賢者の謀略
叩けば何かしら埃が出るのが人間だ。地位ある者ならなおのこと、そこへ至る過程で大なり小なり悪事に手を染めているものだ。
しかしイザベラ・シャリエルはいくら叩いても埃が出ないどころか、むしろその清廉さを裏付けるものが後から後から溢れてきた。
みな口々に言う。『彼女には欲がない』と。
信仰厚く慈愛を振りまく尊き存在。清廉潔白な乙女として高い信頼を得ている。
本人以外、その本質を知る者はいなかった。
――あの人は我欲の塊だよ。
ただ一人を除いて。
ジークも三年前は、友の言葉を漠然と受け止めていた。人の本質を見抜くには未熟にすぎたのだ。
しかしこの三年で彼女を調べれば調べるほど、異常なる欲深さを知ることになる。
だが周囲に植え付けた彼女の評価はまさに完璧と呼べるものだ。
そんな彼女を破滅に至らせるのは一筋縄ではいかない。
(埃をこちらで用意するのが、ひとつの手ではある)
しかしジークはそれを選択しない。
たとえ上手く事が運べたとしても、これまで築き上げた彼女の信頼を崩し得るかは未知数だからだ。
揺るぎない証拠を突きつけたところで『彼女がそんなことをするはずがない』との強い想いから、策そのものが瓦解する可能性は否定できなかった。
では、どうするか?
発想を変えてみればいい。
――その清廉さを、逆手に取るのだ。
勇者殺しに聖王が関与していたと告げたジークは、相手の反応を待たずに畳みかける。
「物的証拠はありませんが、状況証拠はいくつかそこに書いてあります。あとは六名の誰かから証言さえ取れれば聖王を追い詰めるには十分でしょう」
ジークは真っ直ぐに視線を突き刺す。
「いかがでしょう? これでも僕の妄想だと、切り捨ててしまわれますか?」
そうするのが手っ取り早い、とイザベラは考えなかった。
多少頭が切れる程度の相手であれば、反論する余地はいくらでもある。
しかし至高の賢者が至った結論だ。
たとえ物的証拠がない推測であっても、彼を納得させる自信が彼女にはなかった。
無理に説得すれば、彼は独自に動く。
もし聖王を糾弾すると公言しようものなら、これまで彼を擁護してきたイザベラにまで叛意ありとの目が向けられてしまう。
(いえ、まだです。まだ聖王の関与を疑っているのはこの子だけ)
彼だって推測の域を出ていないだろう。ならば――。
「なるほど。私は想像すらしていませんでしたが、聖王陛下の命令であれば彼らが世界の英雄を殺害するという大胆不敵な行動を起こした理由にはなりますね」
「では――」
「ええ、私もその前提で動きましょう。ただ事が重大すぎますから、慎重に進めさせていただきます」
自分が主導すれば、彼に届く情報は操作できる。
先ほど考えた計画通り事を進め、彼には『誰も聖王の関与を証言しなかった』と嘘偽りなく伝えればいい。
そう、誰にも何も語らせなければ、それは真実となるのだ。
「ありがとうございます。でも……すみません」
「? 何を謝るのです?」
「先生は僕の考えに同意してくださると確信していましたので――」
ジークは頬をかきながら告げる。
「すでにそれと同じ資料を、大司教に送ったのです。貴女の名前でね」
「――ッ!?」
イザベラは勢いよく立ち上がるも、声が出てこない。
「じきに教会幹部が招集されるでしょう。そこで是非とも、勇者殺しの全貌を解き明かすと宣言してください」
教え子の表情が、恐ろしいまでに消え去っているのに気づく。
「貴女は清廉を絵にかいたようなお人だ。たとえ聖王を相手にしても、正義を貫くと信じています。僕だけでなく、すべての者がね」
やられた、とイザベラは歯噛みする。
(この子は、初めから私を利用するつもりで――)
しかも聖王と対立させる構造を作り、どうあっても逃げられない状況を作り上げた。
今この場で、二者択一の決断を迫られている。
聖王か、マティスか。
(そんなもの、天秤にかけるまでもありません)
自身が勇者殺しの裁決を不服とし、独自に調査しているのは周知の事実。
また一貫してマティス・ルティウスを擁護し、聖都へ呼び戻すよう尽力したのも実際に呼び戻したのも自分だ。
自身の名で聖王に嫌疑をかけた以上、『マティスの暴走』と言い訳したところで『監督不行き届き』と非難を浴び、これまで築いてきた清廉潔白のイメージに少なからず瑕がつく。
いや、それをしてしまえば、至高の賢者は国家への反逆の意図ありとして今度こそ断罪されてしまう。
(私がこれまでどれだけの労を、この子にかけたことか!)
すべては至高の賢者を手に入れるため。
(そう、です。この子さえいてくれれば、聖王など……)
用済みになれば切り捨てる気でいたのだ。
どうせなら大司教に上り詰めるまで利用していたかったが、少しばかり早まったと考えればいい。
彼の知略があれば、いくらでも自分は上に行けるのだから。
「わかりました。貴方の冤罪を晴らすため、国家を正しき道へ導くため、尽力しましょう」
「ありがとうございます」
至高の賢者は深々と頭を下げ、部屋を後にした――。
大聖堂を出てしばらく、ジークは振り返って仰ぎ見る。
天を貫くほど威風堂々とした佇まいは、王宮よりも威厳あるこの国の象徴だ。
(やはりお前は、〝マティス〟に異常なほどの執着を持っていたか)
冷静さが多少でもあれば、聖王とマティスの二択を回避できたはずだ。第三者の謀略をでっち上げるか、『あくまで推論』とうそぶくか。
だがイザベラはマティス・ルティウスに固執した。
彼女がどうしてそれほどまでにマティスにこだわっているのかは知らない。
ただ皮肉にも、自身を駒とし〝至高の賢者〟こそ世界に必要と考えていた勇者が、共感できるほどには見て取れたのだ。
(そうと決めたらならば、お前はその役割をまっとうしてくれる)
清廉にして正義の乙女が、大聖堂をも支配する真なる象徴――聖王を弾劾する。
世間はもちろん、教会や貴族たちも一時は躊躇うだろうが多くが彼女を味方するはず。
(それでもお前は、聖王には敵わない)
勝てる見込みはある。
むしろ彼女がその力を最大限発揮すれば、負ける道理はなかった。ゆえに、
(イザベラ、お前は聖王を追い詰めたら用済みだ。この手で華々しく散ってもらう)
そして、とジークは大聖堂を睨みつける。
――俺たち二人で聖王を裁く。