互いの利
体が思うように動かない。
それも当然だ。
今までに全魔力の最大限を自己の強化のみに回した経験がなく、思考を上回る速度で動き回っているのだから。
迫りくる鋭く尖った黒い霧を、ただ屈んで避けようとしたら勢い余って床に這いつくばってしまう。
続けて側面から襲いかかってきたのを、仕方なくごろごろ転がってやり過ごした。
(なんて無様……)
この場にミリアがいなくて本当によかった。
と同時に、こんな意味のない訓練を始めた教師に怒りが沸く。
(そうだ。戦場でただ逃げ回るなど、想定する意味がない!)
仮に武器を手放す事態に陥っても、己が肉体で戦い続けるのが騎士の務め。
相手の攻撃を避け続けたところでいずれ力尽きるのだから、受けてからの反撃こそ想定して然るべきだ。
(し、しかし、さすがにこの黒い霧は……)
なにせミリアの光弾をことごとく貫いた威力を持つ。生身ではいくら強化したところで受けきれない。
(いや、それでも!)
たとえ無謀でも抗うことこそ騎士の本懐。
ソフィはぎりぎりのところで避けた黒い槍を、側面から殴りつけた。
「ぐぎっ!」
固い。こぶしが砕けんほどの衝撃に、腕から体にまで衝撃が走った。
「うわっ!」
その一瞬の隙をつかれ、黒い霧の鋭い先端が胸に迫ってきた。
ドンッ!
鋭利な先端が丸みを帯びてソフィの胸を打つ。これまた無様に吹っ飛んだ。
「君、今ので死んでいたかもよ? 余計なことはせず、回避に集中して」
いちおう殺さない程度に手加減はするらしい。
「ぬるい訓練をするつもりはない。念のため言っておくと、次はないよ?」
「おのれ……」
よろよろと立ち上がって深呼吸。終わった直後に攻撃が再開された――。
ジークはソフィの動きを観察する。
(ものの見事に強化された力に振り回されているなあ。ま、今まで経験してこなかったのだから当然か)
容赦はしていないが手加減はしていた。
彼女を傷つけるのが目的ではないのだから当然である。
もちろん避ける技術を高めるためでもなかった。
目的はひとつ。
ソフィが自身の可能性に気づくかどうか。
彼女最大の武器は『スピード』だ。
今のところ慣れない魔力利用に振り回されているが、その片鱗は随所で見て取れた。
(へえ、今のを躱したか。この子、鍛えたらルナより速くなるぞ)
これまでは不得手な『外向き』の武装強化に注力するあまり、魔力練成そのものに手が回っていなかったのだろう。
枷を付けた状態で鍛えていたのだ。それを外してやれば一気に花開くに違いない。
(意外に早く成長しそうだね)
ただ彼女自身はこの訓練の意味に気づいていないようだ。
避けるのに必死ながら、表情には不満と怒りが色濃く表れている。
「ぐぅ……、このっ!」
三方向からの攻撃に、ソフィは力の限り前へ跳んだ。避けるというよりその場から大きく離脱する跳躍だ。
着地の際にバランスを崩し、びたーんと床に倒れた。
「ぶへっ!」
両手を前に出そうとしたものの勢いがつきすぎて床を手のひらがすべり、顔面を強打した。
(そろそろ体力が限界か。じゃ、仕上げといこう)
黒い霧がトランクの中に戻っていく。
「? 終わり、なのか……?」
よろよろ立ち上がったソフィに告げる。
「うん、次で最後だ。ルナの最大速度で君を攻撃する。ちゃんと避けてね?」
「っ!?」
ソフィの目の色が変わった。奥歯を噛んでトランクを、その中で蠢く黒い霧を睨みつける。
「じゃ、行くよ」
あえて宣言して、黒い霧を解き放った。
霧の先端は人サイズに大きく膨れ上がっている。まっすぐではなく、ソフィの側面へ回りこみ、鋭角に方向転換してソフィに迫った。
(くっ、速い! だが――)
目で追えている。
そして頭より先に体が反応した。
どちらへどのように、との思考をすっ飛ばして床を蹴る。考えなしなので体勢は大きく崩れているものの、
(よし、躱した!)
そう安堵する。ところが――。
(まだ追ってくる!?)
黒い霧は方向転換してソフィに追いすがった。
すでに倒れかけている中、体勢を整える間がない。
床に体が触れたその瞬間には、黒い霧が直撃するだろう。
「こ、のお!」
それでもソフィは諦めない。
片手を思いきり伸ばし、床を叩いた。ごきりと肩が外れるほどの衝撃に弾かれ、その場から離れることに成功する。
直後、ソフィがいたところに黒い霧の塊がぶち当たった。が、床は砕けることなく、黒い塊はぼよんぼよんと……。
「初めから、柔らかくしていたのか……」
逃れた先で仰向けに転がったソフィはその様子を眺めてつぶやいた。
「驚いたな。まさか避けられるとは思わなかったのでね。ケガをしないよう配慮したつもりなのだけど、けっきょくケガをさせてしまったな」
いつの間にか側に立っていたジークが身をかがめる。
外れた肩に浮遊する水晶が降りてきて、ぽわんと輝いた。
痛みが引いていく。
ソフィは身を起こし、腕をぐるぐる回した。外れた肩は元通りになっている。
(治癒までできるのか……)
魔法具を介さなければならないようだが、扱える魔法のバリエーションの多さには舌を巻くほかない。
「いや、本当に驚いたよ。この短時間でかなり身のこなしが洗練されていたね」
手を差し出されたが無視し、ソフィは立ち上がった。
ジークも苦笑しながら腰を上げる。
「感想を聞こうか」
「……自分でも驚くほど速く動けました。慣れは必要ですが、いずれ剣を握っても同じスピードで立ち回れる自信はあります」
「うん、君がそう感じたのなら、さほど時間はかからないだろうね」
「ですが!」
ソフィはジークが手にする自身の刺突剣を見やる。
「指導の意図は理解しました。要するに貴方は、武装を強化する魔力を自己強化に回せとおっしゃりたいのでしょう。けれどそれでは、常に剣の破損を気に留めなくてはならなくなる」
「対策はいくらでもあるさ。そもそもこんな脆弱な剣ではなく、もっと強度の高い剣を――」
「そんなお金ありませんよ!」
「ぇ?」
「ぁ……」
ソフィは気まずそうにうつむいた。
「べつに国宝級の武器を買えと言っているわけじゃないんだけど……」
「そこそこの剣でも値は張ります。ボクの家は裕福ではないので、その剣程度を何度となく買い替える余裕もないんです……」
ジュアン子爵家はいわゆる『貧乏貴族』に該当する。
魔王討伐後の権力争いにはそもそも参加せず、領地は半分以下に減っていた。
そんな中、ジュアン家再興の期待を一身に集めているのが彼女だ。
「お爺様や両親に負担をかけたくありません。他者から施しを受けるのも耐えられない。だからせめて在学中はその剣を大事に使いたいのです」
そのためには模擬戦で武器を強化しなければならない。
「別の理由もあります。剣が折れる事態になれば模擬戦での勝利は難しい。負けが積み重なれば当然、首席の座は奪われます。そうなったら、ボクは……」
「学費の免除がなくなるのかあ……」
この学院では上位である限り学費は免除される。逆にそこから落ちれば高額の支払いが待っているのだ。
貴族ならばさほど気にならない程度ではあるが、ソフィのように裕福でない貴族は死活問題になりかねなかった。
(ミリアがやたら『剣が重要』と言っていたのはそれが理由か)
なんとも厄介だ。
お金がないから高価な剣は買えない。他者が提供しようとしても今度は貴族の矜持が邪魔をする。
プライドなんて捨ててしまえ、とは思うが、それはジークがある種『異常』だから強く言えなかった。
人によっては貴族のプライドは命よりも重いのだ。面倒なことに。
とはいえ、だ。
(問題がそこだけなら、解決は容易い)
ジークは刺突剣を持ち上げて告げる。
「これ、すこし貸してもらっていいかな?」
「何をするつもりですか? 剣を強化するというのならお断りします。無償でやっていただく理由がありません」
「うん、強化する。もちろん無償でね。でも理由ならあるよ?」
ソフィが怪訝そうに眉根を寄せた。
「武装強化の新しい方式を試してみたいんだ。これまでの方式よりコストを抑えられ、術者の魔力も低くできる画期的なものだよ」
実際にはすでに完成して、ルナの大剣にも施してある。
未発表の研究成果はいくつもストックしてあり、いつ発表するか時期を探っていたもののひとつだ。
「しかし、ボクである必要は……」
「べつに君だけじゃないさ。他の人にも頼むつもりでね。ただ刺突剣を扱っている人は少ないし、君ほどの実力者なら検証には文句がないどころか、こちらからお願いしたいって話だよ」
どうかな? と笑みを投げると。
「貴方の研究に、協力するので、あれば……まあ」
「うん、協力に感謝するよ」
ジークは踵を返してトランクを持ち上げる。
「じゃ、剣は今夜中に強化して明日渡そう。君は疲れているだろうからゆっくり休むといい。休息も訓練のうちだからね」
部屋から出ていくジークの背に、
「ありがとう、ございます……」
ソフィは深々と頭を下げるのだった――。




