無実の罪で裁かれる者
二十年ほど前。
大陸の端にある小さな魔族国家が突如として全世界を相手に宣戦を布告した。
少数のはずであった彼らは〝冥府の魔力炉〟から無限の魔力を吸い上げて、人を襲い、魔の子を産み増やし、周辺国家を次々と飲みこんでいく。
当時、最大勢力であったテリウム聖王国は残った国々に対し、魔王国への徹底抗戦を呼びかけた。
強大な力に対抗すべく各国から優秀な人材を集めて育成するも、魔の軍勢の勢いは衰えず。
しかし二人の天才が現れてから状況は一変する。
最強の勇者ジーク・アンドレアス。
至高の賢者マティス・ルティウス。
二人の若者が率いる軍は、破竹の勢いで魔の軍勢を退けていく。
そうして、ついに魔王を滅し、魔の軍勢の力の源――〝冥府の魔力炉〟をも破壊した。
これで平和が訪れると安堵した矢先、最強の勇者の訃報が大陸を揺るがした――。
テリウム聖王国の聖都テリウスト。
その中心地にある大聖堂には、貴族や軍人、重大犯罪人を裁く大法廷がある。
円形の広間は天井も高く、三メートルほどの高さにぐるりと内向きに椅子が配されていた。そこに座るのは、このために選抜された教会や軍の高官たちで、本日限りの裁判官だ。
広間の底部分の中央、半円の柵を前に立つのは黒髪で黒い目をした青年だった。よれよれの貫頭衣を被り、首と手には枷が嵌められている。
剣も魔法も並み以下の落ちこぼれなので特殊な魔法はかけられていないが、暴れればすぐさま法廷侮辱罪で彼の背を突くべく、長槍を持った兵士が彼の背後に居並んでいた。
「これより、勇者襲撃および勇者殺害についての裁判を始める」
正面に見上げる席で、恰幅がよくひげをたっぷりたたえた裁判長が開廷を宣言する。
「被告人マティス・ルティウス。被告は魔の者どもを手引きし、魔王討伐直後で気の緩んでいた勇者ジーク・アンドレアスを殺害せしめた罪に問われている」
被告人には語らせず、いたかも不確かな目撃者の証言などが語られていった。
後方の上階にある傍聴席から憚りなく被告への非難が投げつけられる。
「なんとも大胆なことをしてくれたものよ」
「国の、いや世界の至宝を殺害するとは」
「しかも敵たる魔の者どもを手引きしてな」
「人類の敵め!」
「恥を知れ!」
続けて被告人は立たせたまま、軍関係者たちが証言していく。
曰く。
マティス・ルティウスは実力もないのに勇者の親友の立場を利用して出世し、増長を極めていた。
勇者の助言を皆に伝えていたのが実情であり、彼自身に賢者を名乗るほどの頭脳はない。
失われた古代の秘術を実現していたのは勇者であり、マティスではなかった。
証人たちの表情は硬く、中には苦悩を眉間に集める者もいた。
言わされているのがありありだ。
それも当然だろう。彼らは直接マティスと交流があり、彼の策で幾度も命を救われたのだ。
一方、唯一といっていい、彼を擁護する声も上がる。
「彼とジークは家族より深い絆で結ばれていました。そばで見ていた私が証言しましょう。そんな彼が親友を殺そうとするなどあり得ません」
彼の師匠でもあるイザベラだ。彼女もまた裁判官の一人である。
中年の裁判官が応じた。
「親兄弟であろうと殺し合うこともある。私はマティスの頭脳を疑ってはいないが、彼の策による功績もけっきょくはすべて勇者に横取りされる状況ではあった。ゆえに殺意を生み出すほど嫉妬しても不思議ではない」
「彼は分を弁えた青年です。自身にできること、できないことをよく理解し、自らの策を完璧に実践する勇者に対して称賛こそすれ、嫉妬心を抱くはずはありません」
「嫉妬とは理屈で生まれるものだけではないからなあ」
せせら笑いが生まれたのち、別の裁判官が挙手をして発言する。
「勇者の力は絶大です。それを目の当たりにした被告は、こう考えたのではありませんか?」
――いずれ世界の脅威になる、と。
一瞬、静寂が場内を支配した。
見計らったように傍聴席から声が上がる。
「たしかに、一理あるな」
「ジークの不遜な言動には目に余るものがありました」
「増長していたのは勇者のほうか」
「いずれ国を乗っ取る野心を持っていたに違いない」
今度は一転して勇者を貶めていく。
『勇者はただの駒だ』
勇者自身の言葉はしかし、友以外の誰の耳にも届いていなかった。
「しかしそれを止めたいにしても、魔族と手を組むなど……」
「義憤にかられたとはいえ手段を間違ったか」
「いえいえ、まだ義憤のみと決まったわけではありませんよ」
またも勝手な言い分があちこちから投げかけられた。
「被告人、弁明はあるかね?」と裁判長が睥睨する。
「……僕は魔族を手引きなどしていません。まして友を殺そうなんて、考えたこともありません」
押し殺した声に、方々で嘲笑が起こった。
「ふむ。あくまでも無実を主張するか。それもよかろう」
ダンッ、と裁判長が木槌を打ち鳴らす。
「判決を言い渡す。被告マティス・ルティウスが魔族を手引きして勇者ジーク・アンドレアスを死に至らしめたことは明白である。しかし被告はその才覚に疑いは残るものの、聖王国ひいては世界に多大なる貢献をした事実を完全に否定し得るものではない。動機は嫉妬心と義憤が入り混じったものであり、また勇者の日ごろの素行にも問題があったと認め――」
ひと呼吸を置き、告げる。
「〝監視者の首輪〟を嵌めたうえで、辺境送りとする」
本来なら誰が何と言おうが『死罪』しかあり得ない中、まるであらかじめ用意したかのようにすらすらと口から出てきた。
(ああ、やはりそうか)
被告人席から、ぐるりと上段を見回す。
あの中に、自分たちを嵌めた者たちがいる。背後の傍聴席も含めれば、一人や二人では収まらない。
魔王討伐の特殊部隊が編成されたころから、計画は進められていたのだ。
勇者を殺す。
ただそれだけのための、おぞましき計画が。
強大な力を恐れ、排除することで平穏に浸りたいがため、周到に用意された身勝手で忌まわしき筋書き。
今、この場で。
疑いのあるなしにかかわらず、すべてを殺し尽くしてやりたい。
憎悪に身を焦がす中、しかしそれはできなかった。
――〝力〟が要る。
親友の仇を討つ力……ではない。それを為すだけならば、すでに持っていた。
彼らの罪を暴かぬうちに殺しても、気が晴れるはずがない。
なにより勇者殺しの罪を着せられ、それを裁く場で今まで積み上げてきた功績まで貶められたのだ。
その名誉を回復させるための、力が必要だった。だから――。
(俺はお前として生きよう。本来ならお前が成すはずだった偉業を、俺がこの姿で打ち立てる。お前が救ってくれたこの命、絶対に無駄にはしない)
親友の名を伝説として歴史に残す。
それこそ彼が選んだ復讐だ。
被告人席に立つ黒髪黒目の青年こそ――
(見ていてくれ、マティス)
親友の姿に成り代わった、最強の勇者ジーク・アンドレアスに他ならなかった――。