1話 熊みたいな大男にも可愛いところはある
ユリア・キースリングは貴族令嬢でありながら女騎士である。
彼女は騎士を多数輩出した伯爵家の系譜に連なるキースリング子爵家の生まれだ。領地で馬も生産している為幼い頃から馬を乗り回し、お茶会やドレスより剣術が好きな娘だった。負けず嫌いな彼女は男の子に対抗して剣の鍛練をしているうちに、その腕をめきめきと上げた。
日々汗と泥にまみれ走り回る彼女を他の貴族令嬢やご婦人達は陰で嗤っていた。それでユリアの負けず嫌いに更なる火が着き、半端なレベルではなく他人にあれこれ言わせないレベル、つまり立派な女騎士になると決意したのである。
そして今、過去に嗤っていた奴らの中には手のひらを返しユリアにすり寄ろうとする者さえいる。
彼女は王立騎士団に入団した後、見習いを経て第ニ近衛隊に所属……つまり、第三王女の警護をするまでになったからだ。
すらりと均整のとれた長身に、なびく金髪。普段は男のような服装と言葉遣いをする彼女は、男装の麗人として王宮の女官にも密かな人気があるらしい。
ただ、ユリアがその地位を得ることができたのは皮肉にも彼女の生まれ育ちがあったからだった。
未婚の王女を警護する騎士が男性ならば部屋で二人きりになることは許されないし、着替えや湯浴みの際は同室すらできない。優れた女騎士でしかも貴族出身ともなれば重宝されるのだ。
負けず嫌いのユリアはそれが事実とはわかっていても、面と向かって「女だから」「貴族だから」と言われるのが嫌だった。髪こそ両親の懇願があり切らなかったが、普段は女らしさをかなぐり捨て誰よりも鍛練に時間を注ぎ込んだ。今の彼女の実力はたゆまぬ努力と執念の積み上げによるものだと言えよう。
今日も仕事は非番だというのにユリアはスカートではなくズボンと鎧兜を身に付け、城内の訓練場にて模擬戦形式で剣の稽古をしていた。相手は同じ王立騎士団の第四隊に属するヒュー・バスクだ。
「はぁっ!」
ユリアの渾身の一撃を、ヒューはいとも容易く跳ね返す。
「ふん!」
返す刀で繰り出されたのは頭上からの縦一閃。ユリアは咄嗟に左手の盾を高く掲げ防いだ。重い金属同士がぶつかり鈍い音が響いた直後、ユリアの右手の剣がピタリと寸止めをする。その剣先はヒューの具足と鎧の継ぎ目に添えられていた。
「いやあ、参った。左足一本持っていかれたな」
ヒューはからからと笑って片手を挙げる。ユリアが首を振った。
「いいや、バスク。君の勝ちだ。これが真剣なら私は盾ごと半身を斬られていたよ」
今二人は刃を潰した模擬戦用の剣で斬り合っていた。先ほどのヒューの唐竹割りは命を刈り取る勢いだったと盾を握っていた左手の痺れが物語っている。ユリアは悔しげに言った。
「ああ、やはり膂力の差だけはどうにもならんな」
それを聞いたヒューは兜の奥の瑠璃色の瞳を細める。
「そうは言うがキースリング、お前の剣の素早さと正確さは大したものだ。俺の後輩にここまでできる奴はそう居ないぞ」
笑いながら語るヒュー。そのヒューに褒められたユリアは兜の中で苦い顔をしていた。
(後輩、か。やはりこいつの隣に立てる器とは認められないのだな)
ヒューはユリアにとっては騎士団への入団同期であり、そして同期内では最も腕が立つ男だと認めている。だからこそユリアは彼に度々手合わせを頼んでいた。
しかしヒューは間も無く所属の第四隊で副隊長に任命されるという噂である。近衛に潜り込めた自分とは違い平民の彼は紛れもない実力での出世だ。彼が役職につけば多忙を極め今までのように度々剣を交えるのも難しくなるかもしれない。
おいてきぼりにされるような気持ちになり、寂しさを感じるユリア。その心を知る由もないヒューは楽しそうにしている。と、訓練場に他の騎士団員が入ってきて声をかけた。
「おーいヒュー、隊長が呼んでるぞ」
「えっ、午後は半休だと言った筈なのに参ったな……おいキースリング、悪いが少し待っていてくれ。今日はお前の奢りだろ?」
「ああ。かまわない」
模擬戦で負けた方がその後の酒を奢るのが二人の慣習だった。尤も、殆どがユリアの奢りになるのだが、ユリアは自分の鍛練にヒューを付き合わせていると自覚していたのでそれで納得していた。
ヒューとユリアは訓練場を出て第四隊の詰所へ向かった。詰所で一旦別れ、彼女は支度部屋に入った。そこには皆がつけている鎧兜が置いてある。ユリアは近衛兵の華美な鎧を鍛練や模擬戦で汚すわけにもいかないので、今だけ第四隊の装備を借りていたのだ。
「ふう……」
彼女が顔まで覆った兜を脱ぐと、その下から意志の強そうな琥珀色の瞳と、汗に濡れても輝きを失わない金髪が現れた。ユリアは籠手、鎧、具足と手慣れた様子で外していく。身軽な姿になると髪をサッと紐で括り直した。
借りていた装備を決められた棚の位置に戻すと、ふと空いた棚に目を留める。
「おや、これは」
そこはヒュー・バスクの名が小さく刻まれた鎧置き場だった。空いた棚に一冊の薄い本が置かれている。
赤い表紙に書かれたタイトルは『女騎士に夜の指南』。
「ふむ。どれどれ」
ユリアはそのタイトルに『夜の』と入っていた意味を汲み取れなかった。女性向けの戦い方の本をヒューが入手してくれて、この後ユリアに貸すためにここに置いたのだろうと思ったのだ。だがページを開き読んでいくとそれは誤解だったと気づいた。
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「……くっ、殺せ! このような辱しめを受けるくらいなら、誇りをもって死ぬ!」
「ははは、口ではなんとでも言えよう。そら、もうすぐ媚薬が効いてくる筈だ」
ユリリアの白い頸に伯爵の唇が触れ、首筋をなぞる。
「うっ、くっ、はああ……」
ユリリアは声を止められなかった。
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(……なんだこれは……もしかして、え、えっちな小説というやつじゃないのか!?)
しかもこの小説に登場するヒロインは女騎士で金髪に琥珀色の目をしていて、おまけに名前までユリアに似ていた。
普段は恥じらいなど滅多に見せない彼女だが、流石に頬にカッと血が上る。
(あいつだけは他の男と違うと思っていたのに!)
彼女は騎士団に入ってからも様々な不快な思いもした。好奇の目、嫉妬の目、好色の目で見られることもあったし、ごく稀にいやらしい言葉を投げかけられたこともあった。
そんな時、ヒューはいつも女としてではなく同期の騎士として彼女を扱い、時には庇い、時には酒を奢ってくれ、そして彼女が剣に磨きをかけるのをいつも助けてくれていた。
ユリアは心からヒューを信頼していた。なのに。
「あっ!!」
兜を小脇に抱え機嫌良さそうに支度部屋に入ってきたヒューが本を開いているユリアを見て大声を上げた。ユリアは振り向き、ヒューを認めると眉間に深い皺を刻んだ。
「バスク……」
「ち、ち、ち、違うんだ!!」
「何が違う!?」
「こ、これはスミスが貸してやるって置いていったやつで……」
ユリアの眉間が緩んだ。今さっきはヒューをいやらしい男だと軽蔑した。だがいつも豪放磊落な大男が別人の様に真っ赤になって狼狽えるのを見て、なんだか「可愛いな」と思ってしまったのだ。
「ほう? お前の物ではなく、スミスのか」
「そうだ! 本当だ! あいつが……」
「だが、この本の中身は読んだのだろう?」
「えっ!?」
ヒューは飛び上がった。まるで天敵に遇った野ウサギだ。