6話 そしてふたりは幸せになる
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ユリアはヒュー改めウィルフレッドと、侯爵邸の立派な庭を散歩していた。気持ちの良い陽射しが二人をぽかぽかと温かく包んでいる。
「俺はガキの頃から馬や剣術が好きだった。父にせがんでよく剣の稽古をつけて貰ってたよ」
ウィルフレッドの言葉にユリアは目を細め頷いた。彼女も同じだったからだ。
「アッシュノット侯爵の名は兄が継ぐ。兄はとてもデキが良くてね。俺の補佐など要らなかった。俺は好きにやらせて貰おうと思ったんで、叔父が伯爵家を継げと言っていたが断って騎士団に入った」
「何故偽名を? お前なら第一近衛にだって入れただろう」
ユリアの疑問は至極当然のものだ。第一近衛隊は騎士なら誰でも憧れる国王陛下直属のエリート。実力は当然必要だが身分も求められる為、最初からチャンスを持つ者は限られる。しかしヒューは困ったように微笑んだ。
「俺は昔からアッシュノットの息子というだけで周りから持ち上げられた。父から『驕る事無かれ』と何度も窘められたし兄が優秀だったから良かったけど、そうじゃなければ今頃クソみたいな奴になってたかもしれない。……いただろ? 第三隊に入ってコッテリ絞られていた奴がさ」
「……ああ! アイツ。便所掃除の」
「そう、罰として便所掃除をやらされて泣きベソかいてたアイツ」
二人は屈託なく笑った。ユリアの居る第二近衛隊は国王と王妃以外の王族を警護する役目だ。第三隊は王宮の一部や庭など、城壁の中を守るが近衛隊の様に王宮の深部までは立ち入れない。
そして第三隊には平民出身だが腕が立ち忠誠心がある者と、騎士としては今ひとつなのだが貴族の子女だからという理由で配置された者が混在している。
前者は良いが後者の中には身分をかさに着て平民の同僚を馬鹿にする者もいた。そんな事をすれば隊の秩序を守らない者として罰を与えられたし騎士団内の剣術大会で恥をかくのが関の山なのだが、何故だか毎年一人はそういった人間が現れるのだ。
ウィルフレッドはひとしきり笑った後に話を続ける。
「……だからバスクを名乗った。俺は身分に関係なく俺の実力だけで周りを認めさせたかったんだ……だが」
ウィルフレッドは足を止め、ユリアを見つめる。
「お前を見てそれすらも驕りだと気づかされたよ。キースリング」
「私が?」
ユリアはウィルフレッドを見上げた。彼の瑠璃色の瞳に吸い込まれそうな気持ちになる。
「お前は周りに『女だから、貴族だから出世した』と何度言われても決して折れず、腐らず、ひたむきに己を鍛えていた」
「……まあ、貴族の娘に生まれたのも、それで近衛に入れたのも事実だから」
「そうだ。俺はそこをはき違えていた。結局“俺の実力”なんてものは、アッシュノットの土台の上に成り立ってる。家を出る前は父のツテで元隊長に剣を習っていたし、この身体だって毎日何も考えずに飯を食って作られたものだ」
「ああ、そういうことか」
ユリアにもウィルフレッドの言いたいことがわかった。第四隊や第五隊の役職付きはともかく、一兵卒は貧しい平民出身も多い。彼らの中には、入団前は腹一杯食うことも出来なかった……と、毎日の食事に感謝している者もいた。
「貴族の恩恵を目一杯受けて生きて来たくせに『貴族だから』と言われたくなくて素性を隠すなど、酷く甘い考えだった。お前を見ていて自分が恥ずかしくなったよ」
「そんなことは……でも、だから私に親切にしてくれていたのか」
ユリアが最後の言葉を俯きがちに言うと、ウィルフレッドはピクリと頬の筋肉をひきつらせ、ハァーと溜め息を吐いた。
「バスク……じゃなかった、ウィルフレッド様?」
「ははは。ウィルと呼んでくれ。それよりそんな顔をするな……ユリア」
「……っ」
ウィルフレッドに始めて名前を呼ばれたユリアは動揺する。流行り風邪のように顔が熱い。ウィルフレッドは少しだけあきれた様に言う。
「お前、本当に鈍感なんだなぁ」
「なっ、何が……」
「確かにお前の剣に対するひたむきさは尊敬してたよ。だけどそれだけで俺の休みを潰してまでお前の剣の稽古に付き合うわけないだろ!」
「えっ、じゃあ」
彼はまた、支度部屋で見せたような複雑な表情をした。
「お前みたいな……心持ちも、体捌きも、剣の切先の動きも、み、見た目も! 全てが綺麗な女なんて今まで会ったことも無かったよ。……多分、もう見習いの頃から惚れてた」
「……バスク」
「ウィル、だ」
「ウィ、ル……わ、私もお前、貴方を……」
ユリアの胸にじんわりと大きな喜びが広がる。彼女は彼の愛の告白に応えたかったが舌が震え、上手く話せない。もどかしい想いが自然と彼女の両の手を前に伸ばした。
ウィルフレッドはその手を掴み、引き寄せる。二人は互いの背中を強く抱いた。
「……ずっと逢いたかった。あの後、何故私を避けていたの?」
ユリアがウィルフレッドの胸に頬を寄せて呟く。
「避けてなんかいない」
「だって、第四隊に近づくなって。それと面倒なことになったって、スミスが言ってた」
「……それ、何て言われたか正確に教えてくれ」
ユリアがスミスとの会話を再現すると、ウィルフレッドはユリアから少しだけ体を離し、ハァーと溜め息を吐きながら頭をグシャリと乱暴にかいた。せっかくの髪型がボサボサになり、いつもの騎士の彼らしくなる。
「スミスの野郎……いや、俺もあの時は頭に血が昇ってたしな」
そう独り言を言うと、急に両手でユリアの頬を挟む。
「!?」
「そもそもお前が鈍感なのも原因なんだぞ! 今まで何人の騎士仲間に口説かれたと思ってる!?」
「口説……? いや、そんなことは一度も無い筈」
ユリアは目を白黒させつつ言ったが、ウィルフレッドはユリアの頬を捕まえたまま、顔を近づける。
「そんなふざけたことを言う口は塞いでやる」
「えっ、ちょっと、冗談にしては性質が悪すぎでは……」
二人の唇の間に手を差し込みガードしながら、ユリアははた、と気づく。
「まさか、口説かれたって、こういう悪い冗談も含まれるの?」
「それだけじゃない。いやらしいことを言われたとか、食事に誘われたとか、細かいのまで数えればキリがない」
「ふぇっ!?」
ユリアの頭の中に「キリがない」事柄の記憶が目まぐるしく流れていった。あれもこれも全て気づかずスルーするかバッサリと斬り捨てていたが、確かにそれも口説きとカウントすれば相当な回数になるだろう。だが、ユリアが鈍感だったとは言え、口説いているとわからない様に言う男性側にも問題があるではないか。
「えええ……男って……」
「男はそういうものだ。なのにあんな……あんな台詞を万が一他の男の前で言ってみろ!」
あんな台詞、とは言わずもがな。「くっ、殺せ!」のことだろう。
「正直、それまで俺は何年かかってものんびりと距離を縮めていけばいいと思ってたよ。だけどお前は何にもわかってない癖に煽ってくるし、スミスが持ってきた本がもしも第四隊の中で出回ってるなら一刻も早く何とかしないとマズイと思った。……誰かに手を出される前に」
「それで『第四隊に近づくな』と? 長期休暇も?」
ユリアの問いにウィルフレッドはしかめっ面をした。
「ああ。急いで邸宅に帰って父に話をして、お前の両親に認めてもらうには爵位も必要だと思った。だから休みを取って馬を飛ばして遠方の叔父のところまで話をつけにいったんだぞ。あと、さっきまで書いてた書類とか書類とか書類とか! 凄く面倒くさかったんだからな!」
「そんなに怒らなくってもいいでしょう!?」
「怒るだろそりゃ! これだけ頑張ったのに、お前が『私は傷物の女だ』って言った時の俺の気持ちも考えろよ! 俺が休みの間に何かあったのかと……!」
「それはウィル、貴方があの時、私に手を出したからじゃない!」
「!!」
ユリアの今の言葉は、今までのどんな模擬戦よりもウィルフレッドに致命的な一撃を与えたらしい。ぐっと言葉に詰まり、そのまま頭を抱えてしゃがみこんだ。
「……ああああ、そうだよ! 手を出したよ! 俺が今までどんだけ我慢したと思ってるんだーー!!」
ユリアは呆気にとられ、暫くするとふっと笑いたくなった。
足元にうずくまるウィルフレッドを見て、嬉しいような、気恥ずかしいような、そして再び彼を「可愛いな」と思う気持ちが湧き上がったからだ。
「ふふっ。我慢してたの?」
「……してたよ。すごく! お前が鈍いからずっと我慢して友人として側にいたんだぞ」
「気づかなかった。貴方、私を守る素敵な騎士様だったのね」
「ぶはっ!」
「ふふふっ」
二人は涙が出るほど笑った後、ウィルフレッドがちょっとおどけて言った。
「では、美しい姫、貴女を一生御守りします。どうか俺の伴侶に」
「いいえ」
「えっ」
「自分の身ぐらい自分で守るもの。でも、貴方の伴侶には喜んでなるわ」
二人はまた笑い、そして微笑み合う。どちらからともなく自然と抱き合って口づけを交わした。
かつてあの支度部屋でウィルフレッドが必死で我慢した唇へのキス。今それを受けたユリアはその甘さに痺れつつ、改めて彼の愛がどれだけ激しいのかとわからせられたのであった。
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アッシュノットとキースリングの両家は和やかに昼食を共にし、婚約は恙無く執り行われた。
社交界での婚約披露パーティーとは別に、二人は騎士団や城内での知り合いを集め【とび跳ねる小鹿亭】を貸し切って祝賀パーティーを開いた。シェリーンやポーラ、そして勿論スミスも参加し、そこで彼は初めてこう白状する。
「だって俺、シェリーンさんに『この薄い本をバスクさんへ渡して。貸すって言えばいいから』って内密に頼まれただけなんだもん。なのに次の日ヒューが猛獣みたいに怒ってるから意味がわからなくて、もうひたすら怖かったよ。キースリングへの伝言なんてちゃんと覚えてないに決まってるじゃん」
スミスはちょっぴり怒られつつも、肉汁が溢れ出る美味しい料理と芳醇な香りの高級ワインに無事ありつけたのである。
これにて完結です。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!