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至高の賢者の遺産

 聖王国の東、かつて魔王国と隣接していた最前線であるが、今は国土を奪還した友好国に近いため、周辺の町や村は穏やかなものだ。

 隣国へ向かう大街道から大きく外れた山のふもとに、三百人ほどが住む小さな村があった。


 村から少し離れた森の中に、ひっそり佇む古びた(いおり)


 二十二歳になった黒髪の青年が、魔法陣に身を沈めていく。パリッとした黒いローブから覗く首には、罪人の証たる〝監視者(ラグエル)の首輪〟が嵌められていた。


 彼は親友が死したその日から、最強の勇者ジーク・アンドレアスの名と姿を捨てた。至高の賢者が作り上げた特殊な魔法具を用いてマティス・ルティウスの姿に成り代わり、彼を演じ続けている。


 転移魔法で別の場所へ姿を現す。

 広い洞窟内だ。壁面や床のあちこちにほんのり光を発し、夕刻に近い明るさとなった。


 梯子がなければ届かないほど高い書棚。あちこちに大小さまざまな机が置かれ、魔法具らしきものが箱詰めされていた。


 ここは聖都の外れにある、至高の賢者が秘密裏に作った魔法研究工房だ。


 ジークは壁いっぱいに作られた書棚を眺めながら歩く。

 床はきれいに片づけられており、広い洞窟内は閑散とした印象を受けた。よく働く使用人が清掃を怠らないがゆえだろう。


「今日はこれのおさらいをしようかな」


 温和で丁寧だった〝マティス・ルティウス〟になりきるべく、日ごろからかつての自分の言動をしないよう気をつける彼は、書棚から本をひとつ引っ張り出し、ロッキングチェアに身を預けてページをめくった。


 と、床の一部が光を帯びる。魔法陣が輝き、そこから一人の女性が現れた。


「失礼します、ご主人様。お茶をお持ちしました」


 メイド姿の女性だ。銀色の髪をまとめ上げ、紅玉のような赤い瞳を揺らす彼女は、ティーセットを載せたトレーを持って恭しく礼をした。

 その頭には獣の耳が、腰のあたりからは髪と同色のふさふさの尻尾が揺らめいている。


「ありがとう、フェリ」


 フェリは小さなテーブルを持ってきて、その上でお茶を淹れ始めた。

 流れるような所作は麗しく、見惚れるほどに美しい。

 しかし彼女はふつうの人間ではなかった。


 この庵へやってくる際、最初に運びこんだ至高の賢者の遺産のひとつ。

 マティスが完成間近にまで作り上げ、ジークが引き継いで完成させた、自律型の人造人間(ホムンクルス)だ。


 通常のホムンクルスは自我がなく、(いにしえ)の魔法具を用いて非常に高度で繊細な過程を経てようやくその肉体を模すのにとどまっていた。


 魂の錬成にまで到達したのは至高の賢者がおそらく初めて。

 今のところ専用の魔法具がないため、世界にただひとつの個体だろう。


「熱心に何をお読みになっておられるのですか?」


 彼女は主人に忠実ではあるが、好奇心も旺盛だった。


「魔法の指南書、に分類できるかな? 技術的な資料みたいなものさ」


 開いた本をフェリに見せる。


「……複合術式、ですか。複数の魔法を同時に展開・実行し、あたかもひとつの魔法のように扱うもの、とありますが……。実際に可能なのでしょうか? 異なる術式が衝突して効果が下がる恐れがあり、最悪は魔力逆流を引き起こして術者の命が危うくなるのでは?」


「そうだね。すくなくとも術式の干渉は避けられないから、同時展開はしても実行自体は短い間隔で連続して、とするのがふつうだ。真面目に研究しようとすら思わない。でもあいつ、学院を卒業する前にはほぼ理論を完成させていたんだよ」


 マティスは『ジークが無意識にやっているのを理論化しただけ』と言っていたが、体系立てしてまとめるのにも相当な知識とセンスが必要だ。


「しかも干渉どころか相乗効果を付与する仕組みまで発見していたんだ。頭の構造がやっぱり違うんだろうな、俺みたいなのとは」


(無意識にやっていたご主人様も大概でしょうに)


 自覚のない主はフェリを指差す。


「実はさ、君にもその理論が応用されているんだ」


「わたくしに、ですか……?」


「うん。魂を創造するなんてデタラメ、どうやって実現しているのか不思議だったんだけど、複合術式でなら可能だ。たぶん百以上の術式が同時展開していると思う」


「左様、ですか……」


 フェリは自覚がないらしく、困惑したように自身のふくよかな胸に手を添える。


「しかし不思議ですね。わたくしに命を吹き込んだのはご主人様です。術式の詳細をご存じないのに、起動できるものでしょうか?」


「起動術式を別に作っておけば、実際に何が起きるか知らなくても起動自体は可能だよ。ついでに言えば、君が常時活動できるための動力――簡易魔力炉も複合術式の賜物だろうね。まったく、あいつの天才っぷりは底が知れないよ」


 ジークは肩を竦める。

 フェリはなるほどとうなずきつつ、こうも考えた。


(しかしそこまで作ってなお、〝創造主(マティス様)〟はわたくしを起動するには至らなかったのです。百をも超える術式を起動させるには、常識的に考えて並大抵の魔力では足りません。それを為したのですから――)


「ご主人様も大概ですよ?」


「よしてくれ。僕なんてあいつの足元にも及ばないさ」


 もともと自分は勉強だのが苦手で嫌いだった。

 失墜した親友(とも)の名誉を回復させるため、どうにか彼に追いついて彼が成すはずだった偉業を打ち立てたいと考えていても、彼の研究を辿っていけばいくほどゴールが遠のいているような焦燥を感じる。


(――なんてことをお考えなのでしょうけれど、研究者としてもすでにこの国はおろか、世界でも随一でしょう)


 ただこれを言えばまた謙遜してしまうのだろうから、とフェリは黙っておいた。

 その代わりに諫言が口に出る。


「このところ秘密工房(こちら)にこもりきりではありませんか? ええ、いけません。根を詰めすぎますとお身体に障ります。久しぶりに村へ赴くなどして外の空気を吸われるのがよろしい、と具申いたします」


「出かける、って……もう夕方だよ?」


 工房へ来る直前に窓から外を見たら陽が大きく傾いていた。


「それでも日没までにはまだ間があり――ッ!?」


 言葉を止め、フェリが険しい表情になった。

 庵の周囲に張った結界が反応したのだ――。


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