆっくりとこちらを見る。


「リーザとは、長い付き合いだ。」


声は落ち着いている。

けれど、さっきの「選ばない」と言い切ったときよりもわずかに温度が下がっていた。


「訓練も一緒に受けてきたし、

 互いの癖も、大体分かっている。」


淡々とした説明。


そこには、特別な感情を滲ませる気配はない。

事実を並べているだけ――

それ以上でも、それ以下でもないという口調だった。


「だから、自然に見えるんだろう。」


それだけだ、と。

言外にそう示す響き。


フィーナは胸の奥に溜まっていた息を、ようやく吐き出した。


「……そうなんですね。」


思った以上に、ほっとしている自分に気づく。


ルークランは、肩の力を抜いたように小さく息を吐いた。


「噂は、勝手に膨らむ。」


どこか達観した声音。


「だが、事実とは限らない。」


静かな図書室に、その言葉がゆっくりと落ちる。


ルークランはそこで、ほんの一瞬だけ言葉を探すように視線を伏せた。


「まぁ……つまり、貴族の世界では、

 本人が何も言っていなくても、

 そういう噂が勝手に立つものだ。」


少しだけ、諦めの混じった声。


「……そうなんですね。」


フィーナは改めて頷く。


「誰かと一緒にいれば、理由をつけたがる。

 “縁談の下見”だとか、

 “家同士の繋がりを深めるため”だとか。」


ペンが指先で静かに転がる。


「他人の関係を、勝手に形にして、

 それで納得したがるんだ。」


淡々とした口調。

けれどその奥には、ほんのわずかな疲れと、諦めが滲んでいる。


少しの沈黙。


窓の外で風が葉を揺らした。


ルークランは視線を落としたまま、続ける。


「……でも、君は違う。」


その声音だけが、やわらかくなった。


フィーナがはっとして顔を上げると、ルークランはほんのわずかに微笑んでいた。


「君は、言葉をそのまま受け取ってくれる。

 裏を探らないし、飾りも読まない。」


視線が、まっすぐ向けられる。


「“そうなんですね”って、そのまま頷いてくれる。」


机の上の蝋燭の炎が、ゆらりと揺れる。


「こうやって、素直に謝ってくれる。

 ……それが、少しだけ、楽なんだ。」


「楽……ですか?」


フィーナは、思わず聞き返した。


「ああ。」


ルークランは、小さく息を吐く。


「貴族の間では、

 言葉の裏を読むのが当たり前みたいなものだ。

 何を意図しているのか、

 どこまで本音なのか――

 常に考えながら話す。」


声が、わずかに低くなる。


「でも君と話していると、

 そういうことを考えなくていい。

 ただ言葉を交わすだけでいいんだ。」


その言葉は静かだった。

けれど、確かな安堵がそこにあった。


フィーナはしばらく黙って、ルークランの横顔を見つめていた。


言葉の裏を読む。

相手の意図を探り、疑い、慎重に言葉を選ぶ。


それが、彼の生きる世界の“普通”なのだとしたら――


胸の奥が、きゅっと痛む。


「……なんだか、寂しいですね。」


思わずそう言っていた。


ルークランが、ゆっくりとこちらを見る。


その瞳に、一瞬だけ驚きの色が浮かんだ。


「寂しい?」


「はい。」


フィーナは言葉を探しながら続ける。


「言葉って、本当は、

 思いを伝えるためにあるものだと思うから。」


静かな図書室。

蝋燭の火が二人の影を揺らす。


「誰かと話すたびに、

 疑ったり、探ったりしなきゃいけないのって……

 少し、寂しいなって。」


ルークランは目を細め、しばらく返事をしなかった。


窓の外で風が木の葉を揺らす音だけが響く。


やがて低く落ち着いた声が返ってきた。


「……そうだな。

 君の言うとおりかもしれない。」


「え?」


「本当は、

 そうあるべきなんだろう。」


一拍、間を置く。


「でも、俺の世界では、

 それができる相手は少ない。」


その言葉にフィーナは静かに頷いた。


「難しいですね。

 私は……ルークランさんが言うように

 考えたことがありませんでした。」


ルークランはかすかに笑みを浮かべ、机の上のペンを転がす。


「君は、それでいいと思う。」


「え?」


「君は、君のままでいればいい。」


視線を上げずに、言う。


「そのまま言葉を交わせる相手がいるだけで――

 誰かは、救われる。」


静かな声。


けれど、その一言はまっすぐフィーナの胸に落ちた。


「……私が?」


「ああ。」


ルークランは窓の外へ視線を向け、ゆっくりと言葉を続ける。


「君みたいな人がいると、

 世界が、少し柔らかくなる。」


そして、ほんのわずかに息を吐く。


「たぶん、俺も――

 そんな空気に、少し助けられている。」


その言葉に、フィーナは何も返せなかった。


胸の奥が、じんわりと熱を帯びる。

嬉しい、という感情に近いのに、どこかくすぐったくて言葉にできない。


けれど同時に、心の奥で静かに浮かぶ思いがあった。


(……やっぱり)


私とルークランさんは、住む世界が違う。


今こうして同じ机に向かい、同じ空間でページをめくっていても。


見てきた景色も、当たり前としてきた常識も、背負っているものも――

きっと、まるで違う。


図書室の静けさがその差をやさしく照らし出す。


彼は貴族で、常に誰かの視線の中で生きている人だ。


廊下を歩くときも、言葉を選ぶときも、無意識のうちに“どう見られているか”を考えているのだろう。


家の名。

立場。

背負っている期待。


それらはきっと、本人が思っている以上に重い。


一方で、自分は遠い辺境の村の出身だ。


朝は畑に出て、夕方には家族と食卓を囲み、言葉は飾らず、思ったことをそのまま口にしてきた。


駆け引きをすることも本音を隠す術も、ほとんど知らずに育ってきた。


だからこそ――

彼が「楽だ」と言ってくれたことがどこか信じられないようでもあり、同時に、胸があたたかくもあった。


同じ机に向かっていても、同じ光の下で本を開いていても。


それぞれが立っている場所は、きっと少しずつ違う。


それでも。


その違いが、今はまだ、悲しさにはならなかった。

彼の世界は広くて、遠くて、自分の手の届かない場所も多いけれど。


さっき、彼は言った。


「楽なんだ」と。


「少し助けられている」と。


もしも、その世界の一部にほんの少しでも自分の言葉が届いたのなら。

彼が、一瞬でも肩の力を抜けたのなら。

それだけで十分だと思えた。


胸の奥にあたたかなものが静かに広がる。


「……そろそろ、勉強に戻りましょうか。」


意識して、いつもの調子に戻す。


ルークランは一瞬だけこちらを見てから、小さく頷く。


「そうだな。」


その返事はどこか柔らかい。


ふたりは再び、それぞれのページへと視線を落とした。

紙をめくる音が、静かに重なる。


窓の外で、風がカーテンを揺らした。

白い布がふわりと浮き、夕暮れの光をやわらかく散らす。


その揺らぎが、言葉にならなかった思いをそっと包み込む。


図書室の静けさは先ほどまでより少しだけやわらいでいた。


二人の間にはまだ越えていない距離がある。

けれど同時に確かに重なり始めたものもある。


蝉の声は、いつの間にか遠くなっていた。

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