第4章:最高警備本部の発動と危機管理
午前9時過ぎ、警視庁本部17階の総合指揮所は、一瞬にして静まり返った。その直後、けたたましいアラート音が鳴り響き、複数のモニターに「大規模国際テロ事件発生」の文字が点滅した。まるで悪夢が現実になったかのような、戦慄が走る。沢田警視総監の顔から血の気が引くが、その目は即座に鋭い光を宿した。
「最高警備本部を設置する! 本部長は私が務める。沼田副総監は副本部長に。各部参事官は直ちに参集せよ!」
沢田警視総監の号令が、緊迫した指揮所内に響き渡る。彼の声は、状況の深刻さとは裏腹に、驚くほど冷静だった。隣に立つ沼田副総監もまた、瞬時に状況を把握し、冷静沈着に指示を出し始めた。テロの報が飛び込んできた瞬間から、彼らの意識は完全に「危機管理モード」へと切り替わっていた。
「現地対策本部は丸の内署に設置! 沼田副総監を総括指揮官とする! 現場指揮者は公安部長および刑事部長の2名体制で臨む!」
指揮所には、警察庁長官、警備局長、警視庁公安部長、刑事部長といった、警察組織の中核を担う幹部たちが次々と集結していく。彼らの顔には、共通して硬い決意が刻まれていた。これは、日本という国の安全保障をかけた、まさに総力戦だった。
特別捜査本部が設置された丸の内署の現地対策本部では、警視庁公安部対策室が中心となり、外事3課理事官以下に総括デスクを置いた。刑事部と協力し、初動捜査活動、現場鑑識活動、被害者対策、情報収集活動、視察追求活動を同時に進行させた。膨大な情報がリアルタイムで集約され、即座に分析され、次の指示へと繋がっていく。分秒を争う状況の中、全ての歯車が噛み合い、警察組織はかつてないほどの連携を見せていた。
最高警備本部が設置された直後、警察庁警備局長の指示が下された。
「ただちにすべての公共交通機関をチェックしろ。国外出国を防ぐんだ!」
警視庁警備部長は、その指示を受け、空港対策にあたる外事1課に、即座に厳戒態勢を敷くよう命じた。
「事案発生直後が極めて重要だ。ただちに重要視察対象施設に24時間体制の視察体制に入れ。公安総務課はホテルレンタカー対策、管轄下の所轄署の協力を得てホテル、レンタカー対策に当たれ。特に直近1週間前からの宿泊者名簿と借り上げ者名簿を確認し不審者の抽出にあたれ。外事1課は回空港対策に当たれ、テロリストおよびテロリスト支援者の国外逃亡を阻止、身柄確保を目的とせよ。事前に乗客名簿および国際航空券購入搭乗券者の名簿入手体制を確保しておけ。ビデオ等から割り出した容疑者と出国者の照合および指紋等鑑識資料との照合をおこなえ。所持品検査と身分確認を徹底せよ。同時に東京港での出国者に対する総面接と各埠頭における不審者職質をおこなえ。」
この指示は、テロリストが国内に潜伏している可能性だけでなく、事件後すぐに国外へ逃亡する可能性を想定したものだった。空港、港湾といった「点」での監視だけでなく、そこに至る「線」、そして「面」での阻止網が、瞬く間に張り巡らされていく。
警視庁警備部長の言葉通り、都内五カ所のリムジンバス発着所から成田に向けて出発するすべての便の乗客に対し、所轄の署員が監視体制に入った。東京シティーターミナルビルからは、すでに不審者数名が拘束されたという報告が上がる。成田エクスプレス、京成スカイライナーによる出国阻止のため、鉄道隊員の車両警乗が強化された。列車内では、不審な挙動の乗客に目を光らせる警察官の姿が、いつもより明らかに増えていた。
さらに、発生現場周辺から駅、国際空港へ向かう乗客に対しては、タクシー乗務員を通して通信S司令本部に緊急通信システムを通して情報が上がるようになっていた。タクシーに乗る乗客の表情、荷物、目的地。些細な情報でも見逃さないよう、運転手たちは携帯端末でリアルタイムに情報を送信していた。ガソリンスタンド、コンビニ、病院にも緊急配備Fシステムを利用して情報集計ルートを確保。まるで社会全体が、一つの巨大な監視システムと化し、テロリストの動きを封じ込めようとしているかのようだった。
その日の午後、都内某所の三田共用会議所。防衛省および米国防省の高官レベルの会議が開催されることになっていた。テロ事件発生直後ということもあり、その警備は通常の比ではなかった。
警視庁警備部長は、警視庁公安部外事第三課国際テロ第一係長に、直前対策および突発対策の状況を確認した。
「三田共用会議所で防衛省および米国防省の高官レベルの会議が開催されるが、直前対策および突発対策のほうが万全か」
係長は、自信に満ちた声で答えた。
「浜崎理事官の指揮のもと、会場周辺および付近の大使館周辺における突発事案即応体制を24時間体制で敷いております。対象施設付近に接近する不審車両に対して制服警官より職質を実施させ、不審点の解明にあたります。配置人員の半数は車両待機とし、不審者逃走の事態に即応できる体制としております。面割り追求作業については警部補以下10名体制で望んでおります。常時基幹系無線N31チャンネルを解放し、相互連絡系に使用いたします」
会議場の周囲には、目に見える形で制服警官が配置され、通行人や車両に厳しい視線を送っていた。不審な車両が近づけば、即座に職務質問が行われ、車内や運転手の身元が厳しくチェックされる。半数の人員が車両待機していることで、万が一の事態が発生しても、即座に追跡を開始できる態勢が整えられていた。
さらに、警視庁公安部第一課第二公安捜査係長が補足した。
「さらに要視察対象者に対して、容疑解明のため、視察拠点を設置いたしました。長期視察に対応できかつ保秘にも配慮した容疑対象者を直接視認できるポイントに設置いたしました。施設借り上げの時点で問題は発生しておりません。」
視察拠点は、外見からはごく普通のマンションの一室やオフィスに見えるように偽装されていた。しかし、その内部には最新の盗聴・盗撮機器が設置され、対象者のあらゆる行動が24時間体制で監視されていた。市民の目に触れることのない場所で、公安は情報戦の最前線を展開していた。
高官会議は、厳重な警備網の中で無事に開催された。しかし、その会議がテロの標的となる可能性は、常に公安の脳裏をよぎっていた。万全の警備体制が敷かれたとはいえ、テロリストの巧妙な手口は、常に予測を超えてくるものだからだ。
最高警備本部の指揮下、警察組織はまさに一枚岩となってテロの脅威に立ち向かっていた。国外への逃亡阻止、重要施設の警備強化、そして水面下での情報収集。あらゆる手を尽くし、テロの芽を摘み取ろうとする彼らの努力は、まさに極限の状態にあった。しかし、これだけの体制を敷いてもなお、テロリストはどこかに潜伏し、次の行動を虎視眈々と狙っているかもしれないという漠然とした不安が、指揮所の重い空気を支配していた。テロ事件はまだ収束の兆しを見せず、その影はますます色濃く日本社会を覆い始めていた。