月明かりのまやかし
ハーキム伯爵の王都での邸宅に招かれたジークは、夕食後に『疲れたから』との理由であてがわれた部屋に引きこもる。
フード付きのローブを羽織り、首輪を外して床に魔法陣を展開。そこに身を沈めると、次に現れたのは月の下――どこかの路地裏だった。
すぐそばには老婆が佇んでいて、彼女がぼそりと告げる。
「対象はランバート伯爵の邸宅を囲むように身を潜めています」
姿を変えたフェリだった。
彼女には転移魔法の起点を刻んであるので、彼女がいるところにならどこへでも転移は可能だ。
「ご苦労さま。君は屋敷に戻って僕の代わりを務めてくれ」
首輪を渡すと、「かしこまりました」と一礼し、老婆姿のフェリはハーキム邸の部屋へと転移していった。
(さて、散らばった敵が三体か)
フェリからの情報によれば、小回りの利く小鬼が二体と、以前ジークを襲撃した空を飛べる悪魔種が一体だ。
ここまで動きを見せていないところから、推測どおり夜中を待って物取りに見せかけるつもりらしい。
(まとめて相手をするには、事を成した直後が楽なんだけど……)
目的を達したその瞬間は気が緩むものだ。三体が固まったところにいる可能性も高い。
せっかく助けた二人ではあるが、道中の様子からエドワードもトマスも、ルナの正体に気づいている。
それ以上の詮索をしないようだとは感じているものの、魔族たちが始末してくれれば当面の安全が確保できるのだ。
(いやいや、さすがにそれはなあ……。勇者時代の俺ならやりかねないけどさ)
エドワードを『利用価値あり』と踏んでいる時点で今さらだが、魔族やその背後で暗躍する連中を利する手段は取りたくない。
助けると決めた以上、襲撃の事実がランバート伯やエドワードたちに知られると後々面倒だろう。
夜中を待たず、手早く終わらせてしまおう。
ジークは空を見上げる。満天の星空の中に浮かぶ月。
(散らばった奴らを一か所に集めるには好条件だな)
魔力を高め、三つの魔法陣を生み出した――。
ランバート伯の邸宅から三ブロックほど離れたとある屋敷の庭園内。小柄な男が茂みの中に身を潜ませていた。
頭を布でぐるぐる巻きにして目だけを出した彼は人ではない。ゴブリン種――魔族の男だった。
(ん? 誰か来る……?)
地面を踏みつける音に目を凝らすと茂みの隙間から、フードを被って容貌のしれない誰かが近寄ってくるのが見えた。成人男性ほどの背丈だ。ゆらゆらと体を揺らしている。
庭師がこんな時間にうろつくとは思えない。そも姿からして不審極まる。
(ッ!?)
近寄ってくる誰かの手元がギラリと光った。月明かりを弾くそれは、大ぶりのナイフだ。
こちらに気づいているか判然としない。
だが仮に気づかれているとすれば、身動きの取りづらい茂みの中で襲いかかってくるのを待つことこそ愚策。
自身の任務遂行が最優先の状況下では、相手の意図を確かめる必要などない。
ゴブリンの男は茂みから飛び出した。
鋭く伸ばした爪を振るうも、相手はゆらりと揺らめいて躱す。大ぶりのナイフを振り上げたところを、構わず肉薄して爪の先を突き刺そうとした。
けれどこちらも空振りだ。
軽やかに飛び退いた相手は身を翻して逃げ出した。
(なんなんだ、奴は?)
その目的がつかめない。しかし警備の兵でも呼ばれ、付近が警戒態勢にでもなれば任務に支障が出てしまう。
(まだ決行までは間がある)
逃さず仕留め、死体はどこかの庭に放りこんでおけば朝まで誰にも気づかれないだろう。
ゴブリンの男はその後を追った――。
邸宅の壁を越え、住宅街をふらふら逃げていく相手になかなか追いつけない。
明らかに誘っているように感じたが、ここまで来て放置するのも危険だ。
今のところ人通りはないが、追いかけっこを目撃されては厄介だ。T字路を右に折れたところを見計らい、ゴブリンは風をまとって走るスピードを上げた。
角を曲がると、地を蹴る音とともに相手が飛び上がるのが見えた。壁を越え、大きな屋敷の庭へ入る。
距離は詰めた。
ゴブリンも大きくジャンプして壁を飛び越えると。
「なにっ!?」
相手が下で待ち構えていた。奇妙にも大ぶりのナイフは持っておらず、あちらも長く伸びた爪を突き出してきた。
唐突に、しかも人ならざる攻撃へ転じた相手を不審に思いつつ、鋭い爪で斬りつける。
ガキィン、と。
爪と爪が火花を散らす。
実力は互角。
十数度の斬り合いの中、互いに焦りの色が濃くなったそのとき。
「貴様ら、なにをしている!」
聞き覚えのある声が上空から。
二人が見上げると、そこにはコウモリのような翼を生やした仲間がいた。
エドワード抹殺の任を受けたデーモン種の隊長だ。
「「いや、こいつは――ぇ?」」
互いに指差し、同じ言葉を口にする。
耳に届いた相手の声は、これもよく知るものだった。
(まさか……ッ!?)
そうだと認識すると、指差した相手の姿が変貌した。自身と同じ背格好の、仲間のゴブリン。
「どういうことだ? 不審な奴を追ってきたら、貴様らが同士討ちをしているとは……」
デーモンの男が二人の間に降り立つと、別の声が響いてきた。
「月の光には魔力が宿っている。それを使えば、ただの幻影にも実体が伴っているような錯覚を引き起こせるのさ」
こちらは足音もなく、先ほどまで追いかけていた相手とまったく同じ姿の誰かが近寄ってくる。
「幻影、だと……?」
「そう。僕はずっとここにいた。僕に似せた幻影が君たちを連れてくるのを待っていたのさ」
「おのれ!」
デーモンの男が怒声を吐くや、二体のゴブリンが左右から襲いかかった。
「「――」」
しかし声を上げる間もなく、二つの首が宙を舞う。
大ぶりのナイフが軽く振るわれただけで、刀身から風の刃が同時に二つ、放たれたのだ。
「君はしばらく生かしてあげるよ。誰に命じられたのか、誰が聖都へ入る手引きをしたのか、いろいろ訊きたいからね」
めくれたフードから現れたのは、黒髪黒目の青年の顔だった――。




