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「うーん、どうしようかしら」
薄暗い紫の部屋の中で一際明るく光るパソコンの画面を見つめながら、アリスが首を傾げている。
その小さな手から伸びる細い人差し指が、まるで、ど・れ・に・し・よ・う・か・なと言わんばかりに画面上を動いている。
「決めた!」
やがてアリスの指が1点に止まり、彼女は勢いよく立ち上がった。
「どれにしたんだ?」
アリスの背後からナイトが、画面を覗き込み、すぐに渋面を作った。
「はぁ、それかよ」
「よろしくね」
嫌そうに言うナイトを振り向きながらアリスは満面そうな笑みを浮かべてそう言った。
「ほら、行くぞ」
ナイトにそう言われ、僕は立ち上がった。
アリスたちとの出会いから2週間たった。
あの日、押し切られるように、僕はアリスの館で働くことになった。
とはいえ、今日が初出勤。
この2週間は、アリスの館の2階にあてがわれた僕の部屋の整理や必要な物の購入などでバタバタしていた。
まず、なんといっても部屋の整理。
「ラビットはこの部屋を使ってね」
ニコニコと笑うアリスに連れられて入ったのはぎゅうぎゅうに物が押し込められた狭い部屋。
「中の物は好きに使っていいよ」
アリスはそう言ったが、到底中で暮らせるような空間はなかった。そして好きに使っていいよ、と言われた中身も到底何かに使えそうもない物ばかり。ゴミ袋に押し込んで捨てようとしたら「やめて!」と涙目のアリスに止められたので、仕方なく、これまた物に溢れた隣の部屋に無理やり押し込めた。
ぎゅうぎゅうに押し込められていた物の中から、なんとか布団と使えそうな服を救い出し、ほかに必要な物はナイトに店を教えてもらいながら購入が終わって一息ついたのが5日前。当然のように、アリスが手伝うことはなく、ナイトは重そうなものとかも軽々と持ち上げて片付けてくれたので助かった。
そして、片付け終わると、僕はハッとした。
「大学どうしよう…」
僕の呟きにナイトは「行っとけ」と短く言って背中を押してくれた。
そうして行った大学は、1週間ぶりだったが、特に変化などなく。それぐらいの不在は日常茶飯事とも言わんばかりに普通だった。いつも僕が座る席に、僕のテキストなど一式が入ったバッグがドン、と置かれていたのはなんだか府に落ちなかったけど。だけど、誰かに見せてもらわなきゃ、と緊張していた僕は、ありがたく受け取って使うことにした。全てに僕の名前がきっちり書いてあるから僕のもので間違いないはずだ。1週間分の講義は、後で教授に教えてもらおう。
こうして、僕はいつもの日常を少し取り戻しながら、気づけば2週間が過ぎていた。
その間、特に仕事などなく、そのため日給2万円がはいるわけもなく、必要なものを買い足していたら気がつけばだいぶ財布の中身が軽くなっていた。
「もうちょっと入れとけばよかったなぁ」
なんて思わず呟いてはしまうものの、朝夕とナイトが準備してくれる食事にありつけている現状ではそう深刻ではない。
それでも。
「ほら、行くぞ」
そのナイトの言葉に僕はなんだか湧き上がってくるものを感じていた。
「あいつの行動をよく見とけ」
連れて行かれたカフェで、僕はナイトの視線の先の若い男性に目を向けた。
ちょっと距離があるし、観葉植物の陰になっているし、で非常に見えにくい。
「あんまりジロジロ見るなよ」
ナイトが呆れたようにそう言ってくるが、さっきはよく見とけ、と言われたばかりだ。どうすればいいんだ、と少し膨れっ面になりながらナイトの方を見たら、少し鋭い眼を返されて、慌てて目を逸らした。
そして、そっと、遠慮がちに再びあの若い男性に目を向けた。
「あれ?」
どこかで見た顔だ。
うーん、と頭を悩ませていると、ポン、と頭の上に手を置かれた。
「じゃあ、大学内の観察はラビットに任せた」
いつのまにかコーヒーを飲み終わったナイトが伝票を持って立ち上がった。僕も慌ててリンゴジュースを飲み干すと、ナイトの後に続いた。
そして、若い男性の横を通るとき、あ、と気付いた。
それは大学で同じ講義を受けてる、名前を知らない同級生だった。