親友《とも》として生きる
勇者殺しの大罪人、マティス・ルティウス――その姿に成り代わった勇者ジーク・アンドレアスが辺境の村へと送られてから二週間が経った。
その村からほど近い領地はギュスター子爵が治めている。
魔王討伐が果たされ、魔王国の軍勢は勢いを急速に弱めていた。彼は従軍していくつもの戦場を渡り歩てきたが、久々の休息を勝ち取り領地に戻っている。
大仕事を、ひとつやってのけたのだ。
鷹狩りに出かけて文句を言われる筋合いなどない。
快晴の下、平原の中を右の深い林をぎりぎりに据え、ギュスターは馬を走らせる。片腕には自慢の愛鷹を乗せ、先にある水辺に水鳥の群れを捉えた。
供を置き去りにして速度を上げ、鷹を放つ。
危険を察して飛び立つ水鳥の中から、鷹は一匹に狙いを定めて猛追した。
鋭い爪をギラつかせ、見事に水鳥を空中で捕らえる。
遠くから見ていた供の兵士たちが喝采を上げた。
しかし、鷹は主の下へ帰ることができなかった。
いつの間にか馬上から、ギュスターの姿が消え去っていたのだ――。
一瞬――それは本当に一瞬の出来事だった。
皆が、ギュスターでさえも鷹が獲物を捕らえる様に心奪われたその一瞬。
目と口をふさがれ、馬上から連れ去られた。
林はあれど見通しの良い平原地帯であったにも関わらず、誰一人として気づく者はいなかった。
視界が開けると、木々に取り囲まれていた。深い林の中らしい。
だが場所がどうとかよりも、ギュスターは目の前に立つ青年に困惑した。
「マティス、ルティウスなのか……?」
黒髪黒目で整った顔つきは、ギュスターの記憶と一致する。
しかし彼がこの場にいるはずがないのも承知していた。
青年の首には、首輪が嵌められているのだ。
罪人の証たる〝監視者の首輪〟は『通信魔法』など太古の様々な失われた技術が込められた逸品。
異常を検知すれば聖都に置かれた受信機にそれを知らせ、彼は今度こそ断頭台に上ることになる。
そして異常とは、指定した区域を大きく離れた場合や、大魔法を放つほど魔力を行使した場合など。
少なくとも前者には引っかかる。
いや、それ以前に信じられないのは――。
「仲間はどこだ? 貴様に私を連れ去るほどの武力はない!」
「仲間? んなもんいるわけないだろ。お前らみたいに臆病者じゃないんでね」
その口調が、ギュスターが知る〝彼〟とは異なっていた。
「お前には、俺たちを嵌めた連中が誰かを話してもらう」
気にはなるが、相手は剣も魔法もからっきしの落ちこぼれ。仲間がいないとの言葉を信用できるはずもなく、周囲を警戒しつつ腰の剣に手をかけようと――。
「ああ、抵抗するのは構わんよ。できるならな」
ぼとり。剣に伸ばした腕が落ちた。
「うぎゃあぁあああぁ!?」
遅れて激痛が傷口から全身を駆け巡る。
今、奴は何をした?
剣も魔法も一般人並みの男が、魔の軍勢と最前線で戦って功を上げてきた自分を、傷つけられるなんて……。
仲間が遠隔で――ないことは明らかだ。
だって目の前にいる男からは、目に見えるほどの魔力が揺らめいているのだから。
「うるさいな。悲鳴はいいから早く話せ」
血が止まった。しかし腕は落ちたままで、痛みも続いている。
これは明確な、魔法の行使だ。止血のみとはいえ高位の魔法。それを、発動すら気づかせてくれなかった。
「ま、時間はあるんだ。お前の悲鳴はどこにも届かない。せいぜい苦しみもがくんだな」
完全なる無表情の青年に、ギュスターは逃れられぬ『死』に慄くのだった――。
ギュスターは勇者暗殺のため魔族を手引きした張本人だった。
なにせ彼の部隊が護衛を務めるその場所で、親友はいるはずのない魔族たちに襲われて殺されたのだ。
しかし中堅貴族の単独犯行であるはずがない。
ギュスターを拷問の末、彼を含めて九名の首謀者が明らかとなる。
みな、テリウム聖王国の貴族たちだった。
今すぐにでも一人一人丁寧に、殺し尽くしてやりたいところだ。
けれどジークはそうしなかった。
(今はまだ早い)
仇を討つのは目的のひとつにすぎない。
今回ギュスターを襲ったのは、首謀者を明らかにするためだ。
彼にとって最も重要なのは、失墜した親友の名誉を回復させること。
ギュスターの遺体は獣にかじらせ、その場に放置する。
そうして別の場所へと急いだ――。
聖都の南にある岩場。そこに小さな洞窟の入り口があった。
しかし中は長く入り組んで、最奥には広い空洞ができている。
鉄扉に閉ざされた空洞に入ると、壁面がほのかに光を帯びた。そこかしこに棚が並び、本で埋め尽くされている。
「おいおい、千や二千じゃ利かないぞ、この量……」
他にも作りかけの魔法具などが、床や棚に散乱していた。
至高の賢者〝マティス・ルティウス〟は、聖都の学院で教師もやっていて、そこの研究室にあった私財はすべて没収されている。
しかしそれらは既知の魔法研究ばかり。
ここは至高の賢者が秘密裏に研究するための工房だ。
より高度な研究途中の資料や魔法具、特に太古の失われたとされる技術を中心に、誰にも知られることなく、密かにこの場所に隠していた。
彼の親友が知り、その親友が受け継ぎに来たのだ。
(ん? あれは……)
空洞の隅に、不自然に布で覆われた何かを見つけた。人のサイズよりも二回りほど大きなものだ。
布をはぎ取ると、透明な容器に液体が満たされ、その中に、
――美しい女が浮いていた。
「人……いや、半獣人か」
ぱっと見は若く美しい、人と同じ顔立ちをしていた。
だがその頭には獣の耳のようなものがあり、腰の向こう側にはふさふさの尻尾が揺らめいていた。いずれも毛色は髪と同じで銀に見える。
目を閉じているので不明ながら、瞳が赤なら魔に属する者であるのは疑いようがない。
巨大な透明容器の傍らに数冊の本が落ちていた。分厚いノートだ。拾って中を眺めると、マティスが記した彼女の設計資料だった。
「人造人間……しかも自律型だと?」
ただの人形なら今の技術でも作れるが、自我を持って動き回るなんて物語の中でしかあり得ない。
「でもこれ、ほぼ完成してるな」
設計図らしき資料も見つける。パーツは足元の箱に入っていた。
心臓部は〝冥府の魔力炉〟を模した簡易魔力炉で、理論上は定期的な魔力供給さえあれば半永久的に動き続ける。
「魂なんてどうやって実現したんだよ? その辺りの詳しいことは……あそこかなあ?」
三千に迫る蔵書を眺め、げんなりする。
ともあれ、人造人間は最優先で持っていくべきだろう。
「勉強だの研究だのは、柄じゃないんだけどな」
むしろ嫌いだった。けれど――
「お前が為し得たはずの偉業の、ほんの一部でも……」
自分が打ち立てて見せる。
そうして、至高の賢者マティス・ルティウスの名声を取り戻すのだ。
自分にできるだろうか?
ただ強いだけで、考えることのすべてを親友に任せきりだった自分に。
けれど、やろうと決めた。
ならば、やり遂げるまでだ。たとえ何年かかろうとも。
家族は自分が死んだものとして暮らしていく。
もはや最強の勇者の称号も、〝ジーク・アンドレアス〟の名も姿も、未練がなかった。
「てか、まずはこの口調と態度をどうにかしないとな」
油断するとすぐに素が出る。
親友のふりをして過ごさなくてはならない以上、気を引き締めなければ。
ジークは決意を新たに、賢者の遺産を片っ端から読み漁るのだった――。