賢者の信奉者
助けた人は隣国の王子だった。
ルナは顔見知りのようだが、問題は彼がルナに気づいているかどうか。
今のところそんな素振りは見せていない。
黙っているなら変に突かないほうがいいだろう。
エドワード・ストラバル第二王子はいまだ震える足で立ち上がると、最敬礼をもって頭を下げた。
「この度は窮地を救ってくださり、感謝の念に堪えません。……えっと、お名前は?」
「ああ、失礼。自己紹介がまだでしたね。僕はマティス・ルティウス。聖王国の男爵です」
「マティス……。えぇっ!? 貴方があの〝至高の賢者〟様だったのですか!」
急に瞳をキラキラ輝かせるエドワード。
「今は犯罪者でもありますけどね。そして――」
「いいえ!」
軽く流してフェリとルナを紹介しようとしたものの、エドワードはぐっと身を乗り出して叫んだ。
「ルティウス様が親友である勇者の殺害に関与したなんて、あるはずがありません! お二人は互いに認め合い、固い絆で結ばれていたのは市井の子どもでも知るところ。あれは聖王国の陰謀に違いありません。というのも――」
エドワードは豹変したように語り出す。
勇者の力を恐れた聖王国の貴族たちが戦後に覇権を握るために起こしたことだと。至高の賢者はそのスケープゴートにされたのだと。
おおむね間違ってはいないが、さすがに聖王が命じたとの考えには至っていないようだ。
「――というわけで、はっ!?」
ぺらぺら饒舌に語っていた少年は何かに気づいた様子で口を止めると、顔中を真っ赤に染めあげた。
「す、すみません! 自身の妄想を当事者たる至高の賢者様に語って聞かせるなど……無礼極まりますね」
今度はぺこぺこと頭を下げる。
(王族なのに腰が低いなあ)
苦笑いしつつ、「気にしていませんよ」と返す。
「ひとまず改めて、こちらの紹介をさせてください。彼女はフェリ。半分は魔族ですが、魔王国で迫害対象であった彼女は逃れてきて、今は僕の身の回りの世話をしてくれています。また先ほどご覧いただいたとおり、僕を守ってくれもします」
フェリが一礼する。
「で、あっちの彼女が……ルナ。僕の教え子です」
エドワードがそちらに体を向けて礼を述べると、ルナは恐縮したようにお辞儀を返した。
ルナが顔見知りだとは気づいていない様子だ。
(ま、気づかれても誠実な少年のようだし、ルナの不利になるようなことはしないかな)
さて、こちらの紹介は終えたわけだが。
「ところでフェリ、この人は?」
地面に寝そべる初老の紳士を指差すと、エドワードが慌てて駆け寄った。
「この人、トマスは違います。僕が生まれたころから仕えてくれていて、おそらく彼も……」
殺害対象の一人だったのだろう。
フェリが補足する。
「この方は御者台で頭を抱えて震えながら『エドワード様エドワード様』と呪文のように繰り返していただけでしたので、襲撃者の一味ではないと判断して優しく気絶させました」
フェリがそう考えたのなら問題はないだろう。
エドワードの言葉よりもそちらのほうが重要だ。
「ぅ、ぅぅん……?」
御者――トマスが目を覚ました。
「おおっ!? エドワード様ご無事でしたか! しかし、これは……?」
きょろきょろ辺りを見回し、ジークたちに警戒の眼差しを向けてくる彼に事情を話す。
「なんと大胆不敵、そして不敬な連中であろうか! 畏れ多くもストラバル王国第二王子であらせられるエドワード様を手にかけようなどと!」
転がる護衛の男を睨みつけるも、
「しかしこのトマス、情けなくも震えるばかりで何もできず……面目次第もございません」
すぐさましゅんと肩を落とす。感情の起伏が激しい人物のようだ。
「さて、今後どうするか、ですけど。エドワード王子は聖都へ向かわれているのですか?」
「はい。この度、英雄学院に通う運びとなりまして――」
「ぅぇっ!?」
ルナが変な声を出し、慌てて口を手で押さえる。
「ははは、まあ、驚かれるのも仕方ありませんね。ぼくはさっき見てのとおり戦闘力が皆無に等しい。だから学院では研究科に進むのですよ」
ルナが驚いたのは別の理由だろうが、違う意味に捉えてくれたらしい。
「なるほど。では我々と目的地は同じですね」
「同じ、というのは、ルナさんも英雄学院に?」
「ええ。そして僕はそこで講師をやることになりまして」
「本当ですか!?」
食いつきがすごい。
「ああ! まさか憧れの賢者様に教えを授かることができるなんて……。体よく国を追い出されたようで気が進まなかったのですけど、こんな幸運があったのなら逆に義母上には感謝しないといけませんね」
うっとりしているところ悪いが、話を進める。
「どうでしょう? 王子がよろしければご一緒しませんか?」
「ええ、それは本当に助かります。ぼくとトマスだけでは道中不安ですし、それに……」
エドワードは哀しそうに護衛の男を見やる。
「彼らをこの先の街で聖王国兵へ引き渡さなければなりませんから」
甘いな、とジークは顔には出さずに思う。
他国内とはいえその貴族たる『マティス・ルティウス男爵』が証人になれば、王子の権限を行使してこの場での処断は可能だ。
(どうせ王位継承争いのごたごたなのだから、犯人探しをしてもさほど意味はない)
むしろ厳粛なる対処をしたとの実績があれば、命じた政敵への牽制になる。
どのみち王子襲撃の実行犯の彼らは、身柄をストラバル王国へ引き渡されたのち、金目当ての犯行だとでも安直な理由をでっちあげられて殺されてしまうのがオチだ。
そうなれば間を置かずに第二、第三の刺客がエドワードに差し向けられるだろう。
「わかりました。拘束した者たちは貴方の箱馬車に押しこんで途中の街まで運びましょう」
けれどジークはあえて助言しなかった。
至高の賢者〝マティス・ルティウス〟を信奉している一国の王子に、非情な一面を見せる必要はない。
今後も執心してくれれば、よく働いてくれるだろう。
(ルナの件では注意が必要だけど、僕の目の届く範囲ならいくらでも使い道はある)
完全なる打算。〝マティス・ルティウス〟の名声を高めるための、ただの駒。
「王子は僕たちの荷馬車へ来てください。乗り心地は悪いですけど」
「いえ、構いません」
ひとまず襲撃犯を押しこんだ箱馬車をトマスが操り、エドワードはジークたちの荷馬車に乗った。
こうしてジーク一行は新たな旅の道連れと共に、聖都へ赴いた。
彼らが到着する直前、聖都はひとつの噂でもちきりになる。
辺境送りになった至高の賢者が聖都へ戻ってくる。その道中、隣国の王子を山賊から救ったと――。




