三年ぶりの再会
――三年ほど前。
劣勢だった人類が魔王国軍への反抗を強めていたころ。
次なる作戦の会議を終え、勇者ジーク・アンドレアスと賢者マティス・ルティウスは王宮の廊下を並んで歩いていた。
「ジーク様、マティス様!」
弾けるような少女の声に、二人はそろって振り向いた。
金色のさらさらの髪を揺らしながら、ドレスのスカートをつまんで持ち上げ、跳ねるように駆けてくる。
「クラリス、そんな高いヒール履いてるのに走ると――」
ジークが声をかけたそのとき、
「わひゃ!?」
ぐきっと足を挫いてバランスを崩した。
結果、ものの見事にすっ転ぶ。そのままジークたちの足元へ滑ってきた。
「おてんばな姫様だなあ……」
ジークはため息交じりに回復魔法をかけ、手をつかんで引き起こした。
「ぁ、ありがとうございます。ぅぅ、ジーク様にみっともない姿を晒してしまいました……」
少女――クラリスは居たたまれない様子でスカートをぱたぱた叩く。
彼女はここテリウム聖王国の聖王ジルベール・テリウムの一人娘、クラリス・テリウム王女である。まだ十五歳であどけなさを残しながらも大人びた雰囲気も醸していた。
「で? 俺たちになんの用だ?」
「いえその、すぐにまた戦場へ赴かれると聞きましたので……」
もじもじするクラリスに、マティスが柔らかく声をかける。
「僕は席を外しましょう。クラリス様、ジーク、ごゆっくり」
ぱっとクラリスの表情が明るくなった。が、
「いや、べつにお前がいたっていいだろ?」
すぐにどんよりとしてしまう。
「そう、ですね。わたくしはお二人を激励するために来たのですから、ええ、マティス様がいらっしゃってもまったくもって問題ありません……」
マティスはジークへジト目を向ける。
「……なんだよ?」
「君は察しが悪すぎる」
小声で言われた。
「とにかく! 此度の戦いは人類の命運を決める大一番。お二人とも、連戦に次ぐ連戦でお疲れでしょうけれど、がんばってくださいませ!」
むんっ、と両のこぶしを握って気合を込めた。
ジークが声のボリュームを落として応じる。
「お前、それ誰から聞いたんだ? 今回は極秘中の極秘作戦で、俺たちが参加するのは味方でも一部しか知らないはずなんだけどな」
魔王を直接狙った奇襲作戦。敵に気取られないよう細心の注意を払っての作戦会議だったのだが。
「それはその……お父様に……」
「まったく、親バカにもほどがあるな。ふだんは厳ついくせに娘に甘々すぎる」
「ジーク、いくら周りに誰もいないからって聖王陛下に失礼だよ」
「構いませんわ、マティス様。ジーク様はお父様の前でもこんな感じですから」
クラリスはくすくすと笑う。
「ま、励ましはありがたく受け取っておこう。今度の作戦は今までで一番危険だからな。もしかしたら生きて帰っては――」
「来られぬはずがありません!」
クラリスは廊下中に響き渡るほどの声で叫んだ。
「最強の勇者たるジーク様が、魔王ごときに遅れを取るはずありません!」
「お、おう」
背伸びして迫ってくるクラリスに、ジークは思わず仰け反った。
「ま、こっちには至高の賢者がついてんだ。刺し違えてでも任務は――」
「ですから! 絶対に! 帰ってきてくださいましね!」
「お、おう……」
「約束ですよ?」
クラリスは居住まいを正し、マティスへ顔を向ける。
「マティス様、ジーク様が無茶をしないよう、しっかり見ていてくださいね?」
「ええ、わかりました」
「至高の賢者様の策と最強の勇者様のお力があれば、必ず成し遂げられるとわたくしは信じております。とはいえ気負わず、いつもどおり優雅に華麗に、任務へお当たりください」
胸を張って告げた彼女だが、直後にがっくりと肩を落とす。
「できればわたくしも、ご一緒したかったのですけれど……」
「いやさすがにそりゃ無理だろ」
「むぅ。これでもわたくし、〝武聖〟と誉れ高きお父様の血を引いておりますのよ? 今だって英雄学院で武術や魔法の修練に励んでいて、でもまだまだジーク様と並び立つには至らず……」
「クラリス様の素質はとても高いですよ。特に剣の腕前は今の時点で英雄学院でもトップクラスですからね」
ぱあっとクラリスの顔が輝くも、
「けどま、要は学生レベルってことだろ? 戦場に出るには早い」
どよーんと暗く沈んでしまう。
「君はもう少し言葉を選びなよ」
「ぅ、すまん……。でもあれだ、俺を育てた至高の賢者が認めたんだから誇っていい。そうだな、帰ってきたらマティスにいろいろ教えてもらったらどうだ?」
「よろしいのですか!?」
今度はマティスにずずいと迫る。
「ぇ、ええ、まあ……」
「ありがとうございます!」
うきうきになったクラリスは背筋を伸ばすと、
「それではわたくしは失礼いたします。長々とお引止めして申し訳ございませんでした」
スカートを指でつまんで持ち上げ会釈する。
「ご武運を、お祈りいたします」
くるりと踵を返し、来たときと同じく跳ねるように駆けていった。
その背を見送り、マティスが尋ねる。
「どうして君は彼女に優しく接しようとしないの?」
ジークは頭をぽりぽり掻く。
「あんまり懐かれても困るんだよな」
「婚約者なのに?」
「だから、だよ」
ジークは真面目な顔つきになる。
「あいつは勇者としての俺しか見ていない。ただ憧れているだけだ。過度な期待はいずれ幻滅に変わる。あの歳ならなおさらな」
「君は自分を過小評価する傾向が強い、と前に指摘したはずだけど?」
「お前に言われたら自信を持たなきゃいけないんだろうが、こればっかりはなあ……。俺は王に向いていない。そもそもやる気がないんだ」
ジークはマティスをじっと見て。
「国を治めるなら、やっぱお前だと思うんだよなあ。いっそクラリスをもらったらどうだ?」
「王女殿下を物みたいに言わないでよ」
「物扱いはしてないよ。ただ、こと結婚だのの話になるとそうなるんだよ、貴族ってのはな」
ジークはマティスの背をポンと叩いた。
「ま、そこらの話は帰ってからだ。約束したんだから、帰ったらみっちり指導してやれよ?」
「……うん」
思えばこのとき、親友は自身の死に場所を定めていたのだろう。
無理な魔法研究で酷使し続けた体は命を縮め、そう長くないと悟っていた。
そして自分が貴族であることに嫌気がさしていることをも察し、
――身代わりとなって勇者に自由を与えようとしたのだ。
聖都テリウストの中心部にほど近い場所に、広大な墓地があった。
魔王国との戦いで散った者たちの多くが安置されている。
墓地の中央には、ひときわ大きな石碑が置かれていた。
魔王を討ち果たして世界を救った勇者〝ジーク・アンドレアス〟の遺体が埋められている。
その亡骸が実は賢者〝マティス・ルティウス〟であると知る者は、たった今墓前に花を添えた青年と、彼と友が作り上げた人造人間だけだ。
(墓参りが遅くなって悪かったな)
せめて自分たちを罠に嵌めた者たちを討ち果たすまでは、と三年の時間を要した。
(きっとお前は呆れているな)
自分の死は確定事項。友を自由にするために利用したのだから復讐なんて考えないだろう。
もとより彼の性格からして恨み辛みは抱かない。
さて、三年分の積もりに積もった話は、また今度の機会にして。
(時間ぴったり。相変わらずきっちりしてるなあ、クラリスは)
背後からガシャガシャと鎧のこすれる音が多数。
振り向けば、多くの兵士を引き連れた、
「マティス……」
白銀の鎧姿の少女――聖王国の新女王が、青い瞳で彼を見据えていた――。




