白き魔の少女
遠き日。
魔王との直接対決を控えた、ある日――。
マティス・ルティウスは魔王国軍との最終決戦に向けての準備を進めていた。
同時に、勇者ジーク・アンドレアスの暗殺作戦が自国内で進行しているのも察知し、その対応に手を付けている。
聖都の外れ。
南に連なる岩山地帯の一画にある、洞窟の中に入った。
ジークに協力してもらい作った秘密の魔法研究施設だ。
鉄扉を開き、中に足を踏み入れたところで、背後から愛らしい声音が追ってきた。
「ほう? ここがそなたの工房か。思いのほか設備が充実しておるのう」
声とともに、小躯がマティスを追い越す。
真っ白でさらさらな長髪を棚引かせ、透き通った白肌を薄手のワンピースが包んでいる。腰から小さく生えた黒い羽が異質だった。
十歳そこそこと思しき女の子はマティスの前でくるりと身を翻す。
「不用心じゃのう、賢者殿。隙だらけでその細首、堪らず斬り落とすところじゃったわ」
悪戯っぽく笑うその容貌は、おそらく誰もが『天使』と表現するほど愛らしい。一方でその額からは黒く小さな角が二本、生えていた。
左の金眼は神々しく、対する右の灼眼は禍々しい。
聖魔が相反する船に乗ったような、厳粛でありながら歪な容姿にも、マティスは一切の感情を抱かなかった。
「不用心なのは君のほうだよ、ウェドニス。この場にジークがいたら、君は問答無用で殺されていた」
「むろん、彼奴めがおらぬのは確認済みじゃ」
「彼はときどき僕でも驚く行動を取る。僕に悪戯するために後をつけてきている可能性だってあったんだ。たとえ本気でなくても、隠密行動に出たジークを君程度が見つけられはしない」
「くははは、これは手厳しい。わかったわかった、妾が悪かった。約束なしでの訪問、許されよ」
白い少女――ウェドニスは心底楽しそうにころころ笑う。
「本当にわかっているのかい? そもそも魔王の後継が敵である僕と会っていると知られただけで――」
「おお? おい賢者殿、もしやこれが?」
ウェドニスはまるで話を聞いていないのか、たったかと走ってテーブルに駆け寄った。その上には透明な筒状の入れ物がふたつ、置いてある。抱えられるほどの大きさだ。
それぞれの中には正八面体の物体が浮かんでいた。
ゆっくりと回転しながら、虹色を変化させている。
「ああ、君からもらった情報を元に作った、簡易版の『魔力炉』だよ。ただ……やはり本物には遠く及ばない粗悪品だ」
「謙遜も過ぎれば鼻につくぞ? 古代の遺物を用いて偶然生まれたオリジナルはどうやっても再現できまい。しかしわずかな情報を元に人の身で『紛い物』でも作り上げたのであれば、そなたは間違いなく『本物』よ」
振り返ったウェドニスは薄く笑みを浮かべつつも、色違いの双眸は真摯にマティスを見据えていた。
「それはどうも。けど褒められたところで簡易魔力炉は渡せないよ。二つしかないうえに、どちらも用途は決まっている」
「ふむ、まあ粗悪品を渡されても困るしの。品質を確かにしたものをいずれ頂くとするか」
「……悪いけど、その約束はできないな」
しん、と重苦しい静寂が降りてくる。
ウェドニスから笑みが消えていた。
「僕はもうすぐ死ぬ。だから品質を上げようがないんだ。研究資料の写しは君に渡すから、あとは勝手にそちらで――」
「くははははっ!」
ウェドニスは一転して哄笑を上げながらマティスに歩み寄る。
「古代の秘術を次々復活させた、まさしく至高と謳われしその頭脳、他の誰が真似できよう。たとえここにある蔵書すべてを読み解こうと、何ひとつ成し得るものか」
怒りすら孕んだその評価にも、マティスは感慨なくつぶやく。
「……さて、それはどうかな?」
ウェドニスは聞き流し、鋭い爪先をマティスの額に突き出した。
「妾が欲しいのはこの中身に他ならぬ。死して妾との〝契約〟から逃れようなどと、企んではおるまいな?」
「僕の体はもはや引き返せないほど蝕まれている。すぐそこまで迫った『死』は逃れられない現実だよ。そもそも君との契約は『魔王を倒す』ことだったはずだろう?」
「そうか。では――」
つぷり。
爪の先端がほんのすこし、マティスの額に沈んだ。
「改めての契約じゃ。そなたの願い、ひとつ妾が叶えてやろう。その代わり、そなた自身を妾に寄越せ」
「君も大概むちゃくちゃだね。僕に願いなんて――」
「ある」
ウェドニスはもう片方の手で別の方向――先ほどいたテーブルを指差した。
「ひとつは人造人間の動力源にするのじゃったか。では、もうひとつは?」
額から爪を抜き、そのまま下へと降ろしていく。
マティスの胸元で止めると。
「ここじゃろう? そなたは親友を救うため、人生の最後に大きな賭けに出る。それを、手伝ってやろうではないか」
マティスはしばらく下を向き、しなやかな少女の手を見つめていた。
やがてゆっくりと、自らに突き出された鋭い爪を握りしめる。
「それこそ『賭け』だよ? 僕の死は確定している。君ならこの肉体を復活させることはできるかもしれないけど、そのときの僕が僕である保証はない」
「くははは、賭けなんぞ慣れておるわ。そなたと契約を交わしたときからな」
ただし、と見た目の歳相応の笑みで告げる。
「そなたも生きる努力を諦めるでないぞ?」
マティスはついに頬をすこしだけ緩め、
「うん、約束しよう」
新たな契約を交わしたのだった。そして――
「目が覚めたかの? 賢者殿」
張り付いたまぶたを擦って剥がし、薄暗い中で目を開く。
白い少女が楽しそうに覗きこんでいた。
「以前とは似ても似つかぬ姿であるが……いやこれ、本気で殺したくなる姿じゃな」
ウェドニスの真顔は冗談に思えない。
「まあよい、さて勇者の姿をした賢者殿」
ころころと表情を変え、またも屈託のない笑みで告げる。
「契約を、果たしてもらうぞ」
折しもジークが辺境から聖都へ舞い戻った、その日だった――。
ひとまず本章は完結です。
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