村の異変
ある日の夕方、ジークはフェリを伴って久しぶりに村を訪れた。
昨夜、村に張った結界が反応したのだ。
侵入を諦めたようで、庵にも近寄ってこなかったので獣かと思い問題視しなかったが、買い物ついでに様子を見ることにした。
辺境にある小さく穏やかな村ではあるが、立ち入ってすぐ、妙な感覚に襲われる。
「なんだか落ち着かない様子だね」
「不安の中に安堵が混じったような空気ですね。何かがあり、それがある程度は解決した、という感じでしょうか」
なるほど的確だ、とジークは感心しつつ、村の人に挨拶したところ。
「先生! この前はありがとうございました!」
元気に手を振って駆け寄ってきたのはコニーだ。
農作業を終えたばかりなのか、相変わらず顔や服が土にまみれている。
村の雰囲気を問う前に、コニーは話し始めた。
「聞いてくださいよ、先生。昨夜、突然中央から軍隊がやってきましてね。今朝方まで村を占拠してたんですよ」
「穏やかじゃありませんね」
ただ千や二千ではなく、百人ほどの部隊であるらしい。
ここから近い東の隣国はつい先日、ジークを攫おうとした国だ。しかし表面上は聖王国と関係は良好。規模と今の時期を考えれば、おそらく――。
「強力な魔物……ドラゴンですか?」
「その通りですよ! さすがは先生だ。なんでも大街道の国境沿いの峠にドラゴンが出たらしく、その討伐に失敗したんで、ドラゴンはこっちの山の東側に逃げてきたんでさあ。まったく迷惑な話ですよ」
部隊はそのドラゴンを追いかけて、村に駐屯して体を休めていたそうだ。
この付近には強い魔物はいない。平和な村に降って湧いた事態に、さぞ村の者たちは困惑しただろう。
「でも、今朝には出発したんですよね?」
一度は追い詰めた部隊なら、最悪でもドラゴンを遠くへ追い払ってくれる。
ならば自分が気にすることでもない、とジークは考えていたのだが。
「ええ。いなくなってくれりゃ、もういいですがね。あ、でも――」
続く言葉にジークは眉をひそめた。
「ルナも連れてかれたんでさあ。いや、あいつが連れてけって騒いだんですけどね。部隊の隊長さんと一騎打ちして実力を認めてもらって、鼻息荒く出かけていきましたよ」
ジークは盛大にため息を吐き出す。
「やっぱ、事前に先生に相談したほうがよかったですかね? いちおう村長が止めはしたんですけど、えらくやる気になっちまって……」
「そうですね、僕でも止めていたでしょう。ただ彼女の性格からして、けっきょくは討伐隊に加わっていたとは思います」
「いやあ、あいつは先生の言うことなら聞きますよ。まあ、もう遅いですけどね」
今は夕方。百人の行軍でも目的地に着いていておかしくない。だがまだ、戦闘になっていない可能性は十分にあった。
急いで買い出しなど用事を済ませ、村を出た。
森に入ってすぐ、辺りに人の気配がないことを確認して荷物を降ろす。
「ルナさんを追われるのですか?」
「ああ、仕込みの中でも彼女の確度が一番高い。万が一にも失うわけにはいかないからね。それに、昨夜村に侵入しようとした何者かも気になる」
部隊はドラゴンを追っていたので、村に悪意は当然ない。
武装した兵士が訪れたのなら獣たちも近寄ってはこないだろう。
であれば部隊とは別に、村へ悪意を抱いて入りこもうとした者がいるはずだ。
「ある意味、チャンスかもね。上手く立ち回ればいろいろ捗るよ」
ジークは首輪に手を添え、通信疎外の魔法をかけて首輪を外した。
「君は先に戻って、僕の代わりをお願いするよ」
「かしこまりました。ではすぐに準備いたします」
首輪を渡そうと差し出すも、フェリもまた荷物を降ろした。
「ちょっとフェリ? もしかしてここで?」
フェリはメイド服に手をかけ、しゅるしゅると脱ぎ始める。全裸になってもお構いなしで、服を畳んで荷物にしまった。
背筋を伸ばして目を閉じ、魔力を高める。淡い光が彼女を包み、その姿がマティスとそっくりそのままに変貌していった。
服まで再現した、彼女のみが使える『変身魔法』だ。
「帰ってからでよかったんだけど……」
「帰路に呼び止められる可能性がなくはありませんので」
限りなく低いとは思うが、ゼロではないのも確かだ。
「毎度ながら助かるよ。ここまで見事に瓜二つだものね」
「しかしながら、わたくしに埋めこまれた〝リヴラの首飾り〟の力を使っても夜明けまでは持ちません。ご主人様のように永続できないのはわたくしの力不足によるものでしょう」
「あれ? そんな風に考えていたの? 本来は単体で使うべきものを、君の魔力回路に無理やりつなげてしまったからね。そのくらいの不具合は出て当然だよ」
逆に姿のみならず服まで再現でき、何度も別の姿に変われるのだから、むしろ機能的には向上しているのだ。
「それじゃ、行ってくるよ」
夜明けどころか、行って対処して帰ってくるなら一時間で済む。
首輪を彼女――至高の賢者〝マティス・ルティウス〟の姿になったフェリに嵌めた。
「ドラゴンを処理されるのですか?」
「〝俺〟なら事情も何も考えることなくそうするね。けど――」
ジークは肩を竦めて言った。
「〝僕〟なら、話をしてから考えるさ」
あっという間に走り去ったジークの言葉をフェリは反芻し、
(魔物と会話できる者など、果たしてこの世界にどれほどいることやら……)
荷物を抱え、庵へと戻っていった――。