復讐を遂げ――
聖王が学生と剣を交える。
前代未聞の出来事に、当時は騒然としたものだ。
木剣を使った稽古の延長であるとはいえ、魔王国軍との戦時中にもし聖王が敗れでもすれば士気にも影響しよう。
周囲の反対を押しきったのはむしろ逆で、武の誉れ高き自分に勝てる者がいるのなら、魔の軍勢には脅威となり得ると踏んでのことだ。
そういった思惑とは別に、興味もあった。
ジルベールは聖王でありながら、そのころ父親を亡くしたばかりのジークの後見人になっている。親戚筋ではあるがこちらも異例中の異例だ。
その父親から聞いた、自身でも制御しきれぬ剣と魔法の才がいかほどのものか、この目で直接確かめてみたかったのだ。
結果は引き分け。
互角に渡り合っての時間切れだ。
しかし十分足らずで周囲が止めたがゆえであり、ジルベール自身はあと数合も打ち合えば自身の敗北であったと痛感していた。
荒削りの剣技だった。
拙い魔法行使だった。
それでも届かなかったのだから完敗と認めざるを得ない。
なるほど自身の力を持て余してはいるようだったが、聞いていたよりはずっと洗練されていて、剣撃を重ねるたびにその成長が見て取れた。
なんと恐ろしい少年か。
ジーク・アンドレアスは聖王も舌を巻くほどの才能を秘めていた。
けれどジルベールが脅威を感じたのはむしろ――。
「ん、んん……」
聖王ジルベール・テリウムは夢から意識を戻す。
なぜ今ごろジークと手合わせした昔を思い出したのか、埃っぽい土の匂いで理由が知れた。
どうやら英雄学院の闘技場に横たわっているらしい。彼と相まみえたのがここだった。
気を失ってどれだけ経ったか知れないが、薄く目を開いても辺りが暗いところから陽が落ちて久しい時間だろう。
「ようやくお目覚めか。そろそろ叩き起こそうかと思っていたところだぞ」
身を起こし、声の出どころへ目を向ける。
黒髪黒目。ローブ姿の青年が立っていた。手にはそれぞれ剣を握り、一方はジルベールがよく知る国の秘宝、雷帝剣『トゥルディオ』だった。
「余を拉致した目的はなんだ? よもや屈服させ、『勇者殺しの罪を公然と告白せよ』などとは言うまいな」
「そっちは終わっている。お前は謁見の間に集まったみなの前で罪を悔い、自ら命を絶ったことになっていてね。王宮の霊安室ではお前に化けた死体役の仲間が、本物の死体が来るのを待ちわびているところだ」
信じがたい話ではある。
だが誰にも気づかれず王宮へ忍びこみ、一瞬にしてこちらの意識を刈り取って外へ連れ出す芸当をやってのけたのだ。嘘偽りとは思えなかった。
「そうか。余はここで死ぬのだな」
「諦めが早いな。ここで俺を返り討ちにして死体役を捕らえれば、すべては俺の企みだったとみなを納得させられるだろう?」
たしかにその通りだ。
マティス・ルティウスは剣も魔法も才に恵まれず、一般兵でも殺すのは容易い。
しかし――。
「貴様が真に至高の賢者ならば、な。何者だ? なぜ賢者の名と姿を騙る」
「……」
「無粋であったか。そも貴様の正体に見当は付いているのでな」
至高の賢者を騙る青年は剣を一本、ジルベールの前に放った。
「拾え。お前は俺が手ずから処断してやる」
「貴様の剣は一般兵への支給品。ハンデのつもりか」
ジルベールは足元に転がった剣――雷帝剣を拾い上げる。
「解せんな。わざわざ余と戦う意味がどこにある? 意識を刈り取る手間もなく殺しておき、死体役と入れ替えておけばよかったであろうに」
「そのよく回る口で答えてもらおう。なぜ勇者殺しを命じたのかをな」
なんだそんなことか、とジルベールは薄く笑みを浮かべると、
「恐れたからだ!」
剣を抜いて飛びかかってきた。
ギィィン、と剣が交差する。
岩をも切り裂く名剣の斬撃に対し、賢者を騙る青年はタイミングを合わせてわずかに体ごと退いて威力を散らした。
「ジークの力は万の軍勢を凌駕する。アレはもはや災厄よ。ひとたび暴れれば聖都を蹂躙し尽くすもの。ゆえに放置はしておけぬ!」
「要するに、信用が置けなかったわけか」
「ぐふっ!」
腹を蹴りつける。
ジルベールは大きく飛び退き、どうにか倒れるのは踏ん張った。
「く、ははははっ! 賢者を騙りながらその程度の認識とはな」
「なんだと?」
「余はジークに姫を与え、次期聖王に推した。国を預かる立場になれば、仮にあやつが牙を剥いたとしても、凶刃が向かう先から聖王国だけは免れると考えてな。しかし――」
雷帝剣の刀身に雷が絡む。
「あやつの興味は姫には向かぬ。地位も名誉もどこ吹く風と、あやつは余にこう言い放ったのだ!」
剣を振り抜くと、稲妻が青年へ向け迸った。
「自分はただの駒である、とな!」
片手を突き出し、魔法防壁を展開する。
稲妻は四散したものの、それを見越していたのか、ジルベールは雷撃を追いかけるように突進してきた。
「無欲なる者の、なんと恐ろしいことか!」
雷が絡んだ刀身を軽く弾いて受け流す。
ジルベールはよろめくも、強引に剣を振り上げた。
「欲がないとはすなわち、あらゆる事物に価値を見出さぬに等しい。世のすべてを有象無象と諦観するあやつは、人を超越した自然現象――文字通り〝災厄〟以外の何物でもない!」
目にもとまらぬ剣の乱舞を、青年は事も無げに払いのけていく。
「だがな、それだけならばまだマシではあったのだ」
「?」
一転して哀しみに染まった表情に、青年は思わず大きく飛び退き距離を空けた。
「余は気づいた。あやつが唯一、執着するものに」
息を整えもせず、ジルベールは続ける。
「マティス・ルティウス。あの男はジークを惑わせた。災厄を一個人の手に委ねるわけにはいかぬ。ゆえに余は試したのだ」
「試す?」
「最強の勇者を、奇襲程度で殺せるものか。だが執着する者を人質にとれば、どうか?」
ジルベールは静かに語る。
「友を見捨てて生き永らえたのならば、ジークはもはや何物にも執着せぬと判断できよう。欲無き勇者は自然の驚異として、我らは受け入れるのみ」
「……もし、勇者が大人しく殺されたら?」
「死を省みぬほど心酔していたのなら、生き延びてもどのみち賢者に利用されるだけよ。賢者を亡き者にしたところで暴走しかねぬし、別のマティスが現れぬとも限らぬ。ゆえにジークはそこで死ぬべきだった」
「そんな下らない理由で……」
黒い瞳が鋭く睨み据える。
「惑わせた? 利用だと? 憶測で我が友を語るな。お前にあいつの何がわかる!」
「わからぬよ。人知を超えた頭脳を持つ者ゆえな。だからこそ余は恐れたのだ。世界の脅威たる勇者はもちろん、それを創り上げ、魅了したあの男をな。二人は同時に生きてはならぬ存在なのだ」
青年は髪をかきむしった。
「本当にお前は何もわかっていない……。あいつはな、ただ平和を望んでいたんだ。俺はあいつが何度も無茶な魔法行使で魔力の逆流に遭うのを見てきた。みんなが幸せに暮らせるようにと、心と体がボロボロになってなお魔法の研究を続けていたんだ。それを――」
「そう、そなたに印象付けるためだとは思わぬのか? 信頼を得てのち、自身の欲望を実現するための遠謀だとは」
「侮るな!」
地を蹴った。一足飛びに肉薄して剣を振るう。
「俺があいつの言いなりになるとなぜ決め付ける。俺があいつの指示に従っていたのは、すべて俺自身が『正しい』と判断したからだ」
「ぐ、ぬぅ……」
剣撃は苛烈を極め、防ぐのがやっとだ。
「あいつが誤った道を指し示したなら、俺は遠慮なくその間違いを指摘する。俺とあいつを逆にしても同じだ。そういった関係を」
ガキィンッ!
『親友』と呼ぶ!」
ジルベールが大きく弾かれた。
「愚昧なる王よ、お前がいくらきれいごとを並べようと俺には響かない。正論じみた主張をしたところで中身が伴わないからだ」
剣を構え、腰を落とす。
「他者を憶測で判断するな! 他者を使って問題解決を図るな! その目、その口、その手足は何のために付いている!」
その表情は、哀しみに歪んでいた。
「最後に教えてやる。あいつはな、味方に手引きされた魔族に襲われることも、自身が人質になることもお見通しだった。そのうえで俺とそっくりの姿に成り代わり、俺の身代わりとしての死を選んだ」
「……なに?」
「直前にしたためていた手紙には、こう書いてあったよ」
賢者の姿そのものの青年が、跳んだ。
――君は、自由に生きてくれ。
「――ッ!?」
刹那の間に接近する青年の姿を、ジルベールはよく捉えていた。
半ば無意識に剣を突き出す。
雷が絡んだ刀身はしかし、素手で押されて軌道を変えた。
ずぶり。
ジルベールの胸を、飾り気のない剣が貫いた。
「見事……。ああ、やはり……やはりそなたなのだな、ジーク……」
霞む視界に、黒髪黒目の顔が金髪碧眼の青年と重なった。
「救世の勇者でもなく、次期聖王でもなく、自由に生きろと言われ、なにゆえ友の姿を選んだのだ……?」
「認めたくなかった。あいつが無為に死んでいくのが、我慢ならなかったんだ」
「それは、友が望んだことか……?」
「いいや、違う。あいつが間違っていたとは思わないが、これは俺が選択したことだ」
ごふっとジルベールが口から血を吐く。
「ワシは、どこで謬ったのであろうか……」
「たった一度でいい。貴方は俺やあいつと直接腹を割って話せばよかったんだ。今、俺としたように」
そんな簡単なことをなぜしなかったのか。思い返してもわからない。
老いたゆえの焦りか、真に恐れていたためか、自尊心が邪魔をしたのか、若い才能への嫉妬か、あるいはそのすべてか。
「そう……、か。そう、だな。思えば、我が盟友から、託されながら……、ワシは、よき養父には、なれなかったのだ、なあ……」
カランと雷帝剣が地に落ちる。
空いた手が、小刻みに震えながらジークの頬にそっと触れた。
「虫の良い話では、あるが…………後は、頼めるか……」
「むろんだ。俺が掻き乱したのだからな。聖王国は俺が守る」
口の端から血を滴らせ、ジルベールは笑みを浮かべる。そして――
「すまなかった……。最後に、そなたと話せて、嬉し、かった……」
謝罪と感謝の言葉を口にして、ジークへもたれかかった。
しばらくして、息絶えた聖王を横たえる。
その亡骸へ、言葉を落とした。
「俺も、話せてよかったと思うよ。でも、やっぱり俺は貴方を許せない」
復讐は遂げた。
しかし誰が浮かばれたわけでもなく、まして親友が望んでいたことでもない。
ただ自身の気持ちに区切りをつける行為。
そのために有力貴族が九人死に、民に慕われていたイザベラ・シャリエル司教が姿を消し、国の象徴である聖王が逝った。
弱体化が著しい聖王国を、諸外国や魔族たちは放っておかない。
虎視眈々と、国土を蹂躙せんと狙っているだろう。
(俺の本当の戦いは、ここから始まる。始めなければならない)
伝説を作る。
最強の勇者ではなく、至高の賢者〝マティス・ルティウス〟としての伝説を――。