なめられている女の子が、勘違い男にがつんと言う話
ヒューマンドラマジャンルに初めて挑戦しました。
王立学院では、今日も今日とて、男子生徒たちが一人の女子生徒に群がっていた。最近、領地から王都にやってきたフィオナ・ジルベール子爵令嬢。王立学院に編入した彼女は、あっという間に一部の男子生徒たちから熱烈な人気を集めるに至った。
フィオナはかなり小柄な令嬢だった。また、今時の令嬢としては珍しく、化粧の一つもしておらず、着ているドレスもひどく質素なものである。それでいて、いつも笑顔を絶やさず、誰に対しても心優しい。フィオナに群がる男子生徒たちは、その誰もが、まさに自分の理想の女性だと、彼女を褒め称えた。
「フィオナは本当に小さくてかわいいなあ」
一人がそう言って、フィオナの頭をぽんと叩く。
「フィオナは手もちっちゃいよなあ。ほら、俺のと比べてみよう」
別の一人は、そう言いながら、フィオナの手を取ろうとする。
しかし、その時——
「あらあら、何をなさっているのかしら、ここにお集まりの皆様は」
そんな集団に歩み寄る、一人の人物の姿があった。
「一人のご令嬢を多数で囲み、べたべたと接触を図るなど、見苦しくてかないませんことよ」
彼女は、ロザリンド・シルフィーユ侯爵令嬢。目元をはっきりさせる化粧。豪奢に巻かれた髪の毛。身にまとった最先端のスタイルのドレス。それら全てが、彼女の圧倒的な美貌を引き立てている。そんな彼女は、学院に集まった貴族の子女たちの中でも、一際存在感を放つ人物だった。
「あなた方の振舞いは、我が校の風紀を乱し、ひいては貴族全体の品位を貶めるものですわ。見ていて不愉快ですので、さっさとこの場から立ち去ってくださるかしら」
男子生徒たちは何か言いたげだったが、ロザリンドのオーラに気圧されたのか、すごすごと退散していった。
一人取り残されたフィオナは、
「お初にお目にかかります。ロザリンド・シルフィーユ様……でいらっしゃいますよね」
と、ロザリンドに向かっても、男子生徒たちに向けるのと同じ微笑みを向けた。
「ええ、そうですわ。フィオナ・ジルベール様」
と、ロザリンド。
「あなたの方からも、彼らに迷惑だときちんとおっしゃるべきかと思いますわ」
「迷惑だなんて、そんな。皆さんは私の友人で、一緒に話していただけですから」
フィオナはそう言いながら、いかにも屈託のない笑みを浮かべた。
「そう……友達」
ロザリンドはそう繰り返した後、
「まあ、そう思っているのはあなただけでしょうけれど」
と、立ち去った。
*
だが、その後も、フィオナの周りには、相変わらず男子生徒たち群がっていた。そして、それを見かける度、ロザリンドは彼らを追い払うのだった。
自分の取り巻きを追い払われ、フィオナはロザリンドのことを恨んでいる。また、ロザリンドもフィオナを苦々しく思っている。二人は学院内屈指の犬猿の仲である。いつしか、それが生徒たちの共通認識になっていた。
さて、数いるフィオナの取り巻き中でも、フィオナに特別思いを寄せていた生徒がいた。キース・ケインズ子爵令息。フィオナの一つ年上の上級生で、研究室が一緒ということだった。
やがて、キースとフィオナと彼が恋人同士であるという噂が、生徒たちの間で囁かれ始めた。確かに、いつも二人で行動しているようだった。
それに諦めたのか、大勢の男子生徒たちがフィオナの周りを取り囲むことはなくなった。それで事態は終息したかのように見えた。
そして、季節は夏に近づいていった。この時期は中間試験が終わるため、毎年、その後にパーティーが開催されるのが習わしだった。
婚約者のいない生徒たちは、声を掛けた相手をパートナーとして、パーティーに同伴させる。これをきっかけに交際が始まることもあるというから、生徒たちにとって、かなり重大なイベントだ。パーティーの時期が近づくにつれ、学院内の話題はそれでもちきりになる。
「こんにちは、フィオナ様」
そんな折、ロザリンドは、校舎裏でフィオナの姿を見つけた。周囲に男子生徒の姿はない。壁につっぷす形で、一人立ち尽くしている。
「ロザリンド様……」
フィオナは顔を上げる。
「……私、どうすればいいのか分からなくて」
そう言うフィオナの瞳からは、ぼろぼろと涙が流れ落ちていた。
そして、フィオナは自分の身に起きたことを語り始めた。
フィオナはキースに、パーティーには出ず、その日に研究をすると言われていた。そしてフィオナは、研究のためなら、とその日に予定を空けておくと告げた。それなのに、キースは前日の今日になって、急遽、パーティーに出席しなければならなくなったと言い始めた。その日、フィオナが空いていることは、もう確定している。もはやパーティーに一緒に行くことを、断れない状況を作られていたのだ。
「それで、一緒にパーティーに行かされることになって。こんなの、あんまりです……」
フィオナは蒼白な顔をして、唇をわななかせる。
「前々から、こういうことはあって……」
いつしか、フィオナは至る所でキースに待ち伏せされるようになった。用事もないのに、研究を名目に頻繫に呼び出され、長々と話を聞かされる。調査と称し、歓楽街に連れて行かれたこともあた。
それでも、先輩だから、業務の付き合いだけだから、とフィオナは耐え続けた。とにかく、笑って受け流そう。しかし、キースはどんどん味を占め、ついに交際していることにされてしまった。キース自身が、フィオナと交際しているという噂を、あちこちで吹聴していたのだ。
そして今、フィオナは完全に逃げ場を失って、途方に暮れるに至ったのだ。もしパーティーに行こうものなら、この後もずるずると関係を引き延ばされるに決まっている。
「やはりそうなりましたのね……」
ロザリンドにはこうなる未来が見えていた。なぜなら、キースを筆頭として、フィオナに群がる生徒は皆、性格に難ありと定評のある人物ばかりだったからだ。
特に彼らは、女性関係に顕著な問題を抱えていた。ここで留意すべきは、女性問題というのが、女子生徒に人気があったとか、女遊びが激しいとか、そういったものとは違うということだ。
いい言い方をすれば、彼らは極端に不器用、歯に衣着せずに言えば、ひどく無礼だった。一方的に言い寄り、相手の気持ちも考えぬまま、一気に距離を詰めようとする。貴族令嬢たちにとって、それらの振舞いは、到底受け入れがたいものだった。
そのようなわけから、彼らは学院の生徒たちから、それとなく避けられていた。しかし、フィオナはそんな彼らにも、分け隔てなく接したのだ。それは彼女の純粋な優しさだった。しかし、既にいた女子生徒たちに完全に嫌われていた彼らにとって、フィオナはまさしく舞い降りた女神だったことだろう。
彼らがフィオナに執着するようになるのは、時間の問題だった。その上、彼らはフィオナの優しさを、自分への恋心と都合よく解釈したのだ。
そして、その最たる例がキースだった。それにしても、卑怯なやり方ですこと。ロザリンドは、美しい顔の眉間にしわを寄せた。
「そんなつもりはなかったのです。それなのに、恋愛感情を勝手に向けられて……。おまけに、私にもその気があると思われているようで……。私、あの人のことが怖くて……」
「あなたが言うべきは、怖い、ではないでしょう」
しかし、ロザリンドは厳しい声でそう言った。
「あなたは怒るべきなのです」
「怒る……と言われましても。彼だって、別に悪意があるわけではないのです。それに、何より、人を嫌ってしまう、そんな自分が嫌なのです。私、人を傷つけることが、どうしても苦手で……」
うじうじと言うフィオナに、ロザリンドは、はああ、とため息をついた。
「実際にあなたは被害を受け、そして傷ついているでしょう。悪いことをしているという、その自覚がないことこそ、最大の悪であると、私は思いますわ。筋金入りのお人好しは、身を亡ぼす。今回のことで、あなたはそれを学ばれるべきです」
「で、でも……! 誰にでも親切にして、そして好かれてた方がいいと、私はそう言われて育ちました」
「お花畑の考えですわね。現実では通用しませんよ。親しくもない連中に、優しくなどしなくてもいいのですわ。あなたが彼らにサービスしなければならない道理など、どこにもないのですから。あなたに害を与えてくる人間に至っては、もはやまともに対応すらしなくてもいいと思いますよ。無礼な人間に対し、どうして礼を尽くして相手しなければいけないのでしょう」
ロザリンドはすっと息を吸った後、
「調子乗ってんじゃねえよ、この勘違い野郎が! このような調子で良いかと」
と、あくまで涼しい顔で、しかしまるで彼女に似合わない言葉遣いをした。
フィオナは最初それにあっけにとられた後、耐えられずぷっと吹き出した。
「お尋ねします。あなたは彼のことが好きなのですか?」
「好きじゃ……ありません。き……嫌いです。大っ嫌いです」
「好きでもない相手に、好かれようと気を遣われる必要は?」
「ありません」
「よくできました」
「……私が全部間違っていたのですね。あはは、ただなめられるだけの、失敗の性格ですねえ、私」
自嘲するように笑うフィオナに、
「優しいことは、決して悪いことではありません」
と、ロザリンドは言う。
「あなたは、本当に大切な人に、その優しさを惜しみなく分け与えられたらいいのです。そして、あなたが大切にするべき人には、他でもないあなた自身も含まれているのですよ。分かりましたか?」
ふっと表情を和らげたロザリンドに、フィオナの胸が、どくん、と脈打った。
「私、頑張ります。パーティーの日で、全部おしまいにしてみせます……!」
フィオナは震える拳を握りしめた後、
「それで、ロザリンド様にお願いがあるのです」
と、ロザリンドの瞳をじっと見つめるのだった。
*
そして、決戦の日は訪れた。パーティー当日。中庭のパーティー会場には、既に煌びやかに装った生徒たちが集まっている。
「フィオナ……って、いったいどうしたんだ、今日の格好は⁉」
現れたフィオナに、キースは分かりやすく顔をしかめた。端正な化粧。しっかりセットされた髪の毛。そしてぱきっとした色使いの印象的なドレス。いつものフィオナとは正反対の装いだ。
「私の好きな格好で来ただけです」
それはフィオナの本心だった。
自分に必要なのは、中身を変えること。それは分かっている。だけど、見た目を変えれば、自信をもらえると思ったのだ。自分には似合わないという卑屈な心から、おしゃれに踏み出せなかったフィオナだが、ロザリンドに見繕ってもらい、憧れていた装いに手を出した。自分の考える一番素敵な衣装。それが、まるで武装のように、自分に自信と安心を与えてくれることを、フィオナは知った。
しかし、フィオナの台詞に、キースは不機嫌げにため息をついた。
「何だ、それ。俺はさ、純粋なフィオナを気に入ってるんだよね。そういうちゃらちゃらした感じ、全然似合ってない。はっきり言っておかしいぞ。絶対いつもの方がいいから。今日はまあ許すけど、これからはそういうのはやめろ。またやったら、今度こそ俺、お前のこと嫌いになるかもな」
馬鹿にしたような笑みを浮かべるキースを前に、フィオナは凍りついた。
私の好きな服。好きな化粧。それらを何の躊躇いもなく踏みにじる。そして何より、私を自分の好きなようにできると、思い通りにできると、この人はそう考えているんだ。まるでそれが当たり前だと。
こいつはどこまでも自分のことしか考えてないんだな。フィオナの中に、冷たい軽蔑の気持ちが湧き上がった。この気持ちを今ここで言ってやろう。そう思った
でも——。しかし、フィオナは思いとどまってしまう。この男のことだ。機嫌を損ねたら、何をされるか分からない。騒ぎでも起こせば、周りの人たちに迷惑がかかる。それだったら、私一人が我慢すればいい。
気付けば、また口角がいびつに持ち上がっている。
「あ、あはは……。そうですよね、おかしいですよね。ごめんなさい。これからは気を付けます」
自虐的な言葉を吐きながら、フィオナは自分がどんどん惨めになっていくのを感じていた。笑うのは優しいからなんかじゃない。本当は気付いていた。それが一番楽な処世術だったから。ただ、臆病で弱いから。
「その格好、なんだかロザリンドみたいだな」
と、キースはさらに薄ら笑いを浮かべて言葉を放つ。
「……ロザリンド様が貸してくださったのです」
「お前、ロザリンドと仲良かったのか?」
「私にとって……大切なお方です」
「へえー」
キースは唇の端を持ち上げたかと思うと、
「あの女、ほんと怖いよなあ」
その瞬間、フィオナの足元の地面がぐらりと揺らいだ。
「見た目も、雰囲気も、ついでに性格もさ。ああいう女、俺は絶対無理だな。論外。いや、俺だけじゃなくて、絶対みんなも……」
「……りだ?」
その低い声がフィオナのものだと気付くのに、キースはしばしの時間を要した。
「お前、いったい何様のつもりだ? 調子乗ってんじゃねえよ、この勘違い野郎が」
フィオナはキースを真っ直ぐ見据え、そして睨みつけていた。
「何が怖いよなあ、だよ。私が大切な人だって言ってるのに、わざわざそれを否定する、その神経の方がよっぽど怖いわ。このいきり批評家気取りが。そもそも、誰がお前に好かれたいなんて言ったんだよ。ロザリンド様がそう言ったのか? 私がそう言ったのか? 笑わせんな。なんで私がお前なんかに気に入られなきゃいけないんだ。私の全部は、お前のためにやってるんじゃねえんだよ」
一気にそれだけまくし立てた後、フィオナは肩で息をする。やってしまった。ついに事を荒立ててしまった。
気分を害したこいつは、何をするか分からない。逆上した上、殴ってくるかもしれない。そういうことを平気でやりかねない人間だ。
しかし、フィオナは自分の行動に後悔はなかった。自分が何を言われたって、耐えられる。だけど、ロザリンドに対する——大切な人に対する暴言は、許すことができなかった。
臆病な自分でも、少しは強くなれただろうか。
しかし、拳が振り下ろされることはおろか、怒鳴り声が浴びせかけられることすら、起こらない。恐る恐る顔を上げると、キースは阿呆面のまま停止していた。
「え? え? ええ……?」
その口から、言葉ともつかない音がこぼれる。まるで豆鉄砲を食らった鳩のようだった。
そのまましばらくわなわなと震えていたキースだったが、
「うええええん……」
と、耐え切れず泣き始めた。
信じられない。涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにする、あまりにも情けないその姿に、フィオナは言葉を失った。
「あらあら、随分と情けないお声がするかと思ったら、キース様ではありませんか」
そこに、タイミングを見計らったかのようにロザリンドが登場する。
「公の場で号泣したことを広めたくなければ、せいぜい今回の件については口をつぐむのが得策ですわよね」
そう耳打ちされたキースは、がくがく震えるように頷いたかと思うと、一目散に会場から逃げ出した。
「あの……助けてくださって、ありがとうございます」
フィオナはロザリンドに向き直る。
「いいえ、それは私の申し上げることですわ。フィオナ様は、私のことをかばってくださったのでしょう?」
「聞いていらしたのですか!?」
「ええ」
まったく、この人にはかなわない。フィオナはそう思う。
「……だって、ロザリンド様は、私が大切にしたい方ですから」
そう言って浮かべたフィオナの微笑みは、いつもの取り繕ったものでなく、その奥に力強さが宿ったものだった。そして、それを目にしたロザリンドは、満足そうに目を細めたのだった。
「あのような男、怖がる必要などないのですよ。ああいう生き物は、得てして、自分が反撃されるなど予想もしていないのです。そして、そうみなした相手だからこそ、増長して偉ぶった態度をとる。偉そうに振舞ったところで、中身は所詮坊やなのです。あなたの方がよほど強いに決まっているでしょう。あの男も、今回のことで恐れおののいて、もうあなたに近づくことはないでしょう」
「おかげで、少し強くなれた気がします」
「そのことを忘れず、これからも気高くあってくださいませ。これからは、私がお助けする必要はないようですね。それでは、私はこれで……」
「ま、待ってください!」
その場を去ろうとするロザリンドを、フィオナが呼び止める。
「こんなに助けていただいたのに、私はまだ何のお返しも……」
「私に何か返す必要はありません。ですが、そうですね、一つお願いがあります。実は私、辺境伯殿との結婚が決まりましたの。よって、今学期でこの王立学院を去らなければいけないのです。ですから、フィオナ様。もしもこの学園で、以前のあなたと同じように苦しんでいる方がいらしたら、私の代わりに、どうか手を差し伸べてあげてくださいませ」
「私が……?」
「ええ。そうやって、手と手は繋がれていくのですから」
美しく微笑むと、ロザリンドはくるりと踵を結び返し、そしてもう振り返ることはなかった。もしかすると、ロザリンド様も昔、私と同じような経験をされたのかもしれない。颯爽と去っていくロザリンドの背中を見つめながら、フィオナはふとそんなことを思った。
*
それから半年後。ロザリンドが去った王立学院では、とある少女が、男子生徒たちに群がられていた。
しかしその時——
「あら? どうやらこの場を、盛り場か何かと勘違いしている、発情期の動物さんたちがいらっしゃるようですわね」
一人の女子生徒がつかつかと歩み寄る。
「いいですか? これは警告です。これ以上学園の風紀を乱し、ひいては貴族全体の品位を損なうような行いは慎んでくださいませ」
圧倒的なオーラを放つその生徒に気圧され、男子生徒たちは逃げるように去っていった。後には一人、少女だけが残される。
「は、初めまして。フィオナ・ジルベール様……でいらっしゃいますよね」
怯えた様子で、しかし必死にひきつった笑みを浮かべる少女に、
「ええ、そうですよ」
と、女子生徒——フィオナは美しく微笑みかけたのだった。
今まで短編中心に書いていたのですが、12月25日から連載を始めてみました。よろしければ、そちらもお読みいただけると嬉しいです。以前短編として投稿した、聖女物をベースにしています。