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特別

作者: 弦景真朱

短編、恋愛モノです。


ーー特別な人だった。


 彼からそう言われた私は、彼をそう言わしめた元カノを、酷く羨ましく感じた。私は必死にアプローチして、やっと彼女まで上り詰めたのにまだ上がいるなんて。

 思えば、彼との交際までの期間は全く順調ではなかった。彼には常に付き合っているんだかいないんだか、関係性のわからない女性の影があったし、私の猛烈なアプローチに気付いているはずなのに、彼と来たら暖簾に腕押しで全く刺さらない。

 なのに、やっとの思いで二人で出かけることを取り付けようと声をかけたら、とても思わせぶりなことを言われ、私は言葉を失った。


「今度の三連休の初日と、最終日が空いてる。初日だけでいいの?」

「えっ……」


 もう一度、念を押される。


「いいの?」

「えっと……最終日も……お願いします」


 電話越しに、彼が笑ったのがわかった。私も電話越しでよかった、今の私はまるで茹でダコのようだから。

 そして出かけることになった三連休の初日、私達は普通のデートをした。映画を見て、スポーツ用品を一緒に選び、食事をして、運転手ではない私は、お酒も飲んだ。


「我慢できなくなったら、俺も酒飲んでいい?」

「どうやって帰るんですか?」

「泊まればいいじゃん、そこのホテルに」


 ここでそうですね、と言えば私達は一線を超えることになるのだろうか、などと期待した。だが、尻軽とは思われたくない。


「それは、また別の機会で!」

「あっそう」


 彼はわかっているはずだ。私の本心に。

 そして私は更に酒を煽り、完全な酔っぱらいに退化して、半ば運んでもらいながら車へ乗った。帰り道、彼は私の家を通り過ぎ、どんどん田舎へ進んでいく。


「どこ……行くんですか?」

「内緒。良いところだよ」


 月のきれいな夜だった。車の窓から見上げた月は、何も邪魔するものがない海の夜を静かに照らしていた。


「綺麗……!」

「俺の好きな場所なんだ。人もいないし、景色も綺麗だし」

「はい、本当に! 綺麗です。……海、触ってもいいですか?」


 いいですか? と許可を仰ぎながら、許可が下りる前に波打ち際まで行く。綺麗な月夜の光を、波が照り返していた。

 波にかすかに触れられるところで、静かに波を見つめる。寄せては返す波の音だけが耳に届き、酷く心地よかった。

 突然大きな波が打ち寄せてきて、慌てて立ち上がり後ずさるも間に合わず、私の後ろに立っていた彼にもぶつかり、二人でびしょ濡れになった。

 しばしの無言の後、沈黙を先に破ったのは彼だった。


「っははは! 面白い、本当! 中々ないよ、こんなに面白いこと!」

「そ、そうですか?」

「うん、面白い。本当に、一緒にいて飽きないよ」


 彼の一言が、私の胸をかき乱す。

 月夜のおかげでよく見える彼の顔は、無邪気な少年のような笑顔から、大人の男性の笑みに変わり、気がつけば私は抱きしめられていた。波の音だけが聞こえていたのに、今は彼の鼓動も届く。


「あの……っ」

「さ、遅いし帰ろうか」


 今私が口走ろうとしたことがわかったのか、彼は笑顔で車へと向かう。彼の影を追う様に、私も車へと乗り込んだ。他愛のない会話をして、家へと送ってもらう。


「じゃあ、また明後日」

「はい、おやすみなさい」


 彼は、どうしたいんだろう。

 私は、どうしたいんだろう。

 部屋に帰り、さっとお風呂を済ませた後、横になって考えているうちにいつの間にか眠っていた。そしてあっという間に、三連休の最終日。また、彼との約束の日だ。


「おはよう、行こっか」

「はい……あれ、髪の毛切ったんですか?」

「うん、昨日ね。どう?」

「似合ってます! すごく!」


 なんだ、このイケメンは。髪の毛を切ってセットするだけで、二次元から出てきたようなイケメンに見える。生まれてこの方、私はオタクだし、彼もまたオタクだ。だが、見た目ではオタクだとは思われないように、というところで私達は意気投合したのが親しくなる最初のきっかけだった、というのを思い出した。

 思い出し笑いを一人でしていると、彼が信号待ちの最中に視線を向けてきた。


「どうしたんですか?」

「何一人でニヤニヤしてるの? かっこよくて見惚れてた?」

「え! いや! あの! えっと! はい!」


 あ。

 勢いで肯定してしまった。目が点になる私と、思わず吹き出す彼。


「あっそう……ありがとう……くくっ」

「あ、の……忘れてください」

「忘れないよ、覚えておく」


 彼の照れ笑いした、嬉しそうな顔を、私も忘れずにいよう。例えこの恋が実を結ばなくても。心のなかで、宝物にしよう。私の小さな決意だった。

 そして私達は丸一日、また遊び倒した。きっと傍から見たらカップルだったに違いない。きっと。あっという間に一日が終わり、気がつけば帰路についていた。


「あっという間でしたね」

「そうだね、楽しかったよ」

「……私も、です」


 いいのだろうか。このまま何も言わずに、終わりにしてしまって。楽しかったデート、という思い出だけで。

 今夜も月が昇っている。美しい、満月だ。


「月が、綺麗ですね」

「そうだね、この前より大きく見える」

「知ってますか? 夏目漱石の作中に出てくるんですよ、月が綺麗ですね、って」


 彼の顔を見れなかった。運転中だから彼も私を見れないだろう。だけど、あと五分もあれば家に着いてしまう。私に、あと五分で仕留める覚悟があるか。


「へえ、どういう意味?」

「I love you です」


 フロントガラス越しに見える月から目をそらした。助手席側の窓を見つめて、運転席が目に入らないように。流石に気づいたろう、私の想いに。だが、予想に反して、彼は天然を炸裂させてきた。


「へえ、美しいね」

「ええ、え、あ、はい。そうなんですよ」


 まさか。

 いや、まさかだ。気づいてないのか?

 わざとなのか? あえて気づかないふりをしたのか?

 ふりをしたとしたら、なぜだ? 気づくと都合が悪いのか?

 まずい。どんどん底なし沼のように悪い方向へ思考が進んでいく。もしかしなくても、脈なしなのか。

 ありえる。今まで女の影がちらついてきたのも、もしかしたら気づいてない天然スキルを発動させ、女泣かせをしてきたのかもしれない。助手席で百面相する私に、彼は笑いながら声をかける。


「家、着いたよ。一日ありがとう」

「あ……はい、ありがとう、ございます」


 助手席の扉を開けて、外に降りる。

 私は、本当に後悔しないか?

 私は、このまま家に入っていいのか?


 車のドアを締めたら終わってしまう。

 でも開け続けるのは迷惑だ、なんたって今は真冬なのだから。

 どうする、私。どうする。

 沈黙のまま立ち尽くす私を見兼ねたのか、彼が口を開く。


「また、海行く?」

「あ……」


 乗らない手はない。彼が確信犯なのか、天然なのか、女たらしなのかわからないが、最早どうでもいい。私は私の意志で、必ず思いを伝える。

 そして、私を乗せた車はまた一昨日の海へとたどり着いた。一昨日と違うのは、激しく波打っていたということ。


「今日は、車から降りないにしよう」

「そうですね」

「で、俺に話したいことあるんでしょ?」


 思わず目を見開く。彼を見れずにいると、彼が私の頬に手を置き、顔を強引に向き合わせた。


「目、合わないけど」

「あ、あの……もう気づいてますよね」

「何を? 言って」


 ずるい人だ。きっと気づいているのに。

 私に、言葉にさせようとする。

 目を合わせると、月の光で照らされた彼は、本当に綺麗だった。


「あの……その、私……」

「うん」


 言葉が喉元まで出かかっているのに、そこから先に出てこない。思えば喉も乾いているし、手は汗ばんでいる。脈拍はどんどん速くなって、このまま倒れてしまいそうだ。

 覚悟を決めろ、私。

 深呼吸して、一度目を閉じ、また彼を見つめた。


「……好きです」

「うん。そっか」

「付き合ってほしいです」

「俺より、いい人がいるかもしれないよ」


 私の何かが、音を立てて切れた。私の頬を包んでいた彼の手を剥がし、思い切り握る。


「私の幸せ、勝手に決めないでください」


 堰を切ったように、怒涛の演説が幕を開けた。


「いいですか? 私の幸せは私が決めます。私は貴方と付き合いたいと思ったし私が幸せになる自信があります。それに私の気持ち聞いてからその返答はずるいです、いいのか悪いのかはっきりしてください」


 一息で言い切った後に、言い過ぎたかと内省した。目をそらすと、今度は顎を捕まれ、無理やり視線を合わせてくる。


「いや、ごめん。本当面白い。ここまで言われると思わなかった」

「は?」


 しばらくの間、微妙な空気のまま沈黙が流れる。やはり沈黙を破ったのは彼だった。


「そうだよね、勝手に予防線張っちゃだめだな。やってみようか」

「えっ」


 彼の言葉に反応する前に、咄嗟に目を瞑った。

 彼の顔が。正確にはまつげが、触れそうなほど近くに来たから。ただし、触れたのはまつげではなく、柔らかく温かい唇だった。


「……!! あ、の?」

「付き合おう。俺たち」

「ありがとう……ございます?」


 晴れてめでたく付き合うことになった私達だが、次の瞬間、彼から冷水のような言葉を浴びせられる。


「俺、振られたことしかないんだ。何考えてるかわからないって。元カノ、特別な人だったんだけど、結局他の人のところに行っちゃったし」

「そ、そうなんですか」


 特別。

 付き合って五秒程度しか経っていない私達だが、既に敵わない壁を目の当たりにしている。まず、元カノを超えなければいけない。彼にとって、特別だった元カノを。

 羨ましい、と素直に思った。付き合って数秒だから敵うわけもないが、彼から特別などと言われるほどの元カノが。どうやったら、などと考えるのは野暮だろう。


「私は、簡単には別れませんから!」

「……え?」

「あ、いや、えっと……まだ付き合って数分ですけど、何となく伝えたくて……未来のことはわからないですけど、今日も好きだったな、を毎日繰り返して、気がついたらずっと好き、を更新し続けていけたらいいなって」


 彼の瞳が、少しだけ揺れた気がした。月の光が反射して、そう見えただけかもしれない。彼に静かに抱きしめられながら、彼の背中に腕を回す。


「ありがとう」

「いえ、こちらこそ……あの、改めてよろしくお願いします」

「俺の方こそ、よろしくお願いします」


 元カノという特別を超えられるかはわからない。ただ、今この瞬間彼を一番好きなのは私だ。毎日好きを更新して行こう。

 私達はまだ、始まったばかりだ。


 そして、気がつけば数年経ち、私達は新居へと移り住んだ。彼が私の隣で微笑む。


「今日からよろしく、奥様」

「はい、今日からよろしくお願いします」

「ずっと一緒だよ」


 私達の特別は、やっと始まったばかり。


 

 

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