ユアロの誤算
ユアロ・リーグは中肉中背、柔和な顔つきをした見た目は平凡な男だった。
テーブルに広げた大きな紙をじっと眺めている。
紙面には三つの枠に、聖王国の貴族家の名がずらりと並んでいた。
女王を中心として国の再建を目指す者たち、王家への不満がくすぶる者たち、そのどちらにも付きかねる優柔不断な大多数。
大司教は女王派ではあるものの、今のところこちらに片足を突っこませている。
最終的に国か宗教の二択を迫られたら後者を選ぶ男だ。それまで誤魔化せればいい。
ロマが女王と結ばれれば勝利は確定。
聖王国は瓦解する。
(だがやはり問題は……この男か)
三つの枠から外れた場所に、ぽつんと書かれた一人の名。
(さて、至高の賢者がいずれに該当するのか、判断が難しいところだな)
彼は平民の出だ。すでに家族もいない。
聖王の謀略で親友を殺され、三年も無実の罪で辺境送りを強いられていた。
ふつうに考えれば国への忠誠心など皆無だろう。
しかし彼は帝国からの再三にわたる誘いを(方法が乱暴であったにせよ)断っている。
ただ自身の無実を証明するため残ったとも考えられ、直訴により聖王にその罪を認めさせたことで満足している可能性もあった。
(稀有な人材ではある。味方にすればこれほど使える者はいない)
だが敵に回ってもっとも恐ろしい人物の一人であることには間違いなかった。
思案にふけるうち、コンコンココンとドアが妙な調子で叩かれる。
「父上、ただいま戻りました」
入ってきたのは息子のロマだ。
「ご苦労。首尾はどうだ?」
ロマはソファーにどかっと腰を下ろし、足を組んで返す。
「もうひと押しってところですかね。一夜を共にできれば完全に堕とす自信はありますよ」
目を合わせないその態度から、言葉通りには受け取れなかった。
(相手が傑物の女王とはいえ、精神の摩耗した女一人を持て余すとはな)
ロマは数いる子どもの中では文武両面でもっとも劣る子だった。
しかし放蕩ながら女の扱いには長けており、なにより跡目争いで兄弟を謀殺するほど大胆な男でもある。
(多少は期待したのだがな。まあ、大司教の推挙を得ているのだ。時間の問題ではあるか)
女王の気持ちがロマに向かなくとも、いずれクラリスは国のため、心を封じて婚姻を承諾せざるを得ないのだ。
となれば残る問題は――。
「もうひとつはどうだ? 陛下のマティス・ルティウスへの感情だ」
女王が明確に至高の賢者を敵視してくれれば、大願は成る。
「聞いてください、父上。今日偶然にもマティスとクラリスが顔を合わせましてね」
ロマは待ってましたとばかりに身を乗り出し、墓地での出来事を語って聞かせた。もちろん自身の失態は隠している。
が――。
「……それだけか?」
ユアロは冷徹に返した。
「ぇ……、でもクラリスは心底マティスを嫌っているような態度を取っていましたよ?」
はあ、とユアロはこれ見よがしにため息をこぼす。
「たしかに陛下は奴を嫌っていよう。最愛の者を守れなかった、その一点をもってな」
しかし勇者を殺せと命じたのは先代聖王――彼女の父親である。その事実が明らかになった今、クラリスの心は大きく揺れ動いている。
すべてが誤解だと理解し、身内が元凶だったと受け入れれば、殺意に近い敵意が大きく反転するのは容易に想像できた。
後ろめたさも相まって、賢者の意のままに操られる危険がある。
だからこそ、先んじて手を打つ必要があった。
先代聖王が罪を認めて自害したのも至高の賢者の計略によるものであり、そもそも勇者殺害を主導したのはやはり賢者その人であったと信じこませる。
事実かどうかは関係ない。物証も証言もむしろないほうがいい。
印象のみで心に訴えかけ、両者の間に決定的な溝を作り上げる。
「そう指示したはずだぞ?」
「言った、言いました。事あるごとに囁いて、クラリスもそうだと――」
「信じきれていないから、陛下はその場で何も言及しなかったのだ」
ロマはごくりと唾を飲みこむ。
「しかも最悪なことに、ルティウスが自らの責を認めた。形の上だとしても、陛下の心に寄り添ったのだ」
クラリスの心はまたも揺れるはず。
そして至高の賢者が新女王に接近する腹積もりであると明らかになった。
「捨ててはおけんな」
賢者の思惑はどうあれ、女王が至高の賢者を頼る事態になれば計画は水の泡だ。
沈む船に大穴を開け、自分たちはより大きな船に乗り換える。
そのための計画に支障をきたすというのなら、
――早急に奴を排除せねば。
ジークは英雄学院での講義とちょっとした研究を終えると、必ず同じ時間、同じルートで自宅へと戻る。
人の往来を嫌うのか、遠回りではないがひと気のない路地を選択していた。
また帰路において従者は付けず、やたらと強い半獣人のメイドは自宅で待っているのも調査済みだ。
ユアロが放った刺客五名は暗殺ポイントを選定し、万全の態勢で彼を待ち構えていた。
この日もいつも通り。
几帳面な性格が災いしているとも知らず、至高の賢者はのんびり歩いている。
周囲に人影はなし。
仕掛けるなら今と、もっとも戦闘力が高く素早い男が足音を消して近づいた。
目標の背後を襲い、悲鳴も苦悶の声も漏らさせずに速やかに殺害する。
手にした大ぶりのナイフで首を斬り裂くべく振り抜いた。
「ぇ……?」
しかしナイフは虚しく空を斬る。そこにいたはずの青年が消え去ったのだ。
「ぐべっ!」
次の瞬間には、地面を舐めていた。後頭部をつかまれ、地面に叩きつけられたらしい。
「僕を殺すことを選択したのか。となると彼から見て、クラリスはそれほど僕を敵視してないようだね」
末端の兵士たちがその言葉の意味を理解できるはずはない。
残る四名のうち、部隊を率いる隊長がハンドサインで指示を出す。
彼以外の三人が目標へ襲いかかる隙に、隊長は身をひるがえした。この場からの離脱を選択したのだ。
戦闘力に乏しいはずの賢者が、異常な強さを持つと報告しなければならない。
三人で倒せるならそれでよし。仮に撃破されたとしても、情報を持ち帰りさえできれば次なる策が打てるのだ。
「ああ、逃げるのはお勧めしないよ」
怖気が背に走るも、振り返らずに大きく跳躍した。
「ぎゃばっ!?」
体を雷が貫く。隊長の男は崩れ落ち、絶命した。
「事前に結界を張っておいたんだ。もちろん君たちごときが発見できないように隠してね」
襲いかかろうとしていた三名は恐怖に竦む。
そして理解した。
毎日同じ時間、同じルートで帰っていたのは彼が几帳面だからではない。
いずれ襲撃されると想定し、罠を構築していたのだ。
自分たちはすでに、蜘蛛の巣に囚われていると悟った。
「交渉するつもりなら乗っかって利用しようと考えていたけど、殺そうとする相手と話し合いはできないな」
ごきり。
組み伏せた男の首の骨を折ると、黒髪の青年は立ち上がり。
「ま、そっちのが楽でいいけどね」
凍るような笑みが、残る三名の最後の記憶となった――。




