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一歩目 変われたらいいなぁと思う

本編です(*^_^*)


1話丸々一気に載せたので、ちょっと長いかもです(約25000文字かな)。

分けたほうが読みやすかったかも(>_<)

もしそっちの方が良いかもと言う事であれば、一言もらえると僕としても助かります(^^)


そ、それではっ、少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。

 ――ちゅんちゅん、小鳥の鳴き声が聞こえる。

「んぅ~……」

 もぞもぞと布団の中で寝返りを打つ。

「すぅ、すぅ……」

 しばらくそうして、布団の暖かさに幸せを感じて過ごす。

 すると、ジリリリリリリ! と音をたて目覚ましが鳴り出した。

「んぅ」

 眠い。だが、このままこのうるさいやつを止めなければ、いつまでたっても俺を襲ってくる睡魔を退治し続けるだろう。そうなると、ゆっくり二度寝もできない。まぁ、睡魔退治を頼んだのは自分なんだけど……。

 仕方ないから、俺を起こしてくれたこのうるさいやつを手さぐりで探して、そいつに付いているスイッチを「もういいよ」と押し、ひとまず音を止める。

「んぅ~……ふわぁ~あ」

 緩慢な動作で布団をめくり、半身を起こし両腕を大きく上げ体を伸ばしながら、大きな欠伸を一つ。

 寝ぼけた顔で布団から立ち上がり、部屋の青いカーテンを開けると、部屋全体に春の暖かな陽が差し込む。いい天気だ。

「ふぅっ」

 ガラッと窓を開け、朝の新鮮な空気を吸い込みながら深呼吸し、もう一度大きく伸びをする。

「……入学式……かぁ」

 中学を不登校になった俺は、毎日を抜け殻のように過ごしてきた。何も無い、本当に何も無い毎日を、ただそこに居るというだけの日々を……。

 だから俺は、高校生になるこの春を機に変わりたいと――変わろうと決めた。

 親にわがままを言い、無理を通して住み慣れた実家を離れ、この春から小さなアパートを借りて、一人暮らしを始めた。

 だから、自分の為にも、親の為にも、ここで自分に自信が持てるようにならないといけない。そして、そのための一歩を踏み出せる勇気が欲しいと思う。

 そんな受け身な希望を胸に抱きながら、俺は布団を三つ折りにして片付ける。

 布団を部屋の隅に片付けると、洗面所に行き顔を洗う。水が気持ちいい。

 ここは、洗面所と風呂が一緒の空間になっている。そこにトイレも合わせて――というところもあったけど、さすがにトイレだけは別の方がいいと思い、このアパートを選んだ。

 掛けてあったタオルを手に取り、顔を拭く。タオルを掛け直すと、鏡を見て、目が覚めたことを確認する。

 そこには、適当な長さに切り揃えられているが、前髪だけは目にかかるほど長い黒髪をし、相変わらずの眠たそうな細い眼をしている自分がいた。

 本当に目が覚めたのか? と鏡の中の自分に問いかける。すると、「……ん、たぶん」という返事が返ってきた。

 部屋に戻ると、壁に掛けてある時計を見る。6時40分を針が指している。

 9時からの入学式までには十分な時間がある。まぁ、その前に少しのんびりと散歩でもしながら、と思っていたのだが、それでも少し早かっただろうか?

 でも、やっぱり入学初日は時間にゆとりをもって行きたいからな。ちょうどいいのかもしれない。

 小さな冷蔵庫から、市販で売っている安い緑茶を入れた容器を取り出し、コップに薄茶色の液体を注ぐ。そしてそれを、ゴクゴクと飲み干す。渋い苦みが口の中に広がる。

「ふぅ、やっぱり緑茶はいいなぁ」

「今時の高校生が緑茶好きなんてジジ臭い。コーラとか飲まないの?」とか言われるかもしれないが、俺はどうもそういうジュースよりも、緑茶やウーロン茶、麦茶などのお茶系が好きなのだ。飲んだとしてもカル○スとオレンジジュース、ココアやスポーツドリンクなど、本当に限られたもので、十種類もないのではないか、というほどである。ちなみに、炭酸は絶対に飲まない。喉が痛くなるからな。

 もう一杯緑茶をコップに注ぎ、容器を冷蔵庫に仕舞う。と同時に、卵とハムを二つずつ取り出す。

 取り出した卵とハムを台所に持っていき、フライパンで焼く。

 焼きあがった卵とハムを皿に移し、塩を振りかける。ハムエッグの完成だ。そして、焚いておいた白ご飯を茶碗によそい、さっきの緑茶が入ったコップと一緒に、部屋に置いてある小さな丸いテーブルに運ぶ。これが今日の朝食だ。

 朝食を食べ終わると台所に行き、昨日の夜の分と一緒に使い終わった皿を洗う。

 皿を洗ってから、もう一度洗面所に行き、歯を磨く。

 部屋に戻ると、時計は6時57分。まだまだ時間があるが、特にすることも無いのでそろそろ制服に着替えよう。

 青色のパジャマを脱ぎ、白いカッターシャツを着る。その上に、赤色をベースに白のラインが斜めに入ったネクタイを結び、灰色よりも少し黒っぽいズボンを穿いてベルトを締める。シャツの上に青のブレザーを着て、着替え終了。中学と比べると、なんだか大人の雰囲気のする制服だ。

「……7時10分か」

 時計を見ると7時10分になっていた。前の日から練習をしていたのに、ネクタイをキチンと結ぶのに時間がかかってしまった。

 それから、あらかじめ教科書等を入れておいたカバンを手に――取ろうとしたところで、ふと、本棚の上にある水色のクジラのヌイグルミと目があった。

 このクジラのヌイグルミは口にチャックが付いており、その中に文庫本を一冊程度入れることができるスペースがある。さらに、頭の上にポケットティッシュを入れることもできる。なんとも実用的なやつである。

 せっかくなのでそのクジラと、その両隣に飾ってある青色と水色の小さなクジラ――サカクジとクジツムリ――に「いってきます」と心の中で呟く。

 それから改めてカバンを手に持ち、部屋を出て、俺は空を見上げながらゆっくりと歩き出した。


      ***


 さて、入学式までのんびり散歩でも、と思って部屋を出たのはいいが、まだこの辺に何があるのかよく知らないんだよなぁ。どうしよう。

 ここから、今日から俺が通う事になる学園――私立 蒼鯨学園そうげいがくえん――までは、歩いて30分くらいかかる。

 8時40分までには着くようにしたいから、まだ1時間以上の余裕がある。

 う~ん……よし、決めた。まだまだ知らない場所があるからな、散歩ついでに少し道を覚えよう。

 そうと決まればまずはあっちの方に行ってみよう、と向って右の方へ進路を変える。

 少し歩き、住宅地を抜けると広い道路に出る。左に曲がり道路沿いを真っ直ぐに進むと交差点があり、その交差点を右に曲がる。

 また少し行ってから、横断歩道橋を通り、向い側に渡る。

 そのまましばらく歩くと、アーケード型の商店街――ドルエール商店街と呼ばれている――が見えてきた。

 横断歩道を渡って波の形をしたアーチを潜り商店街に入ると、スライド式の屋根はもう開いていた。とはいえ、建ち並ぶ店舗は屋根と違い、各々に「まだ開いていませんよ~」ということを示している。

 このドルエール商店街は十字型をしていて、その中央はちょっとした広場になっており、時計も建っている。屋根があり、天気が良い時はオープンモール。雨が降っている時や風が強い時、空が暗くなり夜が近くなると、屋根が閉まりクローズドモールになる。

 そのため、なかなか快適に買い物をすることができる。

 俺もここに何度か買い物に来ていたりするのだが、一人暮らしの身としては、近場にこういう場所があるのは凄く助かる。これからは学校の通り道なので、学校帰りに、そのまま買い物をして行くこともできる。

 俺は十字路を東に進み、商店街を抜ける。

 このまま真っ直ぐ進めば蒼鯨学園が見えてくるはずだけど――俺は真っ直ぐ進まず、脇道を左に入っていく事にする。

「……あれ?」

 特に考えもなく、観光地に来た観光客のような好奇心を胸に歩を進めていた俺は、異変に気づいて足を止め、首を傾げた。

 いつの間にか道を外れ、気づけば辺り一帯を緑に囲まれていた。

「あれ~?」

 周りを見回してもう一度呟いてみる。しかし、当然の如く何も変わらない。

 そのまま耳を澄ませば、そよ風にのって木々の囁きが聞こえてきた。

 もしかして……迷子?

 これは口に出さなかった。これを口にしてしまえば、この年で、しかも記念すべき高校生活のスタートである入学式の日に、絶対にあってはならないことを仕出かしてしまったと、認めてしまうことになると思ったからだ。

 嘘、だよね? と不安に思い、俺は駆け出――

「っ!」

 ――そうとしたところで、躓いて転んだ。……痛い。

「うぅ……」

 なんだか自分に情けない気持ちになる。でも、このまま落ち込んでいても仕方がないと立ち上がる。 制服についた土を払い、転がったカバンを拾って、今度は足もとに気をつけて走り出す。

 しかし、もう随分と運動らしい運動をしていなかった所為か、それとも急に走った所為なのか、少し進んだだけで息が切れた。

「はぁ、はぁ……」

 くそっ、体力落ちているとは思っていたけど、ここまでとは思っていなかった。小学生の方がまだ走れるんじゃないか? 自分のことながら、まったくもって情けない。今度、少しランニングでもした方が良いかも。

 ――とか思いつつ、この状況をどうしようかと考える。

 ……いや、迷っていても仕方ない、とりあえず行動だ、と足を動かそうとしたところで思い出した。

 ――そうだ、携帯電話があるじゃないか!

 俺はカバンの中から、希望アイテム〈メタリックブルーの携帯電話〉を急いで取り出す。

「何かあった時の為に」、とお母さんが入学祝いに買ってくれた物だ。

 まさか必要になる時がくるなんて……ありがとう、お母さん!

 今頃一生懸命に働いているだろう実家のお母さんに心から感謝しつつ、さっそく電話を掛け……って、どこに掛ければいいんだ?

 そうだよ、こんな時はいったいどこに電話すればいいんだっけ? 警察? いやいやいや、そんな恥ずかしいことできるわけがない。じゃあどこに? というか、そもそも携帯に番号登録してあるのって、実家と家族の番号だけじゃなかったっけ? まぁ、それしか知らないからなんだけど……って、結局全然携帯の意味ないじゃん!

 俺はガックリと項垂れ、落ち込む。

 そのまま呆然としていると、不意に、辺りを強い風が吹いた。

「うわっ」

 ボーっとしていた所為で、その風に背中を押され、また倒れそうになる。

「っとと」

 ……ふぅ、また転ぶところだった。

 一息つき、「よしっ!」と気持ちを切り替えて、踏みとどまったその足で再び走り出す。

「ん?」

 少し走ったところで、急に視界が広がり、小さく開けた場所に出た。

 太陽の日差しで輝く不思議な空間に、小さなブランコが一つ。

 丈夫そうな太い樹の枝に、これまた丈夫そうなロープを吊るし、そのロープに木の板を取り付けたもので、普通の公園にあるようなブランコとは違い、誰かが自分で作ったお手製のものに見えた。

 そのブランコに一人の女の子が座っていた。

 幼い顔立ちの女の子は、その大きな瞳で虚空を見つめていた。

 肩のあたりで切り揃えられた雪のような綺麗な髪が、暖かな陽を浴びて白銀に輝いている。その髪と遊ぼうと、風が女の子の髪を揺らしている。

 思わずじっと見つめていると、女の子がこちらに気づいたのか、その瞳に俺を映した。

「……あ」

 ハッと気がつき、俺は女の子に近づく。

 さっきは気付かなかったが、よく見ると赤い小さな鈴が付いた葉っぱの髪飾りを、頭の両脇に一つずつ付けていた。

「あ、あのっ」

 俺が声をかけると、女の子はこちらを見つめたまま小首を傾げた。

「っと、その……」

 声をかけたのはいいが、慌てて混乱している所為かすぐに言葉が出てこない。

「えっと、あの……」

「……?」

「え~っと、その、あの……っ、道に迷ってしまって!」

「っ!」

 少し焦った俺は、いきなり叫んでしまっていた。慌てて女の子の姿を見る。

 驚きと怯えが混じった感情を瞳の奥に宿し、女の子はこちらを見ていた。

 ……しまった、と思った。いきなり大きな声を出すなんて、何をしているんだ、俺は。

 一つ深呼吸してから、頭を下げ、もう一度女の子に声をかける。

「あのっ、すみません! いきなり大きな声を出してしまって。……その、どうも道に迷ってしまったみたいで、少し混乱してて……。あのっ、それで、もしよければ道を訊きたいなぁと思って。えっと……」

 俺は顔を上げ、そっと女の子の様子を窺う。

 ………………。

 ――沈黙が舞い降りた。

 あ、あれ?

 俺の言い方が悪かったのだろうか、女の子はこちらを見つめたまま動かない。

 対する俺も、どうしたらいいのか分からず、立ちつくす。

「えっと……」

 三度声をかけようとしたところで、

「……あっち」

「えっ」

 すっと、女の子の細い腕が持ち上がり、その先の小さな白い指が、ここから南西の方角を指す。

「……あっちに、神社が……あるから……」

 まるで、海の中で輝く真珠のような、静かに、透き通る声で女の子は言った。

「神……社?」

 一瞬何のことだか分からず、口の中で小さく呟いてしまう。

 その呟きが聞こえたのだろう。女の子が、コクンと頷く。

 ……もしかして。いや、もしかしなくても道を教えてくれたのだろう。まぁ、道を訊きたいって言ったんだから当然かもだけど。

 ということは、えっと、それはつまり『神社に行けば道が分かるから』ということだろうか?

 それとも……、『私に聞くより神社に行って、神様にでも聞いた方が良いよ』ということだろうか……? まさかぁ、この女の子がそんなこと言うはずないよね? ……出会ったばかりだけど。まぁ、普通に考えれば前者だよねっ。きっと。

 女の子に対し、失礼な考えを追い払い、俺は頭を下げる。

「あ、その……ありがとうございます。教えてくれて」

「……ん」

 そうお礼を受け取って頷いてくれた女の子に、俺はなんだか嬉しくなって微笑む。と、そこで今更ながらに気づいたことがあった。

「あ、その制服って、確か……」

 女の子が着ている服は、確かに蒼鯨学園の女子制服だった。入学案内に載っていたのをよく覚えている。

 青のブレザーには波を思わせる白いレースが付いており、その波からは噴き上げる潮のようにラインが首元まで届いている。空色のスカートには長く伸びた白い雲が並んでいて、そこから等間隔に陽が射し引かれている。まるで、気持ち良さそうに海を泳ぐクジラをイメージした制服だった。

「うん、やっぱり。それ蒼鯨学園の制服ですよね?」

 尋ねると、そこで女の子も俺が蒼鯨学園の制服を着ている事に気がついたみたいだった。

「あ、あの、俺、今日から蒼鯨学園に入学するんです。あ、あなたは?」

「……私も」

「そ、そっか、じゃあ一緒ですね」

「……一緒?」

「はい。同じ蒼鯨学園の新入生同士ってことです。……あっ、決して道に迷った者同士なんて思っていませんよ。迷ってたのは俺だけだと思っていますし、その証拠に道も教えてもらいましたし」

 小首を傾げる女の子になぜか焦ってしまった俺は、誤解されないようにと早口で話す。

「……一緒……」

「?」

 そんな俺の話を聞いていたのかいないのか、瞳を閉じ、胸に手を当てて女の子は呟いた。

 いったいどうしたんだろう? 具合が悪くなったとか。ん~、でもそんな風には見えないし。何か変なことでも言ったかな、俺。

「……行かなくていいの?」

 女の子が、考え込んでいた俺を見つめて言った。

「あっ、そ、そうですね。それじゃあ、そろそろ行こうかな。また迷うと困りますし……」

 苦笑を浮かべ歩き出そうと女の子に背中を向けたところで俺は忘れ物を思い出したかのように、すぐさま、また女の子の方へ振り返る。

「?」

「えっと、その……もし良かったら、一緒に行きませんか?」

 一回転しての俺の申し出に、女の子は少し驚いた様子を見せた。

 だけどそれも僅かな間、何かを思うようにした後、女の子は静かに首を横に振る。

「……もう少し、ここにいるから」

「そう、ですか……それなら仕方ないですね。……あの、道教えてくれて、ありがとうございました。 それでは、また学園で……」

 ちょっと残念に思いながらそう言い残した俺は、女の子に教えてもらった方へと進んで行った。

     

      ***


 少し歩くと、女の子の教えてくれた通りに神社が見えてきた。

 こんな近くにあったのか、と思うと急に恥ずかしくなってくる。

 ……あーもうっ、本当に俺ってカッコ悪いなぁ……。

「はぁ……」

 ブン!

「ん?」

 思わずその場で頭を抱えて一人落ち込んでいた俺の耳に、突然風を切るような音が聞こえてきた。

 今何か聞こえた……よな。多分。

 確かめる為、俺は辺りに耳を澄ましてみる。

 ――ブン!

 あっ、やっぱり何か聞こえた。神社の表の方からか?

 音が聞こえた方に足を運ぶ。

「はっ!」

 そこには、竹刀を一生懸命に振っている女の子がいた。

 その女の子は剣道でもしているのか、白い道着を着ていた。

 ヒマワリのように太陽の陽を浴びた明るい髪を青いゴムで纏めてポニーテールにしているが、前髪や耳の辺り、毛先の部分だけは他とは異なる薄い色をしていた。その髪が竹刀を振る度元気に揺れている。

「ふっ、やぁ!」

 ……なるほど。あそこに居る女の子が竹刀で素振りをしている音があそこまで聞こえてきたという訳か、納得。

 それにしても……すごい音だなぁ。よほど頑張っているのだろう、少し振っただけじゃこんな音はしないんじゃないかと思う。

「あの~」

「えっ! ひゃわぁ!」

 女の子に声をかけたら、よほど集中していたのか、すごく驚かれた。

「あっ……」

 勢いよく驚いた女の子はそのままバランスを崩し、背中から地面に倒れそうになる。

「ぁ……くっ!」

 瞬間、足が勝手に動いたと思ったら、頭が真っ白になった。

「…………っ!」

 気づいたら俺は、地面にぶつかる前の女の子を抱きかかえていた。

 えっ……? あ、あれ? 俺、今……あれ?

 いつの間に? 自分の事ながら驚いてしまう。

「あ、あのぉ……」

「え……っ!」

 すぐ下から声がした。

 下を見ると、すぐそこに女の子の顔がある。

 さっきまでの凛々しい表情とはうって変わり、少し頬を赤くした女の子は照れたような表情を浮かべ、こちらを見上げていた。

「えっと……」

「っ! ごめんなさい!」

 目が合った途端、俺はなぜか謝りながら、女の子を起こした。

「えっ? あ、えっと……ううん、別にいいよ。気にしてない」

 突然謝った俺に戸惑いを見せたのもすぐ、女の子が笑顔で言って、落とした竹刀を拾う。

「あ、その、驚かせてしまったみたいで……その、大丈夫ですか?」

「うん! 全然平気。助けてくれてありがとう」

 驚かせてしまった事を詫びる俺に、花が咲いたような笑顔でそう言ってくれる女の子。

「っ!」

 瞬間的に顔が熱くなった。う……何だろう、この感じ……?

「いえっ、悪いのは俺ですから。それより、集中してたところを邪魔しちゃって、すみませんっ」

「いいよ、いいよ。丁度もうすぐ止めようと思ってたところだったから、そんなに気にしないで。まぁ、ちょっとビックリしたけどねっ」

 勢いよく頭を下げた俺に、女の子は微笑んで許してくれる。

 なんか、明るい人だなぁ。こっちまでつられて笑ってしまいそうになる。

「あっ、その制服!」

 女の子が俺の着ている蒼鯨学園の制服を指差して言った。

「それ、蒼鯨学園の制服だよねっ? ……この時間に制服を着てるってことは、もしかしてこれから入学式?」

「あ、はい。そうなんです。それで入学式まで時間があったのでちょっと散歩でも、と思ったんですけど。そしたら、その……み、道に迷っちゃって……」

「あぁ、なるほど~。それで神社の裏から出てきたんだね」

「ぅ、はい……」

 恥ずかしくなって俯いた自分の顔が、これ以上無いくらい真っ赤になったのが分かった。

 あ~~、何かもう駄目だーー。恥ずかしすぎて、顔上げられないよぅ~。

 あまりの恥ずかしさに体が震えだしてくる。

「ふふっ」

 クスリっと笑う声がして、俺は顔を上げる。

「ふふっ、ご……ごめん。ふっ、何か……ふふっ、可笑しくて」

 女の子は、お腹を押さえて笑っていた。……恥ずかしい。

「ふふっ、ふ…………ふうっ」

 俺が恥ずかしさに耐えている間にだんだんと落ち着いてきたようだ。女の子は、目に浮かんだ笑い涙を拭うと頷いた。

「そっか、そっかぁ。実は、私も今日から蒼鯨学園の一年生なんだぁ。それで、少し気合いを入れるために朝の稽古をしてたんだけど……そっか、そっか」

「えっと、あなたも?」

「うん! そうだよっ」

 俺が訊き返すと、またさっきの笑顔で女の子が答えてくれる。

 ……なんだか、笑顔が似合う人だなぁ。俺とは正反対だ。

「あっ、そうだ!」

 急に良いことを思いついたようにパァっと手を合わせ、女の子が大きな声を出した。

「それじゃあさ、もし良かったら一緒に学園まで行かない? せっかくこうして会ったんだしさ、そうだよ、そうしよっ! ね?」

「えっ、えっと、あの……は、はい」

 女の子の勢いに圧されて、つい俺は頷いてしまう。

「よ~し、そうと決まれば! ちょこっと行って、ちょこっと着替えてくるから、ちょっとだけ待っててね」

 そう言い残して、勢いよく駆け出していく女の子。

「あ……」

 ……行っちゃった。

 まぁ、ここからだと道分からないし、丁度良かったかもしれないな。……いや、きっとそうじゃないな。さっき俺が道に迷ったって言ったから、気を遣ってくれたんだろう……さっきの女の子もそうだけど、優しい人ばかりだな。

 しばらく春の風を浴びながら感慨にひたる。

 そうしていると、蒼鯨学園の制服に着替えた女の子が、息を切らせながら戻ってきた。

「はぁ、はぁ……おまたせっ」

「そんなに急がなくても……」

「だって……待たせるの……悪いし」

「別にそんなの気にしませんよ」

 肩を揺らして、てへへっ、と笑う女の子に自然と俺も笑いかける。

「そう? それなら良かったぁ」

 暖かな陽気の中、そうやって微笑み合う。

「あ、ねぇ……」

「あ、はい」

 もじもじと手を後ろに組んだ女の子が、こちらを見上げ訊いてくる。

「その……これっ、どうかなっ? ……似合ってる、かな?」

「えっ? あ、その、えと……に、似合ってますよ」

 こんなこと言うのは初めてだったから、少し照れながら答える。

「本当! 良かったぁ」

 嬉しそうにその場でクルリと回って、照れ臭そうに微笑む女の子。

「くすっ」

 そんなことでそんなに嬉しそうにする女の子を見てると、なんだか、こっちまで嬉しくなってきた。

「えへへ。よ~し、それじゃあ、しゅっ……」

 元気よく右手を挙げ、歩き出そうとした女の子が動きを止める。

「?」

 どうしたんだろう? 忘れ物でもしたのかな?

「あ、えっとね。まだ名前言ってなかったなぁって思って。私の名前は、《貴峰 葵たかみねあおい》! ここ、貴峰神社の一人娘だよ!」

 そう、元気よく自己紹介する女の子――貴峰さん。

 そういえば、まだ言ってなかったかも。

「あっ、えっと、《一前 進いちぜんすすむ》です」

 特に何か言う訳でもなく、名前だけの自己紹介をする。

「そっかぁ、じゃあ進くんだねっ。これからよろしくねっ、進くん!」

「あ、はい! えっと、貴峰さん」

「ふふっ、葵でいいよ。私も名前で呼ぶから」

「えっ、いや、でも……」

「いいって。だって、そっちの方が早く仲良くなれる気がしない?」

 微笑みながら訊いてくる貴峰さん。

 うーん、確かにそうかも。ってか、そんな風に言われると断れないな。

「えっと、その……あ、葵……さん?」

 俺は戸惑いながら、葵……さんの名前を呼ぶ。

「うん! よろしくねっ、進くん!」

「あ、はい! こちらこそ、よろしくお願いします!」

「ふふっ、別に敬語じゃなくていいのに」

 かしこまって頭を下げる俺を見て、葵さんは笑う。

「……ところで、進くん、カバンは?」

 葵さんは落ちている俺のカバンを指差し、悪戯っぽくそう言った。

「え……あっ!」

 そういえばと、俺はいつの間にか落としていたカバンを拾いに行く。

「ふふっ、進くんって面白いねっ」

 ? 俺が、面白い? そんなことを言われたのは小学生の時以来だった。

 あの時から、学校に行かなくなってから、俺はあまり笑わなくなった。あまり喋らなくなった。そして、人との関わりを持たなくなった。

 その俺が、面白い……? 何だか嬉しいような、くすぐったいような、そんな気持ちになった。

「どうしたの?」

 急に立ち止まった俺を不思議に思ったのか、葵さんが声をかけてくる。

「あ、いえ。えっと、行きましょうか」

「? うん!」

 カバンを拾い上げ、俺は葵さんの所に戻る。

「じゃあ今度こそ、しゅっぱ~つ!」

「くすっ、ホント元気な人だなぁ」

 元気よく歩き出す葵さんに小さく呟いて、俺もその後に続いた。

    

      ***


「そういえば、進くん道に迷ったって言ってたけど、この辺初めて?」

 学園に向かう途中、隣を歩く葵さんが訊いてきた。

「あ、はい。俺、蒼鯨学園に入学する為にこの街に引っ越してきたばかりなんです。それで少しでも道を覚えよう! と思っていたのですが……その、旅行に行った時みたいな、新鮮な気持ちになったといいますか、周りの見たことのない景色につい、夢中になっちゃったといいますか……ホント、大事な入学式前にする事じゃないですよねっ。あはは……はぁ~……」

「あははっ、そうなんだぁ。でも分かるよ、その気持ち」

 溜め息を吐く俺に、なだめるように言う葵さん。

「そうでしょうかー?」

「うん!」

 ん~。まぁ、それならいいかぁ、と俺は空を見上げる。

 青い空を白い雲が泳いでいる。いいなぁ、気持よさそうだなぁ。

「あっ、じゃあさ……」

 ん? 空から葵さんに視線を戻す。

「今度、道案内してあげるよっ。どうかな?」

「えっ! 本当ですか? そうしてもらえるとすごく助かります! あ、でもいいんですか? 迷惑なんじゃ……?」

「ううん、全然! もちろんオッケーだよ!」

 遠慮する俺に首を振り、右手の親指と人差し指で丸を作って笑いかけてくれる葵さん。

ぁ……やっぱり、優しいな。

「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらっていいですか?」

「うん!」

 えへへっ、と笑い合う。

 そうこうしているうちに、あっという間に学園が見えてきた。


 《私立 蒼鯨学園そうげいがくえん


 ……学校に行かなくなった俺は、それでも周りの先生方やたくさんの人達に支えられて、なんとか無事に中学を卒業することができた。こうしてこの学園に通えることになったのも、そういう人達がいてくれたおかげだと思っている。

 だが、こう言ってはなんだが、無事に卒業できただけ、というだけであって、決して勉強ができるようになったわけではない。

 俺が自分でできた勉強はといえば、学校でもらった教科書と問題集を、やる気が出た時に少しずつ、もしくは一気に、その時の気分によってやるだけだった。

 そんな俺が「よく受験に受かったな」と、周りの人達に言われる訳がちゃんとある。

 それは、この学園の入学試験が面接しか無かったことだ。

 3日間の試験勉強を終えた当日(後で『三日前! ホントに受かる気あったの?』と散々言われた)、いざ気合いを入れて入学試験に行ってみたら筆記試験が無く、面接だけだと言われ少し拍子抜けしてしまった俺は、それでも気を取り直して面接会場に向かった。

 緊張しながら扉を開けると、触ったら柔らかそうなフサフサした白い髭を伸ばしたお爺さんが一人、湯呑みを置いたテーブルの前に居るだけだった。

「?」

 まさか、白い髭を生やしたお爺さんが一人で居るだけだなんて思ってもみなかった。ましてや、机ではなくお茶の間にあるようなテーブルが代わりに置いてあるだけなんて……部屋を間違えたのかな?

 思わず部屋の入口で立ち尽くしてしまう。

「ん? どうしたのかね? 早くそこに座りなさい」

「あっ、は、はい!」

 お爺さんに促された俺はハッとして、急いで用意されていた座布団に「失礼します」と正座する。

「ふむ。ではまず、受験番号と名前を教えてもらおうかの?」

 フサフサの髭を摩りながら、お爺さんが訊いてきた。

「あ、はい。えと、受験番号217番、一前 進です! よろしくお願いします!」

「ほほ、元気があってたいへんよろしい。では、この学園を志望した理由を聞かせてもらえるかの?」

「あ、はい。自分がこの学園を志望した理由は……あ、いえ、理由と言えるのかは分からないのですが、その……ク、クジラが好きだからです! この学園の名前に鯨ってついていたので……それで……あ、あと青色も好きです! それから……えと……」

 俺は理由と呼べるのか分からない事を言い、照れて頭を掻く。

「ほっほっほっ、そうかそうか、クジラが好きとな? これはおもしろい」

 顔を皺だらけにして笑うお爺さん。

「えと……」

 笑われてしまった……。

 やっぱり変、だよね。クジラが好きって、いくらなんでも理由になるわけないよな。

 恥ずかしがりながら後悔する。うぅ、俺のバカ。

「ほっほっほっ。いやいや、笑ってすまんかった。……そうか、クジラが好きか。ふむ、なるほどのぉ」

 俯いてしまった俺に向かって、声をかけるお爺さん。

「ほほ、まぁそう恥ずかしがることもない。顔を上げなさい」

「……はい」

 うぅ、目を合わせられない。

「ふむ。実はの、ワシもクジラが好きなんじゃよ。それでワシ自身も、クジラのように大きく、そしておおらかな人間になりたい。また、たくさんの子供達にもそんな人間になってもらいたい。そう願って、この蒼鯨学園を創ったんじゃ」

 そうやって、何かを慈しむような瞳で話すお爺さん――いや、この学園の理事長……なんだろう。今、創ったって言ったし。

「ふむぅ、そうか。……よし、これにて面接終了じゃ。御苦労じゃった」

「えっ! これで終わりですか?」

 頷きながらそう言った理事長に、驚きながら訊き返す。

「うむ。おもしろい事を聞かせてもらった。……君とは気が合いそうだな。縁があったらまた会おう」

 理事長はそう言って、ニカっと笑ったのだった。

 そうして面接会場を出た俺は、

「……こんなので受かるのだろうか? クジラの話しかしてないような? ……なんか不安になってきた……」

 こう呟いた――

 

     ***


 ……ホント、あの時は受かるかどうか心配だったけど、こうして蒼鯨学園の制服を着て登校することができて、本っ当に良かったぁ~。

「? どうしたの、進くん? なんだかボーっとして。もう学園に着いちゃったよ」

「ふえっ?」

 気付いたら、一緒に歩いていた葵さんがこちらを不思議そうな顔で覗き込んでいた。

「あ、本当だ……」

 面接の時のことを思い出し、どこか呆けてしまっていたらしい。前を見ると、もう校門前まで来ていた。

「わぁ~、ここが今日から私たちの通う学園……なんだねっ!」

 両腕を広げ、希望の色で瞳を輝かせて校舎を見上げる葵さんは、今にも踊りだしそうだ。

 その姿に、一瞬見惚れてしまう。

 葵さんは今、これから始まる何かで胸を一杯にしているのだろうか?

「……これから、楽しい事がたくさんあるといいですねっ」

 ――そんな事を思ったら、自然とそんな言葉が出てきた。

 俺自身そんなことを期待しているからだろうか?

 ここで、この場所で変われるように……。

 思いを実現できるように……。

 そうだ。俺は変わるんだ。ここで、絶対に! その為に親にわがままを言ってまでここに来たんだから……!

「うん! よ~し! 楽しい思い出、たっくさんつくれるように頑張るぞ~! おー!」

 静かに決意を改めていた俺の横で、葵さんが大きな声で右手を勢いよく空に向かって突き出した。

「! ちょっ、葵さん!」

 周りにいた他の新入生であろう生徒達が「ん? 何だ?」とこちらに注目する。

「ほらほらっ、進くんも一緒に、おー!」

「えっ! ちょっ、まっ」

 葵さんはそんなことを余所に、驚く俺の手を取り、大きく持ち上げる。

「っ~~!」

 な、なんてことを。

 周りの視線が一気に集まる。そして聞こえてくる数々の声。

「ぷっ、何あれ?」

「恥ずかしい奴ら」

「見て、あの男の子、顔真っ赤にしてるよ」

「あ、ホントだ。かわい~」

「おっ、あの元気な女の子、結構かわいくねっ」

「うんうん、俺もそう思った~。いいなぁアイツ……」

 ……うぅ、恥ずかしい。

 周りを全く気にしていないような葵さんに、顔を真っ赤にしながら尋ねる。

「あ、葵さん~」

「ん? どうしたの、進くん?」

「あ、あの、周りが……」

「周り? 周りがどうかしたの?」

 俺に言われて周りを見回す葵さん。

「あっ……」

 どうやら、周りの視線を集めていることを気にしていなかったのではなく、気づいていなかっただけのようだ。

「ご、ごめん。つい、はしゃいじゃって……」

 照れながら俺の手を離す。

「い、いえ……」

 二人で真っ赤になって立ちつくす。

 ……とりあえず移動した方が良いかも、と思い葵さんに声をかける。

「あ、えと……と、とりあえず行きましょうか」

「う、うん。そうだね」

 そうして、俺たちは校舎の中に入って行く。

 校舎に入ると、玄関に大きな掲示板があり、そこに人が集まっていた。

「俺F組、おまえは?」

「僕はB組だよ」

「そっか。まぁ最初で最後の高校生活だ、お互い頑張ろうぜ」

「うん。僕、絶対かわいい彼女つくるぞ~」

 等々、期待に満ちた声が周囲から聞こえてきた。

 どうやらあそこにクラス表が貼ってあるらしい。

「あ、あそこ! 私たちも行ってみようっ」

 駆け出す葵さん。俺も早足で向かう。

 掲示板には六枚のクラス表が貼ってあった。

 だけど、俺の目だとこの距離からはまったく字が視えない。近づこうにも、人がたくさんいる所為でこれ以上は進めそうもない。

 ……しょうがない、眼鏡掛けるか。

 俺は胸ポケットから眼鏡ケースを取り出して、眼鏡を掛ける。

 ん、なんとか視えるようになった。

 え~と、一前、一前は~っと、左から順番に見ていく。

「あ、あった」

 一前だからと上の方をざっと眺めてみたら、あった。1―Dだ。

 こうして名前があると本当に合格したんだなぁって思う。良かったぁ。

 葵さんは……違うクラスのようだ。1―Dのところには名前が見あたらなかった。

「ん~と、あ、あった!」

 どうやら葵さんも自分の名前を見つけたようで、俺の方へと振り向く。

「あったよ。1―Cだって! 進くんは?」

「あ、えと、1―Dです」

「えっ、そっか……違うクラスになっちゃったね……」

 俺が言うと、葵さんはなぜか、しゅんと落ち込んでしまった。

「? えっと、そんなに落ち込まなくても……」

「だって! ……せっかく、知り合えたのに……」

 うぐっ、何だろう。そんな顔をされると、なんだかいけない事をしてしまった気持ちになってくるじゃないか。

「えっと、その、大丈夫ですよ! クラスが違うだけで同じ学園の生徒なわけですし……それにほら、違うクラスといっても一つ隣のクラスになっただけですし……その……」

 慌てて元気づけようとする俺。

「でも……一緒のクラスになれたらいいなぁって、思ってたんだもん……」

 ……葵さん。まだ会ったばかりなのに、もう俺のこと友達だって思ってくれてるのかな。……なんか嬉しいな、あったかい気持ちが胸に沸き上がってきた。

 ――うん! だったら俺も、葵さんの友達として!

「葵さん!」

「えっ!」

 大きな声で名前を呼ばれて、ちょっとビックリした様子な葵さんに言う。

「葵さん。俺も葵さんと一緒のクラスになれたらなぁって思ってました。そしたら、すごく楽しいだろうなぁって。葵さんの元気な声が隣のクラスから聞こえてくる事を思うと、すごく羨ましいです。でも、こうも思います。来年は一緒のクラスになれるといいなぁって、楽しみができるわけです。そして、それを楽しみに1年間を過ごして、もし来年、一緒のクラスになれたら……すごく嬉しいと思うんです。だから、そんなに落ち込まなくても大丈夫ですよ。きっと!」

「進くん……」

 こちらを静かに見つめてくる葵さん。

 ……あ、ダメ、だったかな。

 どうしよう。思った事は全部言えたと思うんだけど……困った。

 今まで誰かを励ました事があまり無かった俺にとって、こんな風に言葉を送るのは慣れていない事だ。これ以上何て声をかけたらいいのか、と迷ってしまう。

「……うん。そうだね! 進くんの言う通りだよ! よ~し、なんか元気出てきたぁ~。ありがとう、進くん!」

 でも、そんな口下手な俺に、お日様のように葵さんは笑ってくれた。

「えへへっ――ってあれ? 進くん、眼鏡」

「えっ? ああ」

 もうクラス分かったから必要無いか。

 俺は眼鏡を外す。

「あ、まって。もう一回掛けてみて」

「? 別にいいですけど。どうしてですか?」

 いきなりそんなことを言い出した葵さんに訊く。

「いいから、掛けてみて」

「?」

 まぁいっか。とりあえず掛けてみよう。

「えと、これでいいですか?」

 もう一度眼鏡を掛けて葵さんの方を見る。

「………」

 葵さんの瞳は観察するようにジッとこちらを見つめてくる。

 え、何? もしかして、眼鏡掛けた俺ってどこか可笑しかったりするのかな?

「あのっ……」

「……うん、やっぱり。進くん、眼鏡掛けてもカッコイイねっ」

「へっ? カッコイイ……ですか?」

「うん!」

 えっと……何を言っているんだ葵さんは? カッコイイ? いくらなんでもそれは誉め過ぎだろう。

 自分で言うのもなんだが、俺はオシャレとは程遠い存在だ。そんなものにはまるで興味が持てない。だから髪はいつも邪魔にならないように適当に切ってもらっているだけだし、普段着ている服だって安物しか買ってこない。その上、アクセサリーなんかも一つも持っていない。腕時計でさえもだ。

 そんな俺が眼鏡を掛けたくらいで……ありえない。まったく、お世辞が上手だな葵さんは。あっはっは。

「でも進くん、眼鏡掛けてるって事は目悪いの?」

 お世辞と分かっていてもつい嬉しくなってしまう単純な俺が、心の中でアメリカンジョークを言って笑う人みたいに笑っていたら、葵さんが訊いてきた。

「あ、はい。裸眼だと0.1も無いかも知れません」

「そんなに! そんなに悪いと視えないんじゃないの? それで普段生活してる時とか大丈夫なの? さっきまで眼鏡掛けてなかったよね?」

 葵さんは早口にそう言いながら、心配そうにグイッと近寄ってきた。シャンプーのいい香りが鼻をくすぐる。

「ぇぅ、あの……」

 眼鏡を掛けている所為でハッキリと見える。

 シオンの花のような薄い紫色が滲む瞳。長いまつ毛や可愛らしい小さな鼻。薄紅色の唇。神社で見た時には気付かなかったところもよく見えた。

「っ」

 まずい! 何がまずいのかよく分からなかったが、そう思った瞬間、思わず一歩後ろに下がってしまう。

「むっ! どうして逃げるの?」

 ちょっと怒ったような表情になった葵さんは、左手を腰に当て、少し前屈み気味な姿勢で問い詰めてくる。

「あ、いえ、別に逃げては……」

 両手と首を横に振り、葵さんに逃げてないということをアピールする。

「でも今、後ろに下がったよね?」

「いえ、これはその、なんて言ったらいいのか……」

 顔をあさっての方向に逸らしながら、軽く頬を掻く。

 素直に恥ずかしいから、と言えばいいのだろうか?

 ん~、でも、そう言うのも恥ずかしいような気もするし……。

 どう言えばいいのか分からず、俺は黙ってしまう。

「もしかして……」

「えっ」

「もしかして私、迷惑……だった、かな?」

 沈んだ声が葵さんの口から聞こえてきた。

「え、迷惑? そんなこと思ってませんけど……」

「でも私、会ったばかりなのに馴れ馴れしかった……よね」

「葵さん?」

 気になって葵さんに視線を戻すと、俯き加減の瞳で、自分の左腕をギュッと掴んでいる葵さんの姿が映った。

 え……! どうして? なんで、そんなに寂しそうな顔をしているんだ?

「あ……」

 ……駄目だ。声をかけようとしたが、言葉が出てこなかった……。

 そのまま、さっきまで吹いていた風が急に止んで回らなくなった風車のように、俺は動けなくなった。

 周りの生徒が、掲示板の前で立ち止まっている俺と葵さんを邪魔そうに見ている。

 俺は、揺れていた。

 いや、多分揺れていると感じているだけなのだろう。

 だけど確かに俺の頭はクラクラしていて、今にも倒れてしまいそうな感覚に包まれていた。

 くっ、何で、こんな……。

 不意に、あの頃の自分が思い浮かんできた。

 学校に行かずにずっと一人でいた時の事を。

 なにも無い自分を否定されたようで、それが怖くて、ただ日々を過ごしていた頃を。

 葵さんの瞳は、どこかそれに重なって見えた。

「……な~んてねっ。冗談だよっ!」

「ふぇ? じょ、冗談?」

「うん、そうだよ。ちょっと進くんを困らせてみたくなったんだぁ。えへへっ」

 葵さんはそう言って、さっきまでの明るい表情に戻ってみせた。

 冗談……なのか?

 そう、だよな。こんなに笑顔の似合う人が、そんな訳ないもんな。

 なら良かった。少しホッとする。

「じゃあ、そろそろ教室行こっか。進くん」

「あ、はい、そうですねっ。それじゃあ、行きましょうか」

 今の寂しそうな顔は気のせいだったのか、とまだ少し気にしつつも、俺は葵さんと一緒に教室に向かった。

 

     ***


「じゃあ、また後でねっ」

 1―Dとプレートに書かれた教室の前で立ち止まる俺に手を振って、葵さんは1―Cの教室にと入っていく。

「よしっ、俺も入るか」

 少し気合いを入れて、1―Dの扉を開ける。

 教室に入ると、もう結構な人がいた。

 それぞれ話をしたり、緊張した面持ちで席に着いていたり、キョロキョロと落ち着きなく周りを眺めていたり、逆に落ち着いて本を読んでいる人もいる。

 この人達が、今日から1年間を共に過ごす事になるクラスメイト。うわっ、ちょっと緊張してきたぁ~。

 うまくやっていけるだろうか。不安になる。

 ……いや、弱気になるな! ここで変わるんだろ? 頑張れっ俺!

 気合いを入れ直す。うん!

 よし、じゃあまずは席だな、席を探そう。俺の席は、と。

 ――あ、あった。窓際の前から2番目の机だ。机に出席番号と名前が書いてある紙がテープで貼ってある。

 しっかりとした木製の机は3人くらいまで座れる程広く、真ん中にスペースを空けて椅子が二つ置かれていた。

 どうやら一つの机に2人ずつ座るようだ。

 用意されていた自分の席に着く。

「ふぅ」

 んー、やっぱり自分の場所があるっていうのは落ち着くなぁ。

 一息吐き、窓の外を見る。中庭が見えた。

 結構広いな、たくさん花が咲いていてベンチなんかもあるや。噴水もあるし、のんびりお昼ご飯を食べるのに良さそうだ。

「……ん?」

 あれ、あの噴水……もしかして……。

 中庭の一点にある〈それ〉に気づき、俺は小さく笑う。

「そういえば、理事長が言ってたもんな」

 ……その噴水はなんと、丸っこいクジラの形をしていた。

 いや、形だけじゃない。あの、まぁる~いつぶらな瞳。大きな口、お腹の線まで、形よく造ってあった。

 それはまるで、あのクジラがゆったりと海を泳いでいるかの様。

 ……ぐはっ、か、可愛い……! 可愛すぎるぅ~~!

 あまりの可愛さにニヤけだす口元を咄嗟に右手で押さえ、グッと込み上げてくるものを抑える。

 くっ、いったいなんて物を造ってくれたんだ、あの理事長は。まったく、クジラ好きにも程があるだろう。……でも……あっりがと~ございまっす! ナイスです! 理事長万歳~!

 心の中でたくさんの俺が、白い髭をフサフサと伸ばして笑っている理事長を胴上げする。

「……はっ!」

 な、何をしているんだ俺は。頭をブンブン振って落ち着きを取り戻す。はふぅ~。

 や、でもまさか、あんな可愛いものがあるなんて。ついハイテンションになっちゃったじゃないか。まったくもうっ。

 頭を振ってずれた、眼鏡を直す。

 って、眼鏡掛けたままだった。

 ポケットからさっき仕舞った眼鏡ケースを取り出して、直したばかりの眼鏡を仕舞う。

 眼鏡を外すとクジラの瞳が見えなくなった。

 ……さて、特にすることも無いし、時間まで少し休んでようかな、と目を瞑る。

 ふぅ。こうしてのんびり時間が過ぎるのを待つのって結構好きなんだよなぁ~。なんか時間を無駄にしている気がしないでもないけど、それはそれで贅沢だと思う。

「――あのっ」

 近くで声がした。

「あのっ、すみませんっ」

 誰かに話しかけているようだけど、俺じゃないだろう。俺に知り合いはいないはずだし。

「えっと……もしかして寝てるの、かなぁ?」

 ……ん、あれ? もしかして、俺のことなのかな? 周りから見て、目を閉じてジッとしている人は寝てるように見えるものだろうからな。今の俺がそうなんだろう。この賑わっている教室で他に居るようには思えないし……。

「フン、なら別にいいじゃない。寝てるのなら無理に挨拶なんてしなくても」

「でも、これから隣の席になった人だから、ちゃんと挨拶しておきたいなって」

「ふう、本当に真面目ね、香苗って」

「そ、そうかなぁ?」

 ……やっぱり俺のこと、だよな。

 俺は目を開けて、声のした方を向く。

「あっ」

「なんだ、起きてたじゃない」

 そこには、女の子が二人立っていた。

 一人は大人しそうな可愛らしい人だった。

 優しそうな瞳は少し垂れ下がっていて、もじもじとこちらを見ている。控えめに切り揃えられたショートカットがよく似合っていた。

 その隣に立っているもう一人はバラのように、綺麗な、それでいて触れれば棘が刺さってしまいそうな、そんな容姿をしていた。

 その人は、その勝気そうな瞳で俺を真っ直ぐに見下ろしていた。薄く輝く髪を腰辺りまで伸ばしていて、両耳の辺りに赤いリボンを巻いている。

「あ、えっと……」

「フン! まったく、起きてたのならもっと早く返事しなさいよね!」

 ――何でしょう? と訊こうと思ったのだが、俺が言うよりも先に強気そうな方の女の子に怒られてしまった。

「えっと……すみません……」

 女の子の剣幕に負けて、なんとなく謝ってしまう。

「フン、なんだか冴えない奴ね」

「優希ちゃん! 駄目だよ、そんな事言ったら。謝らないと」

「何で? 本当の事を言っただけよ」

 ふぅ……まさかいきなりそんな事を言われるとは思っていなかった。……まぁ、確かに冴えないだろうけど。それにしたって……。

 軽く落ち込む。

「あ、えと、いきなり失礼な事を言ってすみません! でも、優希ちゃんも悪気があるわけじゃないんです。ただちょっと入学式だからって緊張してるだけなんです」

「べ、別に緊張なんてしてないわよ!」

 大人しそうな方の女の子が俺に頭を下げて謝り、もう一人の強気そうな女の子は顔を少し赤くして、フンッと小さく鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

「い、いえ、別に構いませんよ。多分本当の事ですし、気にしてませんから」

「えっ、えっと、その……すみません……」

 ? 気にしてないって言ってるのに、大人しそうな女の子になぜかちょっと困った風に謝られた。

「……え~と。それで、俺にいったい何でしょうか?」

「あ! えっと、私《叶井 香苗かないかなえ》って言います。あのっ、これから1年間、よろしくお願いしますっ」

 俺が訊くと、思い出したみたいに丁寧に頭を下げながら自己紹介してくる大人しそうな女の子――叶井さん。

「あ、えと、一前 進です。こちらこそ、よろしくお願いします」

 俺も頭を下げて、そう返す。

「ほら、優希ちゃんもちゃんと挨拶しないと」

「な、なんで私まで!」

「だって、ほら、前の席だし……」

「だ、だからって別に、自己紹介する必要なんて無いわよっ」

「でも……」

「フン!」

 叶井さんに言われて、またそっぽを向く女の子。

「えと……優希ちゃんは私の友達で、《綾瀬 優希あやせゆき》ちゃんって言います。そのっ、普段はちょっとキツイことを言ったりするかもですが、本当は素直になれないだけで、困った人がいたら放っておけない、とても優しい人なんですよ」

 まるで自分の事のように自慢げに、満面の笑顔で叶井さんは友達の自己紹介をする。

「なっ! ちょ、香苗!」

 その友達の綾瀬さんは、勝手に紹介された所為か、それとも褒められて照れているだけなのか、真っ赤になって叶井さんに詰め寄る。

 ……仲が良いんだな。ちょっと羨ましくなる。

 そんな二人を眺めていたら、「キンコンカンコーン。新入生の皆さん、おはようございます。もうすぐ入学式が始まります。自分の教室に入って席に着いていてください。繰り返します。新入生の――」と放送が鳴り出した。

「あ、もうこんな時間ですね。席に着きましょう」

 叶井さんが言いながら俺の隣の席に座る。

「フン!」

 叶井さんに詰め寄っていた綾瀬さんも、自分の席である俺の前の席に座る。その時さらりと髪が泳ぐ。細くて綺麗な髪だなと思った。

 席に着いてしばらくすると、教室の扉を開けて先生らしき人がやってきた。

 茶髪のロングヘアーで白のスーツを着ている、背の低い女の人だ。

「おぉ、中々……」

「しゃぁ! 美人先生? きたぁー!」

「でもちょっと若すぎねぇ?」

 女の人を見た周りの男子生徒から、喜び? の声が上がる。

 そう、なのか? 俺の目じゃなんとなく若そう、くらいにしかわからないんだが。

 皆の注目を集める中、女の人がゆっくりと教卓に向かって歩いて行く。そして――

「新入生のみんなぁ、おっはようございま~~す! 今日からこのクラスの担任をすることになった《諸江 美子もろえよしこ》でっす! 美子ちゃんって呼んでくださいっ。んーとですねぇ、趣味はぁ、裁縫でっす! それで、時々自分でお洋服を作ったりしてますです。えっへん! 担当科目はもっちろん家庭科で、制服のボタンがとれた時などは遠慮せずに先生に言ってくだされば、パパッと直しちゃいますよ~。是非、気軽に声をかけてくださいねっ。あっ、それと~、ただ今彼氏募集中でっす! でもぉ、だからといって先生に恋してはいけませんよ~。先生と生徒の禁断の恋、それはそれでロマンティックですけどねっ」

 教卓の前に立った本当に先生なのかと思いたくなるような女の人が、いきなりエンジン全開で喋りだした。しかも、最後はウインクまでしたような……。

「「………」」

 教室が静まりかえった。

 そりゃそうだろう。いきなりこんな……。

「「ぉ……」」

 ん?

「「おぉ……」」

 えっ、何?

「「おぉ、おおおぉぉーーーーーーーーぉ!」」

 次の瞬間、教室を揺るがすほどの雄叫びが響き渡った。

 えぇー! な、何? いったい何がおき……。

「か、可愛いー!」

「うむっ、実にキュートだ」

「先生! 俺と付き合ってください!」

「あ、お前ずるいぞ、俺だって! ……先生! いや、美子ちゃん! 俺と結婚してください!」

「先生! 俺とペアルックの服を作って、デートしませんか?」

「ダ~メ。美子ちゃんは私のお嫁さんにするんだからっ」

「あーそれ良い。あたしも~」

 ……どうやら、男子も女子も入り混じっての先生への告白大会が始まってしまったらしい。周りのクラスメイト達が次々と席を立ち叫んでいる。

「……何、これ?」

 とてもじゃないが、突如として始まったこのイベントについていく事ができず、俺はただ静かに呟きを洩らす。

「………」

 隣を見ると、叶井さんも俺と同じらしい。小さく口を開け、目をパチパチと瞬かせていた。

「わぁ~、みんなぁ、あっりがと~! そんな風に言ってもらえて、先生すっごく嬉しいでっす! でもぉこれから入学式について軽~く言っておかなくちゃいけない事があるので、しっかりと聞いててくださいね~」

「「は~い!」」

 先生がそう言うと、皆一様に声を揃えて着席した。

 ……なんか凄い先生だな。なにかの人気アイドルみたいに一瞬で生徒達の心を掴んでしまったようだ。ノリが良いというかなんというか、クラスメイト達もだけど……。

 ふぅ……まぁ、なんにしても賑やかなクラスになりそうだなぁ。


 そうして俺達は、美子先生の簡単な説明を聞いた後に皆で廊下に並び、体育館で行われる入学式に向かった。

 入学式は、割とあっさりと終わった。

 というのも、俺は話を聞いているうちにだんだんと眠くなってしまって、ほとんど内容を覚えていなかったからだ。

 覚えているのは、在校生代表の生徒が新入生歓迎の挨拶を述べていたのと、理事長がこの学園のモットー「クジラのように大きく、おおらかな心を持った人間に!」について熱く語っていた事。それと、なぜか式の途中で「何だ、あれ?」というざわめきが聞こえてきた事くらいだが、その時はもう眠くて確認しなかった。あれはいったいなんだったんだろうか?

 なにはともあれ、こうして新たなスタートである入学式が終わった。

 入学式が終わって教室に戻り、各クラスで最初のHRを済ませた後、解散となった。

「あ、あの、一前くん」

 席を立ち、帰ろうとしたところで、俺は叶井さんに呼び止められる。

「あ、はい。何でしょう?」

「えっと、その……ま、また明日、です」

 叶井さんは遠慮気味に手を挙げてはにかみながら、控えめにそう言ってくれた。

「あ……はい。また明日、です」

 俺もそれに応えて軽く手を挙げた。

 叶井さんと挨拶を交わして教室を出ると、廊下の少し離れたところに葵さんがいた。

「あ、進くん!」

 葵さんが駆け寄ってくる。

「葵さん? どうしたんですか?」

「うん、えっとね、進くんと一緒に帰ろうかなって思って……」

「? 別に構いませんが……ああ、そっか。……そんなに心配しなくても、学園からの帰り道なら大丈夫ですよ。朝のはちょっとボーッとしていただけであって……そこまで気にしてもらえるのは嬉しいのですが……俺なら、全然平気ですよっ」

 朝助けてもらった上に、今度道案内までしてもらえるんだ。既に把握しているところまでお世話になるわけにはいかない。

「あ、ちがうちがう、そうじゃないよっ。そうじゃなくて……ただ、進くんと一緒に帰ろうと思っただけだよっ」

 胸の前で手を振り、道案内の為じゃないと主張する葵さん。

「そうなんですか?」

「うん!」

 ふむ、まぁそうだよな。普通に考えて、自分の通学路を知らない、なんて思うわけないよな。

んー、でも、だったら別に一緒に帰らなくてもいいような気もするんだが……まぁ断る理由なんて無いけど……。いや、それよりもむしろ嬉しいくらいだ。

 朝も思ったけど、こうして誰かと一緒に登校したりするのって、なんか、学生っぽくて良いよなぁ。

 中学にまともに行っていない俺にはこういう経験があまり無い。だから、高校に行ったら友達といつかは! っと、密かに憧れていたりしていた。それがこんなに早く、しかも入学初日から叶うなんて……。

 葵さんには、いつかお礼をしないといけないな。

「……分かりました。俺で良ければ、ぜひ!」

 つい感激してしまい、妙に気合いの入った返事をしてしまった。

「うん?」

 そんな俺の事情を知らない葵さんは、頭の上に疑問符を浮かべながら頷いた。

「えと……じゃあ帰ろっか、進くん」

「はい!」


 玄関を出て、校門を抜けると葵さんが訊いてきた。

「入学式、終わったねっ」

「はい。そうですね」

「それにしても……式の途中で出てきた、あれ、びっくりしたよねっ!」

「? あれ……ですか?」

 いったい何のことだろう? 半分寝てたから覚えてない。

「うん! ほらっ、あのクジラの着ぐるみっ。覚えてない?」

 なっ、なんだってっ! クジラの着ぐるみ!

「ちょ、あの……それっ、本当ですかっ!」

「え! う、うん。本当だよ。なんか周りがざわざわしだしたから、なにかなぁ~? ってステージ見てみたらクジラが踊ってて……もうびっくりしたよぅ。……もしかして進くん、見てなかったの?」

 そ、そんな……じゃあ、あの時のざわめきは……くっ、そういうことだったのかぁーー……!

 くぅっ、なんてことだ! まさかそんなビッグイベントを見逃すなんて……。

 衝撃の事実を聞いてしまった俺は、あまりのショックに肩を落として項垂れる。

「ど、どうしたの進くん!」

 急に地面に手をつき落ち込むという奇怪な行動をとった俺を、驚きながらも気遣ってくれる葵さん。

「い、いえ……ちょっと、躓いてしまって……」

「だ、大丈夫?」

「はは、大丈夫です」

 苦笑いを浮かべて立ち上がる。

 危ない危ない、クジラの事になるとついキャラが変わってしまう。というかテンションが変わってしまう。教室で理事長のことを思ったけど、俺も人のこと言えないな。

 ……まぁ可愛い物ならクジラ以外も大好きだけど。

 あ~、でもやっぱり見たかったなぁ……。

「……あ、ねぇ。じゃあ、進くんのクラスはどうだった? 私のクラスは中々面白そうだったよ。友達もできたし」

「え、ああ。えっとですね……」

 頬に人指し指を当てながら、どうだったかを思い出す。

「えっと、先生が凄かったです」

「先生?」

「はい」

 とても先生とは思えなかった美子先生の事を、葵さんに説明する。

「へぇ~。なんだか楽しそうなクラスだねっ。いいなぁ~、そんな人が担任で。ウチはおじいちゃん先生だったよぉ」

 ちょっと拗ねたような顔になる葵さん。

「はは……」

 まぁ、確かに楽しそうだったけど。なんとな~く、不安を感じずにはいられなかったんだよなぁ~。

「他には? クラスの人はどうだった?」

 先生の話を聞いた所為か、何かを期待しているような瞳で葵さんが訊いてくる。

「ん~と、隣の席になった人が良い人そうで良かったです。あ、あと、前の席の人とその人が友達で、凄く仲が良さそうで、それでなんか良いなぁって思いました」

 俺は叶井さんと綾瀬さんの事を思い出しながら言った。

「その人達って、男の子? 女の子?」

「あ、二人とも女の子です」

「そうなんだ~。その二人可愛かった?」

「えっ、ん~俺そういうのよくわかんなくて……。苦手なのか、恥ずかしいのかはわからないんですが、あんまり女の人の顔とか見られないんです……。あ、でも、二人とも可愛い人だったと思います」

 この町へ来る2年余り、俺はあまり人と接してこなかった所為か、特に異性に対しては若干の苦手意識がある。それを克服するというのも、ここに来た目標の一つだ。

「そうなの? 別にそんな風には見えないけど、こうやって普通に話してるし……ハッ、じゃあ私の顔はっ。私の顔もまだ覚えてなかったりするの?」

「えっ! い、いえ、大丈夫ですよ。まともに目を合わせられないってくらいで、少しくらいなら見られますし……。それに、その……あ、葵さんは、とっ、友達ですからっ!」

 真剣な表情になった葵さんに、勇気を出して俺は友達宣言する。

「えっ! 友達……」

 驚きと共に少し意外そうな表情をする葵さん。

「あ、はい。えと、嫌……でしょうか?」

 不安になって訊き返す。

「……ううん、嫌じゃないよ。全然嫌じゃないよ! すっごく嬉しいよ!」

 暗い部屋に明かりが灯ったように、パッと葵さんの表情が明るくなる。

 うっ。そんなに嬉しそうにされると、て、照れてくる。

「あっ、もうこんな所ですねっ」

 照れ隠しに前を見たら、商店街の入り口が目の前にあった。

「あっ、ホントだ。……残念、もっと進くんとお話ししたかったのにな~」

「ふふっ、そうですね。……葵さんはどっちですか? 俺は左です」

「あ、私は右だよ。って朝も通ったような……」

「えっ。そ、そうでしたっけ?」

「うん! もしかして、お話しに夢中で気付かなかった?」

「う~ん。そ、そうかも知れません」

「ふふっ、そっか。やっぱり進くんって面白いねっ」

「ぁ……」

 葵さんが笑ってそう言うと、またくすぐったいような気持ちになった。

「ふふっ。それじゃ進くん、またねっ! ばいばい」

「あ、はい。また……」

 大きく手を振って駆け出しながら帰って行く葵さん。

 俺はそれを見送った後、自分の部屋があるアパートを目指した。

 

     ***


 部屋に帰ると、まず黒色のジャージに着替えた。服をあまり持っていないので、とりあえずこれを部屋着にしている。

 それから昼食の醤油ラーメンを作って食べる。5食パックで売っているお得なやつだ。

 食べ終わると台所に持っていく。朝洗ったから食器は今使った一つだけしかない。

 ん、夜にまとめて洗おうっと。

 さてと、これからなにしよかなぁ、と考えてみる。

「ん~。あっ、そうだ。入学式終わったって、お母さんに連絡しないと」

 俺はカバンから携帯電話を取り出し、メール作成画面を開いて本文を打ち込む。

「え~と。――入学式終わったよ。最初ボーっとしてて道に迷ったけど、そのおかげで友達ができました。クラスの人達も面白そうだった。特に、先生が。それに、隣の席の人も良い人そうで良かった。まぁ、頑張ってみるので心配しないでください。それじゃまた。――っとこんなもんかな。うん、じゃあ送信っ」

 送信のところを押すと送信画面が流れて、次に送信完了の文字がでる。

「これでよしっと」

 それじゃ、本でも読もうかな。

 本棚から、今読んでいるファンタジーバトル小説を取り出す。

 壁に寄り掛かって座り、栞を挟んであるページを開いて読みだす。

 丁度、主人公とライバルとの闘いが始まるところからだ。

「………」

 読んではページを捲る。

「……ん」

 コロンと横になる。

「………」

 ♪~~♪~♪~~~! 好きなゲームのメロディが鳴った。メールの着信音だ。

「ん」

 携帯電話の画面を見る。お母さんからだ。

『――道に迷ったって。ホントにあんたはボーっとしたところがあるんだから。あんまり心配かけるんじゃない! まぁ無事だったようだし、なにより友達ができたようで、少し安心したよ。これから3年間あんたなりに頑張ってきなさい。それから、何か困った事があったらすぐに連絡すること。以上――』

 お母さん……。

「……うん、分かってる。頑張るよ」

 立ち上がり、本棚に本をしまう。

「ふぅ。ちょっとそこら辺でも走ってこようかな」

 靴を履いて外に出る。

「よしっ。それじゃ」

 朝とは反対方向へ向かって、最初はゆっくりと走りながら町を出る。

 こっち側には桜並木があって、その横を緩やかな川が流れている。

「何か久しぶりだなぁ、こうして走るのも。いや、朝のは抜きにして」

 なんて独り言をぼやきながら、その川沿いをのんびりとランニングする。

「……にしても……」

 本当、面白そうな学園で良かったなぁ。

 元気一杯な葵さんっていう友達ができたし。隣の席になった叶井さんも優しそうな人だったし。前の席の綾瀬さんは……まぁ、その……綺麗な人だったし。そういえば、神社の林で会ったあの女の子は何組になったんだろう? 学園で会ったら、もう一度ちゃんとお礼を言わないとな。

 まだ始まったばかりの学園生活だけど、これから色々な行事や、毎日のちょっとした出来事。きっと、たくさんの楽しい事があるんだろうな。

 そして、その中で必ず、俺だけのモノを見つけてみせる。

「ふふっ。よ~し、頑張るぞ~」

 その思いに向かって行けるようにと、桜が舞う中、俺は走るスピードを上げた。

もしよろしければ、感想&アドバイスをお願いします(>_<)


――ルビ付けれた事に感動(ToT)

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