聖王との取引
大講堂に重々しい声が響き渡る。
「諸君らは、いずれ英雄となる資質を認められてここへ来た」
檀上に立つのは白く煌びやかな聖衣をまとった大男だ。六十を目前にしてなお頭髪にも口周りのひげにも白いものは交じっておらず、金色に輝いている。
聖王ジルベール・テリウムは鋭い目つきで眼下を見据えた。
「しかし、ただここに『いる』だけの者は、仮に卒業できても偉業を打ち立てられはしない。凡百として歴史に埋もれるのみと心せよ」
今日は王立レブリット特級騎士養成学院――通称英雄学院の入学式の日だ。
広い大講堂にあって、百名に満たない新入生たちが密集して聖王を見上げている。
彼らの後方、離れた位置には教師たちが居並んでいた。
その中に、いまだ罪人の首輪をつけた至高の賢者の姿もある。
「先人の叡智を糧に、志半ばで逝った勇者を超え、次代の英雄としてその名を歴史に刻むことを願う」
あいさつが終わって退場していく聖王の広い背を、ジークは冷徹な眼差しで眺める。
(慣例とはいえ、このゴタゴタの最中によくも顔を出せたものだな)
今現在、南部の有力貴族グモンス侯爵が独立を宣言し、中央からの討伐部隊が手ひどく返り討ちにあったばかり。
しかもグモンスは三年前の勇者殺しについて、『自分は関与していないが聖王がダボン公たちに命じたのは知っている』と公言した。
聖都はもちろん、国中が上を下への大騒ぎだ。
この渦中にあっても平然と公務を続ける聖王は肝が据わっている。
ジークは大講堂を離れ、学内にある本校舎へと向かった。自身にあてがわれた研究室はまだ片付いていないが、今ごろはフェリが大掃除してくれていることだろう。
木々が生い茂るちょっとした林の中の道を歩いていると、
「マティス」
後ろから声をかけられ振り向けば、金髪を揺らして駆けてくる女性がいた。
「イザベラ先生、釈放されたようでなによりです」
「ええ、お陰様で。しかし私が投獄されていたのは公にされていなかったはずですが?」
追いついたイザベラは呆れたように言う。
「調べ様はありますからね。むしろ僕が知らないほうが貴女を失望させてしまいます」
「さすがは至高の賢者、と言っておきましょうか。であれば状況は概ね把握していますね?」
ええ、とうなずきつつ並んで歩く。
「二万の軍勢が半日持たずに敗走したとか」
「急ごしらえはあちらも同じであったはずですのに、完膚なきまでに敗れたそうです」
「グモンス侯爵は隙あらば独立する気でいましたよ。準備面で言うなら、この三年をかけて周到にね」
「……それを知りつつ、あの資料を彼に送ったのですか?」
探るような視線を笑みで受け、ジークは人差し指を自身の唇へあてがった。
「他の人には内緒にしてください」
「やはり貴方が……。なぜ、ですか? 国が乱れるとわかっていて、なぜ彼に――」
「聖王国はこの三年で腐りきっています。今このタイミングで膿を出し切らなければ、諸外国に付け入る隙を与えてしまいます。それに――」
ジークは立ち止まった。
「貴女をいつまでも地下に閉じこめておきたくなかったんですよ」
「それは……感謝、しますけれど……」
「恩に着せるつもりはありません。ただ、僕の冤罪を晴らすのに利用させてもらいたくはあります」
「まったく貴方という人は……すこしは歯に衣を着せてください」
苦笑するも、イザベラは肩の力を抜く。
「もちろん協力は惜しみません。しかし、今の私ではできることも限られています。こうして貴方と話ができているのも、監視の目をごまかしたわずかな時間しかありません」
「警戒されているのは僕も同じですよ。だからこそ、できることもあります」
「? それは……?」
ジークはきっぱりと言い放つ。
「聖王と面会させてください。貴女の口添えで、ね」
聖王ジルベール・テリウムは本校舎にある貴賓室で休んでいた。
学院長たちとの面会を終え、王宮へ戻るまでのわずかな時間。
イザベラが至高の賢者と一緒にあいさつしたいと伝えると、拍子抜けするほどあっさり二人は貴賓室へ通された。
「久しいな、賢者ルティウス」
ソファーに腰を落としたまま、ジルベールは笑みを湛えつつもぎろりと彼を睨み据えた。
ジークは聖王の左右に視線を移す。
屈強な鎧騎士とローブ姿の優男。それぞれ剣と魔法に秀でた聖王の護衛だ。もっとも、聖王はその二人をも凌駕する力を持っている。
立場上前線に出ることは稀だったが、学生時代の〝ジーク・アンドレアス〟と剣で互角に渡り合った実力者だ。
至高の賢者とイザベラを前にしても危機感は希薄だった。
「あまり時間は取らせたくありません。ひとつ提案をさせて下さい」
「くっくっく、相変わらず物怖じせん男よな。よい、話せ」
ジークはさらりと告げる。
「グモンス侯爵を打ち破ってご覧に入れますので、僕の首輪を外してください」
「ッ!?」
イザベラが驚きの声を飲みこむ。
対するジルベールはきょとんとしたのち、盛大に笑った。
「くははははっ! また大きく出たな。余に勇者殺しの罪を認めろと?」
左右の護衛が殺気立った。
「そうしてもらえると有難いですが、陛下はそうなさらないでしょうね」
「ふん。つまり、余が命じたとはグモンスめの虚言であり、奴らが勇者殺しの真犯人だとして裁判をやり直せばよいだけか。むろん余は勇者殺しなど命じてはおらぬが、貴公はそれを受け入れるのか?」
「僕としては冤罪が晴らせるならそれで構いません。僕以外の誰が真犯人であろうと」
「マティス、貴方は――」
「イザベラ、そなたは黙っていろ」
一瞥も彼女に向けない聖王の言葉に、イザベラは奥歯を噛む。
ジルベールは至高の賢者を睨み据えた。
(解せんな。一連の騒動、こやつが仕組んだものと考えられなくもないが……)
そうでなくとも、グモンスはいずれ反旗を翻していただろう。勇者殺しの件も、いつかは蒸し返されていたかもしれない。
仮に至高の賢者が仕組んだのであれば、やはりその頭脳は侮れなかった。
(とはいえ所詮は頭が切れるだけの男。ジークがいない今、こやつを御してこそ覇道は成る)
魔王討伐後の世界は混沌としている。
聖王国は今のところ最大勢力を維持しているが、腐敗が進んだのは『知』の要が不在だったからだと痛感していた。
「よかろう。近々十万の大軍をもってグモンスめを誅罰する。その参謀にそなたをつけよう」
左右の護衛たちが目を丸くする。
イザベラも思いきったことをすると驚いたのだが。
「いいえ、そんなに兵はいりませんよ」
「なに……?」
訝るジルベールに構わず、ジークはしれっと言う。
「むしろ多いと行動が遅くなってしまいます。明日にでも発ちたいので、三千ほどお貸しください」
「さ、三千だと!?」
「指揮官はガラン・ハーキム伯爵を推薦します。というか、そうしてください」
「貴様、至高と褒めそやされて増長したか!」
ジルベールは立ち上がって吠える。
「逆にお訊ねします、陛下」
しかし至高の賢者は堂々と、揺るがぬ自信で言い放つ。
「僕にできないとでも?」
「……ふんっ!」
ジルベールはドカッとソファーに腰を落とした。
十万から三千を抜いたところでさほど影響はない。ガラン・ハーキムは失い難い忠義の武人だが、恥を知らぬ彼なら容易く死を選びはしないはずだ。
「よかろう。貴公の言葉、大言でないと証明してみせよ。見事グモンスめを討ち果たしたならば勇者殺しの裁判をやり直し、その首輪を汚名もろとも取り外してやる」
ローブ姿の青年は「ありがとうございます」を深々と頭を下げ、薄く笑った――。
貴賓室を出て、誰もいない廊下を歩く中。
「本当によいのですか? この機を逃せば、聖王の罪を暴けなくなるかもしれないのですよ?」
ジークはきょとんとして返す。
「嘘吐きに嘘を言っても、べつに構わないでしょう?」
「え?」
「陛下は裁判をやり直すと言ってくれました。なら、その場で糾弾はできますよ」
「しかし……どうやって?」
「まだ内緒です」
ジークは唇に人差し指を当てる。
(どのみちお前が知っても意味はない。そのころにはもう――)
――お前はこの世にいないからな。




