若き女王
聖王ジルベール亡き後、その地位を受け継いだのは一人娘のクラリスだった。
戴冠式はまだであるが、実務上は彼女が国を取り仕切っている。
この三年で美しく成長した彼女は一方で、剣と魔法の腕を磨いて近衛騎士団を自ら率い、魔物討伐を買って出るほどになった。
至高の賢者が認めた実力はやはり確かだったのだ。
常に戦場との意識の下、公私において鎧を脱ぐことはなく、聖王の突然の死に際してもそれを貫いている。
かつての面影を残しながらも、まだ十八歳だというのに威風堂々とした立ち姿。
ジークは片膝をついて首を垂れた。
「お久しぶりです、クラリス女王陛下。聖都へ戻りましてご挨拶もせず、誠に申し訳ございません」
三年前、魔王討伐へ赴く直前に顔を合わせて以降、彼女に会うのは初めてだ。
至高の賢者〝マティス・ルティウス〟となってすぐに勇者殺しの罪で捕らえられ、辺境へ送られている間は会う機会に恵まれなかった。
聖都へ戻ってきてからも、おそらくは彼女のほうから会うのを避けていた節がある。
(まあ、それも当然か)
「顔を上げなさい、マティス・ルティウス」
促され、再びクラリスの表情を見やった。
瞳に怒りが孕んでいるのが見て取れる。
まるで親の仇に出会ったような――事実その通りではあるのだが――射殺さんほど険しい目つきだ。
「よくもこの場所を訪れたものですね。貴方には悔恨の情というものがないのですか?」
「……」
すでに至高の賢者の冤罪は晴れ、罪の証たる首輪も外されている。
だが彼女にとって『賢者が勇者を殺したかどうか』はさほど重要でない。彼女が彼へ怒りを向ける理由はただひとつ。
「ジーク様を、守れなかったくせに」
剣も魔法もからっきしな賢者が、武を極めた勇者を守れる道理はない。
だがその襲撃を予測し、対策できたはずだとクラリスは考えていた。
(実際のところ、あいつにはすべてお見通しで利用しまくったんだけどな)
それを告げるわけにはいかない。
また彼女の言いがかりにも似た発言に反論する気もなかった。
彼女は三年前、勇者の死を知り大いに悲しみ、錯乱した。
ひと月の間自室にこもり、水も食事もろくに取らず衰弱死する寸前まで追いこまれていたのだ。
周囲の助けもあって回復してからは、今度は何かに取り憑かれたように武術や魔法の修練に励んだ。
英雄学院では他を圧倒する実力を見せつけ、三年と経たずに卒業した。
しかし彼女は満足せず、日々の鍛錬を怠ることはなかったそうだ。まるで勇者の影を追うように、鬼気迫るものがあったと伝え聞いている。
(こいつはマティスを恨むことで、ぎりぎり精神の均衡を保っているのだろう)
勇者殺しの真犯人たちはすでにこの世にはいない。
だから生きている〝マティス〟を恨まなければやっていけないのだ。
(哀れな女だな……。ま、俺とマティスが原因なんだけど)
「何も言わないのですね。反論なり弁明なり、すればよいではないですか」
静かに怒りを吐き出す彼女を見て、ジークは感心していた。
殴りかかってくるくらいはすると踏んでいたからだ。
「いえ、僕からは何もありません。陛下のおっしゃる通り、僕は彼を守れなかった。その結果がすべてです」
淡々と返すと、クラリスがぎりっと奥歯を噛んだ。
さすがにひっぱたかれるかな、と眺めていると。
「落ち着きたまえ、クラリス」
鎧騎士たちの中で一人、きらびやかな衣装を身に着けた細身の青年がクラリスの肩をつかんだ。
「このような小物、相手にするだけ無駄というものだよ」
茶系の髪と目の整った顔立ちながら、他者を見下したような薄笑いを浮かべている。
(たしか彼は……ロマ・リーグだったか)
ユアロ・リーグ伯爵家の跡継ぎで、現時点でロマは子爵である。
ユアロ伯爵をひと言で評せば『凡庸』に尽きる。
目立った功績はない。『何もしなかった』がゆえに魔王討伐後の権力闘争を生き残った。
その子、ロマも同様だ。
もとは数あるクラリスの婚約者候補だったが、魔法の力はそこそこであるものの、剣術が苦手で目立った存在ではなかったはず。
聖王が存命中、ロマはクラリスと付かず離れずの距離感を保っていた。
しかし聖王亡き後、傷心のクラリスに近づいてまんまと側近に近い相談役の地位を手に入れたのは強かといえるだろう。
(邪魔者では、あるのだけど……)
今日、彼女が定期的に〝ジーク〟の墓参りをするのを利用して面会を画策したのは、この国の最高権力者と良好な関係を築く第一歩を踏み出すためだ。
至高の賢者として伝説を作るには欠かせない相手ではあるのだが、現状の関係は最悪と言えた。
(でも彼をうまく使えば――)
クラリスとの関係を良好なものに傾ける一助になるかもしれない。
「リーグ卿、お忍びとはいえ人目のある野外で、そのような言動は陛下に失礼ではありませんか?」
「おっと、これは失礼しました、女王陛下。つい、いつもの調子が出てしまいましたよ」
馴れ馴れしい態度から一転、クラリスの肩から手を放して慇懃に頭を下げる。
顔を上げるや、今度はジークをぎろりと睨んだ。
「では、僕はこれで失礼します」
一礼し、鎧騎士たちを避けて通り過ぎようとしたとき。
「おい待て。偉そうに私に意見しておいて、そのままにするつもりか」
ジークの肩をつかみ、ぐいっと引っ張る。
「平民上がりの男爵風情が、伯爵家の私に無礼であろう!」
ぶおんとこぶしがうなりを上げる。
と、ジークの膝ががくんと落ちた。
「へ?」
勢いに乗ったこぶしは止まらず、先ほどまでジークの頭があった場所を虚しく通過する。
ジークは肩に置かれた彼の手をつかみ、そのまま腰を沈めた。
「うわっ!?」
わずかに身をひねり、ロマの力を利用して投げ飛ばす。
「ぶべっ!」
ロマは顔面を地面に強打した。
傍から見れば、非力な賢者が腰を抜かし、ロマが空振りして飛んでいったように見えただろう。そこかしこで失笑が漏れた。
「おのれ! 私に恥をかかせやがって!」
ロマは鼻頭を押さえて立ち上がり、腰を落としているジークを睨みつけた。
今にも再び襲いかかってきそうだったが、
「リーグ卿、みっともない真似はおやめなさい」
クラリスに窘められ、その場にとどまる。
「ルティウス卿も、安易な挑発は諍いの元であると知りなさい」
「そんなつもりはありませんでした。ただ言い方がよくなかったですね。リーグ卿、失礼しました」
ジークは立ち上がって頭を下げた。
ロマは怒り心頭な一方、クラリスは探るような視線を向けてくる。
そのまま二人の反応を見ずに立ち去った――。
立場を明確にし、遺恨も植えつけた。
これからロマは事あるごとにちょっかいを出してくるだろう。あるいはクラリスにあることないこと吹聴するか。
いずれにせよ、長く相手をするつもりはない。
あの手の男は害悪でしかないので、早々にクラリスから引き剥がさなければ。
(ま、あいつの相手ばかりはしていられないけどね)
主要な貴族が多く死に、聖王もいなくなった。
ガタガタの国内を立て直すには、今いる権力者に接近する必要があるのだ。
と、頭の中で声が響いた。
『ご主人様、お客様がおみえです』
『客? 今日は誰とも約束していないけど……』
続くフェリの言葉に、ジークは思わず笑みをこぼした。
『ピエール・ジョレヌ大司教です』
若き女王クラリスと同等かそれ以上の大物が、向こうから訪ねてきたのだ――。




