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賢者の教え子

 ジークは森を北東へ疾走する。

 山の東側は良質の狩場になっているので、村から細い道が作られていた。


 馬よりも速く駆けるうち、大勢の人の気配を感知する。

 道から離れ、木々の間を走っていると、細道を進む兵士たちの姿を見つけた。


(ずいぶんのんびりしているね)


 だが理解はできた。

 ドラゴン種の多くは黄昏から深夜にかけて活動が鈍る。夜になってから近づいて奇襲する作戦だろう。


 気づかれないよう並走しつつ、一人一人の顔を確認しながら先頭へと向かう。

 歩兵は二列だが、前を進む二十騎ほどは一列になっていた。

 先頭を行くのは細身の中年男性。覇気のなさそうな表情には見覚えがある。


(ハーキム卿か。辺境での魔物狩りとはまた……)


 落ちぶれた、と表現したくはなかった。


 しかし事実として、彼は失墜したのだ。

 かつては軍で要職に就き、魔王軍との戦いでも最前線で活躍した男である。しかし魔王討伐後の権力闘争を潜り抜けることはできなかったらしい。


 いや、その原因は自分にあるとジークは奥歯を噛む。


 ハーキム伯爵は至高の賢者を裁く大法廷に呼ばれたのを拒んだと伝え聞いていた。

 曰く、『大法廷で偽証したらこちらの首が飛んでしまいますからなあ』。


 けっきょく彼が偽りの証言をしようがしまいが、大勢に影響はまったくなかった。

 けれどその誠意には、いつか報いたい。


(ルナが一騎打ちを挑んだらしいけど……)


 一介の村娘が貴族に挑戦するなんて、場合によってはその場で処刑されてもおかしくない。温和な性格の彼だから勝負を受けてくれたのだろう。


(ところで、そのルナの姿が見えないけど?)


 嫌な予感がする。

 ジークは最後尾が見えるところまで戻り、


「そういや、ルナとかいう村娘はどうしたんだ?」


 心持ち低い声を、兵士の一人だけに飛ばした。


「あん? 志願して斥候に出たじゃないか」


 兵士は振り向きながら応じる。

 後ろにいた兵士がきょとんした。


「? なんだよ突然」

「へ? いや、お前が訊いてきたんじゃないのか?」

「はあ? 俺は何も言ってねえよ」


 ジークの声を聞いた兵士は首を傾げながら、「気のせいか」と前を向いた。

 聴力を魔法で増幅して彼らの声を拾ったジークは、疾風のごとく速度を上げる。


(やっぱりか。ルナの悪い癖が出たな)


 急がなければ。

 相手がドラゴンでもルナが勝てる可能性は十分にある。それほどの逸材だった。


 しかし部隊を率いるのは歴戦の勇士ハーキム伯爵。彼から逃げおおせるほどの強さを最低でも持っているとなれば、ルナの苦戦は必至。


 部隊を置き去り、風をまとってジークは疾走する。

 途中、数名の気配を感じた。


(ハーキム卿の部隊とは違うようだね。となると彼らが……)


 村へ侵入しようとした者たちかもしれなかった。


 気にはなるが、今はルナの保護が最優先だ。

 さらに速度を上げ、半ば空を飛んでいる状態のジークの耳に、


 ドゴォッ!


 大地を揺らす轟音と、


「わきゃあっ!?」


 少女の悲鳴が届いた。


「でででですからわたしは敵ではなくて! お話を! 聞いてくださいぃー!」


 切羽詰まった叫びは間違いなく、ジークがよく知る教え子(・・・)のものだった。


(やっぱりあの子、戦うのではなく説得(・ ・)に来たのか)


 討伐隊に先んじてドラゴンに接触し、安全な場所まで逃れるよう話し合いをするつもりらしい。

 魔物にも情けをかけるその甘さ。人のことは言えないのだが――。


 森が切れる。

 岩場の只中にそびえる巨大な影が目に飛びこんできた。三十メートルクラスの黒色ドラゴンだ。


(ダーク・ドラゴンか。まだ若い個体だけど……)


 そう傷を負っているようでもなく、ルナには荷が重いとすぐにジークは看破した。


 黒竜が見下ろす先。

 大岩の上に、いかにも村娘と思わせるゆったりした服でありつつ大剣を構えた少女がいる。赤い髪を後ろでひとつに縛り、馬の尻尾のように揺らしていた。

 巨竜に対して臆するでなく、赤い瞳に決意をにじませ、きゅっと唇を引き結ぶ。


 ルナだ。


「っ!?」


 黒竜が大口を開いた。その中に黒い球体が生まれ、ルナ目掛けて撃ち出される。


「はうわぁ!?」


 頓狂な声を上げつつも、ひらりと黒弾を躱した。さっきまでルナがいた大岩が粉々に砕け散る。


「あの! ですからお話を!」


 訴えも虚しく、黒弾は次から次へと発射された。ドラゴンは相当気が立っているらしく、聞く耳を持たない。


 ルナは岩場をぴょんぴょん跳ねて避けていった。まだ十四歳だというのに大した才能だ。

 しかし苛烈な攻撃に対して長くは持たなかった。


「きゃっ!?」


 着地した岩場の足元が崩れた。空中に身を投げ出し、無防備になったところへ特大の黒弾が迫ってくる。


「ぅぅぅ……」


 食らえば肉片すら残らぬ漆黒の魔法弾はしかし、彼女には届かず。


 パアァンッ、と。

 軽やかにも聞こえる破裂音とともに消滅した。


「先生!」


 ジークが彼女を抱え、岩に降り立った。虚空にはきらめく魔法防壁が展開されている。

 黒竜が目を見開き、彼に視線を突き刺した。


「残念だけど、君の声は届いていないよ。そもそも説得がしたいのなら――」


 ジークは射殺す視線を眼力で跳ね返す。


「まずこちらが対等以上であると示さなければね」


 魔力の奔流が、周囲の岩を吹き飛ばした――。



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