10 迷宮探索は順調に。
振り返っても足跡なんて見えないし、初めから道を歩いているわけだから道が出来るわけでもないし、大体もうここは誰かが歩いた後だし。誰かっていうか、ハーマンも歩いたことのある道だし。
それでも。
「わー! わー! 何やってんの君!」
「あはは!」
「姫様ぁぁぁぁぁ!」
“緑の大樹”2階層。
太い木の中にある螺旋階段を登ると、2階層に出る。1階層から頭上を見上げれば、2階層ではなく青い空が見えたというのに、螺旋階段を登ると、2階層に出る。出るもんは仕方がない。女神たちが、迷宮をそうお造りになったのだから仕方がない。
仕方がないから、お手紙でも書こうか。誰に? ハーマンからの便りを待つ様な人間は、世界の何処にもいないというのに。
いや、ちょっと現実逃避してた。つらい。辛すぎる。だから仕方がないよね?
「Ärger von roten wird gefunden!」
仕方がないってことはないか。馬鹿なことを考えながらも、迷宮探索に慣れた身体は自然と呪文を紡いでいた。魔法使いの杖を掲げる。杖の先から生まれた、ローズの頭くらいの大きさの火球は、炎の尾を引きながら飛んでいく。
姫様ぁぁぁぁぁ! とか悲鳴みたいな声を上げていたマリアも、既に表情を引き締めて、相手の側面から弓を引いている。真剣な横顔が、美しいくらいだった。相手。そう。マリアの放った矢は、相手が首を大きく振った際に、太い角に巻き込まれるみたいにして、弾かれた。
首を振った相手からの突進を、でかい盾を構えて正面から受け止めたのは、アイザックだ。ほんとに損しかしてないんじゃないか、彼。
「……我らが父よ、愛し子に憐れみと祝福をお与えください……」
そのアイザックの後ろで、リリーは祝詞を唱える。『加護』だった。初級を抜けた僧侶には必須とも言われる、被対象者の筋力や持久力を一時的に上昇させる魔法で、すっごい便利だ。リリーが『加護』を既に覚えているとは嬉しい誤算だ。
ハーマンの手の甲にも、『加護』が掛かった印――星と、それを二枝で護るトネリコの意匠が光で浮かび上がった。身体が軽くなる。アイザックや、ローズの手の甲にも、もちろん浮かび上がったことだろう。
ローズ。そう。美しい花の如き麗しの少女にして、すべての元凶みたいな生き物は、あはは、とか笑いながら相手に斬りかかっている。めっちゃくちゃに楽しそうなんだけど、どういう趣味をしているんだろう。
しかも、笑いながらも、ハーマンの放った『火炎球』の着弾と、完璧にタイミングを合わせて斬りかかっていた。戦士の特技、『属性追撃』か。そう言えば、お互いに覚えている特技くらい意識合わせをしてから迷宮に来れば良かったかもしれない。後の祭りだ。滅茶苦茶だ。
「――あぁ! さすがに丈夫ですね!」
ローズが軽やかな声を上げて、相手の振り回した角を、ダンスでもしてるみたいな軽やかな足取りで躱してみせた。闘牛士か何かか。そうなのか。
相手。
そう。
でっかい牛だ。
迷宮の外にいる、お肉にしたり、乳を搾らせてもらったりする家畜とは全く違う。そもそものサイズが家畜の牛の1.5倍くらいあるし、顔の横に生えている角は渦巻いて異様に立派だ。小さな赤い目は、爛々(らんらん)と血走って輝いている。1階層にはおらず、2階層になると現れる強敵だ。
普通の冒険者ならば、この牛――『暴れ大牛』から悲鳴を上げて逃げ回り、女神たちが上手いこと造り上げてくださった、暴れ大牛の入れないような細い小道に逃げ込んで暴れ大牛をやり過ごしたり、迂回ルートを探したりして、2階層の探索を進めて行くのだ。普通、ならば。
普通ではなく、どうかしてやがる美少女は、暴れ大牛を見るなり、あはは、とか呑気で心底楽しそうな声を上げて駆け寄って、斬りかかりやがった。
すれ違うような斬りかかり方だったのに、少女の狙いは正確だったのか、暴れ大牛は首筋からかなりの量の出血をしている。それでも、まだ全然元気だ。
女神たちにそう命じられて、あるいは、死ぬなら道連れにしてやらぁ的なあれなのか、暴れ大牛は出血しながらも首を振り回して側面に立つマリアに太い角で襲い掛かり、牛の突進力を生かしてアイザックを轢き殺そうとしている。
アイザックの後ろ、リリーの横でひたすらに呪文を唱えているハーマンは、7階層まで到達したことのある冒険者とは言え、紙みたいな防御力の魔法使いだ。アイザックに倒れられたら、生きて帰れるか微妙だ。微妙っていうか、多分無理だ。どうにかアイザックには頑張って欲しい。
「ハーマン!」
次の『火炎球』はまだ? みたいな感じで、ローズがハーマンを呼んでくる。あぁ、もう!
「Ärger von roten wird gefunden!」
ローズに言われたからじゃない。そうじゃないけど、何かタイミング的にそんな感じになってしまった。暴れ大牛が突進してきて、アイザックの構えた盾にぶつかって、お互い弾かれるように距離を取った、その瞬間。
アイザックを巻き込まなくてすむタイミングで、『火炎球』を放つ。アイザックの斜め後ろから放たれ、暴れ大牛に着弾した瞬き1回分後に、ローズが斬りかかる。やっぱり『属性追撃』だ。魔法使いの攻撃に合わせて斬りかかり、その効果を倍増させる戦士の特技。
覚えている戦士は、はっきり言って少ない。だって、そもそもに魔法使いが数少ないからだ。だと言うのに何故――とは、思うまい。彼等の傍には、かつての魔法使い、リリーがいる。
「……我らが父よ、慈悲のひとかけらをお与えください……」
膝を突きかけた聖騎士のアイザックに、僧侶のリリーが駆け寄って、怪我の治療を行う魔法、『癒しの手』を発動させる。銀色の錫杖の先端から、温かい光が溢れた。
不安そうなリリーを気遣うように、アイザックがわずかに笑む。あぁ、かつてハーマンと居た、僧侶のエイミーと、聖騎士のオズワルドも、ああいう顔をしていた。気付かなかったハーマンが愚かだったのか。祝福できないハーマンが狭量なのか――知った、ことか!
ただ、呪文を唱える。迷宮踏破を、願う。誰が居なくとも、構うものか。精霊達が、背中を温めてくれる! この信頼を裏切ることなど、出来るものか!




