情にほだされやすい性格は損をしやすいそうです
樹の上の庵から地面までは18メイル程ある。
背丈なら大の大人10人分ほどの高さだ。
いつもならそのまま飛び出して、着地寸前で浮遊魔法をかけて重力を相殺するのだけど・・スカートがめくれても問題だろうし、一度宮廷魔法使いのおっさんが驚いて腰を抜かしたこともあったから、今回はおしとやかに降りることにした。
「私は大陸七王国が一つ、緑の国の第十二王子イヴァン。十年前に交わした約束を果たしに馳せ参じた! 不死王ヤーガ様の養女、アーシャ殿にお目にかかりたい」
意気揚々となんか叫んでいたが、騎士はあたしに気付くと片膝を折って、深々と頭を下げた。
浮遊魔法を調整しながらゆっくりと地面に降りたが、その間も微動だにしない。
うん、こういった場合・・あたしからなにか言うのだろうか?
「えーっと、こんにちは! 久しぶりね」
とりまフレンドリーに話しかけたら、騎士は顔を上げ嬉しそうに微笑んだ。
線の細かった少年は、痩せマッチョの騎士様に変貌していたが、子犬のように可愛らしい顔つきは大人になっても健在で、その面影は十年前に出会った少年を思い起こさせた。
近くで見ると高価そうな煌びやかな鎧にはあちこちに傷があり、返り血のようなものもこびりついている。
この森の魔物達と戦いながら、たったひとりできたのだろうか?
街ではここを「精霊の杜」とか「死の杜」と呼び、敏腕の冒険者も大規模パーティーを組み、中層部まで来るのがやっとらしい・・ひとりで最奥部であるここまでこられるのは自分ぐらいだと、以前宮廷魔法使いのおっさんが自慢げに言っていたっけ。
まあ・・あのおっさんも爺いの茶飲み友達だけあって、言うことがデカくて、どこまで信用して良いのか分からんが。
話し盛るんだよね、年食った男って。
しかーし・・この騎士様も、先ほど第十二王子がどーたらとか言ってなかったっけ?
初耳なのだが。
「刺客に襲われ、森に捨てられた私を救ってくれた恩、ひとときも忘れたことはありません。王都に戻り研鑽を積み、無事この手と足のみでここまで進むことができました」
そーかそーか、それは立派になったものだね。
他人事ながら嬉しいよ。
「それで・・」
約束がなんとかって、言っていたな。なんのことだ?
「この死の杜を自力で進めるようになったら迎えにこいという約束、やっと叶えることができました」
あたしがあっけにとられていると、青年・・イヴァン王子は右手をそっと差し上げ、
「十年も待たせしてしまい申し訳ない、どうか私に着いてきてほしい」
捨てられた犬みたいな表情で、懇願してくる。
その手のひらには、優しい顔には似合わない、剣を振り続けた者だけにできる鍛錬の後が見て取れた。
ちょっと記憶を整理してみよう!
確かに近い話をした気がする。
十年前、あたしが森でボロボロの少年を拾って、庵に連れて帰った。
師匠の魔法で傷が癒えた少年は、身体は動くが精神的なダメージがかなり残っていたみたいで、初めはまともに歩くこともできなく・・。
しかたなく、しばらくあたしが森の中を連れ回した。
人食い花の実を取って食べたり、サラマンダーの背に乗って灼熱のフレアを楽しみながら崖から飛び降りて遊んだり。
そんな心温まる散歩を数ヶ月していたら、初めは泣き叫んで怖がっていたけど、徐々に危険が迫る度に頬を赤らめ、はあはあと呼吸が激しくなり・・なんだか嬉しそうに森を走り回るようになった。
まるでなにかに目覚めたかのように。
爺いが「これ以上性格が歪んでしまったら危険だ」と、街まで送ってゆくと言った晩、少年があたしの部屋まで遊びに来た。
「また会えないだろうか」
そんな感じの話だったので、
「いつかひとりで森を歩けるようになったら、迎えに来てね」
と、かるーく応えたような覚えが・・あるようなないような。
話が長くなりそうだったので、イヴァン王子に庵までお越しいただくことにした。
手をつなぎ飛行魔法で一気に10メイル程上昇したら、イヴァン王子は足下を見て、子供の頃のように頬を紅潮させ「ぐふふ」と楽しそうに笑った。
昔は気にならなかったが・・ちょっと心配な表情だ。
爺いが言っていた「性格が歪む」って、ひょっとしてこの事だったのだろうか?
△ △ △ △ △
イヴァンとあたしの話を聞いた爺いは、
「良い機会じゃ、このバカ娘に外の世界を教えてやってくれんか」
そう言って、あたしの淹れたお茶を美味しそうにすする。
「任せてください、不死王ヤーガ様! アーシャを必ず幸せにして見せます」
方や王子は・・隣に座ってあたしの手を握りしめ、なぜか涙ぐんでいる。
これじゃあまるで、親に挨拶に来た婚約者だよ。
プロポーズもされてないのにね・・まあ、間違ってもこんなイケメン王子から求婚されることないだろうけど。
「話かみ合っていますか?」
心配になって二人に話しかけたが、誰もあたしの意見を聞いてはくれなかった。
まあ、自分のことは結局自分で決めなくてはならないし、何事も冷静に考えれば答えは出るものだ。
『緑の国』は七つの王国の中でも最も豊かだと、毎年ここに来る宮廷魔法使いおっさんが言っていた。
しかし宮廷魔法使いのおっさんがいる『紫の国』のように魔法文化が盛んな国ではなく、『朱の国』のように、剣術が盛んな武力国家でもない。
緑の国は交易で成功した経済大国だ。
ちなみにこの大陸にある大国は、全て色の名がついていて覚えやすい。
この王子はきっと、魔術の知識や他国の魔法使いの人脈が欲しいのではないだろうか?
爺いは激しくボケているが知識は豊富だし、この森の奥まで訪ねてくる人々の中には紫の国の宮廷魔法使いのおっさんのような、魔術界隈では有名な人もいる。
裏を取ったことが無いから、皆自達人という可能性はなきにしもあらずだが・・。
あたしを連れて行くことでそれらの副産物を得て、自分の立場か国の利益の向上を狙っているのかもしれない。
どうだろう? この線は、核心を突いているっぽいが。
「王子様、あたしを連れて行っても何の役にも立ちません。もし魔術の知識や人脈が必用なのでしたら、他をあたられた方が・・」
イヴァンに助言しても、
「微力だがアーシャの力になりたいんだ! 必ず幸せにしてみせる」
やっぱり話を聞いてくれない。
こんな思い込みが強い子だったっけ?
「王子がそこまで言ってくれると、我も安心じゃ」
ここぞとばかりに、爺いも適当なことを言う。
「森を出る気はありませんが・・」
反対の意を爺いに伝えても、
「何度も言っておるだろう、お前に今必用なのは、人の心と常識じゃ。それはこの森で得ることができん」
ため息をついて、聞き入れようとしてくれない。
「常識ならありますし、ほら、あたしって心優しい乙女でしてよ!」
淑女っぽく、口に手を当て「ほほほ」と微笑んだら、二人にドン引きされた。
覚えてろよくそ爺い!
「フライパンで大悪魔を殴り返すようなやつを、常識のある乙女とは呼ばん。なあアーシャよ・・お前の幸せのためでもあるし、運命の女神はこの森に留まることを望んではいない」
幸せねぇ・・。
結婚して男と番いになることが、必ずしも幸せだとは思えないんだよね。
イヴァンが心配そうにあたしの顔を覗き込んできた。
あーもう、庇護欲をそそるその顔、なんとかならないのかな?
こんな所まで足を運んで、こんな女に頼み事をしなきゃいけないほど、国か自分がピンチなのだろうか・・。
だとしたら、あたしがなんとかできるとは思わないが、そんな顔で頼まれたら、断りにくいのなんのって。まあこれも・・約束したあたしの責任かもしれないし。
「しかたないな・・行ってみるよ」
最善は尽くしてみるが、ダメだったらごめんねと、イヴァンに心の中で謝ってから・・。
あたしは・・森を出る旅支度をはじめた。