彼と彼女の婚約騒動
「しゃ、シャルム様!」
華やかな夜会の場で、自らを呼び止めた婚約者のエミリア王女を、シャルムは振り返った。
王女様はぷるぷると震えていた。先程から何度も、口を開きかけては閉じるを繰り返して、迷っている様子を見せている。彼女の傍らには見目麗しい少年が立っていて、続きを促すようにエミリア王女のドレスの袖を引く。
「こっ、ここここ……っ」
ニワトリかな?
そう思ったシャルムの目に、王女の頭で揺れる黒い耳が写った。母君のキティ王妃譲りの黒髪と黒い耳は、似合っているけど倒錯的で人前では見せるなと厳命してあったのに。
「婚約破棄してくださいみゃせぇっ!」
噛んだ。
「何故?」
シャルムはため息をひとつついて、首をかしげた。そのしぐさに彼女が弱いことを知っていてやるのだから、我ながら意地が悪い。案の定、歯噛みするエミリア王女。シャルムはきっと表向きは違うだろうと思いながら口を開いた。
「ひょっとして、この間あなたが私の大事にしていたプリンを食べてしまったことを怒ったからですか?」
「違います!」
「じゃあ、クッキー?チョコレート?それとも、ボンボンのことをおばあ様に告げ口したことを怒ってらっしゃる?」
「んにゃぁ!?」
他にも、フィナンシェやドロップなど、ここ最近盗み食いの対象になった菓子類を挙げていけば、エミリア王女は顔を真っ赤にして悶える。実は王女、少々ぽっちゃりしていて、このままでは健康に悪いとダイエットの命令が国王から出たばかり。それでもシャルムが彼女の手の届くところに菓子を隠し続けたのは、ひとえにぽっちゃりな彼女を愛しているからだ。ちなみに、シャルムは甘いものが苦手である。
全てを知っている国王夫妻は顔を見合せため息をついた。
「ぼ、ボクをいじめたではないですかっ!」
「マーロウ……」
やり取りに焦れたらしい少年が、エミリア王女の陰から顔だけ出して吠える。彼の存在をすっかり忘れていたエミリア王女がハッとして少年を振り返る。シャルムは呆れ顔で彼を見やり、首をかしげた。
「君、誰?」
そして、壁際に控えていた衛兵たちに「捕まえてくれる?」と指示を出す。ふたりの衛兵が少年を取り押さえて連れていった。
「さて、エミリア?」
名前を呼ぶと、エミリア王女はビックゥ!と肩をすくませた。尻尾がぶわっと太くなる。構わずシャルムはその黒髪に手を伸ばした。
「お仕置きの時間だよ?」
反射的に逃げ出したエミリア王女を見送って、シャルムはくつくつ笑った。彼は国王夫妻に向けて優雅に礼をすると、退出の許可を得てエミリア王女を追いかけていった。
「……さすが、あにゃたのご親戚」
「いやぁ、照れるね」
「褒めてにゃい!」
だから彼は知らない。ふたりがいなくなった広間で、ホストらしく貴族たちの相手をしながら、かつて同じ体験をしたキティ王妃が遠い目をしていたことを。
他国の王族とはいえ、夫の従兄弟の息子をひとり娘の婚約者に宛がうべきではなかったと心底後悔していたことを。
「本当に、どうしてこうにゃったのかしら……」
キティ王妃の溜め息は、夜会の喧騒に紛れて消えた。
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