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01 終わりも始まりも唐突に。

 あぁぁぁぁ、またか。


 溜息はくまい。幸せが逃げる。自分にあとどれくらい幸せが残っているのか、疑問ではあるが。


 涙などこぼすまい。少女でもあるまいし。たとえ“少女のようだ”と称される顔であったとしても。


 あたう限り冷ややかな目をして、相手を見据える。やってられない。仕方ない。自分に見る目がなかっただけだ。構うものか。ハーマンの背中はいつだって温かい。


「……つまり?」


 ハーマンが先を促すと、大して悪いとも思っていなさそうな顔で、へらりと相手は笑った。ぶん殴ってやりたいけれど、後衛の代表のような魔法使い(ソーサラー)の腕力で、盾役タンクの花形である聖騎士パラディンに傷をつけることが出来るとは思っていない。その程度の冷静さは残っていた。万々歳だ。


「だからまぁ、潮時しおどきかなってことだよ」


「潮時。へぇー、潮時。何かな? 迷宮探索は順調。貯金は出来た。新しい装備を買って、新しい特技スキルを職業組合(ギルド)で覚えてこようと別れたのが1週間前。で? 1週間経って、新しい装備も買わずに、言うのが、潮時。言葉の意味が分かって使ってるのかい? 潮時ってのは、物事の終わりって意味じゃないからね? 物事をするのにちょうど良い時期って意味だよ?」


「お前はさぁ……」


 うんざりしたように溜息を吐く相手は、新しい装備を買わずに、どころか、持っていたはずの装備さえ、失っているように見えた。売りやがったのか。冒険者を引退して、新生活を始める資金の一部にしやがったのか。


「迷宮踏破なんて途方もない夢を見て、努力しているのは認めてやってもいいさ。事実、お前は悪くない魔法使いだったよ、ハーマン」


「そりゃどうも」


「だけどお前とは、最後まで仲間になれなかった」


 まるでハーマンが悪い様な口振りで、相手は言う。そうさ。そうとも。仲間だとは、相手の言う通り始めから思っていなかったし、最後まで思えなかった。


 ハーマンは歯を食いしばって、歯の間から絞り出すようにして言う。そうでもしなければ、みっともなくわめいてしまいそうだった。


「迷宮踏破を口ではうたって、実際は、たった7階で、ようやく中堅と呼ばれるようになるたった7階層で、小金を手に入れて、潮時だ、引退しようって言い出す嘘吐き野郎とは、仲間になれなくて結構だ」


「あー、そうかい。そうでございますか。じゃ、これでパーティ解散だ。ちなみにジュードもディーンもエイミーも同じ意見だからな。潮時だって……冒険者なんてやめて、新しい人生を始めるのに、良い時期だってな」


 待ち合わせ場所に現れもしなかった、元・パーティメンバーの名前を、相手は口にしていく。新しい人生。くそくらえだ。お前らの人生に不幸あれ。


「ふん、で、お前はエイミーと結婚でもして、このミーミルで商売でも始めるつもりか?」


 腹立ちまぎれに言うと、相手は立ち去り間際に目を瞬かせて、恥ずかしそうに笑った。


「……何で分かったんだ?」


 うるせーよ! 死ねよ! と喚いたら負けの気がするので、ハーマンは魔法使いの正装である黒い三角帽子のつばを持ち上げて、ついでに口の端も無理矢理に持ち上げる。


「魔法使いの洞察力どうさつりょくめるな」


「魔法使い……魔法使い、ねぇ。まぁ、お前はまだ若いし、どっかのパーティで頑張れよ。ギルド“空気と月”や“乙女薔薇結団”にでも入れて貰ったら良いんじゃないか」


「余計なお世話だ」


 どこまで本気なのか分からないが、冒険者ギルド――迷宮探索に挑むに際して、志を同じとする冒険者同士の相互扶助団体の事だが――“乙女薔薇結団”は女性冒険者のみ加入を認めているギルドだ。男のハーマンが入れるはずもなし。


 けれど、相手のこの何処まで本気なのか冗談なのか分からないような物言いは、いつだってパーティの空気を良い感じに和ませていた。元・仲間は、いや、仲間などとは思うまい。とにかく相手は、大して悪いとも思っていなさそうな顔で、へらりと笑って手を振って去って行った。


「確かにな……じゃ、元気で」


 元気で、とか言うなよ。僕はお前の不幸を願ったのに。ハーマンは魔法使いの黒いローブの裾を握り締める。元気で、とは、建前でも返せなかった。


 ただ、歯を食いしばったまま視線を上げる。去って行く相手の背中よりも、上を。ただ、ただ、巨大な樹が目に入る。


 “緑の大樹(グリューンバウム)


 その大樹の根は、世界の大地を支えていると、老人たちは語る。御伽噺おとぎばなしだろうと、かつてのハーマンは笑っていたけれど、実物を見ると、思わず御伽噺を信じてしまいそうになるほど、その大樹は巨大だった。


 “緑の大樹”は、1本の樹であるはずなのだが、多くの枝をしげらせ、根を張り巡らせ、まるで巨大な森のようだ。


 その“緑の大樹”には3柱の運命の女神たちが住まうと謳われており、大樹の内部には、女神たちが造り上げた迷宮が広がっている。


 女神たちは利益と損失の両方を、あらゆる生き物に与えるため、“緑の大樹”の幹の中に迷宮を造り上げたのだ、と。


 迷宮の中には、平地の生き物とは比べ物にもならないほど強靭きょうじんで好戦的な動物が住まい、宝石と呼ばれる様な希少な鉱石や、薬や毒となるような平地には存在しない特殊な植物が、女神たちの手によって収められていた。


 女神たちは、あらゆる富の欠片を迷宮の中に納め、惜しみなく与え、そして富に手を伸ばした者たちの中から、気紛れにその者の全てを奪い去っていく。迷宮内の怪物たちに襲われ、あるいは単純に迷い、多くの人間が命を落として来た。


 迷宮は“緑の大樹”と同様に、どこまでも上に続いていると言われており、人と“緑の大樹”の長い歴史の中でも迷宮の全容は未だに解き明かされていない。


 迷宮で命を落としたり、迷宮の中の様々な素材を手にして富を得たりする勇敢な者達は、いつしか、冒険者、と呼ばれるようになっていた。


 冒険者、だ。


 知恵と力の限りを尽くし、女神たちの造り上げし迷宮に挑み、迷宮踏破を目指す勇猛果敢な者達。


 けして、決して、ささやかな小金で満足して、つつましい生活を祈る様な、凡人では、ないのだ。そうであっては、ならないのだ。つまり、彼等は冒険者ではなかったのだ。ならば、相容あいいれなくて当然だ。


 ハーマンは、魔法使いであり、冒険者、なのだから。


 今度こそ、次こそ、本当の、本物の、冒険者の仲間を見つけよう。


 歯を食いしばったまま、相手とは別の方向に歩き出す。まずは、冒険者御用達の酒場、“月明かりの夜道亭”で、仲間の募集をかけよう。ハーマンは、今や数少ない、希少な魔法使いだ。


 この世界のいずこかに存在すると言われる、3大精霊――炎精霊スルヴァ氷精霊ヘーレ雷精霊トルフェナに愛された、魔法使いだ。正直、引く手数多なのだ。


 あんな凡人共が降りたとしても、ハーマンの今日までの経験は無駄にならない。多少の回り道にはなるけれど、今度こそ、きちんとした冒険者の仲間と共に、迷宮踏破を、目指して――


 いつの間にか下を向いていたので、また、視線を上げる。この“緑の大樹にいだかれる街・ミーミル”の何処からでも見える“緑の大樹”は、何処までも巨大で、美しい。夏の高い空が、青かった。


「あー……やってらんないなぁー……」


 思わず、ありのままの感想が口から零れてしまった。


「よい修羅場でしたね!」


「はぁ?」


 唐突に横手から声を掛けられて、変な声が出た。いつの間に、というか、いつからハーマンの隣を歩いていたのか。ハーマンと同じくらいの年の少女が、にこやかな笑顔をハーマンに向けていた。鮮やかな赤毛に、青い瞳の、何て言うか――いやぁ、それはさておいて、修羅場って何だ。


「君、修羅場の意味、分かって言ってる? 修羅場っていうのは、血みどろの、凄い戦いが繰り広げられる場所の事だよ」


 ハーマンが苛立ちも込めて言うと、少女は素直に目を瞬かせた。


「む。そうなのですか? 人間関係のもつれの果てのいさかいの事を言うのだと聞きましたよ」


「そりゃ、ろくでもない相手にウルズ語を教わったね。正しいウルズ語を分かってない」


「まぁ、傭兵崩れに習いましたからね! 仕方が無いです。でも、あなたと話が出来る程度には正しいウルズ語を習えたようで、嬉しいです」


 ハーマンの皮肉や苛立ちが通じていないのか、にこにこと少女は笑う。というか、ミーミルを含むこの大陸中部一帯を支配するウルズ王国の公用語を、習う? 外国人なのか。


 確かに少女のイントネーションは何処か独特だし、ミーミルではちょっと見かけないくらい、肌の色が白い。北の方の出身なのかもしれない。


 白い、だけじゃない。ハーマンが見たことのある少女の中で、一番滑らかで、陶器みたいに綺麗な肌をしていた。栄養状態の良い、清潔な環境で育ったのだろう。真っ青な瞳なんて、宝石みたいにきらきら、きらきらしている。


 ハーマンみたいに、無様な裏切りなんて一度も体験したことがないみたいな。


 腰まですとんと伸ばされた鮮やかな赤毛も、丁寧に手入れされていて、艶めいていた。1歩ほど離れた距離を並んで歩いているのに、嗅いだことのない、花のような、果実のような、甘やかな香りが微かに漂って来る。


 香水でもつけているのだろうか。香水? 貴族や、裕福な新興商人の令嬢が使うような代物だ。


 荒れたところの1つもない、ふっくらした唇から、愉快そうな声が零れて来る。


「初めまして! ところで、あなたは魔法使いですね!」


「……見れば分かるよね」


 魔法使いの正装である、黒の三角帽子に、黒のローブ。鉱石で飾られた、木製の杖。この出で立ちを見て、魔法使い以外の何物を想像すると言うのか。


「確かにそうですね」


 少女はハーマンの嫌味にも、まったく意に介したところはなかった。ただ、ただ、愉快そうで、ハーマンは逆に不安になる。少女が、半歩、ハーマンとの距離を詰めて来る。少女の腰に下げられた、長剣と短剣が、触れ合って金属音を立てた。


 どうやら少女は、剣を2本も扱うつもりらしい。そんな細腕で、とハーマンは笑ってしまいそうになる。全体的に黒っぽい、どこかの軍服のような服を着ているけれど、少女は、おそらく15歳程度の可憐な少女は、華奢で、繊細で、そして――そして、ハーマンはその事に気付く。


 この少女は、呪われている。


 偉大なる氷精霊ヘーレに。


「君は……」


 少女は笑みを深めた。ようやく気付いたか、と言わんばかりに。


「魔法使い、良いことです。私、魔法使いはとても好きです。立ち聞きをしたことは謝罪します。ただ、あなたは迷宮踏破を夢見ている、と言われていましたね。本当ですか?」


 ハーマンは、我知らず足を止めた。


 少女も足を止めて、ハーマンの視線を正面から受け止めて微笑む。優雅に、傲慢に。まるで魔法使いみたいな、笑みだった。ハーマンも負けじと、黒い三角帽子の鍔を持ち上げて宣言する。


「本当だ――僕は、迷宮を、踏破する」


「なるほど、なるほど。実によろしいことです!」


 少女は、ハーマンの言葉を笑わなかったし、疑わなかった。ただ、満足そうに手を叩いた。良い子だな、とハーマンは思う。善良だという意味でもそうだし、魔法使いの扱いを良く分かっている子だな、とも思う。まるで、身近に魔法使いが居たみたいな。


 宝石みたいにきらめく青い瞳で、少女はハーマンを見つめて来る。


「ところで、あなたのお名前を伺ってもよろしいですか? 私はローズ。ローズ・レイブラントと言います」


 初夏に咲き誇る、美しい花の名前だった。レイブラント、という家名が、ハーマンの記憶の何処かを引っいたけれど、それが何なのか思い出せなかった。ハーマンは胸を張って、返す。


「僕はハーマン。家名は捨てた。必要のないものを、いつまでも抱えていられるほど、僕の手は大きくない」


「ハーマン。良い名前です。謙虚な所も、好きです。ねぇ、ハーマン。私達と迷宮を踏破してくれませんか?」


 その名に相応しい、香り立つ様な甘やかな声で、ローズは大言を吐く。あぁ、傍から見たら、僕はこう見えていたのだろうか、とハーマンは苦笑する。


「いいよ。これも何かのえんだ――いや、精霊達の紡ぐ、えにしだ。君にその覚悟があるのなら。君達にその力があるのならば。迷宮を踏破しようじゃないか。僕達で」


 数百年間に渡る、人と女神たちの狂騒きょうそうを、終わらせて見せようじゃないか。


 ハーマンが右手を差し出すと、こだわりなくローズはその手を取った。薄い革の手袋越しでも分かるほど、麗しい外見からは想像も出来ない程に、硬い、てのひらだった。


「きっとですよ」


 ――早朝の柔らかい光が、ローズの髪を輝かせていた。この出会いを一生忘れないだろうな、とハーマンは思った。

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