02
ハーマンとしては、握手、のつもりだったのだけれど、そのままローズにぐいぐいと手を引かれて、ハーマン達は街外れから街中に戻っていた。
“緑の大樹に擁かれる街・ミーミル”は、世界各地から“緑の大樹”に挑まんとする冒険者を端から拒まず受け入れて、繁栄し続けている街だ。
いわゆる、生まれた領地での労働に耐えかねて逃げ出した、逃亡農奴ですら受け入れているから、農奴の持ち主である領主たちと揉め事になることも度々あるという。
それでも、ミーミルは冒険者を受け入れ続け、冒険者が“緑の大樹”より持ち出す富によってミーミルが栄えているのは、賑やかな通りや、きちんとした都市計画によって整備された上下水道を見る限り、一目瞭然である。
街は今も広がり続けているために、城門に当たる建造物はミーミルの西部には存在しない。ミーミルの南部に存在している居住区は、古くからミーミルに住む人々の為の街である為に、煉瓦造りのそれなりに立派な城門で囲まれているが。
西部に住むのは、冒険者と、冒険者を相手に衣食住を提供する商売人達だ。冒険者達に食事を提供する店舗の中で、最も有名で巨大な“月明かりの夜道亭”はその麗しい名前に反して、力強く昼夜問わず1日中営業している。早朝の今でも、朝食を求めに来た冒険者を相手にして賑わっていた。
その“月明かりの夜道亭”に入ったローズは、するすると育ちの良い猫みたいな足取りで卓の間をすり抜けていく。
「僕、朝飯はもう食べて来たけど」
「とはいえ、挨拶は大事ですよ。ねぇ、初めまして、というやつです、ハーマン」
微妙に会話が通じていないような気がするけれど、何というか、この少女には一生敵いそうにないので、素直にハーマンは足を進める。
冒険者、冒険者、冒険者! 冒険者もどきは、“月明かりの夜道亭”の広い店内に溢れんばかりだ。今日は休養日なのか、早朝のこの時間から既に麦酒を片手に楽しそうにしている連中も少なくはない。ハーマンは心から腹立たしく思う。
この中で、本当の冒険者はどれだけいる。本物の冒険者はどこにいる。小金ではなく、迷宮踏破を、女神たちに真に挑まんとする、冒険者は、どこに!
「――ここに」
不意に、ローズがハーマンに囁いた。ハーマンは何も言っていない。
「……何が?」
ハーマンが目を瞬かせると、ローズは嬉しそうに、宝物を披露する幼子みたいな顔で、1つの卓を示した。
「いえ、ふふ。何となく、ですが。ところで、彼等が私の仲間です。私達の、仲間ですよ、ハーマン」
ローズが示した卓を見ると、なるほど、3人の冒険者……冒険者? が座っていた。
魔法使いが、精霊達からの寵愛によって魔法を操るのだとしたら、我らが父の加護によって魔法を操る者達は、僧侶、と呼ばれている。
その僧侶に特徴的な、青と白の僧服を着て銀色の錫杖を携えた少女と、ウルズ語にまだ慣れていないほど、ミーミルに来たばかりの冒険者にしては珍しいくらい、そこそこに立派な板金の鎧を身に着けた少年、それから。
「――あぁ、姫様!」
狩人か、盗賊か。とにかく、弓を背負って、矢筒を腰に下げて、革鎧を身に纏った――でもその下には、どう見ても黒と白のお仕着せの女中服を着ている、金髪をお下げにした少女が心底ほっとしたような声を上げてハーマン達の方に駆け寄って来る。姫様?
「姫様、一体どちらへ行かれていたのです!? このような異国の、冒険者などという荒くれ者の溢れる土地をお1人で歩かれるなど! マリアはもう、心配で胸が潰れてしまうかと思いました!」
「大袈裟ですね、マリア。ミーミルは治安の良い街だと聞いていますよ」
ローズはその敬称に平然と返事を返している。マリア、と名乗った少女は、ローズに手を引かれたハーマンに気付いたのか、くりんとした赤い瞳をハーマンの方に向けて来る。
「あら……魔法使いさんですわね。初めまして、お嬢さん。わたくしはマリアと申します」
確かにハーマンは、白い髪を肩口まで伸ばしている。小まめに切るのが面倒なのと、俗信だろうとは思うけれど、魔力は髪に宿ると言われているからだ。
体型も、夏には相応しくないくらい、厚い黒のローブの所為で分かり難くはなっている。だから、マリアが勘違いするのも仕方がない、とハーマンは自分に言い聞かせる。
「……初めまして、マリア。僕はハーマン。魔法使いで、男だ」
「あら、失礼いたしました……あら、まぁ!」
マリアは淑やかな仕草で目を伏せ、かけて、すぐに眦を上げた。ぱしん、とローズと繋いだままだった手を叩かれる。
「姫様! 公衆の面前で、殿方と、てっ、手を繋ぐなど! 何事ですか!」
ローズには及ばないものの、白い頬を赤くして、マリアは叫んだ。ローズはころりと笑う。
「違いますよ、マリア。私は魔法使いを拾ったから連れて来ただけです」
「拾ったとは何だい」
「おや、捨てられたのでは?」
聞き捨てならずにハーマンが言うと、面白がるような顔で、ローズはハーマンの顔を覗き込んで来る。赤毛の少女は、けっこう空気読まない感じだ。ハーマンは憮然と返す。
「方向性の違いによるパーティ解散ってやつで、別に、僕が捨てられたわけじゃないよ」
「ふふ、そういう事にしておきましょう」
悠然と、ローズは微笑んで、マリアの引いた椅子に腰かけた。他人からの奉仕を、当然のように受け止めるのに慣れた仕草だった。卓は4人掛けだったので、隣の空いている卓から、ハーマンは椅子を1つ引っ張って来る。
「……魔法使い……」
ハーマンが座ると、怖ろしく小さな声で、僧侶の少女が囁いた。ローズと如実に血の繋がりを感じさせる、白磁の肌に、宝石みたいな真っ青な瞳、それから、氷を梳いたみたいな、僅かに青みがかった輝かんばかりの銀髪の少女だった。
ハーマンはこの上なく誇らしい気分で、美しい少女に答える。
「そうとも、魔法使いさ」