2話 女騎士、愚かな挑発をして反撃を受ける
彼が図星を突かれて慌てる様子を見て、ユリアは段々と楽しくなってきた。今まで彼女がヒューに対してこんなに優位に立てたことがあっただろうか。いや、ない。
「お前、こういうのが好みだったのか」
「あ、あ……いや、その」
「“いや”じゃないだろ? 好みだったんだな?」
「~~~!!」
大きな身体を小さくして口ごもるヒューが可愛らしくて。だがしかし剣を交えている時のようなピリッとした緊張感があって。それでいて自分の方が明らかに強い立場なのがわかっていて。
ユリアは経験したことのないヒューの反応を楽しんだ。胸が踊ると言っても良いくらいに。……だから調子に乗ってしまったのだ。
「なあ、お前のために読んでやろうか」
「へあっ!? な、何を……」
「だから、この台詞だよ。えーと、“くっ、殺せ! このような辱しめを受けるくらいなら……”」
ユリアは本に目を落とし台詞の部分を読み上げたが最後まで言えなかった。ユリアの左手首をヒューが捕まえ、思わず本を落としてしまったからだ。
「やめろ! キースリングお前、そんなことを他の奴の前で絶対言うなよ!」
まだ真っ赤な顔をしてはいるが、目付きは鋭く口調が強くなったヒューにユリアは反発心を覚えた。腕を振りほどきながら思う。
(ふん、皆に己の趣味が知られたら恥ずかしいと? 意外と肝っ玉の小さい奴だな)
反発心からなのか、それとも今後起こり得るトラブルに気づかないからなのか、とにかくユリアはヒューの言葉をあさっての方向に取り違えた。冷静に膂力の違いを考えれば腕を振りほどける強さでヒューが手加減をして握っていたと気づき、この場ですらも彼がユリアを大事に扱っているとわかっただろうに。
しかし彼女は勘違いをしたまま挑発的な笑みを浮かべてヒューを見上げ、言い返してしまう。
「言うな、と私に命令出来る立場では無いだろう?私がもし言ったとしたらどうする?」
「……ッ!」
ガランとヒューの兜が落ちた音が部屋に響き、次の瞬間ユリアの両手が握られて壁に押しつけられた。
だが、流石に今回はユリアも気づいた。彼の手が痛くない程度に緩められているのを。そしてするり、とその手が動く。
「……っ!?」
両手の指が絡められ、握られつつも指先で手の甲や指の間をなぞられる。散々触り慣れている筈の籠手の鉄と皮の感触が、今は何故だか生き物の様に感じられた。
「え……あ」
ユリアは力一杯抵抗すれば彼の手を振りほどけた筈だ。だが何故か力を入れられず戸惑った。その様子を確認したヒューは絡めた片手を自分の口元に引き寄せる。
「お前、煽るなよ」
その言葉を紡いだ唇で彼女の指に触れ、瑠璃色の瞳でユリアを見つめながら、ちゅ、と音を立てる。
ユリアは血が沸騰したかと思う程にカッと熱くなった。その熱で先ほどまで持っていた強気はしゅんと萎れ、言葉が震えてしまう。
「あ、あの……」
「ん?」
「煽るって、何を……?」
「……」
ヒューは目を丸くした後、ハァーと深いため息をついた。
「うそだろ……」
疲れたように言うヒューを見て、ユリアの心に小さな焦りがぽつりと生まれる。
彼をがっかりさせたと思ったのだ。何故がっかりさせたのかも、どうして自分が壁に縫い止められているのかもわからないのに、とにかくほろ苦い気持ちが胸に広がるのを止められない。
しかしヒューは息を吐ききった後、急に勢い良く顔を上げた。彼の目がユリアの間近に迫る。その瑠璃色の瞳に再び熱情のようなものが映るのをユリアは見て取った。
「教えてやる。あんな台詞、血気盛んな男の前で言ったらこうなるって」
「え」
ヒューの顔が視界の左端へ消えたと同時に、彼のモジャモジャした栗色の髭がユリアの首筋を刺す。
「ひゃっ」
ユリアは思わず小さな叫び声をあげた。彼がユリアの頸、耳のすぐ下に口づけたのだ。そこから首筋をなぞるように唇をずらしていく。
「やっ、え、あ……」
彼女は混乱した。彼の唇が触れる度、背中に感じたことの無い刺激が走る。口づけされたところが熱い。どくどくと脈を打って心臓が頸にあるかのようだ。身体に力が入らず、立っていられない。
ユリアの膝が折れると、ヒューは彼女の両手を解放した。ユリアはそのまま壁にもたれずるずると重力に身を任せて座り込む。顔は薔薇のように赤く、左手は自然と頸にあてがっていた。
それでも最後の抵抗のつもりなのか、涙目をきりりと吊り上げてヒューを睨む。
睨まれたヒューは口元を手で多い、複雑な表情をして言った。
「……まだ口にキスしなかっただけ、マシだと思え」
「なっ!? お前、ふざけるな」
「とにかく! 冗談でも他の男の前であんな事を言うなよ。他の男にもこんな事をされたいのか」
「……ッ!」
昂っていたユリアの血が瞬時にザッと冷えた。今までいやらしい言葉で不快な思いをした事はあるが、実際に他の誰かに身体を触られるなど考えただけでも恐ろしい。普段彼女は騎士団と言う男社会の中で男言葉を使い豪気に振る舞っているとはいえ、先程のはしたない台詞は確かに言うべきではなかったとやっと気づいた。
「……わかった。すまない」
しおらしいユリアを見たヒューは複雑な表情のまま、またハァーと深く息を吐いた。
「……キースリング、お前覚えとけよ。このままじゃ済まさないからな」
「えっ!?」
(謝ったのになぜ!?)
座り込んだまま混乱しているユリアを置いて、ヒューは着替えもせずに大股で支度部屋を出ていってしまった。