【琥珀編より】中の子と一号二
【琥珀編】を読むときに、中の子の想いや世界観を分かりやすく説明したお話です。
かつて創造神が神々を生み出し、それらの生活する世界を創った後。光の神が生み出した人間の存在を巡って闇の神と対立して、九人の神々が二手に分かれて戦った。
その結果、創造神は光の神と闇の神を自身と共に深い眠りにつかせた。
それは、戦いを終える合図だった。
そんな光と闇の神は、眠る前に興味本位でまぐわい神を産んでいた。それが、光の子と闇の子と、どの神にも属していない「中の子」と呼ばれる三神だ。
光の子と闇の子は親の後を継ぎ、中の子は花の神に引き取られて育った。そうして大きくなった中の子は、人間の住む「中ノ地」を旅して人の子達を闇の神が創った魔獣から守っていた。
「お姫様は、何故人を助けるのですか?」
彼女の付き人である呪術師の花の上級使い手である一号二が、夜も更けた中ノ地の森の中、焚火を囲み中の子に尋ねた。一号二は、もう八百年くらい生きた年寄りだ。花の使い手である一重梅の髪と瞳、額には花の紋章である桜が浮かび上がっている。彼は主である花の神に命じられて、彼女を守り付き添っている。
「あたしは、変わりたいんだ」
中の子は、焚火に照らされた顔を一号二に向けた。中の子は、月白色の髪に、右の眼は墨色、左の眼は黄支子色だ。そして、性別は男でも女でもない。
右目の色は同じ姉妹である闇の子と揃っているので、姉神には毛嫌いされている。
見た目美しい少女のような柔らかさと花があるので、中の子は少女として呼ばれて扱われることが多い。それについては、中の子は特別嫌がりはしなかったので、皆は「彼女」と呼ぶ。
「あたしはもしかしたら、人間でいう白童子の状態なのかもしれない」
白童子とは、成人前の人間だ。人間は成人するまで髪も瞳も白くて無性別なのだ。成人すると己を守護する神が決まり髪や瞳が染まり、性別が与えられて適する武器も決まる。「どの神にも等しく愛される存在になるように」と、光の神が願いを込めてそう人間を創ったのだ。
「しかし爺には、お姫様が死に急いでいるように見えますぞ」
禍神と呼ばれる穢れの神とも戦おうとする中の子の無防備さに、一号二は毎回肝を冷やしていた。穢れの神は、主神の血を濃く受け継ぐ大地の神や己の神である花の神でも、倒せない。血が少し薄い中の子では、勝てる戦ではないのだ。
「そうだな。死ねるのであれば、それも構わん。あたしは、こんな出来損ないのまま生きているのが恥ずかしいんだ」
一号二は、彼女が自分の存在を恥じているのは重々知っていた。どの神の血も受け継がず、かと言って新しい神でもない。性別も武器も定まっていない。「神」という立場が適しているのか、本人が一番気にしているのだろう。そんな中の子の存在を、闇の子以外の神々は認めているのに、だ。
「死にたいなど、申さないでくださいませ。先に死ぬのは爺ですぞ」
使い手の寿命は、千年ほどだ。一号二は自分の死後、中の子がどう生きるのかをずっと案じている。自分が消えた後、彼女を自分と同じ、もしくは自分以上に大事にしてくれる使い手が、傍にいてくれるようにと。
「――あたしを置いて死ぬなんて、許さん」
中の子は、焚火に目を向けて小さく呟いた。長く自分を育ててくれた存在を失うのを、中の子は恐れていた。彼女が守る人間も、あっという間年老いて死んでしまう。そして、物理的にも弱い。魔獣と戦うのですら危ないくらい、弱い。
花の神や兄神である光の子は中の子を深く愛してくれているが、それを彼女は「同情」だと感じていた。何度違うと言い聞かせても、その思いは変わらない。孤独――中の子は、自分に寄り添ってくれているのは一号二だけだと感じている。
「人の子を助けて徳を積めば、眠りについている主神から新しい姿を与えてくれるかもしれない。だから、あたしは人の子の為に戦ってはいない。自分の為だ」
中の子はそう言うが、彼女が優しく慈愛に満ちているのを一番知っている一号二だ。本当に、親身に人間に寄り添って守っている。彼女のお陰で、勇者と呼ばれる人間が何人もいる。
その姿は、まさに神と呼ぶにふさわしい。しかし、彼女はそう思わない。
「お姫様、爺と約束してはくれませんか?」
一号二は、自分の寿命がもう残り少ない事を分かっていた。残される彼女が、どうか絶望に陥らないように願うしかない。
「約束?」
「はい。爺が死んでも、新しい使い手と仲良くして人間を守り見守って下され」
中の子は焚火から、一号二に視線を移した。
「それは、あたしが今のまま中途半端で恥ずかしい姿をしていてもか?」
「どんな姿でも、お姫様は神である身。そして、それを恥じるものではありません」
「新しい使い手は、いじわるかもしれんぞ」
「その時は、花の神に変えるようにお願いしてくださいませ。その前に、花の神がそのような者を、お姫様の傍に置くとは思いませぬ」
中の子は、黙り込んだ。神の寿命は分からない。これから先、彼女の孤独がいつ終わるのか分からない。寿命がある己に、一号二は申し訳なく思い、そしてだからこそ彼女が幸せになる事をずっと願っている。
「さ、お姫様。大きな戦いが終わった後ですし、お姫様が好きな葛湯を飲んで今日は早くお休みくださいませ」
焚火で沸かしていた湯を、葛の粉と柚子の皮が入った椀に注いで一号二はそれを彼女に渡した。まもなくこの中ノ地は雪が降る季節になる。暖かな飲み物は、彼女の心も少しは温めてくれる筈だ。
「そうだな、今回は少し疲れた」
水の国の透湖で、穢れの神の一人である傲慢の神を相手に人間たちと水の神と組んで、戦ったばかりだ。やはり倒すことは出来なかったが、退ける事は出来て一緒に戦った人間たちとは先ほど別れた。感謝して泣いていたあの者達も、あっという間に寿命で死んでしまうのだろう。
「しかし、人間たちは書物にて中の子様の雄姿を記して子孫に伝えていきますぞ」
中の子の心を見透かしたように、一号二はそう口にして小さく笑った。
「あの者達にとって、お姫様はまごうことなく「神」です」
葛湯からは、柚子が香しく漂う。椀の温かさに惹かれるように、中の子はそれを口に運んだ。腹の中から、温かさがじんわり伝わる。
「――分かった、約束しよう」
温かさに吐息を零した中の子は、一号二に美しい花の様な笑みを向けた。
「一号二、そなたと約束する。あたしはこれから、この身が亡びるまで、この世が亡くなるまで人の子達を守り導こう。そなたが居なくなっても、使い手達がどんなに変わろうともそなたと約束したことは忘れず、守り続ける」
「お姫様…」
上級であっても、己は花の神に作られた精霊の一つに過ぎない。しかし中の子は、対等に自分を扱ってくれる。こんなにも愛おしく優しい神がいるだろうか。
「使い手は、冥府にはいかずただ塵となって消えます。もし使い手にも輪廻がありましたら、爺はまたお姫様の世話をするために生まれ変わりましょう」
涙が出そうになるのは、年老いたせいか。一号二は、そっと目元を着物の袖で拭った。
「口煩い存在にまた会えるのも悪くないだろう、そなたが生まれ変わって来なかったら、冥府の神に文句を言いに行くからな」
夜も更けて静かな森の中。疲れて寝てしまった中の子に毛皮をかけてやりながら、一号二はその美しい姿を目に焼き付けるように眺めていた。
それから、数百年の時を経た。
中の子は、二号一という呪術使いの上級花の使い手と中ノ地を旅していた。彼は男性なのに自分の事を「アタシ」と呼び、母親の様に中の子の面倒を見ていた。神である中の子の無謀さをお構いなしに叱り、口喧嘩も沢山した。一号二の喪失感を忘れさせる、頼もしい相棒になった。
そんな折、風の国で琥珀と呼ばれる少年と出会った。彼は闇の加護を受けた太刀使いだったが、あまり才に恵まれていないようだった。しかし、彼と共に行動する呪術師の水の加護を受ける藍玉は、大きな力を持っていた。それに、火の加護を受けている玉髄は守護師として申し分ない能力を持っている。琥珀の力不足を補うのにちょうどよい組み合わせだった。
どうやら、風の国で魔獣が異常に産まれる事態になったらしい。中の子の旅に、目的も期限もない。中の子と二号一は、この事件の解決を助ける事にした。
色々な人間と、中の子は関わってきた。
琥珀は弱いが、かつて同じ風の国で親を殺されて泣いていた白童子を思い出す。その後彼と再び会い大型魔獣討伐を助けてやった。風の国で勇者と呼ばれている金剛だ。金剛の他人を思いやる優しさと強くなりたいという思いが、琥珀とよく似ていた。
金剛の顔はもうあまり思い出せないが、中の子を慕ってよく笑っていたのを覚えている。
その金剛が守っていた風の国だ。懐かしい人の子を想い、中の子は琥珀達との旅に出た。しかしそれは、二つの国を脅威に脅かす大きな波となって琥珀達に厳しい戦いを強いる事になる。
――一号二よ、あたしを守ってくれ。
中の子は、兄神より送られた承和色の双剣を振るう。人の子を守る約束を、果たす為に。
『神々の愛した華【琥珀編】』の逸話として